反転
Edosipe1' 主人公の邂逅 (1')
この制服に袖を通すのも、もう何度目か分からない。
水兵の軍服からデザインされたという骨董品のようなセーラー服を身にまとい、チャームポイントに見えなくもない赤いスカーフを胸元で結ぶ。その際、あらかじめ襟を立てておくと楽に通せるという人もいるが、私はやったことがない。理由は、エリマキトカゲみたいでなんかダサいから。
そう言えば、セーラー服の襟は元々、洗濯物を減らす工夫だったそうだ。船の上では滅多にお風呂に入れない。服も洗えない。というわけで、ギトギトの髪が服について汚れるのを防ぐために、取り外しできる広い襟をつけたらしい。
もちろん、今では何の用も為していない。そもそも一体化しているしね。
早めの時間に家を出て、自転車で悠々と学校に向かう。私の親友は遅刻寸前で登校するのがもはや特技みたいなところがあるけれど、私はそんな冒険はしない。
しかし冒険は、時に向こうから迎えに来る。
「あー……ヤバいな」
明らかにスピード超過したトラックを視界に捉えてから、私の判断は迅速だった。アイツは恐らく突っ込んでくる。その気になって見れば、信号は赤だし歩行者もいるし、事故を起こすには打ってつけの状況である。
さて、どうするか。
スーツ姿の女性が、しきりに腕時計を確認しながら交差点を渡りはじめた。その背景には爆走するトラック。まるでアニメのワンシーンのように事故の構図が浮かび上がっているが、当の本人は素知らぬ顔だ。
トラックの方も容赦する気はないらしい。ハンドルに突っ伏した運転手を乗せ、巨大な体躯を惰性のままに彼女にぶつけようとしている。
もう、インパクトまでは秒読みだった。
「危ない!」
全力疾走の自転車を乗り捨て、吹っ飛ぶような勢いで女性を庇いダイブした。
悲鳴のようなスキール音に続き、凄まじい轟音と衝撃。
運転手が寸前で目覚めハンドルを切ったようだが、幸いこちらに支障はなかった。
――いや、これは単なる幸運ではない。私が彼女に覆い被さっている以上、トラックは右に避ける運命だった。飛び込んだ先でトラックと鉢合わせ、助けようとした歩行者もろとも被害に遭うような未来は存在しない。運転手が悪の組織の構成員でもない限り、彼の運命力で私を轢くことなど不可能なのだ。
代わりに民家の石塀に思い切り突っ込んでしまったが、居住部分まで至っていないのを見てホッとする。今日もなんとか、目の前で死者を出さずに済みそうだ。
「あ……ありがとうございます」
状況を把握したビジネスパーソンが、わなわなと震えながら言葉を発した。
「あ、あの、何かお礼を……。お名前は?」
「いえ、ほんとあの、名乗るほどの者じゃないので」
私はそそくさと立ち上がり、辛うじて大破を免れた自転車を起こして「じゃ」と軽く手を上げた。彼女に大きな怪我は無いようだし、長居は無用だ。早くここを去らなければ、一番知られたくない相手に私の秘密が知られてしまう。
トラックが突っ込んだ家の隣、「将門」と表札がかかった西洋風の綺麗な家。
そこには私の親友が住んでいるのだ。
自転車を漕ぎだして数分、アドレナリンが出ているうちは気付かなかったが、膝の傷に風が染みて痛くなってきた。絆創膏は普段から持ち歩いているが、タイツの替えは無いので急遽コンビニエンスストアに立ち寄る。
タイツはある。絆創膏は……小さいサイズしか無いな。最後の一枚だったので買い足したかったが、まぁ仕方ない。今度薬局でも行こう。
店員が嫌な顔をしていると思ったら、脚から滴った鮮血がコンビニの床を汚していた。
「すみません」
俯きながら店を出た。灯がいないところでは、私はいつも何かに追われている気がする。
教室に着いた私のルーティンは、窓から生徒たちの登校を見守ることだ。外はぽかぽかと良い天候で、眼下の駐輪場には牧歌的な光景が広がっている。私は窓の縁に寄りかかったまま、平穏な一日の始まりをどこか他人事のように感じていた。
いつの間にか、ぞろぞろと入ってくる生徒たちの中に、灯の姿を探している。
こんな時間に来るはずがないのに。
始業五分前のベルが鳴ると、登校する生徒もまばらになってくる。
今日こそ来ないか、と諦めかけたその時に、猛ダッシュで駆けてくる灯の姿を発見すると、私は嬉しくてたまらなくなる。にやけた笑みを満面に浮かべ、気付けば手を振っている。
今日も出逢えた。
そんな他愛もないことが、魔法のように私を笑顔にしてしまう。
この気持ちは、なんだろう。
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