ナズナの花占い

唐灯 一翠

幼苗、花占いの約束

第1話 遅咲きの花

 花占いとは残酷なモノだ。

 なぜなら花びらの命を代償に、占う側はリスクを負うことなく未来を掴めるのだから。枯れたように横たわる師匠をいたむと、生前の言葉が頭をはびこる。


『 花占いには、

  一生に一度だけ使える術がある 』


 そんな、あるかも分からない花占いの術を代わりに見つけてほしいと、彼女は僕に託した。さながら夢物語。でも、そんな都合のいいことがあるのなら、希望をもっていいだろうか?


 花を生贄に、のぞむむくろへ亡き御霊を宿す。

 そんなまじないがこの世にあるのだと────


 ◆


「おい見ろよ、あの子」

「ああ、"お弟子さん"だっけ? ハヤリガミからお情けもらってる人間だったか」

「何で名がないんだろうな」

「さあな。ナズナ様と違ってくすんだ緑の髪だし、全く表情が変わらないから陰気臭い餓鬼だ」


 吾輩はヒトである。名前は弟子だ。

 なーんて。この明治の世に名を轟かせる文豪、夏目漱石の言葉を借りて笑い飛ばせたら良かったのだろうか。残念ながら自分にはそんな技量はない。陰気臭いと言われるのは仕方ないが、師匠が授けてくれた名はいささか適当なので改名を願いたい所存。


 周りから冷ややかな視線を向けられる。きっとこれは、冬の空気とは違うものだ。それを吸ってまたほんのり、短髪と空色の瞳が色褪せた気がした。好きでここにいる訳では無い。僕は赤子の頃、口減らしで親に捨てられた。極寒の雪山でおくるみ姿だったと聞く。


(たまたま通りかかった師匠に拾われなければ、きっと死んでいましたね)


 早いものでよわい七つ。ハハハと乾いた笑いが内に広がる。おや、いけない。知らない子どもから不審がられてしまった。


 この霊峰には孤児みなしごにまつわる、奇妙な噂がある。山道のなかごろ、その鳥居の先に"七ツまでは神のうち"のおきてで護られた里があるのだと。

 獣や虫、草花だけが棲まう山。

 人間を寄せ付けない神域で、歩けない赤子は姿を消し、連れて行かれた幼子も村へ戻らない────まるで神隠しだと民は恐れた。


(まあ、そんなことないのですけど)


 というのも、絶賛、人の壁にはさまれながら里の祭事に参列しているのだ。祀られるのは春の七草、その神が七柱おわす。彼らの名を総じて、民は"ハヤリガミ"と呼ぶ。


「あいたっ! うう、いてて⋯⋯」

「おや、すまねえ。悪いな坊主」


 少し気を抜くと足を踏まれてしまう。正直、窮屈なので早めに抜け出したい。ズキズキする指をさすりながらも、茅葺かやぶき屋根しかないこの地で、唯一の黒瓦をこしらえる平屋のお屋敷がやっと見えてきた。

 四季を司る神々が太鼓や笛を鳴らし、一年の無病息災を願いうたう姿を拝む。ひな飾りの五人囃子   ばやしみたいに華やかだ。


「今年もお美しい」

「心が澄む音色だわあ」

「これで里も安泰だ」

「ありがたやありがたや」


 障子を端から端、すみずみまで開き二六〇畳の祭壇場と、その庭へ響かせている。惚れ惚れするのは老若男女に限らないだろう。

 だが、彼らは元人間というべきかもしれない。山に捨てられ程なくして亡くなった者、里で暮らしながら病にかかった者。そのように、よわい七つならずで命をしたわらべはある選択ができる。人として死ぬか、里の者として生まれ変わるか。


 そこでほとんどは生まれ変わる。かくいう自分もそのつもりだった。だが、一つ大きな問題がある。


(あと十日で、僕も八つだ)


 一月十七日。この世でいちばん鬱陶しい、己の生まれた日。

 八歳を迎えれば里を出るおきてだ。神の子ではなくなった人間を、主は見逃してはくれない。今度こそ独りぼっちになる。

 さて、どうやって生きていこう。

 周りと裏腹にそんなことを考えていたら、どっと声が湧く。釣られて見ると、師匠が三味線に手をかけていた。


(ああ、もう締めの時辰か⋯⋯)


 僕を拾った彼女は里の幹部の一人で、ハヤリガミだった。この演奏が終われば、人里へ向かう準備をすることになる。

 もう、鳥居を跨ぐことはない。

 いっそのこと、自分を捨てたという親を観察しに旅をしようか。


 シャン──


 その時、場に似つかわしくない音が鼓膜をかすった。おかしい。祭事には鈴などないはずなのに。民達を見るが、誰もその音の在処ありかを探そうとしない。


(気のせい、でしょうか)


 演奏中に邪魔が入ると、即座に警護隊によって締め出される。そんな愚か者はここにいないようだ。軽く息を吐いて、最後になる師匠の姿を見納めようとした時、身体がぐらつく。「えっ」と言う間もなく手を引かれた。しかし、指先には何もない。そのことに目を見開くと──。


 シャン── シャン──


 先ほどより、はっきりとそれが聴こえる。

 欲しい。どこからともなく胸から溢れる願望。コロコロと籠から落ちる鈴を拾うように、それを掴むべく足が動き、背丈が倍はある人壁の合間を抜けていく。不思議と、一本道のようにすんなり通れた。ひときわ大きな鈴の音が鳴り、本能的に掴む。

 欲しい⋯⋯欲しい⋯⋯僕は、これを

 その時、音が動いた。


「なんじゃあのわらべは!」

「おい! 誰か取り押さえろ」


 そんながなり声がして、やっと自分がハヤリガミ達の御前に立っていることに気付く。


「えっ、な」


 思い出して手を開くと、そこには小さな掌だけ。ふり返ると元いた場所まで隙間が埋まっていた。

 どういうことだろう。確かに通ったはずなのに。

 すると、民が呟く。


「人間だ。人の子が選ばれた」


 まるで一粒の雫のように、その言葉は波紋を広げる。一人、また一人と──。

「恐ろしや。人間がナズナのおさに」

「忌々しい人の子だ」

 瞬く間に、僕は独りになった。


 まさか育ち故郷とのお別れ前に、里の中でも孤立するとは。逃げるが勝ち。その場から駆けようとして、目の前に青い陰が降りる。音なく近づいた存在に喉が締まった。


(警護隊! セリのおさ様だ⋯⋯!)


 こちらを見下ろすハヤリガミ。その剣士の圧たるや、無言ながらすさまじい。中途半端に出していた足の行き場が無くなり、よろけてしまった。ああ、万事休す。

 伸びてきた黒い手を視界の端でとらえ、きつく眼を閉じた。


(殺されるっ!)


 硬い身体を抱きしめながら、良かったとも思う。どうせ里を出ても行く当てはない。なら、一息に殺される方がよっぽど幸せだ。

 ただ⋯⋯名無しの赤子を拾ってくれた師匠に、お礼をできていないのが、唯一の心残りかな。


「────皆のもの、静粛に」


 低く響く声がお屋敷の庭に広がる。途端に荒れた場が凪いだ。いつまでも地面につかないことを不思議に思い、ゆっくり目を開けると、左手で倒れかけの背中を支えたおさ様が民衆と僕の間に入っていた。


「大事ないか?」

「ハ、イ」


 それだけ答えるのにいっぱいいっぱいだ。

 切られていない。生きている?


「我が弟子よ、そなた何故ここへ」


 馴染みのある、しがれた声。先程まで縁側より中に居座っていた師匠が、三味線を片手に背後へ寄っていた。

 だが、自分が目に映すものは一つ。

 四角く平たいそれの面は、薄い黄色の皮に覆われていた。胴にあたる一辺だけは、金の刺繍が施された鮮やかな紅の布が掛けられ、他は三本の弦が引かれるさおと同じ濃茶の木だ。日に照らすとまるでうるしを塗ったように木が艶やかに光る。


「呼ばれたんです」


 目は離せない。口が勝手に動いていた。


「師匠が弾き始めたら、鈴の音がしました。だから僕はそれを追いかけて。欲しくて欲しくて堪らなくなり、それで」

「鈴の音、とな」


 顎に手を置き、目を細めた師匠。

 その顔はしわくちゃで、手も血管と骨が浮き出るほどの年のいく婆さんだが、腰が真っ直ぐでとにかく豪快剛力。腰辺りで束ねた長い白髪と、黄色がかったはかま姿から里では"踊れる獅子"という異名がつけられている。ちなみに本人は意外と気に入っているらしい。


「はい。とても離れがたいと思ったのです」


 これは本当のことだ。欲しいのと同じく、温もりを追うかのような。


「嘘こけ餓鬼! 見事な弦の音色を響かせてくださっていたのだぞ!」


 男がそう叫ぶ。が、間髪入れずその者の脇に降りる人影一つ。見覚えのあるその御方は、おさ様のご子息であるあきらさんだった。師匠の従者でもある彼は、僕にとって兄のような存在で、そして──。


「お弟子さんを傷みつける人は、あなたですか?」

「えっ、あ、ああああきら様?」

あきら⋯⋯⋯その者を端へ」

「御意」


 怒らせると怖い、爽やかな笑顔の少年なのだ。将来が末恐ろしい。

 一部始終を見ていた民は口をつぐむ。同じようになりたくないのだろう。しかし、その面は疑念と恐怖、憎しみを貼り付けていた。初めて向けられる禍々まがまがしいものに身震いする。


「これはナズナの後釜選定にのっとった習わし。我が弟子は他でもない、この土地に選ばれたのだよ。文句たれる奴は私に直接言うんだね」


 どうやら師匠は庇ってくれているらしい。以降は落ち着くだろうか。

 いや待て。今しがたの言葉、引っかかる。何か聞き捨てならないことを言われた気がするぞ。


「あの、師匠⋯⋯後釜選定とは、いったい」

「む、そうじゃった」


 先と打って変わり、珍しく満面の笑みを浮かべた師匠は声高らかに言う。


「よくやったな我が弟子よ! 喜べ。晴れてそなたはナズナの後継者だ」

「は?」

「何だ、覚悟が足りんのか?」

「ままま、待ってください! どういうことですか!?」


 そこでやっと喉が開いた。はんば叫んで問う。

「どうもこうも言った通りさね。そなたはこの弦の、真の音に惹かれた。それすなわち」

 額を指刺され「そなたが次のナズナ。そのおさだ」と言われる。そんなこと初耳だ。それなら、この催しは──。


「この祭事は、次期ハヤリガミの決める儀式なのですか!?」

「御名答。いやー、まさか拾ってきた人の子からとは思わなかったが、そなたなら、うん。何とかなるだろ」


 何とかとは何ぞ!?

 池の鯉のようにパクパク口を動かしていたが、ぐっと堪えて反撃する。

「嫌ですっ!!」

 その一言で、多少ざわめいていた庭が静まる。これは好機、と再度皆んなへ伝わるよう「嫌です」と応えた。


「なぜ拒む?」

「うっ。さ、里の皆さんが言うように、僕は人間で孤児みなしごです。同じ境遇の子もいたので、今まで何とかやってこれました⋯⋯けど、あと十日で神の子ではなくなる。その間にあなたのお役目を引き継ぐなんて、無謀ですよ」

「なるほどな。あと十日で八つとなるから、と」


 鼻で笑ったその瞳を見て、あっとなる。いつもの意地悪な顔になった師匠はニヤリと笑い

「なら、神の子であるうちに私のもつ知識を叩き込むぞ」

 この返しにはずっこけた。

 いくら何でも無理難題すぎでしょう!


「無理です! 僕はやりません」

「なら、こうするのはどうだ?」


 目の前にかざしたのは、くだんの三味線だ。今でも喉から手が出るほど欲しい。もはやこの距離なら手が届くか?

 手を伸ばそうとしたら上へ持ち上げられた。


「あっ」

「タダではやらんよ。ただし、そなたが後釜になるのであれば譲ろう」

「な、師匠ばかりずるいです」

「はっはっは! 大人がずるくて何が悪い。それにな、これは代々ハヤリガミが受け継ぐ神器だ。普通の人の子など、触れることも許されるわけなかろうて」

「ぐぐぐ」


 どうやらあの三味線を貰うためには、師匠の後を継ぎ、ナズナのおさとしてハヤリガミの一員にならなければいけないらしい。

 できるのか? いやでも、三味線は欲しい。


「さあ、どうする?」


 ニヤニヤと餌のように神器を揺らす師匠。

 猫ババより質が悪いのではなかろうか、この獅子は。だが、ちなみにと勿体ぶって紡がれた一言に耳を疑う。


「これは"真の音"を奏でると言われている。そなた、親を探したいと思っているのではないか? これがあれば故郷にも導いてくれるやもしれん」


 何だって?

 確かに先程、真の音が何とか話していたが。どうして彼女は僕の考えていることが分かったのだろう。話したことなどないのに。何も言えずにいると「ナズナ殿、神器を人里へ卸すおつもりか」と、あくまで変わらぬ口調でセリ様が問うた。


「無論だ。何、あと百年足らずでこの里も人の手が及ぶ。そうなる前に、正しき血筋に持たせるべきさね」


 ハヤリガミ同士、通ずるものがあったのだろう。おさ様は瞳を閉じてそれ以上追及しなかった。

 ぶら下がる餌は、親の居場所を教えるものかもしれない。大物だと分かれば答えは一択。その等価はいささか重圧だが。


「⋯⋯⋯⋯わかりました」

「お、やるのかい」

「二言はなしです!」


 そう言い切ると、周りがどよめき「おお」と言う。やや小っ恥ずかしさが這い上がるも、どうせ十日しかないのだ。当たって砕ける覚悟でやろう。

 でもはかまで隠れた足はガクガクしている。もう取り消しはできない。やっと応えた僕の頭に、護りの手が乗る。


「頑張りなさい」


 切れ長の目元をほんの少し和らげた銀髪の彼は、すぐに元の顔に戻り離れていった。後ろでは、満足したように腰に手を当てた彼女が「さて、行くか」と言う。一体どこかと思えば、次の瞬間に米俵を担がれたように身体が浮いた。

 まだ催しが終わっていないのに、お屋敷の外へ歩きはじめる神を民衆が止めて──。


「ナズナ様! まだ演奏の途中ですが、どこへ?」

「どこへって、そりゃあ」


 無邪気な顔で告げる。

 遅咲き野郎の修行だよ、と。





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