第7話

「ホントに良かったの? 車まで出してもらって……」

「いーのいーの。お母さん専業主婦だし、いっつも暇そうにしてるし」

「……侃が言うなら、良いけど」


 伊里院さんを家まで迎えに行き、車に乗せる。

 初めて行ったが、普通の一軒家だ。私の家よりは小さいけれど、周りの家と比べたらそこまで小さくは見えない程度。

 駐車スペースには車が一台止まっているが、カバーが掛けられていた。あまり使っていないのだろうか。 


 金曜、学校から帰ってからお母さんに「明日、友達と図書館行くから」と伝えると、「車出すわよ!」とノリノリで言い出したのだ。

 普段は私がどこに行くにも車なんて出してくれないのに、よほど「友達」が嬉しかったのだろうか。ナオは? ナオは何カウント? あの子と遊びに行く時に車出してもらえることなんてないんだけど。

 まぁ出してくれるというのを断る理由もなく、目の見えない人を連れて電車に乗るのも少し怖かったので、ありがたく足に使わせて貰うことにした。


 うちの車は、たぶん少し変わっている。

 お父さんが普段仕事で使ってる車の他に、お母さんが一人で出かける時にたまーーに乗る車がある。変なのは、お母さんが運転する車の方だ。


「すみません、お世話になります」

「いえいえ、いいのよー。この子が友達と遊びに行くなんて、お母さん嬉しくって……」

「あまりないんですか?」

「ないない。もー、友達なんて居るの? ってくらい友達の話題聞かないわよ」

 ナオは? ナオの話はするけど?

「……そうなんですね?」


 意外そうな顔で私の方を見てくるので、否定も面倒なので「そうよ」と答えておいた。ナオをノーカンにするなら、確かにあんまり友達の話とかしないし。

 普段「図書館行ってくる」と伝えても「誰と?」とは聞かれない。一人で行くのを分かってるからだ。


「なんだか、この車……」

 流石に伊里院さんも気付いたか、ぺたぺたと座席を触る。

「リムジン……?」

「……違うの。中身はそれっぽいけど、ガワはハイエース」

「シートが横向きなんて、珍しいね」

「あたしもそう思う……」


 ガワ自体は、結構古い型のハイエースだ。

 だが、後部座席のシートが進行方向に向かって横向きになっているし、中央にはテーブルまで生えている(取り外し可能)椅子を倒せばフルフラットシートにもなる。

 どんな意図で作られた車なのかも分からなかったが、母曰く「キャンピングカーがブームだった頃に友達が買ったけど、一度もキャンプしなかったし普段使いには微妙」と貰ったらしい。

 まぁ確かに普段使いには微妙だ。無駄にデカいし、父曰く古い車なので燃費もかなり悪いらしい。家族旅行する時すら使ってないレベル。母は何も気にしてないが。


「侃は、いつも乗ってるの?」

「いやまさか。乗せてくれるのなんて年に数回よ」

「そうなんだ。……侃も免許、取るのかな」

「まぁ、そのうちね」

「乗せてくれる?」

「未来の予約をしないで」

 冷静に突っ込むと、伊里院さんだけでなく、運転席からも笑い声が聞こえてくる。

「ナオちゃんの時と全然違うのね」

「変わんないでしょ」

「違うわよー? ぜーんぜん違う」

「何がよ……」


 別に相手によってキャラ変えたりしてないし、なんならナオなんて家族レベルで遠慮してない相手だからだいぶぶっきらぼうな対応しかしてないと思うんだけど。

 だからって、伊里院さんに特別に優しくしようとしてるわけではない。ほぼ素だ。

 母は何が面白いのかずっと笑ってるし、それに釣られて伊里院さんもくすくす笑う。気まずいのは私だけだ。


 親と友人が喋ってるという誰しもが経験したことのある若干気まずい空気のまま、目的地の図書館に到着した。

 家の近くにも小さな図書館はあるんだけど、蔵書数がかなり少ないのであまり立ち寄ることはない。

 そんなわけで今日選んだのは、市内で一番蔵書数が多く、読書スペースもずば抜けて広い図書館だ。


 私が図書館に一日中籠ることを知ってるお母さんは、近くで待つでもなく「迎えに来てほしかったら呼んでねー」と言うと普通に家に帰っていった。

 もっとも、人と一緒に図書館に来たのは実は初めてなので、丸一日も時間を潰すことになるとは思えないが――


「……この匂い」

 館内に入るやいなや、すんすんと鼻を鳴らす伊里院さんを見てくすりと笑う。初めてここに入った人は、誰もが違和感を覚えるらしい。


「ここ、地下にラーメン屋があるのよ」

「図書館の中に……!?」

「そう、図書館の中に。ちなみに他にも図書館の中にラーメン屋がある図書館はあるわよ」

「…………知らなかったな」

「あたしも2か所しか知らないけどね。丸一日図書館から出たくない時は割と便利よ」


 館内にあるのは、地域に根付いたチェーンのラーメン店だ。すごくおいしいわけでもなく、かといってまずいわけでもない、このご時世に値段はだいぶお安いラーメン屋。


「居座るなら食べてく? ってか聞いてなかったけど、あたし図書館は開館から閉館まで居座れるタイプだから、帰りたくなったら遠慮しないで言ってね。何も言わないと夜になるわよ」

「……うん、分かった」


 ただ、不安そうというより、ワクワクしてる――といえば良いだろうか。

 学校に居る時の、彫刻のような無表情さはあまり感じられない。


 ……口角が、少し上がってる?

 まぁ、読書好きって言ってたしね。どのくらい読めるか、見ものである。


「読みたいジャンルとか、ある?」

「……推理もの、えっと、館シリーズって言って伝わるかな」

「綾辻行人ね、そういうの好きなんだ」

「うん。ファンタジーとかはちょっと内容が想像しづらいから、それ系でオススメなものはあるかな」

「んー……、新本格ならベタだけど京極夏彦、森博嗣とか麻耶雄嵩が浮かぶけど、そのへんは読んでる?」

「京極さんのは、少しだけ。森さんは、『すべてがFになる』の人だよね。マヤさんは読んだことないと思う」

「そんな感じね。じゃあ麻耶雄嵩の『メルカトル鮎』からでいっか」

「め、メルカトル鮎?」

「メルカトル鮎。まぁ……変な探偵物よ」


 そんな説明をしながら、手を繋いだままゆっくり歩く。本棚の前で立ち止まっている人も多いので、目が見えない状態で歩くのは大変難しいだろう。

 ここには数えきれない回数来たので、目的の本が館内のどのあたりにあるかは大体覚えている。


 土曜ということもあり、人の数は結構多い。とはいえほとんどの利用者が本棚に目を向けているか本を読んでいるため、目を瞑ったまま歩く美人に気付く人はあまり多くない。

 適当に何冊か手に取って、空いてる座席を探して座る。

 小さな声で「どう? 読めそう?」と聞いて渡すと、本文に触れた伊里院さんは小さく頷いた。


 ――読書開始。


 ――特に何もないまま、3時間経過。


 ふとトイレに行きたくなったので、本を置いて隣を見る。

 授業中と、あまり変わらない姿勢。

 ピンと背筋を立て、ゆっくりと指で文字を追っている。

 流石に読むペースは常人と比べたら遅いだろうが、それでも本を読み慣れてない人よりかは早そうだ。館シリーズが好きって言ってたから変な推理小説も読めるだろうと変な推理小説勧めちゃったけど、大丈夫だったかな。


 ――トイレに行くのも忘れ、ぼうっ、と眺める。

 伊里院さんは、ふと何かに気付いたか顔を上げ、あたしの方を見た。

 表情は、――分からない。


「どうしたの?」

 そう、小さな声で聞いてきた。


「何が?」

「本、読んでない」

 音で分かったのか、私の机にある本を指差した。

「あぁ、休憩中」

「……そう?」


 あなたの横顔を眺めてたのよなんて言えるはずもなく、会話は終わ――

 らない。


「そうだ、トイレ行こうと思ったんだ。行く?」

「……なら、一緒に」


 静かな館内であっても一人にされるのは嫌なのか、それともついでに行っておこうと思っただけなのかは分からないが、本を置いたまま席を立つ。

 まだ座席はいくつも空いてるから、少しくらいなら放置して離れても大丈夫だろう。一人だったら片付けるんだけどね。


 ――それからまた、1時間ほど読んでいたところで、ぐぅ、と低い音が鳴る。自分じゃない。

 「ん?」と顔を上げると、本に触れたまま顔を真っ赤にした伊里院さんの姿があった。

「……お腹空いた?」

「……うん」

「食べいこっか」


 こんな表情、初めて見たかも。

 空腹を忘れるほど読書に没頭するのは割とよくあることだが、伊里院さんにとっては違うのかもしれない。

 言えなかったのだろうか。それとも、あたしみたいに忘れてた?


 ――どちらにしても、可愛いな。

 ズルいわ美人って。こんな仕草すら可愛いって。同じことしても可愛くなれる気がしない。


 結局地下のラーメン屋で、何味なのかも分からないラーメンを食べた。

 本当に不思議なもので、ずっと昔から食べてるので明確に味は覚えているし食べてる最中に違和感は覚えないのだが、塩醤油とんこつ味噌――ラーメンの基本4味には分類出来ないのだ。

 色的にはとんこつとか塩系なんだけど、とんこつっぽさは正直全然ないし。何かの味が主張するでもない、学校給食ほどに個性のない味。

 まだ塩ラーメンしか食べたことのない伊里院さんは、一口目から不思議そうな顔をしていた。図書館の中という特別な立地が相まってか終始無言で食べていたので、後で感想を聞いてみよう。


 読書スペースに戻ると、幸いなことに先の座席はまだ空いていた。

 再び、本を手に取る。


 あたしが読んでいるのは、かの有名な『源氏物語』の訳本――つまり現代語訳されているものだ。

 中学時代、調子に乗って原文を読もうとして頭を抱えたのはいい思い出。まだ原文は読めないが、色んな訳本を読むことで、ようやく話が頭に入ってくるようになってきた。

 古いものだと海外小説の翻訳のように翻訳者の自我を極限まで削って訳されたものもあるにはあるが、1000年以上前の物語ともなると現代と常識が違いすぎてストーリーがかなり難解だ。なのでこういう、作者の主観がモロに出て、なんなら勝手に恋愛観を改変してる訳本の方が楽しめる。

 そういえば源氏物語をモチーフにして現代ハーレムを作るなんて漫画もあったっけな。エッチだったけど、割と楽しかった記憶がある。


(……若紫)


 数多いる源氏物語のヒロインたちの中で、恐らくトップクラスに有名な人物。

 というのも、年齢が年齢だ。なんと10歳である。

 流石の倫理観皆無男光源氏カスであっても、10歳にガチ惚れして嫁取り――なんてことには勿論ならない。ここは流石の光源氏、もっとやべーことをしでかす。

 初恋の人は孕ませて托卵するわ、初恋の人にたいへん似てる少女――若紫を自分好みに成長させようとするわともうやりたい放題する話。

 ただ、『同年代に相手されない男が年下の女を調教する』みたいな文脈で拾われがちな若紫だが、この時点で爆モテハーレム男である光源氏は別に女に困ってない。歳の差婚ですが純愛です! というのが作者の主張のようである。ムーブはクズなんだけど。

 実際のところ、当時の天皇――一条天皇が結構な歳の差婚をしてたりするので、この時代の恋愛もので歳の差婚はかなり流行ってたジャンルだったりする。

 現代的にいうと倫理観の欠如したクソ男ではあるが、当時はそうでもないとか。貴族の嫁取り物語としてはありがちな展開らしい。

 とはいえ、昔から若紫の話は物議をかもしていたらしく、翻訳者によってかなり主張が食い違う部分である。まぁ、どう足掻いてもクズはクズなんだけど。


(流されるだけってのが、どうしてもね……)


 本筋としては、光源氏が若紫を落とすためにどんな変質者的な行動をしても、しかし立場の弱い若紫サイドは偉い人に逆らえない。拉致する癖に一向に手を出そうとしない(まず拉致をするな)、そんな彼の熱意に打たれて若紫が次第に絆されていく……みたいな展開だ。

 自分の意志では何も出来ない、最終的にはクズ男の純愛(自称)に流される――、そんな若紫のことは、昔から苦手だった。


 だって、


(――なんか、あたしみたいでさ)


 いっつも、いつも、いつもいつもいつも、

 流されてばっかの毎日だった。


 強く何かを主張するでもない。だからといって、陰に徹するわけでもない。

 友人同士が喧嘩しても、どちら側に立つでもない。どちらにも都合のいいことを言って、なんとなくで終わるのを待つ。


 自分には、何もない。


 強く主張出来ることが、何一つとしてない。

 自慢できることも、皆のように何かに熱中することもなく、

 ただ、物語の中に入りこんできた。


 ずっと本を読んでいても、自分で筆を取って何かを書こうと思ったことはない。

 そんなことをしてしまえば、何もない自分が露見してしまうのが分かっているから。

 

(あたしには、何もない)


 特に苦労もせず、流されて生きてきた。

 学校だって、お母さんの出身校だからと選んだ。

 学級委員長だって、皆がやりたがらないことを率先して――みたいな感覚は、全くない。

 誰も挙手をせずグダグダになる手前で、誰かが「藤崎さんがやったら?」なんて言い出して、「仕方ないなぁ」なんて、まんざらでもなさそうな顔をして受けるだけ。

 何もない、つまらない人間だ。


 なのに、

 どうしてだろうな。


(……なんで、)


 なんで、あなたは、

 あたしと、一緒に居ようと思うのかな。


 伊里院羽波。

 少し怖がりということを知った。

 けれど、よく笑って、よく人のことをてる。そして、とびきりの美人。

 こんな子が嫌われることがあったら、世も末だ。


 あたしでない人間と一緒に居た方が、絶対楽しいはずなのに。


 なんで、

 なんでかな。

 彼女にとってあたしは、初めに、挨拶をした相手。

 ただ、それだけなのに。


 折角、普通の高校に来たのだ。

 もっと、楽しい人と一緒に居た方が、人生が華やかになりそうなものなのに。


 ――なんで、あたしなの?

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