第35話 過去話・御法川よたび 前
さすがに言い過ぎた、とひと晩経ち冷静になってから思った。
あれでは、まるっきり子どもの癇癪だった。御法川さんにとっては完全にとばっちりだった。
それで結局、僕は公園に向かった。
ひと言謝らなければ。そう思ったからだ。
突然キレる若者にへきえきとして、御法川さんがもう公園にいない可能性は十分にある。
それならそれで仕方がない、と僕は思う。
ただ、いつもと変わらずにそこに御法川さんがいたら僕は何と言って謝るのか。
その言葉の組み立てもつかないままに、たまたま通りがかったというていで入口から公園内を覗き込んだ。
そして、御法川さんはいつものようにそこにいた。
いつもの公園のいつものベンチで、背筋を伸ばした姿勢で短冊片手に座っている御法川さんは、今日も暇そうにしている。
「何やってんだあの人……?」
よく見れば、右手には筆を携えている。
ゆったりと周囲を見回して、公園の景色を鑑賞しているらしい御法川さんは、ふと思い出したように筆を走らせては短冊に何かを書きつける。そして、書き上げたそれを顔から少し離して眺めては、満足げな顔をしてうんうんうなずいていた。まるで俳人か何かかのような振舞だった。
僕は思わず、ほっとしたようなため息をついていた。
いつもの御法川さんに、どこか安心感のようなものを感じたからだ。
よくよく考えれば、御法川さんは曲がりなりにも大人だった。酸いも甘いも噛み分けた、ガキの言動のひとつやふたつで振り回されるような年頃ではない。
僕がいようといまいと、何かしら見出して人生を楽しめるのが、御法川さんなのだろう。
世の中案外自分の存在なんかとは関わりなく、進んでいくものなのだ。
そのことを理解して、どこかほっとしたものを覚えるとともに、僕は急に恥ずかしくなってきた。
心のうちに、僕の言動の影響を受けて、御法川さんが落ち込んでいるかもしれない、そう自惚れていたことを自覚したからだった。
これでは、話しかけられただけであの子は俺のことが好きなのかもしれない、と勘違いするのと同じだ。
僕は、羞恥心に顔が熱くなるのを感じる。
そして、羞恥心というものは、それを押さえて乗り越えられるだけの輝かしい過去を持たない者には、物事を躊躇させる最大の重石になり得る。
僕は回れ右をしようとした。公園から、御法川さんから逃げ出そうとした。なんだか顔を合わせる勇気がふっと消え去ってしまったのだ。
それで、僕があとずさりしかけたそのとき、短冊を眺めていた御法川さんが、ふと顔を上げた。
公園の入口といつものベンチとではだいぶ距離がある。
それでも、彼女がこちらを向き、目が合ったということだけははっきりとわかった。
ぎくりと身を固くして立ち尽くしている僕をよそに、御法川さんはいそいそと道具をポーチにしまい、ベンチから立ち上がる。
そしてこちらに向かってきた――両腕を大きく振る、全力ダッシュで。
「あ、うわ!」
子どもか陸上選手ぐらいしか披露しないような見事な走りに驚いて、僕はみっともないくらいに慌てふためいていた。
その隙に、御法川さんは全力で距離を詰め、あっという間に僕の目の前へとやってきた。
「……」
開口一番何か言ってくるかと思ったが、彼女は無言で息を荒げたままそこに立っている。呼吸を整え、大きく息を吐き、すると突然、御法川さんは僕の片腕をがしりとつかむ。驚く間もなく、御法川さんはベンチの方へとずんずか歩いて行き、僕はそのまま引っ張られる形になった。
前を行く御法川さんの表情は伺えない。されるがままに引っ張られながら、やっぱり怒っているのだろうか、と思う。肩を高く立たせてずんずん歩くのは、怒っている人のムーブだった。
ベンチにたどり着くと、御法川さんは無言で僕に座るよう促す。もはや流されるまま僕が座ると、御法川さんも定位置に座る。
僕は顔を伏せ、恐々と視線だけで、一体何と言い出すのだろう、と隣の御法川さんを見つめた。
そして、御法川さんが、動いた。
彼女は両手を合わせて、目をつぶり、小さく頭を下げた。
「ごめん!!」
と、じめじめしたところのない勢いのある声で、そう口にした。
「え、いや、あの」
僕は不意を衝かれた気分になって、意味のない言葉を吐いて戸惑うばかりだった。
謝ろうとしていたのに、先に謝られてしまった。
御法川さんは言う。
「私は調子に乗っていた。確かに、君の言う通りだ。ずかずかと悩みを聞きだそうだなんて、傲慢で、無神経だったと思う」
神妙な顔をする御法川さんに、僕はしどろもどろで、
「いや、でも、こっちも言い過ぎたと思います。ほとんど八つ当たりだったので……」
実際、八つ当たりだった。気を遣われるのが嫌だったという稚気じみた感情からのものだった。
首もとを撫でながら軽く頭を下げる。
すると、御法川さんは、
「だよね!」
と元気よく同意した。
ぽかんとする僕をよそに、御法川さんは一人盛りあがって、
「確かに私は無神経で、悪かった。悪かったが――君もちょっとチクチク言葉がひどかったよね? 私、あのあとめちゃくちゃ落ち込んだんだよ? 急遽コンビニで甘いものを爆買いして、やけ食いするハメになったんだよ? 体重激増だよ!?」
それは知らんとしか言いようがない。
「言い逃げみたいな形で、帰っちゃうのもよくないよ。せめて釈明の時間が欲しい。被告人にだって供述する権利ぐらいはあるのが、この法治国家だろ!?」
そんな大げさな話でもないと思う。
しかし、こうまではっきりと言われてしまうと、そんな気がしてくるのも事実だった。
「ほんとにすみませんでした……」
僕は素直に謝っていた。そして、顔を伏せうなだれる。
僕のその姿に、さっきまで勢いのあった御法川さんの語調も次第に萎んでいき、ついには黙り込んだ。
沈黙が訪れる。僕たちは、それぞれの言葉を探していた。
そして、沈黙を断ち切るように、御法川さんは唐突に言った。
「子どもの頃、祖母が厳しい人でね」
御法川さんは、子どもの頃の話をはじめた。
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