第3章 たしかなものは闇の中
(1)
『直之、お願いよ、電話に出てちょうだい。お父さんもとても心配してるの』
薄暗い部屋に、声が響く。
『いま、どこにいるの? せめてひと言でいいから声を聞かせて。なにも心配しなくていいのよ。ね? だから家に帰ってらっしゃい。お母さん、待ってるから』
携帯の留守電に録音されたメッセージが、悲痛な声で訴える。それにつづいて、さらにもう一件。
『結城直之様のお電話でしょうか? こちらは○○大学附属病院脳神経外科の田所と申します。たびたびのご連絡、恐縮です。お手数とは思いますが、今後のためにも至急、折り返しのお電話をお願いできないでしょうか? 電話番号は――』
ごろりと敷きっぱなしの布団に横になり、薄暗い天井を眺めたまま流れるメッセージを聞き流していると、なんだか完全に他人事のように思えてくる。とても自分に関係した内容とは思えなかった。
ついこのあいだまで俺の人生は順風満帆で、これまで歩んできた道のりの途中、大きく
いつからかはっきりしたことはおぼえていない。だが、いつのまにか慢性的な頭痛に悩まされるようになった。そしてそのうち、手足が痺れるようになってきた。頭痛が酷くなると、吐き気を伴うこともあった。
一年前の春の健康診断では異常なし。てっきり仕事の疲れが溜まっているのだと思ったし、二日酔いの症状が慢性化したせいだろうと軽く考えていた。仕事の付き合いで、飲みの席が設けられることが常態化していたからだ。だが、そうではなかった。
事態を甘く見すぎていたことが判明したのは、つい二か月前。
不意に襲われた割れるような頭痛に我慢がならず、仕事の途中で職場近くの病院に駆けこんだ。そこで検査を受け、結果が出るや、その場で都内の有名な大学病院を紹介された。あらためて細かな検査をした末の診断結果は悪性の脳腫瘍。ついでに、半年という余命まで宣告された。
まるで意味がわからなかった。事務的な口調で淡々と状況を説明する医師の言葉も到底自分のこととは思えなかったし、言われている内容を自分に当て嵌めることは、もっと不可能だった。
今後の治療方針とか、いろいろ説明していたような気もするが、とりあえずよくわからないまま会社に行くと、受け持っていたプロジェクトに大問題が発生していた。病気からくる致命的な判断ミス。普通ならあり得ない書類上の不備を完全に見落とし、最大手の取引先と契約を交わして会社に大損害を与えることとなった。
直属の部下が、記載されている数値がおかしくはないかと何度も確認したそうだが、俺はその箇所にきちんと目を通したうえで、まったく問題ない、これでいいのだと独断で押しきったという。そんなやりとりは、ほんの断片すらも記憶になかった。
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