第22話 日記のネタを探して

「私は日記をつけているんだけどね」


 御法川みのりかわさんは唐突にそう言った。


 いつもの公園のいつものベンチで、黒い装丁の本を読みながら背筋を伸ばして姿勢正しく座っている御法川さんは、今日も暇そうにしている。


 御法川さんがいきなり話を切り出してくることは、夏休みの最終日に宿題を貯め込んだ小学生が一気に一か月と半分の絵日記を書き上げることぐらいに当たり前であるために、僕はいまさらつっこむことをしない。


「御法川さんは、書くネタに困ってなさそうですね」


 たいていの日記初心者は日記をつけはじめて三日あたりである壁にぶち当たる。


 ――あれ、日記に書くようなことが何もないぞ。


 結果、ぽつぽつと何も書かない日が生まれ、習慣化に失敗し、そのうち書くことをやめてしまいがちだ。


 その点、御法川さんは問題なさそうに見える。なんだか毎日楽しそうだし。


 そんなことを僕が考えていると、


「そうでもない」


 そう言って、彼女は首を振った。


 パタンと手に持っていた本が閉じられる。表紙にはさりげないデザインで「DIARY」と印字されていた。


「私もときどき、今日は書くことがないなーと悩むことがある」


「そうなんですか?」


 正直に言えば、意外だった。紙面が足らなくなるほど毎日波乱万丈の人生を送っているものかと。


 僕のそんな思惑が透けて見えたのか、御法川さんは小さく笑って、


「私は普通の社会人だからね。そう面白おかしい毎日を送っているわけじゃないよ」


「じゃあ、そういう日は、やっぱり書くのをやめるわけですか」


 尋ねると、彼女は視線を落とし、膝の上に置いた日記帳の表紙を片手でそっと撫でた。


 その所作は、大切なものに触れるときのような雰囲気を伴っているように、僕には見えた。


 御法川さんは言う。


「日記っていうのは長く続けていると、脅迫してくるようになる」

 

 急に物騒の話にハンドルを切ってきた。


「脅迫、ですか」


 困惑気味に聞くと、御法川さんは鬼を表現でもしようとしているのか、両手の人差し指を頭の横で立て、わざとらしくおそろしげな顔を作った。


「こう、ネタがないなーって思っていると、日記帳から『ないなら今すぐ探してこい』と無言の圧力がかかってきてね」


 ああ、と僕は納得した。


 御法川さんが勝手に圧力を感じているだけだった。


 人には物事を継続するほどやめられなくなる傾向があり、これをストリーク効果というらしい。ユーザーに継続的にプレイさせるためのソシャゲのログインボーナスなどと同じで、御法川さんは今まで続けてきた日記に穴が開くことが耐えられないわけだ。


「というわけで、そういう日には、私はネタを探しに外へ出向くわけだ。最近は、夜の散歩に出かけることが多いかな」


「それは……なんでまた」


「人影がなく静かで、ぼんやりした電灯の白い光に照らされた薄暗い中を、夜風に当たりながら歩いているとだね、不思議なものと出くわしやすいんだよ。ネタ探しにはぴったりだと思わないかい?」


 僕は尋ねる。


「えーと、不思議なものって、オカルト話になんですかこれ」


 御法川さんは芝居がかった仕草で肩をすくめた。


「信じるか信じないかは君次第だね」


 お決まりの言葉を聞いて、ため息が漏れ出そうになるのを堪えた。


 さらに尋ねる。


「で、なんなんです、不思議なものって?」


「たとえばそうだな――」


 御法川さんは日記帳を取り上げて、ぱらぱらとページをめくった。


 目的の箇所を見つけ出した御法川さんはピタリと動きを止めて読み上げる。


「あれは今から二週間前、私が夜の住宅街を歩いているときのことだった。


 ――ゆるやかな風が頬を撫でる暖かい夜だった。家屋を照らす照明に、ぼんやりと浮かび上がった路地を、私は行く。ときどき人と行き交うことはあるけども、基本は私以外に誰の人影もない道で、静かな夜だった。


 しばらくそうして歩いていると、ふと遠くに白い影が動いているのが見えた。


 私は最初白猫かと思った。大きさがそのぐらいだったからね。だけどすぐにそうではないと気付く。


 その謎の白い物体は、まるでホバリングするように地面から少しだけ浮かび上がって音もなく移動していた。


 ――わかるかい? イメージとしては住宅街を低空飛行する小さなUFOさ」


 僕は、夜の住宅街という身近な舞台をホバリングする白いUFOを頭の中で思い浮かべる。


 なんともミスマッチな光景だった。


「それ、正体はなんだったんですか?」


 僕の言葉に、御法川さんはぼそりとつぶやくように言った。


「ポリ袋だった」


「え?」


「よくよく見たら、なんてことはないスーパーの袋。風に舞っていただけの。ただの私の見間違えだね」


「それは……」


 幽霊の正体見たりというか、真実は意外としょうもないというか。


 なんと反応したものか困ってしまって、僕は言葉に詰まる。


 しかし、御法川さんはニヤリと笑っていた。


「けれど、日記は何を書くのも、書かないのでも書き手の自由だからね。UFOの正体に言及しなければ、私はその日、未確認飛行物体を目撃した女になるわけさ」


 なるほど、こうして昨今問題となる切り抜き記事が出来上がるわけなのだな、と僕は思う。


 御法川さんはまたも日記を広げて読み上げる。


「あれは今から一週間前、私は夜の道端で、とんでもなく泥棒らしい泥棒と出くわした」


「泥棒らしい泥棒?」


 いまいちその人物像がイメージできずに聞き返す。


「ほら、泥棒といえば、ほっかむりをかぶった頭に荷物の詰まった唐草模様の風呂敷包みを背負ったスタイルが有名だろ?」


「まあステレオタイプではありますが……」


 確かにその姿は見れば泥棒だとひと目でわかりそうではある。が、実際にそんな泥棒は現代にはいないだろう。


「その日、夜の河川敷で、川の流れる音に耳を澄まして私は歩いていた。すると、例の恰好をした人物が、まるで人目を避けるように身体を背を丸くししながらゆっくりと歩いてくるじゃないか。私は感動しちゃってね。今の時代にこんなオールドスタイルの泥棒がいるのかって」


「で、その正体はなんだったんですか?」


 これもまた何かの見間違えだったのだろうと思いながら尋ねると、御法川さんはあっさりと白状した。


「ただの背の曲がったおばあちゃんだったよ。ほっかむりと風呂敷包みを背負ったね」


 拍子抜けする僕をよそに、御法川さんは満足そうに言った。


「でも、日記には『時空を超えた泥棒と遭遇!』とだけ書いてある」


 朗らかな笑みを浮かべる御法川さんは、その勢いのまま日記帳をさらにめくった。


「で、つい昨日のことなんだが、私は夜の路地の電柱の陰に魔法少女を見つけた」


 だんだんコツがつかめてきた僕は、その正体を予想してみることにする。


「壁に貼ってあるポスターだった、ってオチですか?」


 そして、御法川さんは答えるのだった。


「魔法少女のコスプレをしたお姉さんだった」


「え?」

 

「誰もいないだろうと思って大胆にも夜道を歩いてたんだろうね。とっさに電柱に隠れたんだろうが……あのときは、悪いことしちゃったな」


 ふっと自嘲気味に笑う御法川さん。


 なるほどそのコスプレお姉さんは前から歩いてくる御法川さんに気付いて、電柱に隠れるも、魔法少女だ! と駆け寄ってきた御法川さんによってその正体をあえなく暴かれたわけか……。


「それで、その後どうしたんですか?」


 おそるおそる尋ねると、彼女は答えた。


「武士の情けだ。見て見ぬふりをした」


「じゃあ、そのことは日記には?」


「ま、それは書かせてもらったけどね。『夜の道端で魔法少女発見!』と」


 僕は空を見上げて遠い目をした。


 夜道には不思議が溢れている。


 ――少なくとも、御法川さんにとっては。

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