第9話 今夜は月が綺麗です

「も~任せよ、桃ちゃん。渚咲ちゃん、いい子すぎて迷惑かけるとかそんなのないから」

『そうですか。それなら良いのですが』


 ショッピングモールで遊び、家に帰ってくるとリビングでお母さんが藤原の母親である藤崎桃花ふじはらももかさんと電話で話していた。


 帰ったことに気付くとお母さんは隣にいる藤原に向かって手招きした。


 俺は荷物を置くために自分の部屋のある2階へと上がる。


 そう言えば、藤原って凄いよな。知らない家で住むことになって家族と離ればなれの生活を送っていて。


 もし俺がと考えてみるがあまり想像できない。一人暮しに憧れはあるが上手くやれる自信がない。料理には困らないがその他のことが不安だ。


 藤原はそういう姿を見せないだけでおそらく不安なはずだ。だから俺はここで安心して3ヶ月間過ごせたと最後に彼女が思えるようにしたい。


 ベットへ座り、そのまま寝転ぼうとするとコンコンとドアをノックする音がした。


 立ち上がり、ドアを開けるとそこには藤原がいた。


「どうかしたか?」

「先にお風呂に入ろうと思いまして。よろしいでしょうか?」

「ん、いいよ。俺は後で入るし」

「ありがとうございます。では」


 ペコリと頭を小さく下げると藤原は階段を降りていく。


 彼女がいつもより笑顔だった。おそらくお母さんと話せたからだろう。


 夕食はできているらしいがまだお腹は空いていないためお風呂に入るまでの時間は勉強することにした。


 高校最初の試験は大事だ。中間考査までまだ日はあるが試験勉強というのは日頃の予習復習が大事になってくる。


(よし、頑張ろ)



***



 お風呂に入り、夕食後はリビングでテレビを見ていた。


 明日から少し暑くなるとのことでまだ春なのにと思いながらニュースを見る。


 すると、ふんわりといい匂いがして隣を見ると横に藤原が座った。


 前にも一度お風呂上がりにこういうことがあったが、今日はあの時より少し近い。


 じっと彼女のことを見ていると目が合い、彼女は微笑んだ。


「今日は楽しかったですね」

「そうだな」

「…………あの、1つわがままを言ってもいいですか?」

「わがまま? 俺にできることならいいけど」

「……ま、前にしてもらった時のように頭を撫でてほしいです」


 頭を撫でて……つまり何かを褒めてほしいのだろうか。頑張ったねと。


「俺でいいのか?」

「はい。私、八神くんに頭撫でられるの好きみたいで…………って、すみません、おかしなこと言ってますね。やっぱりさっきのは聞かなかったことにして─────!」

「こ、こんな感じでいいか?」

「…………は、はい……いいです」


 ふにゃりと表情が緩む彼女を見て俺はドキッとした。


 こんなの好意を持っていなくてもドキッとしてしまう。天使の笑顔だ。


「何か褒めてほしいことでもあるのか?」

「いえ、今日は特にありません。先ほどお母様とお話しできて嬉しかったのですが、寂しくなりまして。ですが、八神くんに頭を撫でてもらって寂しくなくなりました。ありがとうございます」


 ペコリと彼女は頭を小さく下げて顔を上げるとニコッと笑った。


 やっぱり家族と離れるとなると寂しいよな。八神家の3人がこの家にいたとしても寂しいものは寂しい。


 彼女の頭をもう一度撫でようとしたがお母さんがやって来て慌てて手を引っ込める。

 

「渚咲ちゃん、寂しいなら私はいつでもぎゅーしてあげるからね」

「ふふっ、ありがとうございます。裕子さんにぎゅーされて、八神くんになでなでされたら寂しさなんて忘れてしまいそうです」


 彼女はそう言うと俺に向かってニコッと笑いかけてくる。


(ふ、藤原さん……?)


 お母さんはなでなでと聞いて口元に手を当てニヤニヤし始める。


「あらあらいつの間にか仲良くなって。渚咲ちゃん、八神は私のことでもあるのだけれど、りょーくんって呼ばないの?」

「何だよ、りょーくんって。俺が嫌なんだが」


 胡桃のりーくん呼びは慣れたからいいが、子供っぽい名前は少し……。


「亮平くん……は……?」


 ポツリと隣で呟いた言葉に俺は横を向いて藤原のことを見る。すると彼女は顔を真っ赤にして口を開いた。


「これからは亮平くんとお呼びしても?」

「……いいよ」

「! では、私のこともこれは渚咲でよろしくお願いします。なぎちゃんでも構いません」


 キラキラした目をして名前で呼んでほしそうな表情をする彼女。


「な、渚咲……」


 ただ名前を呼ぶだけたのに緊張して声が震えてしまった。こうして同居することになって話すことがなかったら呼ぶことなんてなかった名前だからだろうか。


「はいっ、渚咲です。ふふっ、名前を呼ばれただけなのに何だか嬉しいです」


 嬉しそうな表情を見ているとこちらまで嬉しくなる。名前を呼ばれただけなのに、名前を呼んだだけなのに不思議な気持ちだ。



***



(ん……ねむい)


 勉強をしていたがだんだんうとうとし始めて集中力が切れた頃、今日はもう寝ようと思い、机の上にあったノートや教科書を片付けてから椅子から立ち上がった。


 水を飲んでから寝ることにし、部屋から出る。すると、隣の部屋からガチャと音がした。


 音がした方を向くとそこには渚咲がいて、彼女は小さく手招きしていた。


「亮平くん亮平くん」

「? どうした?」

「今夜は月が綺麗です。一緒に見ませんか?」

「月……そうなのか?」

「はい、とても」


 彼女は自室の扉を開けるとどうぞとジェスチャーした。綺麗な月が見れると聞いたからには気になるし見たくなる。


 ありがととお礼を言ってから彼女の部屋に入る。月を見るためか部屋は暗い。


「亮平くん、こちらです。暗いので手を離さないでくださいね」


 少し冷たい手の感触がする。手を握られ、緊張するが、手が離れたら危ないのでしっかり握られる。


「ここにありますベッドに上がってください」

「…………いいのか?」


 ベッドは窓の近くにあり、上らないと近くで見られないが女子のベッドに乗ってもいいのかと思ってしまう。


「遠慮せずどうぞ」

「ありがとう」


 手を繋いだままベッドへ上がろうとしたが暗くて俺はバランスを崩した。


 暗くて良くわからない、けど、バランスを崩して彼女を巻き込んでしまったことはわかる。漫画でよく見る押し倒し事故。現実で起きるものなのか、これ。


 慌てて起き上がり、手を引いて彼女をゆっくりと起こす。


「ご、ごめん……怪我は───」

「お、お怪我はないですか!?」

「えっ……あっ、うん。俺は大丈夫だ。渚咲は大丈夫か?」

「大丈夫です。電気をつけるべきでした、すみません」

「いや、悪いのは俺もだ」


 渚咲は起き上がると手でカーテンを端に寄せて窓を開けた。涼しい風が部屋の中へ入ってきて、少し肌寒い。


「見てください、綺麗ですよ」

「……ほんとだ」


 窓から見える月はとても綺麗で今夜は満月だった。


「あの、亮平くん。下の名前で呼ぶのは2人だけの時でもいいですか?」

「2人だけ……別に構わないが」

「ありがとうございます。人前では呼びたくないというわけではないです。名前を呼ぶことを特別な時間にしたいんです」


 両手を合わせて口元にやる彼女の横顔はとても可愛らしく、月の明かりで照らされて美しく見えた。


「わかった。俺もそうするよ」


 同じ場所から同じものを眺める時間。特別なことではないが俺は幸せだと感じていた。







      

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