第23話 ガシャポン沼
「私は沼にはまっている」
いつもの公園のいつものベンチで、肩にかけたポーチの中身を漁りながら座っている御法川さんは、今日も暇そうにしている。
御法川さんがいきなり話を切り出してくることは、ガチャやギャンブルには下手に手を出さない方がいいことぐらいに当たり前であるために、僕はいまさらつっこむことをしない。
「ソシャゲにでもハマりましたか?」
沼にはまるとは、たまった泥に足を取られて抜け出せなくなる様から、何かに熱中して抜け出せないことを意味する言葉だ。昔はネット用語だったらしいが、今では日常会話で「推しに沼っている」などという形でよく使われている。
そのことを踏まえて尋ねると、御法川さんは首を振る。
そして、ポーチからじゃらじゃらとフィギュアのようなものを取り出しながら、おごそかに答えた。
「ガシャポン沼さ」
ベンチの上へと、四センチほどの大きさのフィギュアが、次々と並べられる。
その数は六。
何やら人型ロボットのような形で、赤茶けた錆びた色のネジやゼンマイや鉄パイプなどで構成された胴体を、緑色の苔みたいなもので装飾した見た目のフィギュアだった。
ざっと見たところ、六つのフィギュアは、すべて同じもののように思える。
「これは……まさかの全被りですか?」
ガシャポンはその性質上、金を払えばお目当てのものが手に入るとは限らず、欲しくないものが連続で被るということもままある。
御法川さんは硬貨を投入して何度もガシャガシャやったにも関わらず、六つも同じものがかぶってしまったというわけだ。
なかなか見ない運の悪さだ、と僕は思う。
半ば同情する目つきで、御法川さんを見た。
しかし、どうも様子がおかしい。御法川さんは呆れたような目で僕を見つめ返していた。
「被った? 何を言っているんだい君は。これをよく見たまえ」
そう言って、御法川さんはこのフィギュアの説明書らしき紙を、僕に渡した。
読むと、『ガラクタ六つ子(生き別れのシークレットも!?)』。
そんな言葉に続いてプリントされた、六体のロボットたち。その下には『イチラク、ガラジ、サンクタ、シラク、イッタク、ムツラ』と名前が書き連ねられていて、さらにその隣には、黒塗りにはなっているがやはり同じシルエットの『生き別れの末っ子ナナカ』などと書かれている。
「基本の六つ子はこの通り、全部そろえた。しかし、この末っ子のナナカがどうしても手に入らないんだ。筐体ひとつ分丸々開けたのにだよ? もう完全に沼だよねこれは」
御法川さんは丁寧にベンチの上の六つ子とやらを指差して行く。
僕はその指先の動きに合わせて、何度も紙と実物の違いを見比べる。
ふと口をついて言葉が漏れた。
「全部同じじゃないですか」
どうしても、六つの違いを見分けることができなかった。実は全部同じで御法川さんが自分を騙そうとしているのではないか、という疑いすら頭の中に浮かび上がる。しかし、御法川さんは心外だという顔で、すかさず声を荒げた。
「全然違う! ほらこれとかよく見て!」
そう言って、ベンチの上の二体を手に取って僕の前へと突き出してくる。
御法川さんのほっそりとした指がそのうちの片方を指差した。
「これは『イチラク』。胸元のネジが円形だろ? 一方こっちの『シラク』は、四角いネジがついてるんだよ」
言われてみれば、確かに微妙に形が違う。しかし、言ってしまえば誤差みたいなものだった。
「こんな間違い探しみたいな」
僕の言葉に、御法川さんは大げさにやれやれと首を振る。
そして大仰に足を組むと、ひざに肘をついて掌であごを支える姿勢を取った。
なにやらものを知らない弟子に呆れながらも諭す師匠のような雰囲気である。
「君、みにくいアヒルの子定理を知っているかい?」
そんなことを言う。僕は首をかしげて、
「えーと、アンデルセンの、ですよね。定理?」
数学の話だろうか、と思っていると、御法川さんは説明を続けた。
「機械学習関連の用語でね。『何らかの仮定や前提知識がないと分類やパターン認識は不可能である』って話なんだが」
なんだか急に小難しい話になってきて、ガシャポンの沼の話との高低差で頭がキーンとなる感覚がした。
「それとアヒルの子に何の関係が?」
「『みにくいアヒルの子』って、まわりとは体毛の違う黒いヒナが、まわりのヒナやアヒルにいじめられる話だろ?」
僕は、昔読んだ童話の内容を思い出す。
「それで『醜い』って言われるんですもんね」
御法川さんはうなずいて、
「でもそれは、アヒル側にヒナは黄色だという認識が備わっているがゆえなんだ。だから黒いヒナを異物だと見なしてしまうわけなんだな。しかし、これが仮に何の前提知識もないAIだとかに見分けさせると、鳥のヒナってことでひとまとめに分類するかもしれないし、それよりおおざっぱに生き物としてひとまとめにすることだってあるかもしれない」
だんだんと、御法川さんの言いたいことがわかってきた。
「つまり、僕がこの六つ子を見分けられないのは前提知識がないからだと?」
御法川さんは、花丸をつけるときのような表情で笑う。
「たとえば松、杉、楢、楓、椚とちゃんと名前のある木々が並んでいても、知らなければ雑木林とひとくくりに呼ぶこともあるかもしれない。ロマネスク様式とバロック様式の円形アーチと尖状アーチの違いが判らなければ、どちらもヨーロッパの建造物としてしか見ることができないかもしれない。それと同じことだよキミ。この六つ子はちゃんと違うんだ。お姉さんが今からその違いを教えてあげようじゃないか」
御法川さんの言うことは、筋が通っているように見える。僕はなんだか丸め込まれたような感覚を覚えながらも、うきうきと違いを説明しだす御法川さんの話に耳を傾けるのだった。
◇
「――えーと、御法川さん。まだナナカは手に入れてないんですよね?」
長々とした説明を受けてげっそりしつつも、僕は御法川さんに尋ねた。
「そうなんだ。またどこかでガシャらないといけないね。……今月も塩パスタだよ」
「生活費を削るはまずいですよ――でも今はそれを言いたいんじゃなくて」
僕は、ガラクタ六つ子の説明書を取り上げて、ベンチの上の一体を指差した。
「これ、ナナカじゃないですか?」
御法川さんの講釈も効果はあったようで、僕は今後の人生に役に立つのかどうかわからない、六つ子の見分け方を会得していた。
僕が指差したフィギュアは、御法川さんによれば『サンクタ』のはずである。
案の定、御法川さんは呆れたような声を発する。
「やれやれ、どうやらまだ前提知識が足りなかったようだね。よく見てくれ。この肩周りの苔の付き方とゼンマイの形を。どう見てもこれは『サンクタ』だろ?」
しかし、僕は説明書ともう一度見くらべて指摘する。
「いえ、でもこの説明書のサンクタとはやっぱり違いますよ。ほら、この頭部、微妙に針金が突き出ています」
そして、説明書のナナカのシルエットの頭部には、良く見なければわからない微妙な突起が突き出ていた。
御法川さんは僕が指差した先をじっと見つめて、やにわに僕の手から説明書を奪い何度も見比べる。
風がベンチの上のフィギュアを、かすかに揺らす。
彼女は、完全にフリーズした。
長い、長い沈黙が、僕らの間に横たわった。
数分が過ぎただろうか。
御法川さんは誤魔化すような口調で、
「どうやら『サンクタ』は白鳥になったみたいだね」
そしてうおっほんと咳ばらいをした。
「めでたしめでたし」
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