第10話 鼻歌の謎
「ふんふふーん、ふんふふーん、ふんふんふーんふんふふーん……何だっけこれ?」
いつもの公園のいつものベンチで、郵便ボックスを膝に抱えて座っている御法川さんは、今日も暇そうにしている。
御法川さんがいきなり話を切り出してくることは、蜜柑を食べ過ぎると指先が黄色になるぐらいに当たり前なことであるために、僕はいまさらつっこむことをしない。
「……えーと」
鼻歌とともに問われ、僕は戸惑う。
おそらくは、御法川さんの頭の中のうろ覚えの曲の旋律ではあるのだろう。が、自分にわかることといえばそのくらいだった。
特に音楽に造詣が深いというわけではないので、鼻歌だけではまるでピンと来ない。
これを解読するにはさらなる情報が必要だった。
「他にヒントはありませんか?」
尋ねると、御法川さんは郵便ボックスに視線を落とした。つられて僕も、それを見る。御法川さん宛の、切手のいっぱい貼ってある、ガムテープで密閉された段ボール箱だ。
「これを見て、ふと降りてきたんだ。メロディーがね」
なにかいっぱしのミュージシャンみたいな台詞だな。
しかし、郵便ボックスを見て、か。たぶん、そこから無意識のうちに頭の中で連想して導かれたメロディーであるのだと、僕は推理する。
郵便ボックス……郵便……ゆうびん……。
「やぎさんゆうびん、とかですかね」
とりあえず安直に思いついた曲を口にしてみた。黒やぎさんたら読まずに食べた、のあれである。
しかし、さすがにそんなに簡単な発想ではなかったようだ。
御法川さんは首をひねって難しそうな顔をしている。
「それは『ふふふふふんふふ、ふふふん、ふふふ』だろ? 全然違うなあ」
おそらくは、『やきさんゆうびん』の鼻歌を唄っている御法川さん。
鼻歌でしか歌っているところを見ていないのではっきりしたことは言えないが、正直言おう。
御法川さんは音痴だ。
綺麗な音ではあると思うが、抑揚がなく、全ての音をリコーダーのファでしか演奏していないように聴こえてしまう。
一瞬、まったく別の曲を歌いだしたのかと思ったぐらいだ。
そのため、彼女の供したメロディーラインを参考に、曲を当てることはできない。
さらなる情報が必要だった。
「えーと、他にヒントはありませんか? たとえば、どういう状況でかかる曲か、とか」
うんうんと懸命に思い出そうとしながら御法川さんは答える。
「たしか、音楽の授業で習った気がするんだよなあ。教科書に載っていた気がする」
いいぞ、方向性は見えてきた。いまだ無数に候補は存在するが、だいぶ絞り込まれたはずである。
僕は、次々と候補を上げて行く。
「島唄とか」
「違うねえ」と御法川さんは郵便ボックスを抱き直しながら首を振る。
「ハナミズキ」
「ピンと来ない」彼女は空を見上げて考え込む。
「荒城の月」
「……なんだっけそれ?」御法川さんは困ったように眉を寄せた。
「――」
「――」
しかし、なかなか答えには行き着かなかった。候補を次々とあげつらっても、御法川さんは首を振るだけである。
にっちもさっちも行かなくなって、僕は気分転換に、御法川さんが抱えていたボックスについて尋ねてみる。
「ところで、その段ボール箱、何が入ってるんですか?」
「ああ、これかい? これはね『はるみ』だよ」
急な人名と、彼女の抱える段ボール箱に、そんなはずはないのに、一瞬だけ猟奇的な想像をしてしまう。
「すみません。はるみって誰ですか?」
尋ねると、御法川さんは大げさに身体を逸らして驚いた。
「えーっ! 君、知らないのかい? 『はるみ』だよ? ほら――」
そう言って、御法川さんはその場で段ボールを密閉していたガムテープをびりびりと剥がしはじめた。
開かれたボックスの中身を覗き込むと、中からは輝くようなオレンジ色が。大量の柑橘類だった。
「なかなか希少な品種でね、甘くておいしいんだ。毎年この時期になると送られてくるんだが、これが楽しみで楽しみで」
パッと照らされたような明るい表情で説明する御法川さん。
どうやら『はるみ』とは、蜜柑の品種のひとつであるらしかった。
へえ、と思いながら眺めていると、とつぜん、御法川さんがあごに拳をあてて真剣な顔で考えこみはじめた。さながらオーギュスト・ロダンの『考える人』である。
「はるみ……はる……郵便……ゆうびん」
そして、彼女はがばりと顔を上げ、
「思い出した!」
とそう言った。
「え?」
「『春よ、来い』だよ! ゆーみんの!」
知ってる曲だった。かなり有名なやつだ。
――つまり、郵便から『ゆーみん』への連想ということだろうか……。
「ふんふふーん、ふんふふーん、ふんふんふーんふんふふーん。はーるーよー」
しかも最初の鼻歌、サビ前だった。
ふつうそういうのって歌い出しかサビを歌うもんじゃないの……。
「いやあ、なかなか思い出せなくて小骨が喉に刺さっているような気分だったが良かった良かった。すっきりしたあ」
朗らかな表情を浮かべる御法川さんとは対照的に、僕はなんだかすっかり気が抜けてベンチに深くへたり込んでしまった。
僕に、推理はまだ早かったようだ。
御法川さんは、段ボールに手を突っこんで、つるりとしたオレンジ色の蜜柑をふたつ手に取って、
「ほら、君も。思い出し記念だ」
片方を僕の方へと差し出した。
受け取ったそれの皮を向いて、ひと房を口に放り込む。
「おいしいです……」
「だろう?」
煤けたような内心とは関係なしに、『はるみ』は、甘くておいしかった。
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