Edosipe15’ 汝自身を思い知れ (3’)

 雨が降ったので、灯と一緒に雨宿りした。


 「降られちゃったね。濡れてない?」

「……うん。帽子かぶってて良かった」


灯は、手に持ったキャップをしげしげと見つめる。彼女の真剣さと呼応するように、猫耳も同じほうを向く。凜々しく立ったその耳が、ひたむきな彼女の性格をよく表していた。


 今更ながら猫耳姿の親友を堪能していたら、彼女がふいとこちらを向いて睨んできた。何だ何だと思っていたら、そのまま私の頬に手を伸ばし、濡れた髪を払い除けてくれる。


 それと同時に、私の中で熱をもつ何か。


 灯の濡れ髪。猫耳。上目遣い。潤った唇。しなやかな尻尾。それが捲り上げるスカート。挑戦的な目つき。


 吸い込まれそうだ、と思う。


 「さっきはごめん。咲の誕生日なのに」

「ううん。急に機嫌が悪くなるのはいつものことじゃない。そういうところも可愛いよ」


可愛い。あぁ、可愛い。


「なんで、そんなに優しいの?」

「……優しくないよ」


 私が灯を性的な目で見ていると知ったら、彼女はどう思うんだろう。


 最低な首輪を、それでも捨てられずにいると知ったら、彼女は。


 「……今日は抱きついてこないんだね」

「え?」

「いつもなら『暖めてー』とか言ってくっついてくるのに」


……なにそれ、まるで。


「なぁにお嬢ちゃん、誘ってんのかい?」

「…………」

「……まじ?」


 一体どうしたんだ、今日は。夢か?


 まさかそんな筈ないのに、まるで、灯と両想いになったみたいな。


 灯が嫌じゃないのなら、私は――。


 思わず、彼女を抱き寄せた。頬に触れる冷たい首筋。鎖骨から後ろ髪の生え際まで、届く場所全てに頬ずりをした。それでもまだ止まらない。身体の疼きが、収まらない。


 「ごめん、我慢できない」


 首輪がある、ということ。


 なるべく意識しないようにはしていたけれど、『その気になれば何でも出来る』という誘惑は抗いがたいものだった。振り払っても振り払っても、私を追いかけてやまない。あんなに遠いところにあった星が、振り返れば手の届く距離に瞬いている。


 掴みたい。


 衝動のまま、彼女に口づけた。


 制服の裾を捲り、布に覆われた素肌を撫ぜる。


 吐息が熱を帯び、指先が触れるたび呼吸が乱れた。


 ――気持ち良さそうにする灯を見て、私は、誇らしい、と思った。


 「なに、してんの。こんな、外で」


灯に突き放されたのは、当然の報いだ。多くを求めすぎたから。自制心に休暇を出して、彼女の気持ちを考えなかったから。こんなのおかしいと思いながら、手を休めず話し合おうともしなかったから。


「ごめん、どうしても、灯が、欲しくて」

「欲しいって、何よ。人を物みたいに」


鋭いな。灯はいつも、変なところで勘が良いんだ。肝心なことは、何も気付いてくれないのに。


「でも、本当に人形に変えてやるよりは、こうするほうが良かったでしょう?」

「はぁ? それってどういう……」

「ごめんね、灯。ちゃんと言うべきだったのに」


反省をしても後悔をしても、私は過ちつづけるのだ。言うべきことを言わず、訊くべきことを訊かず、語るべきことを語らない。秘密は明日も秘密のまま。


「私が主人公なの」


 私はずるい奴だ。でも、世界はもっとずるいらしい。こんな色の空を見せられたら、否が応でも分かってしまう。こうやって彼女を仲間外れにしない限り、私たちに明日はやって来ないのだと。


「悪いと思ってたよ。だけど、無邪気に主人公だとはしゃげる灯が、羨ましかった」


 指先から気持ちが伝わると信じて、輪っかがついた彼女の首に触れる。恥じらうような、戸惑うような、怒っているような、初めて見る彼女の表情。その背後に見えるのは、パックリ割れた空と、そこから滲み出る琥珀色のインク。私たちの夜に終わりを告げる、滅びの天使のラッパの音色。


 「命令する」


こうするしか、なかった。


「今日起こったこと、話したこと、私がしたことは全て忘れなさい」


彼女の瞳から力が抜け、重たげなまぶたがゆっくりと、下りる。


「おやすみ、灯。今日のところはお別れだね。また明日」


目頭が熱い。灯の顔が滲んでよく見えない。どうせこんな結末だって分かってたよ。


 自由なんて所詮しょせん、言葉の綾のようなものだ。


 私たちの生は何かに縛られているわけじゃない。分かれ道のほとんどが大きな岩で塞がれていて、一つの道を選ばざるを得ないのだ。そしてそれは、正しい道である。望まれる道、進むべき道であるはずだ。


 自由に生きる。


 お父さん、お母さん。私は正しいことをしたよね?


 そうだよね?

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