第35話 青藍(せいらん)

 龍たちご一行が帰って、錦屋は元の静けさを取り戻した。

 昼食後、手持ち無沙汰から咲良はほうきを持って門の前に出た。少しばかり杉の葉っぱが落ちている。


(昴さま、大丈夫かな……)


 咲良は掃き掃除をしながら、昴のことを考えた。

 龍たちを見送って、昴はそのまま昼食もいらないと部屋に戻ってしまったらしい。


 ここの従業員の皆も、それから昴ことも好きなのだ。大好きなのだ。

 昨夜、彼はショックを受けたような顔をしていた。

 当然だろう、きちんと話すべきであったと咲良は後悔しきりであった。二度と隠り世に来たくないなんて、もちろんない。


(ここでずっと働きたいな……)


 きちんと話そう。

 申し出は嬉しい。本当はずっと皆と働きたいし、昴のそばで手伝いをしたい。

 でも、自分だけどんどん歳をとっていくなんて、辛すぎるから耐えられそうにないときちんと彼に伝えよう。


 その時だ、目の前、鳥居の向こうの階段の下に籠が見えた。ひとりの女性が籠から降りてくる。介助しているのは髪をポニーテールにした男性だ。

 その髪が美しい艶の白髪で一体誰だろうと咲良はほうきを手に首を傾げる。


 来客の予定は聞いていない。

 来客があれば、厨房に事前に連絡があるからだ。


 男性と女性、それからお付きの何人かが階段を登ってきた。

 下には山ほど荷物を積んだ大八車が控えている。


「見ない顔だな……新入りか?」


 男性は、薄いブルーの瞳にきらめく白髪をしていた。見た目は三十代後半くらいに見える。着物の上からでもわかるくらい、筋骨隆々。

 肌は透き通るように白い。色素が薄いようだ。

 だが、顔は昴にそっくりだ。隣の女性も三十代くらいに見える。高価そうな着物の似合う色の白い美人だ。

 日焼けをしていないということは、いい生活をしているご婦人だと伺えた。


(昴さまってお兄さんもいるのかな……)


「いらっしゃいませ……はい。入ったばかりの者で何もわからず申し訳ありません」

「昴はいるか? ああ、おれは昴の双子の弟の青藍せいらんだ。彼女は妻の志乃しの


 咲良は跳び上がらんばかりの勢いで驚いた。

 弟だと! 聞いていない。咲良は手に持っていたほうきをすぐそばに置いた。


「す、すみませんこんな……ああ、どうぞ中に!」

「あの荷物、土産だ。裏口に回しても構わんか?」

「はい!」


 どういうことなのだ。

 明らかに青藍は昴より年上に見える。

 彼が話に聞いた、昴の双子の弟なのか。驚きに一瞬固まった。

 つまり、妻である志乃は元は吉原にいたという……。


(この人、人間……)


 どういうことだ。なぜ歳をとらないのだ。

 いや、違う。なぜ生きているんだ。


「すみません、少々お待ちくださいませ」

「いいよ、ゆっくり誰か呼んできな。粋くんとかおとちゃんとか、隆ちゃんとか。スーちゃんは……どうせまた昼寝でもしてるんでしょ? ちょっと待たせてもらうね」


 彼女は上りかまちに腰掛けた。


(スーちゃん……昴さま、そんな風に呼ばれているんか……)


 咲良は走った。離れにひた走る。

 客人から見えなくなったら、裾を帯に突っ込んだ。

 肌着は見えるが、これは別に見せても問題ないものだ。


「粋さん! おとさん!」

「どうしたー?」


 中から粋の声が聞こえて、引き戸をがらりと開けた。

 咲良の目にいちゃいちゃするふたりが飛び込んできた。


(あー‼︎)


「どうしたんだい? 走ってきたの?」


 おとが首を傾げた。囲炉裏の前で、しどけなく座るおとの膝を借りてゴロゴロしている粋の姿があった。


「ご! ごめんなさいお邪魔して! あの、青藍さまと奥方さまがお見えです!」

「「は?」」


 驚きに言葉を失うふたりのその顔は、実に見事であった。


***


 昴と青藍の兄弟は、顔を合わせた瞬間言い合いを始めた。


「おい、文送っただろうが、今日泊りに行くって!」

「見てねぇなそんなもん! 本当に送ったんか?」

「送ったに決まってんだろ! 探してやるよ!」


 ずんずん廊下を進む青藍。それを追いかけながら「勝手におれの部屋入ったら承知しねぇぞ!」と声を張り上げる昴。


「ほんっとうにいつ見ても仲良いんだか悪いんだかわからない双子だねぇ……それにしてもスーちゃん、また痩せた? 身体、あんまりよくないみたいだね」


 志乃はまんじゅうを口にし、もぐもぐと咀嚼して茶をすすった。

 長いまつ毛に通った鼻筋、小さめで紅が鮮やかな唇。

 本当に美人な人だ。首からは、乳白色で角度によって虹色に輝く不思議な勾玉を下げている。


「志乃さま、先にお風呂でもいかがです? あのおふたりに付き合ってたら日が暮れちまいますよ」


 おとがそう提案した。


「そうだねぇ、そうするよ! そうだ、で、例の人間の女の子ってのは……」


 噂は、どうも奥多摩まで届いているようだ。

 咲良は腹を括ろうと小さく手を上げた。


「わたしです」

「え、あんたかい! そうだったの?」

「はい、人間です。志乃さまは江戸時代の生まれなんですよね?」

「あ、スーちゃんから聞いてる?」


 スーちゃんという呼び方には、いまだに衝撃を感じる咲良がいた。


「双子の弟さんは幕末に人間の奥さまを娶ったとのことは聞いてます」

「そっかー! あんたがスーちゃんが神隠ししてきた子なのか。そうかそうか、かわいいと思ったんだよあたしは!」


 どうしよう、咲良は視線で粋に助けを求めた。

 彼は困ったように微笑むと、ことの次第を彼女に話してみせた。


「え、じゃあこっち迷い込んじゃったの?」

「そうなんです……なんでなのか、全然わからないんですけど」

「そっか……いいや、山の爺さんたちが大騒ぎしてさ、スーちゃんの婚約者って誰も聞いてないから、見てこいって言われて今回来たんだ」

「ご足労させてしまって申し訳ありません」


 咲良は志乃に向き直って頭を下げた。


「大丈夫大丈夫、頭上げな。そっか、大変だったね……今の現世育ちって言ったら全然生活環境も違うだろうし」

「さくは本当よくやってて、昴さまも本当に感謝してますよ。基本厨房の手伝いしてて、要も本当に喜んでます」

「要ちゃん、結構なんでもはっきり言うからそりゃあ結構なことだよ……みんなにも好かれてるみたいだし、本当に結婚しちゃえば? スーちゃん、いい男だよ」


(それはちょっと……)


 咲良は愛想笑いするしかなかった。

 彼にも女性を選ぶ権利があるだろう。


「昴さまも、ほら、女性の趣味とかおありでしょうし……できれば同族とか、狐とかたぬきの女の人がいいのでは、とか思ったり……」

「大将、狐は守備範囲外って言ってたし、たぬきとも付き合ったことないって言ってたし、山犬の年頃の女ってのは母数が少ないから諦めてるって言ってたから……なんだっけ、そう、チャンスだ!」


 謎に粋が応援隊になってしまい、咲良は混乱した。


「わたしも昴さまのお嫁さんにさくがなってくれたら嬉しいけど……さくは結婚するなら人間の男がいいだろ?」


(なんでおとさんまで……)


「ど、どうですかね……働くのに必死で、結婚とかあんまり考えたことなくて」


 咲良はしどろもどろになってなんとか返答をした。


「ま、今夜女同士でお酒でも飲みながら話そうか。現世でビール買ってきたから。ケースで!」

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