第40話 上條家の先祖

 青藍と志乃が帰り、はや十日が経過していた。

 最初の数日間は、いつぞや流れてしまった呉服屋に来てもらって採寸してもらうなどまったりした日々を過ごしていたが、ここ数日、それは崩壊した。


 咲良はとにかく忙しく働いていた。


(やばい……)


 北上主の口コミがかわら版に載り、空前絶後の大ブームになったようである。

 要は「予想を超えてる」とげっそりした顔をしている。

 全室稼働は初めてらしい。


 とにかく、老舗旅館にしては食事とワインが珍しいらしい。

 咲良からしたら、作りやすく親しみやすいものばかりであるが、隠り世に住んでいるあやかしや神々からすればそうではないようだ。


 現世は鳥居を通れば行けるのだが、円にこちらの金を交換するときのレートはものすごい。気軽に出かけての買い物や食事は難しい。身近な海外、といった感覚なのだろう。


 チェックアウト後はまず布団を干し、洗濯を集めて洗濯部屋へ。合間におひつのご飯をよそって明太子とネギを乗せて適当に茶をかけてかき込む。

 休む間もなく、掃除に片付け……。各部屋や廊下に飾る花を納めに来る花屋や、食材の納品なども来ているだろう。

 庭の掃除も、それから湯殿の掃除だってある。


(疲れた……)


 チェックインが始まる三時くらいに、ついに仕事を上がることができた。人手を増やしてもらわねば大変なことになる。


 今日は今から明日の昼過ぎまで、咲良は二十四時間のオフ。

 昴の部屋に行こうかと思ったが、彼は今仕事中だろう。いや、しかし。

 会いたい。


(お茶とおやつくらいなら……)


 盆に皿をふたつ並べる。今日のおやつはきんつばだ。部屋でお茶を入れよう。


「昴さま、おやついかがです?」

「咲良か!」


 障子が向こうから開いた。

 彼が盆を受け取って、軽く抱き寄せられた。


「そろそろ休憩しようと思っていたんだ」

「グッドタイミングですね」


 ふたりは顔を向かい合わせてくすぐったそうに微笑んだ。

 咲良は背伸びをすると、彼の頬にキスをひとつ。彼も咲良の額に唇を寄せた。

 

 そして、もはや定位置とも呼べる座布団の上に腰を下ろすと、昴は火鉢の火で湯を沸かし始めた。


 文机には大量の文。現世の社からものだ。


「今日はすごく忙しい。夜はそうだな、一緒にワインが飲みたいな」

「今夜は鹿肉のグリルらしいので、ヘビーめの赤ワインを選びますね」

「それは楽しみだ」


 邪魔しないように咲良は早めに退室することにした。


「今から隆と出かける。ついでに呼んでくれないか?」

「はい!」


 咲良は隆爺を呼びに行った。

 彼の部屋に向かって廊下を進むと美しい花が生けてある。


(あれも覚えなきゃ……)


 読み書きも、作法も何もかも。

 そう考えると、ゾッとしたがでもやるしかないのだ。


(志乃さまとはスタートラインが違う)


 文字はもちろん、唄に三味線に琴に茶道、華道。和歌も俳句も古典も何もかも、幼い頃より叩き込まれた志乃とは別なのだ。


 昴は「今更山に帰ろうと思ってないし、偉くなろうとも思ってないし、無理しなくていい」と言っているが彼に恥をかかせないためにもやるしかない。


 咲良は決意を固めながら、隆爺に声をかけた。


 ***


 昴は隆爺を伴って変化し、一目散に街道を抜け、山に入ってさらに足を急がせた。


「大将、速すぎます!」

「ああ、悪いな隆!」


 足を止め、背後の獣道を確認すればハアハア言いながら駆けている隆爺がいた。

 忘れていた。山犬は長距離を走るのを得意としているが、狐は違う。狩りも瞬発力重視である。


「少し休むか?」

「いえ、もう少し速度を落としていただければ……」


 昴が暮らす街から少し山に分け入ったそこに、ひっそりと暮らす千歳を超える霊亀れいきがいた。

 変化を解き、一見あばら家にも見える戸口から、昴は声をかけた。


「ご無沙汰しております。時信ときのぶどの……昴です」

「よく来た。山犬の若いのか、入ってくれ」  


 昴は苦笑しながら建てつけのはちゃめちゃな引き戸を開けた。

 目の前にはひとりの老人がいた。ずっと文でやりとりをしていたし、爪を隆爺に届けてもらってはいたが、会うのは久しぶりだった。

 干からびたじじいにしか見えない時信は、昴とその後ろに控える隆爺を見て人好きのする笑みを浮かべた。


「上條の娘は連れてこなかったのか?」

「ここは彼女の足には山道が過ぎますので」

「そうか。依頼の品はできとる。とりあえず、だ。腕に巻けるようにした」


 ツルツルに磨かれた黒い爪は一見黒曜石でできた勾玉に見えた。真ん中に穴が開いており、編まれた革紐に通っている。水晶のような石も飾りのようについている。


「かたじけのうございます」

「早う所帯を持ってやれ」

「噂を聞きましたか?」


 こんな山奥にまで、噂は届いているらしい。

 だが、もう否定する必要もない。彼女とは一緒になる約束をしたのだから。


「こちらに迷い込んだ上條の娘を助けたいと言っておったが……こうなるとはのう。牙は抜いたか?」

「はい、こちらを……」


 昴は懐から巾着を取り出した。ひっくり返すと牙が転がった。


「しばし山の水につける必要がある。首飾りか指輪か……何にするかはゆっくり決めるといい。未だ娘御は隠り世には慣れておらんだろう、気を遣ってやれ」

「ありがとう存じます。彼女は人間ですので、わたしもそれ相応の覚悟を持っております」

「ああ、そのことでひとつ、話がある。まあ長くなるから茶でも淹れよう」


 彼は鉄びんに湯を沸かし始めた。

 

(土……? 怪しい匂いがするぞ……)


「そんな怪訝な顔をするな、きのこの茶だ。さるのこしかけやら諸々」


 樹木の幹に半月状の傘を持つ比較的巨大なきのこである。出された茶は、木を煮出したような味がした。それから、苦くて渋い。

 ふたりは何とか頑張って口に運ぶ。


「もう誰も覚えておらん、昔のこと……かつて、西国の山犬の男がとある巫女の娘と恋に落ち、ここ東国に逃げ延びてきた。その山犬は神通力が高くはなくてな、娘に寿命を半分くれてやることはできなかった。ずっと現世のふたりを見守っておったのだが、ついに子が生まれてな……それが、上條の一族の祖になった」

「なっ!」


 隆爺が驚愕の声を発した。

 一方、昴は冷静だった。

 

「つまり、先祖に山犬がおると」

「そうだ。先祖返りだろうな。ゆえに簡単にこちらに入ってきてしまったんじゃろうて。とは言っても、その時何かあったのだろうがな」

「そうですか……霊力が高いと思ってはおりましたが」


 でも、妙に納得した昴がいた。

 最初に感じた妙な庇護欲。それから宿の皆がああまでも本能的に守ろうとしたのも頷けた。


(先祖に山犬が……)


「その男は、妻に先立たれたのち、どうしたのです?」

「自害しすぐに黄泉平坂よもつひらさかにまっしぐらじゃ」


 死者の国への旅路、黄泉平坂へ。

 昴の予想通りであった。


「若いの。おそらくだ。牙で作った神具を使わずとも、その手形でも彼女はひとりで鳥居を出入りできると思う。覚えておきなさい」

「承知いたしました」


 本来、爪で作った手形では、咲良だけで鳥居を通れない。昴の手引きが必要だ。

 昴は右手の腕飾りを見下ろした。

 これで、試してみよう。

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