(3)

「おじちゃん、大丈夫?」

 気がつくとガキが目の前にいて、小汚えクマを差し出していた。

「だからなんなんだよ、おまえは。それはおまえが持っとけっつってんだろ」

「でもおじちゃん、痛そうにしてたから」

「あ?」

「いま、すごくどっか痛そうな顔してた。クマゴロー持ってるとね、痛いのも消えるんだよ? だからお守り」


 ……なんでこのガキは、見ず知らずの俺に妙に親切にしたがるのだろう。


「あとね、クマゴローもおじちゃんのこと好きなんだって」

 言って、ニカッと笑う。だが、そんな無防備に、人懐っこい顔で笑いかけられても困る。俺にはいま、そんなメルヘンな話題に付き合う精神的余力は欠片もないのだから。


「おじちゃん」

「だからなんだよ」

「あのね、おじちゃんはイヤだと思うんだけど、クマゴロー、おじちゃんが持ってて?」

「はあ? なんで俺が――」

「クマゴロー、ほんとにすごく頼りになるのに、このまま家にいると捨てられちゃうし、それじゃ可哀想だから」


 ガキの言い分に、はあ~っとでっかい溜息が漏れた。ようはアレだ。俺はていのいいぬいぐるみの避難場所ってわけか。


「言っとくけどな、なにを根拠に俺を良い人認定したのかしんねえけど、俺に預けたって結果はおなじだぜ?」

 頭をガリガリと掻きながらそう言うと、ガキはキョトンとした顔で見上げてくる。

「だから、おまえの母ちゃんのオトコ――おまえんとこにいる偉そうなおっさんとおんなじで、俺にそいつを預けても、俺も捨てるっつってんだよ。それが嫌だったら、おまえがちゃんと責任持って――」

「いいよ」

 言いかけた言葉が途中で止まった。


「………………は?」


「いいよ、捨てても。おじちゃんがいらなかったら、捨てちゃってもいい。それでもいいんだ」

「はぁあ?」


 なにを言っているのか、まったくもって理解不能だった。

 呆気にとられる俺を見て、ガキはもう一度ニコリとする。それから、ふと真顔になった。


「ぼくね、思うんだけど、生きてるとときどき、苦しいことも悲しいこともいっぱいあるでしょ? だけど、それでもやっぱり、『ここ』にいられるのっていいなあって思ったりするの」


 妙に達観したような、老成した眼差し。

 その眼差しが、懐かしむように、愛おしむように河川敷ののどかな景色を眺めやる。その様子に、わけもなく妙にドキリとした。


「ガ、ガキがなに言ってんだよ。生まれたばっかの赤ん坊みてえな年齢のくせしやがって」

「赤ちゃんじゃないよ。ぼく、もう八歳だもん」


 途端にガキは、もとの幼い顔に戻って俺を顧みた。それでこっちも、ひどくホッとした気分になる。それがなぜなのか、自分でもよくわからなかった。


「俺からすりゃ、十歳未満のひと桁なんて赤ん坊みてえなもんだっての。持ってるぬいぐるみと、たいして変わんねえじゃねえか」

 大人気ない憎まれ口に、ガキはますますプッと頬を膨らませる。その様子に、いたく満足した。


「ほらな、俺なんてこうやって碌なもんじゃねえんだから、おまえもさっさとそれ持って家帰れ。捨てられるのが嫌なら、どっか見つからねえ場所にでも隠しとけばいいだろ」

 言って、しっしと手で追い払う真似をすると、そのまま背を向ける。そして、ガキをその場に置き去りにして歩き出そうとした。瞬間、視界がぐらりと大きく歪んだ。

「…………っ」

 こみあげる強烈な吐き気。自分でもそれと気づかず、その場に足をつく。


 ――なんで俺なんだよっ!


 だれにぶつければいいのかもわからない、やるせない憤りに目が眩む。尻ポケットでふたたび、スマホが小刻みに振動していた。

 じっとしていれば、嵐はやがて通りすぎる。

 気づけば独り。

 その足もとには、やはり、小汚いクマのぬいぐるみが置かれていた。

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