第212話 トールバルデル

 ヴァルガは地面に手をつき、それを支えにふらつきながら立ち上がろうとした。


「みんなを止めねえとな。このままだと、トールバルデルを殺しちまう」


「ほう……」


 ジークヴォルトは興味深げに口元を緩める。


「トールバルデルを助けるつもりか?」


「助けたいわけじゃ……ねえけどな。だが、奴は捕らえて生かしておいた方がいい。腐っても大公弟たいこうていだ、人質として価値がある」


 ヴァルガは、この反乱がどういった方向へ向かうのか――ジークヴォルトがどこまで計算して動いているのか、それを把握している訳ではない。

 しかしトールバルデルが重要な取引材料になりうる存在である事は認識していた。

 

「この鉱山に陣取って大公達に圧力をかけるのか、それとも王都へ攻め込むのか。どう転ぶか分からねえが、トールバルデルを人質にすりゃあやりやすい。キルヒェン軍と共同作戦を取る上でも、トールバルデルを利用した方がいいだろ?」


「ただの愚か者だと思っていたが、案外と先を見通しているな」


 ジークヴォルトとしても、トールバルデルを簡単に殺すつもりなどなかった。もっとも、獣人達に殺されたところで蘇生させれば済む、という話ではあるが。


「俺としても、お前に獣人達を説得させた方が話が早い。トールバルデルの所に行くがいい。――しかし、何故さっきからその姿勢のまま動かない?」


「……体に力が入らねえんだよ」


「そうか」


 ジークヴォルトは膝を折り、ヴァルガの腕を取った。そして肩を差し入れて支えながら、ゆっくりと立ち上がらせる。


「ならばトールバルデルの所まで連れて行ってやろう。手間のかかる先輩だな、お前は」


「……俺は卑しい奴隷だぜ?そんな奴に手を貸していいのかい?王様」


「くだらんな」


 ジークヴォルトは淡々と返した。


「お前が奴隷であったのは、くだらん大公一族やグリスフェルド貴族が勝手に決めた事だ。そんなもの、俺にとって何の関係もない。『奴隷』などという言葉で、お前を語るつもりはない。――お前はお前だ、ヴァルガ」


「……そうかい。俺は俺――ね」


「その通りだ。お前は――見栄を張った挙句、腹が減って倒れるような、実に愚かな男だ。『奴隷』などという言葉では、到底その愚かさは語れん」


「へっ……どこまでも可愛げのねえ男だぜ、お前さんはよ」


 皮肉を込めた言葉とは裏腹に、ヴァルガの口元には笑みが浮かんでいた。



 ヴァルガとジークヴォルトがその場に辿り着いた時、事態はすでに収束していた。トールバルデルとセブリャンは、獣人たちに囲まれその輪の中央で膝をつかされている。そのうつむいた表情には、怒りとも恐怖ともつかぬ感情が入り混じっていた。


「おお、ヴァルガ!」


 誰かが彼に気付き、声を上げた。


「あんたを待ってたんだ!――あんたが一番、このクズ共に苦しめられてたからな」


「あんたはいつも、俺らの盾になってくれてた」


「だから、止めはあんたが刺してくれ」


 獣人達のその言葉に、ヴァルガは首を振った。


「……いや。俺は、こいつらを殺す気はない。むしろ――生かしておくべきだと考えてる」


 その一言に、獣人たちはざわめく。


「なっ!?本気かよ、ヴァルガ!?」


「このクズ共を生かすって、どういう事だよ!?」


 戸惑いの声が上がる中、ヴァルガはジークヴォルトに語った内容と同じ説明を始めた。

 最初は戸惑いを見せていた獣人たちだったが、話を聞き終える頃には納得の表情を見せる。


「……あんたがそう判断するのなら、俺たちは従うよ」


「確かに先のことを考えるなら……トールバルデルは、生かして利用した方が利口だよな」


「それに……ジークヴォルト国王にも恩がある」


 彼らの視線が自然と銀髪の青年へと向かう。


「正直、あんたの意図は掴めないが……俺らを助けてくれた事には心から感謝してる」


「俺がお前達を助けた?センスの悪い冗談だな」


 ジークヴォルトの口元に冷笑が浮かぶ。


「俺は、俺自身の目的のためにお前達を利用しているに過ぎん」


「なっ……!」


 獣人たちが言葉を失う。

 その空気を和らげようと、ヴァルガがすぐさま口を挟んだ。


「まあまあ、待てよ。……ったく、ジーク。お前さんって奴はどうしてこう……。ああいや、ジークじゃなくてジークヴォルト国王陛下、か……」


「呼び方など好きにしろ。それよりも、ヴァルガ。すぐに体力を回復させろ。そしてこいつらを取りまとめておけ。次の戦いに備えてな」


 淡々と続けるその声に、静かな圧が込められる。


「無論、お前達が俺に従う義務などはない。――が、これだけは言っておこう。俺はこの国を……グリスフェルド大公を叩き潰す」


 そう告げたジークヴォルトは獣人たちを見渡し、静かに笑った。


「それに乗るか乗らないかは、お前達自身で決めろ」



 ジークヴォルト、ヴァルガ、そして獣人たちが次なる戦いに備えて動き出す裏で、トールバルデルは監禁された。

 場所は鉱山の一角にある掘削の途中で放置された横穴で、部屋のようにぽっかりと広がった空間。そこに押し込められ、出入口は岩や土で塞がれた。


 岩の間にはわずかな隙間があり、息ができる程度の通気は確保されている。

 内部には保存のきく固パンが置かれ、隅では湧き水がちろちろと流れていた。それが食事と飲み水だ。


 それは、トールバルデルにとっては屈辱以外の何物でもなかった。


「わ、吾輩が……大公一族である吾輩が、このような汚らしい場所に閉じ込められるとは……!」


 屈辱と悲嘆に身をよじらせ、しばらくの間うめき続けた。

 だが、やがてその思考は一点に集約していく。――憎悪という一点に。


「……奴隷どもによる反乱など、そう長くは続かん。いずれは吾輩も救出されよう。そして救出された暁には……あの奴隷共、片っ端から火あぶりにして殺してくれる……!」


 そんな事をすれば、奴隷に支えられているグリスフェルドの産業は壊滅的な打撃を受けるだろう。

 だが……そんな事はどうでも良かった。何より優先すべきは――この屈辱への報いだ。



 トールバルデルが閉じ込められ、五日が経過した。

 その間、外からの接触は一度としてなかった。

 反乱が鎮圧されたのか、それともまだ続いているのかさえも分からない。


「おい!外に誰かおらぬのか!?なぜ、吾輩を放っておく!?おい!」


 声を張り上げても、返ってくるのは冷たい沈黙のみ。


「吾輩をここから出せ!吾輩は……人質のはずだろう!?価値があるから閉じ込めたのではなかったのか!?ならば、ちゃんと食事を出せ!風呂にも入らせろ!この惨めな場所から解放しろ!」


 その声は、どこにも届かない。

 まるで世界がトールバルデルの存在を忘れてしまったかのように。



「ひぃ……ひぃっ」


 監禁されてから十日が経過していた。

 トールバルデルは今、ツルハシを振りかぶり、出口を塞ぐ岩へと叩きつけていた。

 それは部屋の隅にずっと置かれていたものであり、彼自身、最初からその存在に気づいていた。

 しかし……目もくれなかった。

 だが今は違う。このツルハシこそが、唯一の希望だ。


 この十日間、外界からの音も声も、まったくない。何らかの事情で、彼は忘れ去られ放置されているのだ。

 つまり、食事の供給すら断たれているということ。

 何としてもここから出なければ――待つのは、飢え死にのみ。


「う……うう……」


 ツルハシを数度振っただけで、腕が上がらなくなる。

 彼は、もはや残り少なくなった食料を口に運ぶ。

 乾いたビスケットのような……固く小さなパンだ。


「不味い……」


 大公一族の屋敷で味わってきた豪奢な料理とは比べるまでもない。

 それでも、他に口にできるものはなかった。

 否――その質素な食事すら、尽きようとしていた。


「ぐぅっ……ううっ……」


 再びツルハシを手にし、目の前の岩へと打ちつける。しかし、無情にも岩はツルハシを弾き返す。


「はぁ……はぁ……。うっ……あああぁあぁぁあ」


 うめき声が漏れる。

 粗末な食事、暗く息苦しい空間、行く手を塞ぐ岩――それは、絶望以外の何物でもなかった。


 だが、それこそが――彼が『奴隷』と蔑み、使い潰してきた者たちの、日常そのものであった。

 今はただ、自らの行いが巡り巡って己に返ってきただけのこと。



 それからさらに数日。

 ついに、トールバルデルのうめき声は聞こえなくなった。


 彼には知る由もない事だが――トールバルデルという存在を抜きにして、グリスフェルドという国はひとつの終幕を迎えていた。

 結局のところ彼は、人質としても何ら重要な役割を果たすことはなかったのだ。


 かくして、トールバルデルは――。

 その生涯の終わりに、自らが蔑んできた者たちと同じ境遇を味わい――そして朽ち果てた。

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