第2話 師匠と弟子

「さむ⋯⋯⋯⋯あ、お湯お湯」


 瞼裏にチラつく光で、身体が敏感に外の寒さに気づく。朝はとにかく頭が回らない。寝ぼけたまま単語を羅列することしか使えない僕の辞書は、布団を畳むことで完全に閉じた。


 人間の自分が次期ナズナのおさに選ばれた折、師匠はハヤリガミの集まりである七草会議に赴いている。まだお屋敷から帰っていないのか、隣に膨らみはない。

 ふわぁと欠伸をかく、と──。


「うっ、この匂いは」


 新鮮な空気を吸っていたところなのに。鼻を掠めたモノにたまらず顔をしかめた。

 戸を開き囲炉裏部屋を覗く。そのままグルッと部屋の隅まで見渡すと、空いた酒瓶がところせましと並んでおり、どこを見ても瓶、瓶、瓶。たまに徳利。この家に住むのは二人だけ。片方は子どもなので犯人は自ずと検討がつく。


「この別荘も『弟子の修行のためだ!』って、話しているらしいですが⋯⋯」


 長く息を吐きながらも、湯沸かしの鉄瓶を持つ手がカタカタ震える。

 我慢我慢我慢我慢、が、まん────。

 いや、やはり耐えきれない!


「これ絶対、僕を口述にお屋敷で呑めない分のお酒呑んでますよねー!?」


 家主のいない茶の間へ叫んだ。そのせいか、吹き抜けで丸見えの茅葺かやぶき屋根が軋みを上げる。

 本来であればハヤリガミはお屋敷で過ごす。ただ、師匠は僕を拾った日から、この里外れに住まいを移したらしい。もちろん彼女には、名もなき赤子を約八年も育ててくれた御恩がたんまりある。

 しかし、だ。現ナズナのおさはとんだ酒豪だった。


(一晩で一升瓶を五本。かつ、締めに熱燗あつかんて⋯⋯)


 流石は神様というか何というか。人間からすると毒にしか見えない呑みっぷりにドン引く。迎え酒は身体に悪い。鍋の最後に麺を入れるようなノリで酒をあおってはいけない。絶対に!

 叫んだことで完全に目が冷めた僕は、ほうきと三角帽をこしらえて、家中の掃除にとりかかった。一日やらないだけで空気が淀む。早急に何とかせねば。


「お屋敷は酒もなく、ある意味師匠にとって、いちばんの監獄的な場所。一日くらい禁酒でいいんです。年も年なのに浴びるように呑んで、まったく。一日と言わず一ヶ月でも!」

「ナズナさまー。あれ、いない?」


 プンスコ怒りながら掃いていると、表口の戸を叩かれる。こんな朝早くに誰だろう。はーいと応えながら開くと、そこには誰もいなかった。


「あの、どなたですか」

「わぁお弟子さまだぁ。下だよ、したー」

「ん? おや、君は」


 間延びした声に釣られて見やる。

 その訪問者は、子どもの自分よりもっと小さい。まるで人形だ。なんせ二頭身で肩上までの髪は薄緑。そして作務衣さむえの上だけのような服の背中には、帯のごとき黄色い羽がついているのだから。


「ニ華じゃないか。どうしたんだい?」

 

 腰を折り、寝癖ではないふわふわとした髪を撫でつつ問う。彼女は"ナズナの子"と呼ばれる存在だ。師匠と血は繋がっていないが、里において重要な役割を果たしている。いわばハヤリガミと一心同体。山に咲く野草のナズナ、その命と言っていい。彼らが消えた時、それはその草花の絶滅を意味する。


「師匠はまだ帰って来ていないんだ」

「そうなのですねー」

「何かお使いかな? 言伝なら預かるよ」

「⋯⋯ぐぅぅ」

「えっ、寝てる!?」


 まさかの話しながら立ち寝するニ華。慌てて手の汚れを拭い抱える。囲炉裏から少し離して、座布団へ横たえてあげた。

 その間、わずか五秒。


(掃除が苦手な師匠のお世話、というか生活管理と、こうしてナズナの子らの子守りをする内に、家事の腕が上がってしまいましたね)


 ふうと息をつき、空き瓶を外へ運ぶ。

 この別荘で学んだことと言えば、ひと通りの生きるすべだ。もっぱら野草の知識を読み漁り、病人に役立つ薬を作っていた。その中には師匠の二日酔い覚ましもある。おそらく薬の中では一番作った回数が多い。酒と毒は紙一重なので、お陰で毒にも詳しくなったのは不可抗力だった。


「家事ができるのと、後継者になることは関係があるのでしょうか」


 誕生日まで一日減り、あと九日。

 それまで己に課せられた修行とやらを達成しなければならないが、肝心の師匠がいないので何をすればよいのやら。


「はぁ。朝餉あさげも食べていませんし、一服しましょう。お腹が空いていると余計なことを考えてしまいますね」


 寝息を立てるナズナの子を起こさないよう、そっと動く。井戸ポンプで鉄瓶へ水を入れ、囲炉裏の真上から垂れるかぎつきの棒へ掛けた。一本一本洗い、逆さまにして乾かしていた昼頃、ようやくその人は帰って来た。



 *



「ただいま戻りましたよ」

「あ! あきらさん。こんにちは!」

「はは。今日もお弟子さんは性が出るね」


 高い位置で結った銀髪が揺れている。僕の緑色とは違う、新緑の瞳が爽やかな十一歳の青年だ。昨日の祭事で荒波を抑えてくれたことは感謝しかない。ゆくゆくは彼が跡目を継ぐのだそうで、とても頼もしく思う。

 次期セリ当主を前にお辞儀し、もう一つの人影に目がいった。


「師匠。おかえりなさいませ」

「あれえ? なんで私の弟子が二人いるんだい?」

「すみません、お弟子さん。さすがにふところに隠し持っていた酒瓶には気づかず⋯⋯量こそ少ないですが、少々強めのものみたいです。スズシロ様と会議の後に夜通し呑まれたようで」


 眉を寄せて少し後ろを見る侍従殿。

 その背中には、夕べ禁酒できなかった老婆が能天気にお喋りしながら乗っている。どうやら視界が二重になっているようだ。


「いえ、あなた様は決して悪くないです」


 この酒カスな師匠が元凶なのだから。

 しれっと悪態をつきつつも、今の彼女は二日酔い患者といっても過言ではないので、本日何度目か分からない頭痛を感じながら様子をうかがう。


「道中に吐いたり、かわやへは行きませんでしたか?」

「特になくここまで来ました。胃腸はまだまだお強いみたいです」


 「きっと立派なお弟子さんの薬膳のおかげですね」と微笑みを向けられた。そのことに苦笑し奥の部屋へ案内する。二人で布団へ横にさせた。あきらさんが背負ってきたということは、足がふらついていたのだろう。酩酊状態は確実だ。僕も二人見えているようだし。


 ぶつぶつ必要な薬草を呟きながら、テキパキと百味箪笥   たんすを開けていく。昨日も二日酔いだったので薬を作ったが、いかんせん、同じものばかりでは材料もすぐに減る。今日は会話もでき、いつもより症状が軽いので別のにしよう。


「悪酔いには沢瀉たくしゃ猪苓ちょれい茯苓ぶくりょう白朮びゃくじゅつ桂皮けいひ。あれ? 桂皮が少ないですね」

「何か足りない薬草でもあるのか?」

「あ、いえ。桂皮は、クスノキ科のシナニッケイという樹皮を乾燥させた生薬なんですけど、冷え性にも効くので最近減りが早くて。そろそろ補充した方が良いかなと⋯⋯ん?」


 今の声は侍従殿じゃない。一体誰の。

 すると白く動く何かが見えた。

「下」

「え? あっ」

 やり取りに既視感を覚える。


 言われた通り横を見ると、あきらさんやセリ様と同じ髪と瞳をした少年が、こちらを見上げていた。僕より幼いのに威厳あるキリリとした眉と、父親と似ているツリ目が大人びた彼を引き出している。

 確か、彼はセリ一家で末の子だ。名はなんだったか。


あまね。お弟子さんの邪魔しちゃ駄目だよ」


 「すみません弟が」と言いながら、箪笥たんすから引き剥がすその兄。僕より頭二つ分は小さかったので、よわい五つほどだと思う。ただ、それより気になるのは──。


(え、ええ? 弟君、こんな雪で裸足なんて。肌が強いのかな)


 ズルズル擦られる足は痛くないのだろうか。本人の顔が変わらないので、何とも言えない。

 首を振りつつ役目に戻った。とりあえず必要な分はある。師匠の酔いが覚めたら要相談だ。起きたらだが、起きなければ起こすまで。そんなことを考えながら調合する。薬はこんなもんか。あとは頼りすぎないよう食べ物で整えよう。丁度お昼なので、皆んなの分も作ろうかな。


あきらさん達も、お昼食べますか?」

「良いのです? 寒いのでありがたいです」

「スズシロ様から立派な大根をいただいたので、擦ってかゆにします」


 おそらく師匠の胃は弱っている。うん、お腹には優しめにしてあげよう。


「スズシロ様のですか! 良いですねえ、とても美味しそうだ。昨日は七草粥    がゆを食べましたが、あれは葉だけなので実は食べていません。お屋敷はいつも質素なご飯ばかりですし、あまねにも大きく育ってほしいので嬉しいです」

「兄上⋯⋯うるさい」

「おや、酷い弟だ」


 クスクス笑う彼は楽しげだが、弟さんは鬱陶しそうにしていた。頬がゆるむのを感じながら、炊き上がったお米を別の鍋に移し、水をガバガバ足して煮たたせる。ふやけたら醤油を入れ、大根の尾っぽを切り落とし、擦って加えて完成だ。


 醤油は庶民にとってまだまだ高いので、街で買わず里の中で作っている。僕もたまにしか使わない。貴重な調味料へ手を合わせながら、師匠と自分の分をよそって振り向く。


「出来上がりました! 僕は師匠に食べさせるので、お二人で食べちゃっていいですよ」

「わ、お早いですね。ありがとうございます」


 囲炉裏のある高床に丸盆を置く。薬とおかゆ、そしてはりに吊るしてあった干し柿を一つ取り並べた。今や手慣れた二日酔い覚まし膳。起きない酒豪へ届けるべく、床へ上がり囲炉裏を突っ切る。

 寝室の戸を開けると、少し酒の匂いが立ち込めていた。


「師匠。これ飲んでください」

「むう?」


 やっと目の合った彼女は、少し酒が抜けたようだ。背中を支えて薬を渡す。さも当たり前のように受け取った師匠は、一気にあおった。水を入れた湯飲みを渡すと、それらを流しこみ息を吐く。


「はあ、酒っ気が抜けちまった」

「そこは素直に弟子の調合を褒めてくださいよ」

「そうだねえ。粗削りだが前より上手くなってる。喉越しがいつもよりはすんなりだ」

「のどごし⋯⋯そんなお酒の感想みたいな」

「くっくっく」


 少し呆れたが、普通に笑えるほど回復しているようなので胸を撫で下ろした。空になった湯飲みを受け取り、大根粥    がゆを手に取る。


「これはご自分で食べられますか? 熱々ですよ」

「ああ、だいぶ手も動くから大丈夫だよ。何を作ったんだい?」

大根粥    がゆです」


 あなたの酒呑み仲間であるスズシロ様のものですよ、と忘れずに。

「あまり怒ってくれるな」

 苦い顔をして茶碗を持つ酒豪。口へサラサラ流して、少しずつ食べている。


 僕も熱い内にいただこう。フーフーと冷やしながら口へ入れると、醤油の香りが鼻に広がった。薄い味だとお腹への負担も小さい。塩分を摂れるこれは酒の解毒も早まるので、今の彼女にもってこいだ。


「食べ切れそうですか?」


 見やれば、ちょうど食べ終わったところだったようで、お盆の干し柿をかじっている。目敏めざとい。挙げ句の果てに「たまには懐中汁物を食いたいねえ」とぼやき始めた。


「贅沢言わないでくださいよ。砂糖は高いんですから。干し柿だって甘みが詰まって、酒毒に効くじゃないですか」


 懐中汁物とは、一つ前の江戸時代から広まった民間療法の食べ物だ。もなかの皮の中に、粉末の漉し餡とあられを入れた甘味で、湯に溶いていただく。

「ま、そうさね。でも食べたい」

 こ、子どもか、この神様は。


「左様デスカ。元気になられたようで何ヨリデス。茶碗下げますよ。何か飲まれます?」

「そなた段々と雑になってきたな。師に対して容赦がなさ過ぎではないか?」

「いくら言っても禁酒しないじゃないですか、あなたは。せめて量を減らしてくれたら良いのに⋯⋯このままでは踊れる獅子ではなく、眠れる獅子ですよ」


 かゆを食べながら横目でうかがう。明後日の方を向いた彼女は抑揚のない声で喋った。


「あー何も聞こえんなあ。もう年だなあ! 弟子に継いでもらわんといけんなあ!」

「こんな時ばかり婆さんにならないでください」

「弟子が知らない間に親離れしていて悲しいなあ。嬉しいが悲しいぞ、私は。なあ弟子よ。そう思わんか? 我が弟子!」

「あーもう! 弟子弟子ってしつこいですよ!」


 僕が皆んなから「弟子」と呼ばれるのには、頭を抱える理由がある。師匠に尋ねたところ、ちまたで有名な文豪の夏目漱石という人間が猫へ「猫」と命名したことを耳にしたから真似してみたのだと言われたのだ。

 正直こう思った。きっと名を考えるのが面倒だったのだろうと。


(以前は『なじ』や『紋平』など、人間らしいものも考えていたらしいのに、何でなんだ)


 しょうもない駆け引きに疲れお盆を下げた。





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