第213話 グリスフェルド大公
「なぜだ!なぜ……余が、このような辱めを受けねばならぬのだ……!」
グリスフェルド大公国の首都、大公都グリスフェディア。その一角に、かつては要塞として用いられた古城がある。今は改築され、鉄格子と石壁に閉ざされた監獄と化していた。
その薄暗い地下牢にて呻き声を漏らすのは、この国の支配者にして大公、トールセブリン=リガベリキィ・グリスフェルドであった。
肥え太った体躯、膨らんだ頬肉、そして鼻の下に小さく生えた髭が、彼の滑稽さを際立たせている。
「許せぬ……!余は、この国の君主だ!にもかかわらず、なぜこのような薄汚い独房に閉じ込められねばならぬのだ……!」
彼の脳裏に浮かぶのは、ここ数日の間に起きた悲劇である。
すべての始まりは、国中で同時に勃発した獣人たちの叛乱であった。
オルデナ鉱山を中心として、王都周辺で獣人達が一斉に蜂起した。
鎮圧を命じたものの、王都を守る兵力は前線に割かれており、残された兵はごく僅か。
叛乱は鎮められるどころか、次々と勢力を結集し、瞬く間に手の施しようのない大規模蜂起へと成長していった。
「まさか、キルヒェンの手先どもが国の中に紛れ込んでいたとは……!」
ジークヴォルトやフェンらは、キルヒェンが正式に宣戦布告を行うよりも前――国境の守備が未だ固められていなかった頃に、すでに動き始めていた。獣道すらない険しい山岳を踏破し、密かにグリスフェルド領へ侵入を果たしたのだ。
ごく少数での行軍、しかも人が通ることを前提としない場所を通過されたがゆえに、グリスフェルド側も侵入に気付けなかった。
彼らは大公都とその周辺において奴隷たちを次々と解き放った。
膨れ上がる反乱勢力に恐怖と絶望を覚えた貴族たちは、逃走を図って捕縛される者、みずから降伏する者が相次ぎ――結果、大公都は瞬く間に陥落。
トールセブリンは、聖教を国教に据えることを条件に、救援を要請する使者を聖教本部に放ったものの――結局、大聖都からの救援も間に合わなかった。
「なぜ、誰も余を守らぬ……!命を賭けても、余を守るべきであろう……!」
逃亡を図ったトールセブリンも、結局は反乱軍の将ヴァルガに見つかり、地に叩き伏せられたうえ拘束され、今やこの地下牢に幽閉される身となっていた。
処刑を免れているのは、未だ健在なグリスフェルド軍の存在があるからだ。彼らは大公都奪還を目指し、進軍を開始している。
反乱軍は、大公を人質に、彼らとの交渉を有利に進めるつもりに違いなかった。
(しかし、奴隷共が余を許すとは思えぬ……)
トールセブリンは、獣人奴隷達の怒りを一身に受けている。どのような交渉が成されようとも、最後には殺される――そんな恐怖心を拭う事が出来なかった。
――そのとき。
不意に地下牢の通路から足音が響いた。
トールセブリンは、びくりと肩を震わせ、体を固くした。
やがて姿を現したのは……十代半ばの獣人の人物。
銀髪に蒼い瞳、そして狼の耳を持つ少年であった。
「……トールセブリン様、お助けに参りました」
「なっ……何者だ、貴様は……?」
「俺は、反乱軍内の『穏健派』です」
「穏健派だと……?」
「反乱軍には今、二つの派閥があります。グリスフェルド軍との戦いを叫ぶ『過激派』と、講和を望む『穏健派』とに。――俺達穏健派は、人間と獣人が互いに血を流すなど愚かしいと考えております。このままでは両者が衝突し、無意味な血を流すことになる。大公陛下……どうかここから逃れ、グリスフェルド軍に停戦を呼びかけていただきたいのです」
少年はそう言い、肩に下げていた
「それをお約束くださるなら……必ず逃がしてみせましょう」
「……し、しかしだ。牢の外は反乱軍の兵で固められているはずだ」
「ご安心ください。この周囲にいる者たちは、すべて穏健派――俺の協力者です。大公様を必ず、外へとお連れします」
「よ、よし……!約束しよう。もしここから無事に脱出できた暁には、グリスフェルド軍に停戦を呼び掛けると!」
「……絶対、ですね?」
「絶対だ。余も無益な血を流すことは望まぬ」
「分かりました」
獣人の少年は鍵を差し込み、静かに錠を外した。
そして牢内へ入ると鞄を開き、そこから神官服を取り出す。
「まずはこちらにお着替えください」
「……神官に化けて脱出するという事か。し、しかし上手くいくのか?」
「反乱軍は聖教の神官に国外退去を命じています。強硬派は抹殺を主張しましたが……聖教との衝突を避け、追放という形に決まりました」
聖教の神官の中には、獣人の密貿易に関与していた者も多い。だが彼らを殺せば、聖教本部が討伐に乗り込んで来る危険性がある――だからこその退去命令だ。
「なるほど……神官の装いであれば、見逃される可能性が高いわけだな」
「もちろん、途中で検問があるでしょうが……俺が対応します。さあ、逃げましょう」
◇
着替えを終えたトールセブリンは牢を出た。
少年の言葉通り、監獄を守る兵たちは彼の協力者であり、咎められる事無く彼を通した。
そのままトールセブリンは監獄の外に用意されていた馬車へと乗り込む。
「それでは……出発します」
少年が御者台に腰を下ろし、手綱を握る。馬車は朝靄の中を進み始めた。
時は明け方。王都を抜け、街道をまっすぐに駆けていく。
途中、反乱軍の検問に差し掛かり何度か呼び止められたが――。
「大公都からの退去が遅れた神官をお送りしています」
少年のその一言に、警戒兵はすぐに道を開いた。
やがて日は傾き、夕闇が迫る頃――前方に軍旗が翻る。
反乱軍の旗ではない。大公都を奪還すべく進軍する、正規のグリスフェルド軍である。
「おお!」
馬車が停止するや否や、トールセブリンは勢いよく降り立つ。
「トールセブリン様!」
「大公陛下!」
兵たちは一斉に駆け寄り、大公を囲んだ。
その様子を見届け、獣人の少年は小さく告げた。
「――これで、もう大丈夫ですね」
「……ああ、おかげさまでな」
トールセブリンは振り返りもせずに応じた。
その声音には、どこか冷淡な響きが混じる。
「では――約束の件、よろしくお願いいたします……陛下」
その言葉に、トールセブリンはゆっくりと振り返る。口元には嘲るような笑みが浮かんでいた。
「……約束?一体、何のことだ?」
「え……?和平の件です。グリスフェルド軍と反乱軍の和解を――」
「――知らんな」
大公は口元の笑みを深め、言い放つ。
「なぜ反乱軍と和平などを結ぶ必要がある?余はすでに我が軍と合流した。加えて聖教からの援軍も間もなく到着するであろう。そうなれば、烏合の衆にすぎぬ反乱軍など脅威ではない。獣人どもは皆殺しにしてくれるわ!ぐぁはははは!」
「そんな……嘘を吐いたんですか!?」
「はっ!獣人如きと交わした約束など、守る道理はないわ!――おい!」
トールセブリンは振り返り、兵へと怒声を飛ばす。
「まずは手始めに、このガキを殺せ!」
「し、しかし……彼は陛下をここまで導いてきたのでは……」
兵の戸惑いを、大公は怒声と共に切り捨てる。
「それがどうした!下賤な獣人が高貴なる余に尽くすのは当然の義務!それをいい気になって、和平しろなどと余に指図した。――その不敬こそ最大の罪よ!さあ殺せ!このガキを八つ裂きにしろ!さあ、今すぐに……」
その瞬間。
トールセブリンの醜い怒声を打ち消すかのように、鋭く力強い声が空気を貫いた。
「――そうはいきません。それは、『正義』ではない」
グリスフェルド軍の列が動き、自然と左右に割れた。
進み出たのは一人の青年。身にまとうは、光の翼の刻まれた純白の
その金色の髪は
彼は憐れむような視線を浮かべつつも、揺るぎない決意を宿し大公を見据える。
「それが、あなたの本性ですか……トールセブリン大公」
「なっ……なんだ!?何者だ!貴様はいったい……」
「あなたがおっしゃっていた、聖教の援軍ですよ」
そこで言葉を区切り、金髪の聖騎士は静かに……しかし堂々と己の名を告げる。
「我が名はヴァルフリード=イオリス・ヴァルハレン。光翼神聖教において
「
「本心を聞いた以上、私は聖教の援軍を率いる者として……あなたを敵とするしかありません。あなたは、聖教を利用し無用な殺戮を起こそうとしている……そう判断せざるを得ませんから」
「な、何を言っておる!?な、なんだ?――ど、どういう事だ、いったい、どうなって……」
「言ってみれば、僕もあなたもジークヴォルト王の掌の上で踊らされていた――という事ですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます