第34話 過去話・御法川三度 後
「小学生の私は、クラスメイトたちが遊んでいるのを横目に、本を読んでいるような大人しい性格でね」
御法川さんは唐突にそう言った。
「こう言っちゃなんですが、意外ですね」
見知らぬ学生にも馴れ馴れしく声をかけてくるものだから、てっきり生まれついてのコミュ強なのかと。
「こてこての文学少女なんだ私は。それはそれで悪くない時代だったと今となっては思うんだが、それでも、小学生らしい遊びをこなしてこなかったことには未練があってね。いやあ、君が付き合ってくれて助かったよ。これで幽霊になっても成仏できる」
小学生の遊びをし損ねた未練のある怨霊とかなかなか聞かないぞ。
「まあ、化けて出られても困るんで」
そう答えると、御法川さんはとたんに選手宣誓のときのように片手をあげて、
「ではさっそく、ゲームを始めよう!」
そう高々に宣言した。
一回目のゲームが始まった。
僕らはお互いにベンチに座ったまま身体だけ向き直る。
そして、二回手を叩き、初手を出した。
僕が『溜め』、御法川さんも『溜め』である。
このゲームの性質上、初手は必ず溜めになる。じゃんけんで言うところの最初はグーみたいなもので、勝負はここからだった。
二回手を叩く間、という極めて短い時間の間に、僕は次に出す手を考える。
溜めはお互い1。出せる手も『溜め』、『攻撃』、『バリア』で同じ。
どの手を出しても安全ということはないし、勝ちにつながる可能性もある。
強攻撃を出せばほぼ勝ちであるために、できれば溜めていきたいところだが攻撃されるとあっさり負ける。攻撃なら勝つチャンスを作れるがバリアで透かされると溜めの数で不利になる。バリアは少なくともその場はしのげるかもしれないが、みすみす相手に溜めるチャンスを与える。
結局のところ、何を選んでも同じようなものだった。
時間切れだ。
僕は、御法川さんと同時に手を出した。
結果は、僕が『バリア』、御法川さんは『溜め』だった。
ニヤリと、御法川さんは笑う。
僕は内心、意外に思う。
御法川さんの性格なら、いけいけ押せ押せで攻撃してくるとばかり思っていたからだ。まさかこの時点で負ける可能性を作る溜めを選ぶとは……。
評価を修正する必要があった。
ともかく状況は、僕に不利な方に動いた。
これで僕が溜め1。御法川さんが溜め2の形になる。次に御法川さんの溜めを通してしまったら強攻撃に対抗する手段のない僕の負けが確定する。
手拍子が始まる。
御法川さんの溜めは、阻止しなければならない。阻止するには、僕のたったひとつの溜めを吐き出して、攻撃に動かなければならない。
しかし、当然相手もそれを警戒している。仮に僕の攻撃をバリアで防がれたなら、そこで詰みだった。
溜め0状態では出せる手はバリアと溜めの二つに絞られてしまい、溜め2の御法川さんは悠々と強攻撃の準備を終えてしまうからだ。
では裏をかいて溜めの手を選ぶか。
肝心なのは、攻撃を選ぶタイミングだった。
そう考えたところで、時間切れになった。
ふたりは同時に手を出す。
御法川さんは『溜め』。
そして、僕は『攻撃』を選んでいた。
「な、なにぃーっ!!」
御法川さんはすっとんきょうな声をあげた。僕がリスクを取って『攻撃』の手を選んでくるとは思わなかったのだろう。
「この手のゲームは考え過ぎるとドツボにハマりますからね」
御法川さんなら強攻撃とかいうロマン枠を繰り出そうと溜めを急ぐとの一転張りで、僕は攻撃を繰り出していた。
裏の裏まで考えだしたらきりがないし。
御法川さんは心底悔し気にうなっている。
「うぐぐ、まさか、躊躇せず攻撃を切ってくるとは……」
こうまで悔しがってもらえると、小学生の遊びとはいえ、案外気分がいいものだった。
「ともかく僕の勝ち、ですね」
調子に乗ってそんなことまで言ってしまうが、やはり御法川さんはノリノリだった。
「おっと勘違いしないでくれよ。今回は初心者の君に花を持たせただけなんだから」
まるで本気で悔しくて言い訳をするかのような震え声で、御法川さんは言った。
雰囲気づくりに本気な人だ、と僕は思う。
「では、次のゲームだ。最初に言っていた通り、新しい手を追加する」
そう言って、御法川さんはこちらに手の甲を向けて人差し指と中指をクロスさせた。
「これが新手。『反射』さ。一ゲーム中に使用回数は一度きり。効果は敵の『攻撃』、『強攻撃』を反射する」
「一回限りの強バリアって感じですか」
今度は攻撃を抑制するような手であった。
先ほどまでは強攻撃という蓋に閉じられた環境だったが、反射はそれに風穴を開ける。
一回限りとはいえかなり環境が変わるだろう。
「理解が早くて助かるよ。じゃ、さっそく第二ゲームだ」
第二ゲームが始まった。
手拍子をして、お互いに『溜め』合う。もう一度手拍子をして、僕らは同時に手を出した。
僕が『溜め』、御法川さんも『溜め』だった。
反射の存在を警戒して、お互いに攻撃を躊躇すると読んだせいだろう。
これでお互いに溜め2。
手拍子が始まる。
今回は溜め3を作られても、反射を使い切らない限りは負けにはならない。
ゆっくりとした試合運びが可能だった。では、ここはさらに『溜め』に行くのが正解か。
僕はそうは思わない。大攻撃まで、溜めを作る意味が、反射のせいで薄れているからだ。
とはいえ、反射は、一回限り、という字面に騙されそうになるが、結局のところ相手が攻撃をしてこないことには役に立たない。選びづらく、所詮は抑止力なだけな手だと思った。「エリクサー症候群」という言葉もあるように、一回こっきりの手は使いにくいのだ。
ゆえにここは攻めに行く。
僕は『攻撃』を出した。
そして、御法川さんは、必要ないだろうに腕を大きく動かして、指先をクロスさせた手を出していた。
『反射』である。
僕は、敗北した。
「ふはははは、まんまとひっかかったな少年! 君が攻撃をしてくることは読んでいたぞ!」
悪役のような高笑いをする御法川さん。
「結局使わないまま、ゲームが終わると思ってたんで……」
「人生思い切りが肝要なんだ。よく覚えておくといいよ」
小学生の遊びで人生を語られ、なんだかむかっと来た。
本気で悔しいと思っているのかもしれない。
なんだかんだでゲームに熱中しているのかと思うと、少し顔が熱くなる感覚があった。
「とはいえ、一勝一敗です。大事なのは次ですよ」
僕の言葉に、御法川さんは楽し気にニコニコとしていた。
「そうとも。次で決着だ。で、負けた方は質問に応えなきゃいけない。忘れていないだろうね」
「まあ、はい」
そういう約束だった。
「今のうちに心構えを作って起きたまえ。このゲーム、私が勝つからね」
御法川さんは自信満々にそう言った。
「はいはい」
単に質問するだけで、そんな心構えをするようなことだろうか、と僕はおざなりな返答をする。
そして、御法川さんはなんてこともないように、言った。
「ちなみに、私は大人だからね。勝てば質問として、君の悩みを聞き出してあげようじゃないか」
僕は思わず身体を強張らせ、尋ねた。
「僕の、悩み、ですか?」
御法川さんはいつもと変わらぬ能天気そうな声で、
「初めて会ったときから思ってたんだ。お、なんだか悩んでそうな少年がいるぞ。これは私が人肌脱ぐっきゃない、ってね」
「……そうですか」
つまり、彼女は、公園でいつもひとり時間を潰している僕に目をつけて、声をかけてきた、そういうことだったのだろうか。
御法川さんのこれまでの振舞も、孤独な学生を励ますための演技のようなものだったのだろうか。
そうか、と僕は思う。
そして、三回目のゲームが始まった。新しい手が追加されたが、僕はあまりルールを聞いていなかった。
初手を省略し、二手目。
お互いに手を出した。
御法川さんは『溜め』、そして僕が『攻撃』だった。
三回目のゲームは、すぐに決着がついた。
悔しがる御法川さんをよそに、僕は尋ねた。
「それで、勝者は敗者になんでも聞いていい、でしたっけ?」
「お、お手柔らかに頼むよ」
口もとを引くつかせて、何を勘違いしているのか己の身体を抱く御法川さんに、僕は言った。
「聞きたいことはありません」
「……え?」
呆けた顔をして聞き返す声が、なぜだか無性にイラついた。
「僕に、ずかずかと人の心のうちを探ろうだなんて気はありませんよ」
厭味ったらしい言葉が、思わずこぼれ出る。
御法川さんに、悪意のようなものはないということぐらい、僕にもわかる。なんなら何も考えていない可能性だってあるだろう。
しかし、頭ではわかっていても、心に土足で踏み入られるような感覚が、いつまでも消えない。
ベンチから立ち上がり、早口に言った。
「失礼します」
御法川さんの反応を見るのが怖くて、僕は一度も振り返らずに公園を去った。
彼女は悪くなかった。
では、何が悪いのか。
すぐに、答えは出る。
悪いのは、僕の心のありようだった。
御法川さんがただの能天気な女性というわけではなく、ひとりの少年に気を遣い声をかけた大人であることが、気に入らなかったのだ。
僕は、些細なことを気にしてへそを曲げるような、しょうもない男だった。
◇
僕はそのまま、帰宅した。
玄関の扉を開いたときに、身を固くする。
タイミングが悪かった。
玄関の中で、ちょうど靴を履き替えている女性の姿があった。
僕が帰って来たことに気付くと、彼女は一瞬ぎくりとした顔をしてすぐに笑みを浮かべる。
「おかえりなさい。今日は、帰り早かったのね。あ、これから買い物に行くんだけど、何か食べたいものある?」
僕は靴を脱ぎながら硬い表情で答えた。
「すみません。宿題やらなくちゃいけないので」
会話になっていない返答をして、彼女の差し出されかけた手を尻目に、僕は自室へと逃げ込んだ。
ドアを閉じて、思わずため息をつく。
「なにやってんだか……」
僕は恵まれている。
周りの大人に気を遣われている。
それで腹を立てる僕は本当にしょうもない人間だった。
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