第45話:イリスの告白・後編


 「だから、私は“魔王の血”を探す任務を負って、この世界を出奔したわけ」


 イリスの声は、深い夜の闇に溶け込むかのように静かだった。


 周囲にいる俺たち――モモ、じいちゃんハル、そして俺は、焚き火の明かりに浮かび上がる彼女の横顔を食い入るように見つめる。


 「もしあの組織に戻らなかったら、私は“使えない素材”として処分されるかもしれない……。

 だから、いずれ帰らなきゃいけないんだけど、どうしても気が進まないのよ」


 彼女の表情から滲み出る苦しさ。

 普段はツンとすました顔を見せるイリスが、これほどまでに弱音を吐くなんて想像もしていなかった。


 モモが小さく頷いて、優しい声で問いかける。


 「それって……ずっと苦しんでいたんですよね。

 帰れば危険があるけれど、帰らないでいても、追われたり、心のどこかで罪悪感を抱えたり……」


 イリスはじっと炎を見つめる。

 小さく震える唇を噛みしめているのがわかった。


 「ええ。あっちにも恩がないわけじゃないから。私を拾って育ててくれた面もあるし。ただ、あまりにも非情な仕打ちを見てきて――

 正直、どう接すればいいのかわからなくなったのよ」


 「そっか……」


 俺は言葉を飲み込む。

 イリスの過去の辛さが、ひしひしと伝わってくる。


 じいちゃんも険しい顔をしていたが、やがてポツリと呟く。

 「わしらはおまえの辛さをすべて理解できるわけじゃない。

 だけど、一緒に来るなら守ってやりたいと思う。あの暗黒王国がどれほど荒れていようとな」


 イリスは微かに目を見開く。


 「……あんたはずいぶん甘いわね」

 「わしは老いても勇者じゃからな。人の生き方にはいろいろあるじゃろう?」


 柔らかな口調に、イリスが一瞬だけ苦笑する。


 「……変な爺さん。レイもそうだけど、どうしてあんたたちはそこまで“他人を守る”なんて言えるわけ?」


 その問いに、俺は思わず胸が熱くなった。


 「俺も……いろいろあったけど、“誰かを見捨てるのは嫌だ”っていう気持ちだけは、ずっと貫きたいんだ。

 例え父さんが魔王だろうと、母が悪魔だろうと、俺は俺。

 助けたい人がいるなら助けるし、一緒に行きたい人がいるなら守りたい」


 イリスがまた黙り込む。

 でも、その瞳は少しうるんでいるように見えた。


 「……変なの。あんた、そんな力もないくせに、いっちょまえに偉そうなこと言うのね」


 「ああ、まだまだ弱いと思うよ。だから成長していくんだ。

 モモだってじいちゃんだって、皆そうだろ?」


 モモが微笑んでうなずく。


 「イリスさんが迷っているなら、私たちがいくらでも支えます。

暗黒王国がどうなっているかはわかりませんけど、一緒に行けば怖くないですよ」


 イリスは無言のまま、ぽろりと小さな息を吐いた。

 焚き火の光がその横顔を照らす。


 「……馬鹿ね、あんたたち」


 そう言い捨てる彼女の表情には、微かな笑顔のようなものが浮かんでいた。

 俺はその姿を見て、心の奥にホッとした感覚が芽生える。


 よかった。きっとイリスはこれで少しは楽になれたんじゃないだろうか。


 しかし、その時。


 「……ん?」


 遠くのほうから、何か大きな音が聞こえた気がした。

 ガサガサと茂みが揺れ、獣のような唸り声が近づいてくる。


 「魔物か……! 話は後だ、イリスも下がって!」


 俺は急いで立ち上がり、モモとじいちゃんも構える。


 音が止み、闇の中からぬっと姿を見せたのは、巨大な虫のような魔物――

 クモとゴリラを足して二で割ったような姿が気持ち悪い。


 「数が……一匹じゃない! 三、四匹はいる!」


 イリスが顔をしかめ、「こんなタイミングで……」と呟くが、奴らも獲物を狙う目をしている以上、避けては通れない。


 「モモ、修行の成果をここで見せつけようぜ!」


 俺は右腕の光の紋様を呼び起こし、モモは剣を抜く。

 イリスとじいちゃんも臨戦態勢だ。


 ――ズズズッ。


 先頭の魔物が足をカサカサさせながら突っ込んできた。

 爪の先端が鋭く、ここでやられたら一溜まりもない。


 「ハアッ!」


 モモが一撃を放ち、甲殻の一部を削り取る。

 だが体が巨大なだけに、まだ仕留めるまではいかない。


 「残りは俺が!」


 俺はもう一匹に狙いを定め、光の刃を振り下ろす。

 雑魚よりは硬いが、今の俺なら斬り込める。


 ザクリと手応えがあって、魔物が悲鳴を上げる。


 「ふん、次はどいつよ?」


 イリスが闇の弾を手に、三匹目に狙いを定めた瞬間、後ろの茂みから四匹目が奇襲する。


 「イリス、危ないっ!」


 俺が叫んだときには、もう爪が彼女の背中を捉えようとしていた。


 「くっ……!」


 イリスが振り向くが、対処が間に合わない。


 しかし――


 「させん!」


 じいちゃんが素早く動き、横槍を入れる形で剣を叩き込んだ。

 ギリギリでイリスを守りながら、魔物を後退させる。


 「……わしもまだまだ捨てたもんじゃないのう」


 イリスは一瞬唇を震わせるが、「ありがとう」と素直に言葉を零す。


 「こいつは私がとどめを――!」


 イリスの黒い魔力が爆発し、闇の衝撃波となって魔物の身体を真っ二つに裂いた。


 ゴギャアッという絶叫とともに、敵は地面に崩れ落ちる。


 「あと一匹!」


 モモが声を出し、勇者術式をさらに高める。

 すでに彼女の体からは、眩いほどのオーラが漂っている。


 「ライト・ブレイズ、行きます!」


 剣先がきらめくと同時に、モモの必殺技が敵の胴体を貫いた。

 魔物は断末魔を上げて消滅。


 戦闘は一瞬の静けさを取り戻した。


 「ふぅ……なんとか、勝てたな」


 俺は汗をぬぐいながら、イリスに目をやる。

 彼女はまだ息が荒く、今にも膝をつきそうだ。


 「イリス、大丈夫か?」

 「平気よ……でも、助かった。ハルさんとレイの声がなかったらやられてたかも」


 そう言う彼女の頬は赤く、さっきの戦闘で高ぶった感情がまだ抜けていないようだ。


 「ありがと……みんな」


 その小さな一言に、俺は少し胸を打たれる。

 イリスって、こんなに素直に感謝の気持ちを出せる人だったんだな……。


 「はは、皆で力を合わせた結果だよ。イリスも、一人で抱え込まなくていいからな。暗黒王国に行くのも、みんな一緒だ」


 そう答えると、イリスは一瞬目をそらしながら、でもちゃんと頷いてくれた。


 翌朝、夜が白み始める頃には、俺たちも疲労でバテバテだったが、心はどこか温かくなっていた。


 イリスに隠されていた重い過去――

 まだ全部じゃないかもしれないけど、少しは知ることができた。


 「あんたたちがいなけりゃ、私はただの“道具”のままだったかもね。

 ……ほんと、変なの」


 呟くイリスの声に、俺は悪くない気分で笑ってしまった。

 いいじゃないか、これが仲間ってもんだろう?


 ――だが、この旅はまだ始まったばかり。

 暗黒王国には、もっと大きな問題が待ち受けているのかもしれない。


 この夜の出来事が、俺たちの絆をさらに深めていく。


 いずれ迎える真実への戦いを見据えながら、俺は心の中で強く誓った――

 イリスも、モモも、じいちゃんも、俺が守り抜いてみせるって。


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