第6話 執事エヴァン

 ゲスラーの粛清を皮切りとして、俺は領内に蔓延る悪代官共の一掃に着手した。抜き打ちで領内を視察し、不当に利益を貪る者は俺がこの手でその命を奪った。

 殺された悪代官達としても、俺というより強大な悪に倒されてさぞや地獄で満足している事だろう。そして同時に、村々への診療所の設置、道や橋の補修といった事業を進めていった。そんなある日の事だ。


「ご多忙のところ申し訳ございません、ジークヴォルト様」


 そんな言葉と共に、執事のエヴァンが俺の執務室に顔を出した。


「どうした?エヴァン」


 俺は書類から顔を上げエヴァンを見る。


「ジークヴォルト様。あなた様は本当にご聡明なお方です。新当主となられてからのこの短期間にさまざまな領地改革を進めるその手腕には、感服するばかりで……」


「おい、エヴァン。失望させてくれるなよ」


 俺は眉間に皺を寄せ、エヴァンへと向ける眼差しを鋭くする。


「そのような下らない事を言うためにわざわざ来たのか?」


「……いえ」


「ならば本題を話せ。下らぬ世辞など不要だ」


「はっ」


 エヴァンは一礼した後、俺の執務机の前まで歩み寄る。


「ジークヴォルト様が領地の改革に乗り出している事に対し、わたくしは基本的に賛成でございます。ですが……このままではクレヴィング伯爵家は財政破綻に陥る事となります」


「ほう……」


 俺は口元を緩め、エヴァンの言葉に耳を傾ける。


「領内の整備、診療所の設置……いずれも素晴らしい事業であると存じ上げております。ですが、それには莫大な費用がかかります。道の整備を行う労働者、家の補修に従事する大工、診療所に呼ぶ医者……全てに賃金を払わねばなりません。いえ、もしもジークヴォルト様が望むのであれば賦役ぶえきによって領民を無償労働させる事も可能ですが……」


 俺は領主として、領民を無報酬で労働に従事させる権限を持っている。いわゆる賦役ぶえきだ。だが、俺はそれを行使するつもりはない。今回俺が命じた事業に従事する者には全て給金を支払うつもりだ。無償で強制労働などさせた所で、領民が余計に疲弊するだけだ。


「俺は賦役ぶえきによって強制労働をさせるつもりなどない。ギルドを通じ、領内、領地外問わず広く人を集めそれを労働力とする」


「ですが、その労働者に払う金銭が不足してしまいます。言い辛い事ですが……我がクレヴィング伯爵家は、決して財政に余裕がある訳ではありません」


 クレヴィング伯爵家の先代当主……すなわち俺の父親であるジグラートは優れた領主であったとは言い難い。まあ、だからこそゲスラーのような代官がのさばっていた訳だが。

 そのため、エヴァンの指摘通りクレヴィング家の財政には決して余裕がある訳ではない。


「ゲスラーをはじめとする悪代官から奪った金があるだろう。それを放出する」


「しかし……それでも不足してしまいます。何しろ、農民達に対する税率を引き下げたばかり。クレヴィング伯爵家の収入は大きく減少する見込みです。代官達から押収した金銭はその補填に使う事でほぼ使い果たしてしまうでしょう」


「ククッ……」


 俺は思わずほくそ笑む。それはエヴァンの指摘が的確だったからだ。この老執事はきちんと状況を見抜き、そして俺に的確な助言を与えている。やはり……エヴァンは俺にとってなくてはならない人材のひとりだ。


「なるほど、全てエヴァンの指摘通りだ」


「では……事業の見直しを行いますか?」


「いや、全て予定通りに進める」


「で、ですが、それを実行するための財源が……」


「財源ならお前の目の前にあるだろう?」


「え……?」


 エヴァンは俺の言葉の意味を計りかねている様子だ。クク……さすがのエヴァンでもそこまでは分からないか。

 俺はおもむろに椅子から立ち上がると、壁に架けられている歴代当主の肖像画のひとつを外した。そして額に嵌められている肖像画を引き剥がし、床に投げ捨てる。


「なっ……ジークヴォルト様、何を……!?」


「見ろ、エヴァン。純金で作られた額だ」


 悪趣味な肖像画が引き剥がされ……俺の手に残ったのは、煌びやかに輝く黄金の額のみ。


「これを商人に売ればそれなりの金になるだろう」


「なっ……れ、歴代御当主の肖像画が納められている額を売る……のですか……!?」


「額だけではない。椅子や机、さまざまな調度品、宝石類……とにかくこの屋敷には高価な物が多い。それらを売却して、この度の改革の財源とする。クレヴィング伯爵家が領地外に持っている別荘なども全て売り払うつもりだ」


「ほ、本気でおっしゃられているのですか!?全て歴代の御当主様方が集められた、クレヴィング伯爵家の歴史とも呼べる物ばかりですぞ……!」


「知った事か」


 俺にとって重要なのは俺が悪の王道を突き進む事。そのために使える物は何でも利用する。

 それに……だ。今一時的に宝石などを手放したとしても、それらはいずれは俺の元に帰ってくる運命にある。何しろ俺は世界の支配者になるのだから。


「本気……なのですね、ジークヴォルト様」


「無論だ」


 俺はエヴァンの顔をじっと見据える。しばしの沈黙の後、老紳士はゆっくりと頷いた。


「……承知いたしました。商人ギルドに連絡を取り、それぞれの資産を売却する手筈を取る事といたします」


「この件についてはお前に一任する。すぐさま実行せよ、エヴァン」





(まさかジークヴォルト様がここまでお変わりになられるとは)


 執務室を出た後。売却する資産のリストアップを進めながら、エヴァンは感慨に浸る。


(少し前までは政務に全く興味を示さず遊び惚けてばかりであったジークヴォルト様が……いったいどうしてこのように急激な変化をなされたのだろうか)


 と、ここでエヴァンはふとある考えに思い至る。


(いや、待て……ひょっとして、ジークヴォルト様は今までわざと愚かな御曹司を演じておられていたのではないか……?)


 クレヴィング伯爵家の先代当主……ジグラート・フォン・クレヴィングは傲慢かつ猜疑心の強い男だった。他人の意見を聞き入れる事はほとんどなく、自分の地位を脅かす可能性がある者に対しては息子でさえ警戒心を露わにするような人物だ。


(だからジークヴォルト様は、ジグラート様がご存命の間はわざと愚かな御曹司を演じられていた。……そう考えれば色々な事の辻褄が合う)


 もしもジークヴォルトが聡明な人物である事がジグラートに知られれば、ジグラートは息子に当主の地位を奪われる事を恐れジークヴォルトを廃嫡していたかもしれない。いや、それどころかジークヴォルトを抹殺した可能性すらある。ジグラートとはそういう人間だ。


(しかしジグラート様が亡くなり、ジークヴォルト様がクレヴィング伯爵家の当主となった今、もはや愚かな貴族を演じる必要はなくなった……という事か……!)


 そして、今まで胸の内に秘めていた様々な政策を実行に移し始めたという事だ。正直な所、ジークヴォルトの政策はあまりに急進的だ。このまま進めれば他の貴族達から反感を買う可能性も高い。だが……。


わたくしは……あなた様に付いていきます、ジークヴォルト様)


 しょせん老い先短い身。それならば、若き当主ジークヴォルトが夢に向かって突き進むその手助けをして生涯を終えるのが自らの望む人生だ。

 エヴァンは改めてそう決意し、ジークヴォルトへの忠誠を改めて胸に刻み込むのだった。

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