第11話 過去・出会い

「私は寝落ちすることがよくあるんだけどね」


 見知らぬ女性は唐突にそう言った。


 僕は何をするでもなく家近くの公園のベンチに座り、中心にある時計塔をぼーっと眺めて時間を潰していた。すると、その女は、他にいくらでもベンチがあるというのに、わざわざ僕の座っている横へと腰を下ろしてきたのである。


 見たところバリキャリに見えなくもない、質の良さそうなスーツを身にまとった年上の女性だった。癖のない長髪を腰のあたりまで垂らし、前髪を几帳面なほどにぱっつりと切り揃えている。髪型だけならなんだか真面目そうな人だと思えたが、その顔に浮かんだ軽薄そうな笑みが、うさんくさいという第一印象を揺るがぬものにしている。


 そんな人間が、僕のパーソナルスペースにためらいなく侵入してきた。


 僕はベンチの端の方へとさりげなく距離を取り、わざと不機嫌な声を作って言った。


「……なんですか、唐突に」


 彼女は堪えた風もなく、ひょうひょうとした態度で、


「私は今、暇しててね。で、見たところ、君も時間を持て余しているようだ。ということはつまり、話しかけるっきゃない。そういうわけだ」


 変な人だ。僕はそう思った。


 話し好きのおばあちゃんでもなかなか初対面でこうまで馴れ馴れしくは話しかけてこないぞ。


 僕は念のため、スマホを懐から取り出して、構えた。


「……言っときますけど、妙な事しようものなら、これですよ」


 そう言って、110番を印籠のように掲げた。


 さすがは国家権力。効果はてきめんだった。


 ニヤニヤ笑いを浮かべる女性の顔が一瞬、ひきつった。彼女はしどろもどろに、


「い、いやだなあ、君。妙なことってなんのことだい? さ、さあ、その物騒なものはしまって、私と楽しくおしゃべりしようじゃないか」


 と媚びるような表情で下手に出てくる。


 こんな大人にはなりたくないものだ、と僕は心の中で思う。


 とはいえ、彼女の言う通り、時間を持て余しているというのも事実だった。


 家には帰りたくない。


 まあ、いざとなったら逃げだして通報すればいいか。そう思って、スマホをしまう。


「……で、なんでしたっけ。寝落ちがどうとかって」


 僕が促すと、相手はやにわに活気づいて語り出す。


 見た目はしっかりとした大人の女性だが、キラキラと輝く目が子どものようだ、と僕は思った。


「君もたまにはするんじゃないかい? こなさなきゃいけないタスクが大量に溜まって徹夜続きの夜中とか」


「いえ、あまり」


 幸い、試験前の一夜漬けだとか新作のゲームに熱中して朝を迎えるだなんてことは、いまのところ経験していない。


 彼女は、まるで寝落ちしない人間なんて初めて見たとでも言いたげに目を丸くして、ふっと自嘲気味に笑う。


「健康優良児だねキミは」


 不健康不良成人であるところの彼女は肩をすくめた。


「私はよくするんだけどね。やらなきゃいけないことがたくさん残っているのに、気付けば机に突っ伏した状態に、窓から差し込む朝日の明るさで気付くわけだ。痛む節々。やらかしたと飛び出るうめき声。頬に印字された机に散らばっていたレシートの『魚肉ソーセージ¥149円』」


「はあ」


 僕は気の抜けたあいづちを打った。


 この女性がいったい何の仕事をしているのかはさっぱりわからないが、社会人というのは誰しも大変なのだな、と他人事のように思う。


「これがね、私の中では指折りのがっかりシチュエーションなんだ。タスクが終わってないのに時間が吹き飛ばされた感覚は筆舌にしがたい。いやほんと。度合いで言えば楽しみにしていた原作のハリウッド映画化がとんでもない駄作だったときぐらいだね」


 気持ちはわからなくもないが、僕は短く返す。


「なら寝落ちしないように徹夜なんてしなきゃいいじゃないですか」


 彼女は諭すような口調で、


「君、正論は誰も救わないよ」


 やかましい。


「なら、こんなところで暇潰していないでさっさと課題をこなしに帰るのがいいんじゃないですかね」


 割と直截な皮肉を言ったつもりだが、彼女はチッチッチッ、と舌を鳴らしながら指を振る。


「わかってないねえ。人間、息抜きは大切だよ。よく覚えておきたまえ」


 なぜか上から目線である。


「で、ともかく私は考えたわけだ。寝落ちをしないための発明品をね! それがこちらの――」


 彼女はガサゴソとポーチを漁って、丸められたシートのようなものを取り出した。


「安眠妨害シートくん二号だ!」


 彼女はシートを広げて僕へと示した。


 ホームセンターにでも売っていそうなシートの上にこれまたホームセンターで売っていそうなデコボコとした突起物のようなものが無数に貼り付けられている。


「これを、作業中の机の上に敷いてだね。寝落ちして突っ伏した時には顔に刺さって痛みで自動的で起きる優れものというわけさ、どうだい、いいアイデアだろ?」


 自信満々の笑顔を浮かべているが、僕は思わず突っ込んでいた。


「……えーと、そんなごてごてしたもの机に敷いてたら、作業できなくないですか?」


 僕の言葉に、彼女は手に持ったシートへと視線を落とし、うむ、と一度うなずくと、


「そこは、要改善だな」


 改善でどうこうなる話なのだろうか。


 ――その後も、彼女は話し続けた。そして僕は、突拍子もなく話題が切り替わりまくる女性の話に、なんだかんだ耳を傾けていた。


 立て板に水のように話し続ける謎の女。


 もしかすると、いつの間にか僕の心の中で、ある種の好奇心のようなものが働いていたのかもしれない。


 僕の短い人生において、この手の人間には出会ったことがなかったからだ。


 ひと通り話し切って満足したのか、彼女は唐突に名乗った。


「私の名前は御法川みのりかわ。御法川お姉さんとでも呼んでくれ」


「はあ」


 そこで、御法川と名乗った女性左腕の腕時計をそっと見る。


 彼女はにこやかな笑みを浮かべながら席を立った。


「では、また会おう少年!」


 何か言う暇もなく、僕は立ち去る彼女の背筋の伸びた背中を見送る。


 なんなの、あの人……。


 未知との遭遇に、僕はそう思った。


 ふと、公園の中心にある時計塔を見上げる。


 不本意だが、彼女のおかげで暇を潰せたのは事実のようだった。

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