混線
パシュカが目を覚ましたのは、先生が出て行って少しした頃だった。木の実に似ていると話された目が半日ぶりに外の世界を映す。とはいっても、そこは今までの森とは違う、人の手で作られた家の中だ。
クラムはパシュカが起きたのに気づくと、本を読んでいた手を止め栞を挟み、少し離れたソファに座った。その体勢のまま見つめる。起きたときのために、リビングのドアと窓は閉め切ってあり、キッチンへとつながる狭い通路には椅子を置いてバリケードができている。完璧だ、と満足しながら、その動向を見守る。
パシュカは最初キョロキョロとしてからそっと自分を包んでいた毛布を降りた。匂いを嗅ぐような仕草を所々でしながら部屋の壁際に寄る。
怪我のために足取りはおぼつかないが、調子は悪くなさそうだ。
観察していると、途中パシュカはクラムに気づいて固まった。互いに見つめ合う時間が少し続いたが、クラムが何もしてこないのがわかると、また少し離れながら部屋の探索を再開させた。
キッチンから奥へはバリケードによってきちんと入れないのが確認できた頃、ドアのリングが打ち付けられる音がした。
シーバリさんたちが着いたのだろうか。
でも先生が一緒なら、ドアを鳴らさなくても良いのでは、と疑問はあったが、クラムはパシュカを驚かすことのないようそっとリビングのドアに近づいていき、音を立てずに廊下に出た。玄関のドアを開けると、シーバリとダスキート、いつもの気のいい若者が立っていた。だが思っていた人が一人いない。
「あれ? 先生はいませんでした?」
「ああ、あの人は…」
とシーバリが何か言いかけた時点で後ろからガバッとダスキートが口を塞いだ。シーバリがモゴモゴとしている。
「魔法使いはそのままちょっと出掛けると言ってたぜ。しばらく戻らないんじゃないか?」
「そう、ですか」
返事をすると、ダスキートは肩を組んだように腕の位置を変えシーバリとぐるりと後ろを向いた。
「言うなって言われただろ?」
「まだ何も言っとらんじゃろ!わしは口は硬いほうじゃ!」
こそこそと話すその姿は違和感だが、会話の内容はクラムには聞こえない。クラムは何か事情があることはわかったので、いつも通り何もなかったように笑顔を見せる。
「今日で木戸の修理が終わると聞いてます。ありがとうございます、よろしくお願いします」
手を体の前で組んで挨拶をすると、シーバリも振り返って笑った。
「おう、任せといとくれ」
グラスバードはローブの男と海のそばの岩崖へ来ていた。灯台の真下付近、知らなければ降りることができるとわからないある一角で、グラスバードが岩壁に触れ、押し込む。すると、岩だったものがまるで……力が溶け込むように厚い木の板になり、ドアとしてその場所を通した。
「すごいですね。魔法使いの力を見るのは初めてです」
男は落ち着いた声のまま本当に感激しているように言うが、グラスバードは表情を変えないまま奥へと進む。男も入って来たのがわかると、手首を動かして男の後ろのドアを閉めた。その手をそのまま道の方へ振りかざすと、道の両脇に備え付けられていた蝋燭が一気にほうっと灯る。
男はまた感心したが、気にすることなく奥へ向かう。部屋はもう見えている。先ほどのですでに部屋の灯りとなる蝋燭の炎もつけられていた。
部屋には窓はなく、無機質に四角く切り取られたような空間だった。広さはリビング程度だろうか。空気は冷たく、だからといって寒いわけでもない。壁には額縁に、何かしらの記号のような、文字のようなものが書かれた絵がぐるりと四方を囲むように飾られている。
「魔術ですか」
その通りだったが、グラスバードは答えない。この空間は外界とは魔術で隔絶されている。魔法のみ、この部屋には外界から通らない。そういう場が必要だった時代に、師匠が作ったものだ。
部屋の中央は、長いテーブルが一つ置かれている。その両端に一つずつ置かれた椅子の片方に、グラスバードは腰をかけた。男の方は、促されずとももう片方の椅子の元へ行き、ローブを脱ぐ。上質で気品のある着衣になったその姿は、もはや用心棒というには気高すぎる。
男が腰をかけ向かい合うと、一気に空気は張り詰めた。が、男は柔和な笑顔を作る。
「改めて、お会いできて光栄です。西の魔法使い殿。直接にお会いするのは初めてですね」
その言葉だけで検討は確信に変わったが、グラスバードは揺らがない。
「先に名前を名乗っていただけるか、話はそれからだ」
そうして名を聞く。わかっていて、決して会いたくはなかった人間の。
「これは失礼しました。はじめまして。私は協会本部で育成部隊長をしています。ザラス・ターガと申します」
気品ある、ハッキリとした物言いで男はクラムの『先生』の名を告げた。
クラムは家の中でパシュカとの時間を過ごしていた。外からは修理の音が聞こえる中、最初はその音に驚くこともあったが、だんだん慣れたのか部屋の中の探索を二周ほどした後、キッチンのバリケードとして置いてあるイスのそばをウロウロとし始める。立ち上がるような仕草を見せることもあり、しばらくそこにいる様子を見てクラムも首を傾げる。
どうしたのだろう。何か気になることでもあるのだろうか。
そこでハッと気づく。
「そっか、ごはん」
昨日から、いや、あの状態だったのだから、いつからご飯を食べていないかわからない。クラムは立ち上がる。鼬が何を食べるか教わったことはあるが、どうにも思い出せず眉を寄せる。頭を抱えながら本棚を探すが特に参考になりそうな図鑑などはない。
「どうしようかな……」
少し立ち止まり考えた末、やはり先生に聞こうと思い立ち、探しに行くことにした。パシュカに気づかれないようにリビングのドアを開ける。
「すぐ戻ってくるから、待っててね」
そっと呟いてドアを閉めるその時、外からどすんと地面に何かが落ちる音が聞こえた。クラムにはそれが人が落ちたときの音だとすぐにわかった。外からダスキートや若者の声がしてくる。
玄関の方を振り向き、走って外に出る。家の角を曲がり音のした方へ回り込むと、腰をさするシーバリとそれを覗き込むようにする二人の姿があった。
「大丈夫ですか、落ちた音がしましたけど」
クラムはひとまず大事ではなさそうな光景に安心し、歩いてそばに寄る。シーバリは痛そうな表情だが笑いかけてくれる。
「ああ、大丈夫じゃよ。このくらい慣れとるから」
「いや慣れられたら困るぜ、爺さん。ほんとに大丈夫か?」
ダスキートが呆れ顔でさらに足を屈めて尋ねる。シーバリは「なんのなんの」と力こぶを見せる仕草をする。
「あと少しで仕事が完成するさね。頑張らんとね」
そう言ったかと思うと立ちあがろうとするが、あ痛てててと座り込んでしまう。ああ、とみんな手を伸ばす。結局背に触れて支えたのは若者だった。
「指示だけくれたらあとやりますから、座っててください」
シーバリは眉尻を下げ、「しかしだねぇ」とどうにも納得のいっていない子供のような表情をする。
その様子に、ダスキートがわざとらしく大きな仕草で頭をかいて仕方ねぇと向き直る。
「ここで大人しく指示だけ出してくれたら、仕事継ぐの考えてやってもいいぞ」
提案すると、シーバリはキラキラと目を輝かせた。「ほんとうか?」「ああ」と何度か確認のラリーが飛び交い、その様子に大丈夫そうだなとクラムも苦笑する。シーバリが満足したような笑顔になって、座ってあぐらをかいたままクラムの方に向き直った。
「お嬢さんもすまんかったね、もう大丈夫じゃよ。落ちた音がしたから来てくれたんじゃろ?」
そこでクラムはあっとなる。用事があるのを思い出した。
「先生どこに行ったかわかりませんか、方角とかだけでもいいんですが」
尋ねるとダスキートがぎくっとした様子になった。クラムは首を傾げる。
「何でそれが知りたいんだ?」
「先生に鼬が何を食べるか聞きたいんです」
「鼬? 何で鼬の食い物なんて知りたいんだ」
「今家にいるんです。怪我したのを保護してて」
ダスキートは「あー」と何かを考えるように遠くを見た後、思い出したように振り返る。
「あれだよ、ネズミ」
「ネズミ……」
クラムはこめかみに手を当てる。ネズミを食べるなら罠をかけられる必要はないのでは? ネズミ用の罠にかかってしまったのだろうか。
すると話を聞いていたシーバリさんが口を開く。
「あんたそりゃ、卵じゃないかい?最近鼬が倉庫や小屋に入って卵やソーセージを食い荒らすもんだから、困ってるって村の人らが言ってるのを聞いたことがあるが」
「あー、ならそれかもしれないな」
腕組みしながらダスキートが答えるのを見て、クラムもそれならあの状況になるかもしれないと納得する。それに、卵やソーセージなら今家にもあるから好都合だ。
「ありがとうございます、中に戻ります」
おう、とダスキートが片手を上げ、三人は作業に戻る。クラムは家の角を曲がり、元きた玄関の方へ回ったが、そこで家のそばの草原に何かが動いているのを見つけた。草の動き方からして虫などではない。目を凝らすと、茶色く小さな生き物がいる。見間違えることはない、それは家の中にいるはずのパシュカだった。
え、何でと思うが、回想してみれば、そういえばシーバリの落ちる音に気を取られたとき、しっかりドアなど閉めていなかったかもしれない、と思い至る。捕まえようと頭を切り替え体勢を低くしたが、動く小さな影は開けた草原ではなく、家の影の方に戻ってしまう。外へ出たはいいものの、ここが森でないことに驚いてしまったのだろうか。
クラムはパシュカの見えなくなったあたりの草元を探したが、特に姿が見えず、家の中を探すことにした。シーバリたちの元にも戻り、一応事情を話し、外で見かけたら伝えてもらうようお願いをする。彼らは快く承諾してくれた。
玄関の戸をしっかりと閉じると、クラムはパシュカの捜索を開始した。
部屋の中には何もないが、外の潮風が岩壁にぶつかる音が微かに響くので、話をしていない間も無音というわけではなかった。
無数の蝋燭に照らされてはいるものの薄暗い部屋の中で、対峙する二人の男はどちらも異様な貫禄を湛えていて、この場には似つかわない空気に包まれていた。
止まった空間の中で先に口を開いたのは金目の男の方だった。
「私のことをあの子に会わせないおつもりですか?」
いきなり本題の裾を掴んでくる内容だった。そんなのが無理であることをわかっていて、あえて聞いてきているとわかる。
「会わせはする。だが先に聞くことを聞く。何の話をしにきた」
男は笑みを見せながら軽く下に視線をやる。
「話のネタはたくさんありますから……まあ、ゆっくり話していきましょう」
時間がかかった方がいいでしょう?貴方にとっては。と、その言葉には答えない。グラスバードは冷たい表情のままだ。男は肘掛けの腕をそのままに手の指を体の前で組む。絵画のうちの一枚に目を向けた。
「あのダスキートという人は、クラムの稽古相手をしているそうですね。少し話を聞きました。都の元傭兵だそうで、体躯も申し分ない。実力もあるでしょう。ちょうど良い、ありがたい巡り合わせです」
金目がグラスバードを見る。
「貴方も、そういう存在だったと思っていますよ」
グラスバードは片眉を上げる。
「どういう意味だい」
「良い巡り合わせでした。傷ついていた一年前の、私の弟子にとって」
その発言で完全にわかった。この男は喧嘩をしにきている。だがまだそれを始めるわけにはいかない。
すでに空気は冷ややかだが、冷静でなければならない。クラムのことはこの場の二人にとっては真の本題だが、社会に生きる者としての話は別である。そのためにこの男は来たはずだ。
「貴方が話しに来たのは件の嵐のことではないのか」
グラスバードが話題を振ったことで、自分の姿勢が伝わったことに男は笑い、やっと話ができるようになったと答える。
「ええ、もちろん。その話もありますよ」
茶もないが、ひと通りの話が終わるまではこのままだ。件の嵐とは、先日の木戸のがたつきに気づき、クラムが夢にうなされた日のもののことである。
「あの嵐で生まれたアーバンリキュガルによって、都の方では少し騒ぎがありまして。とは言っても、本物の賢人ではない者たちを炙り出せたといいますか」
賢人というのは、特別何か称号を与えられてなるものではない。アーバンリキュガルが本能で判断し喰らおうとすることで初めてわかる存在だ。襲われた人を見て、知る人はわかるのである、その人は賢人であると。
アーバンリキュガルに襲われる賢人は皆すばらしき人であり、尊敬を受けた。いつからか逆説的に、アーバンリキュガルに襲われる者は賢人である、と言われるようになった。まるでその現象が称号かのように。
賢人と呼ばれれば、社会的に力ある地位につきやすくなった。だからこそ、それを利用しようと自ら名乗るものも少なくない。
その件で炙り出せた、という話だろう。つまり賢人を名乗りながら襲われることがなかったのだ。
「助かりましたよ。守護者として協会の者を寄越せとなかなかしつこい輩でしたから。それも体裁のためでしょうから、聞かなかったですがね」
男は一つの絵画が気に入ったようで、話す間じっとそちらの方を見ていたが、柔和な笑みを見せてグラスバードに向き直る。
「ありがとうございました」
それが何に対する例かは、わからないとはグラスバードは言わない。男は天井の方を見る。
「この灯台と、貴方の意味を知る者も、協会の中ではだいぶ少なくなりました」
この男がそれを知る一人だというのはグラスバードもこのとき初めてわかった。
「嵐を都に流しましたね。受けずに」
一瞬時間が止まる。グラスバードは何も答えない。わかってて相手は言っているからだ。まだそのときではないため、「クラムを戦わせたくありませんでしたか?」とは男も言わなかった。
「この件があって、今回のここへの視察の打診があったのは事実ですが、決定の判断を下し、私がここへ来たのにはもう一つ別の事情があります」
言って男は懐から一枚の封筒を取り出し机の上に置くと、見せるようにスッと指でまっすぐにそれをグラスバードに向けた。
何かはすぐにわかった。クラムが協会への報告として出している封筒だ。ついているシーリングからして、一昨日に飛ばしたもので間違いないだろう。
「これを読んだがらです。貴方はおそらくお読みにはなっていないでしょう」
お読みになってください。そう言われたが手を伸ばさないでいると、男は笑った。
「律儀なお方だ。あの子に対してだけでしょうが。お読みになってください。でなければ話が進まない。大丈夫です、中身はただの報告書ですから」
グラスバードは少しの間黙ったままだったが、右手を前に伸ばすと、指先を招くように曲げる。すると封筒は吸い込まれるように彼の手に一直線に渡った。
ザラスは笑う。魔法の力の凄さと、自分に近づきたくないグラスバードの意思が透けるようにわかるからだ。
手紙の文字を目で追うグラスバードは真剣だった。クラムの報告書を読むのは初めてだった。美しい字で、書かれている内容は淡々と事実を伝えるものだったが、自分の聞いてはいない事実も詳細だった。読み終わると、グラスバードは顔を上げザラスを見た。
ザラスは口角を上げる。グラスバードにも、何の話が始まるのか、あらかたの見当がついた。
「論点は二つです。一つは貴方が焼いた『襲ってこないアーバンリキュガル』について。二つ目はそのアーバンリキュガルが『喋るように口を動かした』ことについてです」
そして、先に申し上げておきますが、とザラスはテーブルに組んだ手を乗せる。
「どう口を動かしたのか聞かなければならない以上、私は絶対に、クラムに会わねばなりません」
意志の強い金の瞳がグラスバードの表情を見つめる。部屋の蝋燭の火は揺らぎ、まだ消えることはない。
クラムはパシュカの捜索のため、家の中を探し回っていた。いつも朝、天気がいい日は風を家の中に通すために窓とドアを開けているのだが、それが災いした。リビングの戸を閉め忘れていたことで、どの部屋にでも出入りできる状況になってしまっていたのだ。
仕方ない、と棚に置いてある薄紫の砂粒のようなものが入った小瓶を手にとった。昨日の夜、もし野生の牙をむかれそうになったら使いなさいと、先生が置いておいてくれた動物用の眠り薬だ。
パシュカを見つけたらこれを振り撒こう。ずっと眠っていたのにまた眠ってもらうのは悪いけれど、入ってはいけない場所やイタズラされるわけにはいかないものも、先生の魔法の欠片が散らばるこの家には至る所にある。
その事情もあり、クラムは最初に荒らされては危険性の高い先生の部屋を探し、ドアを閉めてしまうことにした。
「では先に、後者の話からしましょうか」
会話の主導権は今はザラスにある。グラスバードはクラムの手紙を握ったままだ。
「言葉を話すような仕草を見せた、ということについては、言わずとも貴方はわかってくださるでしょうが、それだけでも脅威です」
ザラスの顔を照らすのは、複数の揺らぐ蝋燭の炎だけ。
「この内容は私の信頼のおける、ごく一部の者だけで秘匿されています。クラムにも伝えなければなりませんが、わかる人間からすれば、これは報告書ではなく電話か直接伝えなければならない内容です」
例えば何かの事故で、どこかで紛失されたこの手紙を誰かが読んでしまったら、そうして広まってはいけない内容ということだ。
「信じやしない、素人はね」
「そう、素人は。素人でなければ困る。例えば……」
「協会の子どもたち」
ザラスが言う前にグラスバードが答えを言う。ザラスはにこりと笑う。話が伝わることを喜んで。
協会の呼ぶ「子供」には年齢は関係ない。何歳だろうと、子供たちと呼ぶのである。大人にならせてもらえなかった者たちのことを。
「協会の子どもたちは、皆優しい子たちです。言葉を話し知性を持つ、その可能性があるというのを感じ取ってしまっただけでも揺らぎが出るかもしれない。アーバンリキュガルとの戦闘というのはああ見えてかなり神経を使うものです。少しの迷いや判断の揺らぎも命取りになりますから」
手を組んで顔の前に持ってくると、口元を隠すようにして、まっすぐにグラスバードを見る。
「それに、動かした言葉の内容も気になるところです。あの子には口読は教えていませんから、読み取れなかったのでしょう。ですが口の動き方は覚えているでしょうから、やってみてもらえば、私にはわかります。ここでわかる事実によっては対応が変わります」
ただ、この話については後に回しましょう、と区切りをつけ、二つ目の論題について話を始めた。
「貴方が焼いたのが前者と同じアーバンリキュガルであるのはわかっていますが、まずいことになったかもしれない、というのをお伝えしておきたい」
「理由は」
「それがアーバンリキュガルにとって『お姫様』だった可能性があるからです」
聞きなれない呼称に訝しげに眉を寄せるとザラスは笑う。
「この呼び方は私もどうかとは思いますが、中々的を射ているのですよ。自らは攻撃しないけれど、殺してしまうと大量のアーバンリキュガルの襲撃が起こります」
「聞いたことがないが」
「あまり事例のないことですから。今の段階では全てが推測です」
全て、という響きに違和感がわく。情報が存在しているのに、全てが推測というのはどういうことか。だがすぐに思い至る答えをザラスが口にする。
「この事象に会った者は皆、いなくなっているのです」
ザラスはさらに懐から一冊の古いメモ帳を取り出した。革の表紙はボロボロになっている。
「残っている情報は、実はこの手記だけなのです。皆、跡形もなく消えてしまうから。行方不明、とされるしかない。推察し、そのような存在がいるとされ、秘匿されてきました」
「何故公にしない」
言ってまたすぐに思考は至る。
「……襲わないことそれ自体が知性だからか」
「ご名答」
さすが魔法使い殿、とザラスは満足そうにテーブルの面に目を向ける。
「襲わないアーバンリキュガルは、誘い込んでいる、に近いと思います。基本的に単独の行動になる協会の子たちは助けも呼べず、むしろ呼ぶことなく、その者への対処としてある一つの答えに辿り着く」
ザラスが組んだ指で手の甲を叩く。
「その者と地の果てに消えることです」
何故か皆、その答えに辿り着き、消えてしまう。攫われるのか、海に落ちるのかはわからないまま。
グラスバードはあのときのクラムの姿を思い出した。弓矢を持って丘の上に立ったとき見えた、アーバンリキュガルを追う彼女の小さな後ろ姿を。
「襲撃がいつ起こるかは定かではありませんが、近いうち、確実に起こると私は考えています。それを観測、記録することが、私がここへ来た理由の一つです」
グラスバードはザラスを見た。ザラスは揺らぐ蝋燭の火を目の端に写したまま、テーブルの面を見続けている。
「こう見えても、結構重要な役職ですから、私自らが動くための上の説得には少し骨が折れました。何とか来れましたがね。この事象については、記録や証拠があまりにも少ないのです。秘匿するにはしても、何が起きるのか確実にはしておきたい」
前屈みになっていた体を伸ばすように姿勢を戻し、口元から手を離す。
「襲撃が起きたとしても、貴方のことは心配していません。炎の力のことは存じていますから。問題はクラムです」
グラスバードの目にも、小さな炎の影は揺らいでいる。
「あの子はこのままでは襲撃に立ち向かうでしょう。真面目で優しい子です。貴方を守ることを使命と感じている。実際協会の子どもたちはみんなそうですから」
グラスバードもそれは嫌というほどわかっている。そして今の社会の中で、彼らが自分の心と生活を守る方法がそれしかないことも。
「事前に説明をしたとして、貴方が襲撃されることを傍観していられるでしょうか。貴方がその全てを焼き払うことができるのを見たとき、彼女が何を感じるか」
無力感だろうか。絶望だろうか。起こる事実そのものよりも、そこから響き残るものが彼女のこれからに何を与えるかが懸念される。
彼女に任せること、彼女次第と無責任な人間は言うだろうが、彼女は一度折れている人間だ。そういう子は、性質からしてそうだから、二度目がないとはいえない。
「それに、もう一つ問題があります」
潮風が少し流れ込んできたような感じがした。空気孔はあるが、それとも違う冷ややかな風だった。
「これが一番重要な問題ですが……クラムはもう、戦えないかもしれないのです」
重たく厚い木のドアを閉め、隙間も揺らぎもないことを確認する。クラムは片手で肘を支え、もう片方の小瓶を持った手を口元に当て考え込むようにする。
先生の部屋にはいなかった。リビングにも廊下にもいない。二階にもいなかった。
外からは特にパシュカを見かけたという報告は入っていない。もしかしたら人ではわからない道を通ってもう見えないくらい外へ行ってしまったのかもしれない。もともと野生に返すつもりだったのだからそれでも構わなくはあるが、もしまだ近くにいるのなら、傷が治るまでは置いておいてあげたい。
しかしどこにいるのか、廊下を歩きながら掃除庫の薄い戸を開けたとき、カタンとどこかから音がするのが聞こえた気がした。微かな感覚を頼りにその方を向く。
目線の先には灯台へのドアがあり、それが小さくだが開いている。まさか、と思いながら駆けていく。そっと中へ入れば冷たい石の空間が広がる。中を照らしているのは外の薄い陽の光のみ。上を見上げるが、静かな階段が続いている。この長い階段を登るだろうか。
ドアを閉め、一応と硬い石の面を四十ほど踏み上まで登った。潮風が通り、青い空といくらかの小さな白い雲が見えるだけで、生き物の気配はしない。やはりいないか、と見回してから階段を降りていく。灯台にいるとして、上以外に場所はない。
階段を降り切ってから、また一応のように階段の反対側に回り込んで奥まで見てみる。普段は気にも掛けない場所だ。細い通路が少しだけ続いている。そこで、視界の中に違和感を覚えて目を凝らす。
電気が無いため先の細い通路は他の場所よりも一段と暗いが、見えなくは無い。壁際から開いている一枚の木の板が見えた。近づいてみれば思った通り、それは灯台の中心へ入るような形になっているドアだった。
「こんなのあったんだ……」
先生からは聞いたことがない。ドアを開けると、暗い空間で、下へと細い階段が続いている。クラムは息を飲んだが、他にパシュカがいる場所に見当もない。
(ここを最後に探して、いなかったら外を見回ろう)
そう決めて、灯台の小さな蝋燭に火をつけ、クラムは長い地下への階段を降りて行った。
*
炎たちの一つ一つは小さくても、グラスバードの受け継いだその炎は、強い光を湛えている。まるで決して消えることがないかのように燃えて。
男たちは対峙し、紺色の目は懐疑に歪んだ。
「戦えない、とはどういう意味だい」
ザラスは先ほどまで見ていた絵画に、目を移した。
「ここで話を一つ前に保留したものに戻しましょう。あの子がアーバンリキュガルに何の言葉を掛けられたのか、という話です」
ザラスは始終穏やかであった。まるでこの結末の矢印は自分に向いているのを確信しているかのように。
「何も意味なんてないのかもしれない。何か言ったのも、見間違いかもしれない。それでも言葉を発していた場合、考えられるのは呪いか誘いを受けたことです」
グラスバードは眉を顰めた。悪魔と対峙する以上、考えられる可能性だ。ただし、高等で知性のある悪魔と。アーバンリキュガルがそうとは思えない。
「私は、協会で子供たちの育成に携わるのとは別の顔も持っています。何だかわかりますか?」
急に変えられた話に、グラスバードは剣な表情のまま答えない。
「アーバンリキュガルの研究者です。細かく言うと、伝記・伝承研究の中で、悪魔に関する研究、その対象がアーバンリキュガルである、といったところでしょうか」
だから悪魔に関する知識は深い、ということかとグラスバードは言葉を聞く。
「子供時代、単純に最初に興味を持ったのはそちらが先でした。祖父の血だったのでしょうね。祖父もその類の研究者でしたから。実はですね、アーバンリキュガルが雨雲を伝い地上に生まれ出るというのを提唱したのは祖父だったのですよ。それまでも伝承には載っていましたが、きちんと研究されたことがなかった。きちんと調査し、事例を集め、論文として発表したのが祖父です。それにより、一般の人の危機管理の能力も上がり、協会の子供たちは戦いやすくなりました。すごい成果でしたよ。それを見ていた私もアーバンリキュガルの研究をし、そのうちに協会に流れ着いたのはきっと必然でした」
淡々と身の上を話していく目の前の男の意図が読めずにいたが、グラスバードは途中で考えるのをやめた。おそらくこの話に意図はない。流れで綴っているただの会話だ。
蝋燭の炎が揺れて、ザラスの視線がグラスバードに向き直る。
「実は、我々は子どもたちに戦いを教える際に指導してることがあるのですよ。『アーバンリキュガルを見過ぎないようにする』ということです。具体的に言うわけではありません、懐疑ですら戦えなくなりますから。そういう方法になるような戦い方を、きちんと教えているのです」
ただ、と声が一段低くなる。
「『お姫様』に会ってしまった場合は別です。やりようが無くなってしまう。実際、クラムもそうだったでしょう。打つ手がなくなり、助けを呼びに行くわけにもいかず、見続けた。これでもかなりまずい。悪魔を見続けることの危険性が、貴方にはわかるでしょう」
普通は目を逸らす、恐怖を感じるはずの対象から逃げないというのは、一種の自身の心の破壊なのだ。それが長く続けばどうなるか。
「暗示に掛かった、というのか」
「可能性がある、というだけでも、もう駄目なのですよ。もう戦えないかもしれない、という可能性のある子を、あなたは死地に送れますか」
疲れたようにザラスは目を瞑る。
「とは言っても、正直なところ、他の子ならここまでの対処にはなりません。この生き方を授けられ、世界を生きれたら、それでどんな幕切れになろうと、運命で本望だからです。幸福なのですよ、本当に。でもクラムはそういうわけにはいきません」
薄く開いた瞼から、金の目がグラスバードを見る。
「あの子は、『賢人に至る者』の可能性があるからです」
クラムは階段を降り切ると、暗い空間を照らそうと小さな蝋燭を持つ手を伸ばした。空間が、棚や机があることから部屋らしいことはわかった。そして、たどり着いたときからカサカサと物音がしているのも感じている。
パシュカでなかったら困るが、音からして少し大きめの生き物であることは間違いない。パシュカであることを願いながら、音のする方へそっと近づいていく。
ガサガサと音のする、開いた棚の下あたり。心の中でよーしと言いながら用意していた小瓶の蓋を取り構える。
幸いなことに、軽く照らされた棚の下からは、こちらに見向きすることのないパシュカの尻尾が見えた。それを視界にとらえた瞬間、そこを目掛けて粉を振り撒く。息を止めた静かな一瞬だった。本当に耳のいい生き物なら、今この瞬間には床に粉が落ちる音が聞こえているだろう。
少しして、よく照らすために床に屈み蝋燭をその場所に近づける。足がくったりと下について体が倒れているのが見えて、成功したようだった。
安心して手を伸ばす。柔らかな毛並みと温かさの感触が手のひらから伝わってきて、思わず笑みがこぼれてしまう。実はずっと触れたかったのだ。そうして眠るパシュカを腕に抱きかかえたときだった。
微かに壁の方から何かが聞こえた気がした。何かと思い、パシュカを抱いたまま棚の横の壁に寄る。人の会話が聞こえた。聞こえた声は先生のものだった。誰かと話しているのだろうから盗み聞くのは悪いと思い、離れようとしたが、次に聞こえた声に動きが止まった。
嘘かと思った。逡巡し、だけれど確かめるため、そっと耳を壁につけた。耳と頬に冷たい感覚が伝わった。
岩壁に当たる強い潮風の音が、グラスバードには聞こえる。目の前に座る男に、それが聞こえているかはわからない。
「手紙に書かれています。あの子、夢を見たでしょう」
いまだグラスバードの手に握られている手紙の中には、確かに体調に関する報告について、嵐の夜に夢を見てうなされた事と、その夢の内容も書かれていた。
「あれは賢人に至る者が見る夢です。貴方も私も、そうでしょう?」
世界が引き込む夢だ。先にいる「誰か」は、先の賢人か、誰かはわからない。ただ広い世界の中で、自分を呼んでいるような、そんな夢。
グラスバードは少しの間黙っていたが、おもむろに、しかし確固たる意志を持って言葉を発する。
「私は、彼女が『賢人に至る者』であるから欲しがっているわけでも、そばに置いているわけでもない」
ザラスは笑みを見せる。わかっていますとも、と。
「あの子と相性が良かった、そういうことでしょう」
何か確実な合図があるわけではない、だが段々と始まっている。二人の本題は。
「もし賢人に至る場合、彼女は保護対象になります。何としても守らねばならない。協会の者でありながら賢人に至れるなんて、私以外には前例のないことです」
グラスバードはザラスを見た。何となく気づいてはいたが、やはりこの男も賢人なのだ。
穏やかに、けれど喜ばしいようにザラスは口角を微かに上げる。
「つまりですが、協会としては、クラムを都に戻し、私の元に完全に着かせたいと考えているのですよ。もちろん、それは私としても」
場の空気が一気に冷えたのがわかった。グラスバードは魔法を使ってはいない。だが、魔法とは自然との契約であるので、繋がっているグラスバードと空気の温度が下がったのは何か作用しているかもしれない。
「細かく事情を説明するより、協会からの命により、という理由で都へ帰還させる方が楽でしょう。あなたにとっても、クラムを戦わせずに済む」
グラスバードの目は冷え切っていた。視線に射られてもザラスは笑みを絶やさない。
「私はあの子を手放す気はない」
グラスバードの言葉に、ザラスはくすりと笑う。
「それは貴方の意思でしょう」
「そうだとも。最後に決めるのはあの子だ」
少しだけ、ザラスの表情から笑みが消える。ここまで勝ちを確信していた結末に揺らぎを感じたからだろうか。
「ずいぶん、自信がおありのようですね。クラムが自分の元に残る判断をすると」
「さあね。私は性格が悪いから、どんな手を使っても行かせない気でいるかもね」
少しだけ部屋の中に風が起こる。今度のものは外の潮風ではなくグラスバードの魔力によるものだ。ザラスは笑みを深める。
「で、あるとするなら、私も力尽くでもクラムを連れ帰らねばなりませんね」
冗談か本気か、グラスバードより掴めないかもしれない男は笑う。
「そういえば、あのダスキートという人に聞きましたが、あなたは人間嫌いで通っているようですね」
でも、と冷たい金の流し目をグラスバードに向ける。
「あの子の方がずっと、人間のことなんて大嫌いかもしれませんよ」
そうしてザラスは語り出す。自分の知るクラムのこと、クラムと出会ったときのことを。
*
ザラスが初めてクラムに会った日は、雨が降っていた。ザラスは仕事の用で、普段は歩かないその道を足早に歩いていた。
ある交差点に来たとき、ザラスはその少女を見つけた。目についた、という方が正しかったかもしれない。少女は信号を待っていたが、片方が赤に変わり、自分の方が青になっても歩き出すことがなかった。ただじっと建物のそばに立ち、自分の先にある白と黒の道をじっと見ていた。
ただ誰かと待ち合わせているだけだったのかもしれないが、それにしては何も暇を潰す素振りを見せていない。固まったように立っている。ザラスはその少女のことが気に掛かり、少し様子を見守ることにした。
少女は制服を着て、学生鞄らしい革のリュックを背負っていた。リュックの紐を手でぎゅっと握っていた。制服には見覚えがあり、近くの中等学校の学生だとわかった。
時計の針が半刻進み、信号の赤と青の光が十数回の入れ替わりをしたとき、ザラスは交差点を渡り、少女の前に立った。朝で人通りも多かったが、それまで彼女に気づき、話しかける者は誰もいなかった。皆自分の人生と目的があり、忙しいのだ。
「こんにちは」
隣に行き声をかける。近づいて彼女の表情を見ていたときからわかっていたが、声をかけて近くで顔を見て、自分の推察が正しいことがわかった。
ザラスの声に反応せず、無表情で一点を見つめたまま固まり続けている。それは自分の知る中では場面緘黙の症状だった。何かのきっかけで、突発的になってしまったのかもしれない。
しかしこのままでは、登校時間を過ぎて、見つかったり騒ぎになるのも時間の問題だろう。それではこの子にも辛い現実が待っているだけだ。ザラスは隣に立ち声を掛ける。
「私は学校に行けない子の支援を仕事にしています。キミを見かけて、様子が気になったので、声を掛けさせてもらいました。誰かを待っているだけだったり、見当違いだったら、気にせずにいてください」
隣に立ち、少女と同じ方向を見る。雨に濡れる世界が見える。
「私は、学校には無理に行かないほうがいいと思っている派閥です。ただ、キミとしては、このままではこの先の現実が辛くなると予測していて、おそらくですが、それが動けなくなってしまった理由の一つではないでしょうか」
学校には行きたくなく、だからと言って家にも帰れず、嘘もつけず、先生にも、親にも言えない。
「世の中的には、カウンセリングに行くことを望まれるでしょうが、私はそれは救いではないと思っています。だってカウンセリングが終わったら家に帰らないといけなくて、学校へ行かないといけなくて、親や家族、先生と会わないといけないですから」
これではどうにもならない。居場所がないのだ。
「……私は、キミに、それらとは違う選択肢を渡すことができます。協会をご存知ですか」
都に住んでいれば、知らないことはない。
「私は協会の関係者です。家に帰らず、学校にも行かず、望むのなら親とも先生とも今この瞬間から、今後ずっと、顔を合わせずに生きていく術と環境をあげられます。協会は学校を持っていて、世間的にも体裁が通っています。そこに寮がありますから、入学するという体でそこに来るのはどうでしょうか。もちろん、寮に来るだけで、学校には行かなくてもいいですし、合わないと思ったらいつ辞めて出て行ってもいいです」
雨は続いていて、道路を濡らす。時刻は九時を回って、通勤や通学の時間が過ぎ、人通りはほとんど無くなった。
「今の生活の状況、状態から脱したいですか?」
この問いの後、少女は涙を流した。目の端から溢れたそれは頬を伝い流れ落ちる。少女はそれを拭うこともなく、声も上げず、ただ一点を見つめて涙を流し続け、そして微かに頷いた。
ザラスはそれ以上は何も問わなかった。予想はあった。彼女は世間と社会の作る義理立にがんじがらめになっている。真面目で優しい子供がよく陥ってしまう落とし穴だ。穴は深く、出ることはかなり難しい。少女の心理状態が限界であるのがわかった。
「もう大丈夫、全て私が何とかするから、キミは安心していい」
そう言ってからは早かった。ザラスは知り合いの精神科医に電話をし、診断書を作り、クラムを家庭と学校から離した。学校にも家庭にも、何も言わせなかった。それだけの権威が、診断書と協会にはあった。
少女は協会の寮に入った。自分の行動や時間の使い方を自分で決める感覚を得た。様々な選択をする権利が自分にあることを学び、実感した。
仲間、自身、他人との感覚や感情の共有による幸福を得て、笑うようになった。少女は協会の子どもになり、アーバンリキュガルと戦うことを選んだ。戦闘技術は飛び抜けて成長が早かった。褒めると尻尾を振るように喜び、驚くべき飲み込みの早さで成長していった。
「クラムは、それまでの周りの人間と環境が、彼女と相性が悪過ぎたのですよ。でなければ、こんなにも善悪がわかり、思いやりを持つ子があんな潰れ方をするわけがない。クラムと共に時間を過ごしながら、私は社会の育成への懐疑ばかりを募らせていきました。だから今、育成部隊長などしているのですけどね」
懐かしそうに笑って目を閉じる。
「あの子は優しい子ですが、他人に深入りすることはほとんどない。私と出会う以前について語ることは私にすらなく、そしてそれが答えだと思っています」
ザラスは話を終えると、グラスバードを見た。だがグラスバードの表情にはまだ冷たさが残っている。その理由が、ザラスにはわからないらしい。
「先の発言から、一年前のクラムが傷ついていると、貴方は知っていたようだが。その原因が貴方にもあるかもしれないと思ったことはないのか」
ザラスは少し目を見開くと、少し逡巡したようだったが、すぐに「なるほど」と呟く。
「そんなことも話しているのですね」
グラスバードは何も答えない。ザラスは困ったように笑った。
「貴方は、あの件をご存知なんですね」
だからか、とザラスは彼の当初からの冷え切った対応に納得がいったようだった。そしてグラスバードがザラスの反応に意外性を感じたのは、その反応はクラムの気持ちを知っていなければ、出てくることのないものだったからだ。
クラムがザラスに恋をしていたという気持ちを。
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