第8話
下校の時間。伊里院さんを一人で放っておけないあたしが、彼女の下校に付き合うようになったのはいつからだったか。
ひと月もすると、陰口も落ち着いてきた。
美人で、目が見えないのに一見普通に生活できるように見える彼女は、はじめはひどく目立ったけれど。
正直、少し間がおかしい。
あたし達晴眼者がほぼ無意識にしている、他人の身振り手振りや口の動き、表情から、『今から喋る』とか『今は聞きに徹しよう』みたいな――動作から感情や次の動作を察する能力が、欠如しているためだ。
そうなると、彼女は『相手のことを考慮せず、ただ自分が喋りたいことを喋る』か、『どこで口を挟めばいいか分からないから、ずっと黙っている』の2択になる。常に電話口みたいな感じ、といえば伝わるだろうか。複数人が喋っている場に居ると、もう黙る以外の選択肢がなくなってしまう。
それはもう、仕方ない。
彼女にとって世界は、全員に繋がっている電話のようなものだから。
だが、少なくとも女子校に5年通っており女社会しか知らない子達にとって、察する能力の欠如している伊里院さんは、ちょっとめんどくさい人に見えてしまうらしい。
避けられているわけではない。だが、積極的に話しかけようとする人は、転校当初に比べるとかなり減ったと思う。
お陰で、あたしが学級委員長の立場を利用して美人の転校生を独占してるみたいな、そんな陰口もめっきり聞かなくなった。
「思えば、運命だったのかもしれないね」
「ロマンチストね。急に何の話?」
「あそこで、侃に会えたことがさ」
くるりと振り返り、校門を見――いや見てるわけではないが――校門の方に顔を向け、伊里院さんは不思議なことを言い出した。
「別に、あたしじゃなかったら先生がやっただけでしょ」
「それでも、」
あたしの手を、指を絡めながら握ってくる、彼女は嬉しそうに笑う。
「違うクラスだったら、きっとこうはならなかった」
「……そうかもね」
「言ってなかったと思うんだけどさ」
「ん?」
「私、前の学校でも、ちょっと避けられてたんだよね」
「も?」
まるで、今も避けられてるみたいじゃないか。
いや実際近いけど、嫌われてるわけではないはずだし、いやそれを避けられてるって言われたらそうかもしれない。女子校育ちにとっては悪気なんてない住み分けくらいの感覚なんだろうけど。
「侃は、目や耳が聞こえない人と話したことはある?」
「……悪いけど、あなたが初めてよ」
見たことはあっても、手助けしようとはしていなかった。
それはきっと、身近な存在に見えていなかったから。皆、何かしら困っていたはずなのに。
「そうなんだよ」
「……え? どういうこと」
「普通は、避けようとするんだ。面倒だから」
「…………」
「皆も、そうだった。盲学校って、実は全盲者はそこまで多くないんだよ」
「えっ、そうなの?」
「少しは見えてる人の方が、ずっと多い。もちろん、授業は全盲者に合わせてるんだけどね、どこに誰が居るかくらいは分かっている人の方が多いんだ」
「……そうなんだ」
それじゃあ、人間関係は――
「全く見えない私達は、どうしても孤立してしまう。少しだけ見える彼らに、ずっと厄介者として扱われてきたから」
「…………」
なんとも酷い話だ、そう口を挟みたくなる。
けれど、それが社会というものだ。
出来る人の中では出来ない人が浮く。出来ない人が集まっても、その中で更に出来ない人が浮く。更に、更に、更に。
その繰り返しだ。学校だって、入学時の学力は同じくらいの人が集まるのに、いつしか上と下で区別されていく。男と女で二分して女ばかりが集まったのに、半分になった狭い世界で、女は更に更にと小さな群れを作り続ける。
それと同じことは、どんな小さな世界でも起きてしまう。知性を持った生物であれば、きっとそれは人に限った話でもなく。
「あたしは、大丈夫だから」
あたしが彼女に掛けられる言葉は、そんなに多くない。
何も知らないくせに、知った風な言葉を掛けることは出来ない。
自分に変えられるのは、自分自身だけ。だから、口に出して伝える。
「みんなも」みたいな甘えた言葉で濁さず、ちゃんと自分の感情を。
「あたしは、あなたを避けたりしないから」
――自分の行動は、自分なら変えられる。
これまで変えようとしなかったことだって、これから変えられる。
その気持ちを伝えただけなのに、伊里院さんは笑うのだ。
嬉しそうに、静かに、頬を緩ませ、あたしの腕を抱き締めてくる。
身長差があるので、ほとんどもたれるような姿勢だ。
「ちょっと、歩きづらいんだけど」
「……もう少し、このままでいさせて」
「良いけど、ちゃんと自分で歩いてよ」
「分かってるよ」
うぅん、歩きづらい。腕組んだまま歩くカップルとかたまに見かけるけど、世の中のカップル、本当にこんなことしたまま街歩けるんだろうか。絶対どっちか足引っかけて転ぶでしょ。
身長差の問題? あー、それあるかも。普通は女の方が小さいから、女が男にもたれかかるようになってるはず。でも左右変わっても歩きづらさは一緒な気もするな。
そのまま、伊里院さんの家に到着した。
「着いたわよ」と門扉を開けながら伝えると――
がちゃり、と玄関から誰かが出てきた。
派手な女性だ。
30歳の半ばくらいに見える。
化粧はシンプルだが、その目が、じっとあたしを見た。
――なんか、どっかで見たことあるな。えぇっと……
「あ、」
思い出した。
「
普段は本しか読まないあたしでも知ってる。有名な女優だ。
元は子役で、教育番組の出身だったっけ。子役と呼べない年齢になると、女優に転向。しばらく下積み期間となり、18歳くらいで銀幕デビュー。
それから十数年経ち、もう若くない年齢になったが、今でも様々な映画で使われている超有名女優。
「あら」
あたしが名を呼んだのが聞こえたはずだが、米納さんはあたしでなく隣の伊里院さんを見る。
「帰ったのね。いつも通り適当に食べておいて」
「分かりました」
「明後日には戻るから」
「はい、いってらっしゃいませ」
あたしの腕を離した伊里院さんが、ぺこり、と頭を下げる。
カツカツと長いヒールの音を立てながら歩いた米納さんは、そのままあたし達の脇を通って出ていく。後ろ姿を眺めていたが見えなくなるまでこちらに振り返ることはなかった。
「……えっと、あの人は?」
「お母さん」
「マジで?」
「マジで」
「…………い、遺伝子、すげー」
思わず声を漏らすと、伊里院さんはくすっ、と笑う。
「知って最初に言うこと、それ?」
「いやだって、女優の遺伝子かー。そりゃ綺麗なわけだ」
「……私は顔も知らないんだけどね」
「それもそっか。あれ、ちょっと待って」
どうしても気になるので、スマホを取り出して調べる。
米納小枝子――Wikipedia曰く、旦那さんも俳優だが、随分前に離婚している。子供の情報はどこにも書かれておらず、再婚歴は書かれていない。
えーと、……そういうこと?
「……隠し子?」
「それほど隠されてるわけではないと思うけどね。前の学校でも、保護者の人は知ってるくらいだったよ」
「テレビほぼ見てないあたしでも知ってるくらいだしね……。でもそっか、盲学校ってあんまり生徒数多くないのよね?」
「小中学校は1クラス6人だね」
「少なっ!?」
「それに、子供について噂が広まってないのだとしたら……」
「したら?」
「……子供が障碍者ということは、皆隠したがるものなんじゃないかな」
「…………あー……」
そう言われてみると、そうか。
往復送迎までされている有名女優の子供が盲学校に通っていることを知れるのは、盲学校に通う生徒の親だけ。
仮にその情報をどこかに漏らす人が居るとすると、それは子供が盲学校に通っている人だけではないだろうか。
人は、他人と違うことを恥と思う生き物だ。
自分のことなら笑い話に出来ても、子供の不幸を笑い話に出来る親はそうはいまい。
それに加え、1クラス6人という超少人数、知ってる人は、本人の親を除けば5人だけ――
外部に漏れなかったのも、そこまで不思議ではないのか。
有名とはいえ、もう女優としての旬は過ぎた後であろう。いくら若々しく見えようが、映画やドラマで主演を張る機会は減ってきているようだ。
結婚歴がないなら別だが、父親であろう人物も誰か分かっているし、年齢的には子供が居ても不思議ではない。スキャンダルとしての価値は、恐らくあまり高くない。
「聞いちゃいけないことかもしれないんだけどさ」
「侃に聞かれて嫌なことなんて、何一つとしてないよ」
その信頼はなんなのよ。
「……なんかさっき、すっごい他人行儀な感じがしたけど」
「侃からすると、そう見えるだろうね」
「誰から見てもそう見えただろうよ……」
うちはまぁ、家族仲良い方だと思うしね。ナオん家なんて毎月どっか旅行行ってるくらい仲良しだから、あれと比べると微妙だけど。
それでも、親と敬語で話すような関係ではない。
「3年くらい前までは、お手伝いさんが居てさ」
「…………モロに金持ちの子ね」
お嬢様学校育ちだと、家でハウスキーパーさんを雇ってる子も普通に居るわ。ウチは専業主婦だし、家も一人で掃除出来るサイズだからそういう人は雇ってないんだけど。
「お母さんと喧嘩しちゃって、クビになっちゃったんだけど」
「生々しい!」
「私は物心つく前からお手伝いさんに育てられてたから、あの人が母親って認識はあまりないんだ。昔から、ほとんど家に帰ってこなかったしね」
「あー、女優として一番売れてる頃か……」
「そうだと思う。よく知らないんだけど……」
「いや調べれば、……ってあぁ、見れないか」
「そういうこと」
くすっ、と笑いかけられる。
そっか、女優の活動場所はドラマとか映画とか――、目が見えない彼女にとって、それは娯楽としては少々難しい。
何せ、一番重要な『映像』が見えないからだ。
あれが声だけで楽しめるコンテンツなのか、私は知らない。けど親の活躍を見てないというのなら、きっとそういうことだろう。
「あの人も見せようとしなかったし、だからかな、あんまり興味もなくて」
「…………」
「侃が知ってるってことは、本当に有名なんだ」
「……米納さん、あたしが好きだったドラマシリーズに出てたのよね」
「そうなんだ、サイン貰う?」
「遠慮しとくわ……」
さっきの態度見て「サインください」なんて言う勇気は、私にはない。
だって、娘と一緒に帰宅した見知らぬ女を見て、一言も声を掛けなかったのだ。
普通、なんか言わない? 挨拶くらいさ。いやあたしもしてないんだけど。あの瞬間、完全にあたしの存在が『無』になってたわよ。
……って、あれ?
さっきの会話を思い出す。
「食べておいて……?」
不思議な表現だ。まるで――
「って待って伊里院さんっ、あなた!?」
「何かな」
「普段家で一人なの!?」
「そうだよ?」
「先にっ、言いなさいよ!!!!」
――あぁ、勘違いしてた。
これまでの様子からして、母親とちょっと仲悪いとか、そんな程度と思ってた。
違ったのだ。それどころではなかった。
仲の良さどころの話じゃなかった。あれは、米納小枝子は、盲目の娘を一人家に置いて外出できる人なのだ。
「ど、どうしたんだい?」
「あー、もう、自分の平和ボケが嫌んなる……、ちょっと待って」
「うん?」
困惑した顔の伊里院さんの手を離し、スマホを手に取る。ソッコーで電話。
「お母さん? 前ウチ来た伊里院さんなんだけど――」
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