第16話 手品師御法川さん
「実は最近、手品を練習していてね」
いつもの公園のいつものベンチで、フォーマルなスーツを着込んでトランプの束と紙袋を手に座っている御法川さんは、今日も暇そうにしている。
御法川さんがいきなり話を切り出してくることは、海外旅行に出かけると三日ぐらいで味噌汁が飲みたくなることぐらいに当たり前であるために、僕はいまさらつっこむことをしない。
「えーと、練習台になれってことですか?」
御法川さんが持っている道具は、明らかにそうした用途に使うものと見受けられる。
僕の疑問に、御法川さんはうなずいて笑顔を見せた。
「その通り、話が早くて助かるよ」
そう言って、紙袋をそっと脇に置き手に持っていたトランプを広げて僕に見せてみせる。どう見ても、それは何の変哲もない53枚組のトランプであった。
「ほら、ごらんのとおり、タネもしかけもございません」
お決まりの台詞を吐いた御法川さんはいかにも熟練の奇術師かのように不敵な笑みを浮かべている。
――実のところ、僕は中学のころ手品にハマっていた時期があり、多少は心得がある。
これはいわゆるマジックの『確認』にあたる。観客にタネも仕掛けもないことを証明する段階というわけだ。
つまり、この段階でトリックを見破ろうと躍起になることは、手品師のショーの盛り上げに協力することと同義なのである。
「手に持ってみてもいいですか?」
「いいとも」
御法川さんは躊躇なくトランプを渡してきた。
そのためらいのなさから察するに、おそらくホントにこのトランプ自体にはタネも仕掛けもないのだろう。
形だけでも何枚かめくって確かめ、御法川さんに返す。
「では、この中から一枚、カードを引き出してくれたまえ」
なかなか堂に入った手つきで扇状にカードが広げられる。
オーソドックスなカード当てのマジックというわけだ。
僕は指示に従って、適当なカードを一枚、引っぱり出した。
「引いたね? では、そのカードを私に見せないように、よく覚えておくように」
引いたカードは『ハートの3』。
「覚えましたよ」
「それではちょっと失礼して」
そこで彼女は、トランプを僕から見えないように背中へと回した。しかも何やら後ろ手でごそごそやっている。
あからさまに何かタネを仕込んだ動作である。できればここは観客の視線を誘導するミスディレクションを利用して、自然と仕込んでほしいところだが、まあ、いきなり多くは求めまい。
とはいえ、そこまで時間はかからずに御法川さんはふたたびトランプの束を前に持ってくる。
「じゃあ、束の中ほどにカードを戻してくれるかい」
戻すと、今度は今までベンチの上に置かれていた紙袋をかぶせて、また僕からトランプが見えないようにする。一秒もかからずに紙袋は取り払われる。
彼女は、見ただけでは仕込んだタネがわからないトランプの束を、両手でよくシャッフルする。
混ぜ終えると、なんだか胡散臭い笑みを浮かべて、
「では、これより魔法をかけよう」
カードの裏面が見える束に向かって、指パッチンをした。
すぐさま束を裏返し、ベンチの上へと滑らせるように広げる。
数字と記号が羅列するカードの群れの中に、一枚だけ裏返っているカードがある。
「おや、どうやら、ここに、恥ずかしがり屋がいるみたいだねえ」
御法川さんは芝居がかった口調でそう言う。
これがいわゆるマジックの『展開』。不思議な現象が発生する。
「さ、確認してくれたまえ」
言われるがままに、その一枚だけ裏返っているカードを引っ張り出す。
確かめてみれば、それはやはりというか『ハートの3』であった。
御法川さんは得意げな顔をして、水色の上衣の襟を大げさに整えてから両手を広げる。
「ちゃらーん!」
なんて声を自分で出してすらいる。
これがいわゆるマジックの『名誉』。ショーは完成する。観客はここで驚くなり、拍手をするなりをするわけだ。
それで、観客であるところの僕は、どうしているかというと、脳みそをフル回転させて、どういう態度を取るべきか悩んでいた。
御法川さんが披露したトランプの手品。
僕はその種を知っていた。
その仕組みはこうだ。
一番上のカードを裏向きにひっくり返すことで、観客が戻したカードと一番上のカードだけが裏返って見えるように細工するのである。あとは何食わぬ顔で一番上のカードを元に戻せば、このトリックは成立する。
御法川さんは「ちゃらーん」のポーズのままで、僕の様子を伺っている。
ここで「すみません、そのマジック知っています」と口にするのは簡単だ。
しかし、その結果導かれるのはなんだ? 激しく落ち込む御法川さんである。
僕の中の片方はこう言う。
嘘はなるべくつくべきではないが、嘘も方便という言葉もある。ここは、嘘をついてでも、まだ初心者らしき御法川さんに手品の楽しさを知ってもらうべきだ。
もう片方はそれに反論する。
御法川さんは練習と言っていた。嘘をついて驚いたって、それは結局かりそめのものだ。ここは先達として誠実に対応するべきだろう。
一秒にも満たない頭の中の会議であった。
最終的に出た議決として、僕は言った。
「……どうやったんですか?」
結局、僕はことなかれ主義だったようだ。
僕の言葉に、御法川さんは大仰に首を振る。
「それは言えないね。謎は謎のままが美しい」
まずいな。ますますその謎を知っていると言い出しづらくなってしまった。
勢いづいた御法川さんはベンチから立ち上がって、紙袋を手に取った。やはりその態度は奇術師でございという雰囲気で、なんだか最初にベンチで見かけた雰囲気と少し異なって見える。
「今度はこれだ。種も仕掛けもございません」
そう言って、紙袋の中身を示して、ポーチから一本の有名な緑茶のペットボトルを取り出した。
「こちらのお茶を、この何の変哲もない紙袋に入れるとだね……」
そのペットボトルに紙袋をかぶせ、まるでハンドパワーを送りこむかのように紙袋をさする。
そして、勢いよく紙袋を取り去った。
ペットボトルは一瞬で、お茶の入ったグラスへと変貌した。
御法川さんは種が存在しないことを示すかのように、豪快に紙袋をぐしゃりとにぎりつぶす。
「ちゃらーん!」
御法川さんは大仰な仕草で手を広げてみせる。ダイナミックな身体の動きに、黒のスカートが揺られていた。
僕は見た。ぐしゃりと潰された紙袋から、お茶のパッケージがはみ出ているのを。
このマジックの種も、僕は知っていた。
ペットボトル自体に細工を施し、中身をすかすかにするのである。あとはそれを、グラスにかぶせれば、一瞬で変貌も紙袋と一緒に潰せる仕掛けも成立させられる。
「ス、スゴイデスネ」
口から出るのは、そんな棒読みの賞賛であった。
僕は無力だ。
「そうだろうそうだろう」
御法川さんは太陽を背に仁王立ちした格好で腕を組み、嬉しそうにうなずいていた。
ふとその姿を見て、僕は違和感を覚える。
御法川さんは、黒のワンピースに、明るい色のカーディガンを羽織っていた。
そのことに気付いて、僕は眼を丸くした。
「あれ、いつ着替えたんですか?」
御法川さんは、最初スーツを着ていたはずだった。
僕の言葉に、いよいよ御法川さんは満面の笑みを浮かべる。
「ようやく、気付いてくれたね? どうだ、これが御法川流早着替え術さ!」
それを聞いて、僕はやられた! と本心から思った。
これまでの初心者然とした手品は、ミスディレクションだったのだ。
僕が、種を知っているマジックの披露にどういう態度を取るべきか悩んでいる間に、御法川さんは大胆にも服を早着替えにするというマジックを成立させてみせたのだ。
僕はなんだか感心したようなため息を思わずついてしまっていた。
「いや、感服しました。全然気づきませんでしたよ」
そう言って、御法川さんのマジックを褒める。
御法川さんは僕の心からの賞賛を嬉しそうに受け止めている。
「あの、バレバレのマジックも、やはりわざとそうしていたわけですよね。まんまとひっかかってました」
しきりにうなずいて、僕はそう言う。
完敗であった。
そう思って口にしたのだが、御法川さんはいきなり表情を固くして、
「え?」
「え?」
ぽつりとつぶやくように、彼女は言った。
「トランプと紙袋、バレバレだったのかい……」
どうやら、あれも彼女なりに本気でやっていたらしかった。
しばらく、落ち込む御法川さんのフォローに時間をつかったことは、言うまでもない。
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