Edosipe14’ 汝自身を思い知れ (2’)


 灯がキャップを被って登校してきた。


 帽子が飛ばないようにするためか、髪を結って後ろの穴から出している。つまりポニーテイルである。


 彼女の髪型についてあまり言及したことはなかったが、彼女は髪を下ろしたスタイルが基本だ。いや、基本というならポニーテイルこそ基本の髪型だった気がするが、いつからか「朝に髪を結ぶ余裕がないから」とサラッサラの髪をたなびかせるようになった。私はそっちも好きだけれど、ポニーテイルも中学生時代を思い出すから好きだ。あと、うなじが見えてエロかわいいから好きだ。


 もしかして、灯がポニーテイルをやめたのって、私の下心を察したからなんじゃ……。


 だとしたらちょっぴり寂しいけれど、髪を下ろしたら下ろしたでキューティクルをじっくり観察できるから問題はない。が、この趣味にも気付かれたら、私はいよいよ行動を改めねばなるまい。


 今日に関しては、恐らくヘアカットを失敗したのだろうから、できるだけ傷を増やさないようにしてあげよう。


「どうしたの、その帽子。美容院で注文を間違えてモヒカン頭にしてしまったの?」


小径ちゃんにとんでもない目で見られた。それはもう、まるで、飼い猫がゴキブリを噛み殺している場面をたまたま目撃してしまったかのような顔だ。


「それは流石に、美容師さんもバリカンを取る前に確認を取るでしょ」


灯は流石に慣れたもので、引くどころかウィットに富んだツッコミを返してくれた。これは一本取られたな。


「じゃあどうして?」

「発想がモヒカン一択なんだ……」


失礼な。他にも思い付くことはある。間違ってスキンヘッドにしてしまったとか、ストレスで十円ハゲが出来たとか、フランシスコ・ザビエル風の髪型にしてしまったとか。


「何にせよ、授業中は外した方がいいよ。先生に叱られる」

「そうだよね……」


キャップのつばを握って悩む灯。帽子を被ったまま授業を受けることがマナー違反なのは分かるけれど、やっぱり不自由を感じずにはいられない。学校は――というか、たくさん人の集まる場所は窮屈だ。


 できることなら、今すぐ飛び出して、灯と二人でどこかへ行ってしまいたい。町の外、国の外、地球の外、そして宇宙の外までも。


 「いっそのこと、サボっちゃおうか」


何の気なしに、灯が言った。


「付き合うよ。私もいま、同じこと考えてた」


……彼女はやっぱり、私の灯火だ。


 二人で学校を抜け出して、ゲームセンターへ向かった。途中で学校に欠席の連絡をするため、その理由を考えた。


 出てくるアイデアがどれも馬鹿らしすぎて笑える。一番酷かったのは、「二人して宇宙人に追われているので学校には行けません」というものだ。これを灯が大真面目で提案してくるので、愛おしすぎて感情のり場に困った。


 私たちは、二人ともどちらかと言えば真面目なタイプなので、ぱーっと遊ぼうにも遊び方が分からない。一緒にいれば楽しいことは請け合いだけれど、何かを協力してやるとか達成するとかいったことに喜びを感じづらい。同じ部屋にいたら、同じテレビゲームをプレイするより、各々スマホゲームをして時々見せ合うような間柄。これが結構気に入っている。


 ゲームセンターを一通り楽しんだ私たちは、フードコートで残りの自由を謳歌した。


「楽しかったね!」


素直な感想を口にすると、灯は朗らかに微笑んだ。彼女は思ったことをなかなか正直に言わないので、時々こうして補ってあげるのだ。私も楽しんでいるよ、だから灯も安心して楽しんでね、という感じで。


 すると、彼女が机に肘を置いて尋ねてきた。


「ねぇ咲。何か欲しいものは無い?」

「こうして遊べるだけで充分だよ」


我ながら素晴らしい回答だ。だがその後に、気になっていたことを思い出した。


「でも、その、帽子をかぶっている理由は教えてほしいな。もちろん、無理にとは言わないけれど」


 欲しいものと言えばこんな事ばかりで申し訳ない。私は灯の全てが知りたいのだ。


 彼女は頬を赤くしてもじもじした。帽子に手をかけたまま視線を泳がせ、私と目が合うとさっと顔を背ける。下手な隠れんぼをしている保育園児みたいで可愛らしい。帽子の下を見せてもらえずとも、この反応が見られただけで要求してみた甲斐はあった。


 『やっぱりいいよ、変なこと言ってごめんね』と前言撤回しようとした時、チラリと何かが視界の端で動いた。遠くを歩く人影かと思ったが、どうやらそうではないらしい。


 灯のすぐ後ろを、ふらふら、ふらふら、と揺れるもの。


 先端から下へ辿って、根元がどこか探っていくと……。


「あ」

「ん?」


 頭隠して尻隠さず、どころかパンツも隠さない姿は非常に破廉恥で眼福であったが、それに気付いた彼女は慌ててスカートを押さえつけた。同時に尻尾がピーンと臨戦態勢をとったので、それを押さえ込むのは大変だったに違いない。


 彼女はもう下半身のガードを諦めて、両手で顔を覆っていた。


 「…………」


 もっと見たい願望とは裏腹に、私には、顔や下着を見ている余裕などなかった。彼女の頭に釘付けになっていたからだ。尻尾と格闘するうちに、はらりと落ちてしまったキャップの下。


 隠れていたのは、モヒカンでも、スキンヘッドでも、ハゲでもなく――猫耳、だった。


 


 そういうことかと、気付けば拳を握っていた。爪が食い込んで痛い。だが、もっと、もっと痛みが欲しい。全身の血液が沸騰するような怒りを、誤魔化してくれる感覚が欲しい。


 『私はあんたの味方』


 嘘だ。あの占い師は、味方なんかじゃなかった。


 彼女は、運命に抗う術を教える振りをして、運命に従えと暗に命令していたのだ。計算ずくの策。仕組まれた運命の発露。一番ムカつくやり方である。


 運命は首輪を使えと言っている。灯の姿を変化させてまで。に変えてまで。それが何よりの証拠だ。


 私がもし首輪を使えば、灯との仲には決定的な亀裂が入る。命令に背かない、言いなりの人形にしてしまったら、もはや友人関係は成り立たない。恋人関係ならなおさらだ。首輪で従えた関係なんて、そんなの、ただの奴隷じゃないか。


 自業自得にも灯を失った私は、予定通り脇本くんと関係を築き始めるだろう。少し考えれば分かることだった。私を応援してくれる勢力なんて、この世のどこにもあるはずがない。運命を覆したらどうなるか、誰にだって分かる。


 崩壊だ。


 一体何が崩れるのか、壊れるのか、分からないけれど。


 私の人生ひとつを捧げて他の皆が助かるならば、そうしてくれと懇願する人がいてもおかしくない。というか、それが普通だろう。


 一瞬でも期待した自分が、馬鹿だった。


 「……咲?」


灯が心配そうに覗き込んでくる。はっとして我に返った。


 いけない、いけない。彼女は何も知らないのだ。首輪のことも、あわよくば彼女を奴隷に変えようと目論んでいたことも。知って欲しくない。


 ごめんね。下劣な親友で。


「え、あ、ごめん。どうしたのそれ、可愛いじゃん」


慌てて表情を取り繕ったが、灯は不満げだ。やっぱり見せたくなかったのかも知れない。少しでも彼女を元気づけるため、いつも通りからかってみることにした。


「誕生日プレゼントってこと? 嬉しいな」

「違うよ。朝起きたら生えてたの」

「そんなこと言って、私に見せたかったんじゃないの?」

「なわけないし」

「ちょっと触らせてよ」

「やだ」


テーブル越しに手を伸ばしたが、彼女の避け方がいつもより素っ気なく、あまり手応えがなかった。あれ、機嫌が悪いのかな。最近は、学校の外であれば自由に頭を撫でさせてくれることも増えたのに。


「疲れた。もう帰ろ」


猫のように気まぐれに、唐突に、彼女がそっぽを向いて言った。灯が遊びで疲れることなんて滅多にないのに。


 体調が悪いのか、心の調子が悪いのか、どちらにせよ無理に連れ回すのも良くないだろう。


「……うん。そうしよう」


何故かぎくしゃくした空気を纏いながら、私たちは外に出た。


 西から吹いてくる重苦しい風が、「首輪を使え」と耳元で囁いてくる気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る