招かれざる来訪者

 カンカンと、金属と木材のあたる音が何度も繰り返されている。ダスキートは若い衆の仕事を見ながらシーバリを待っていた。

 朝、今日もよく晴れ空が青い。だが、どうやら夜の雲行きは良くないらしいと誰かが話しているのを聞き、ダスキートは人を待ちながら珍しく空を見上げていた。

 今日も灯台に行く。窓に木戸をつける作業は簡単に見えたが技巧に職人の技が光る丁寧な仕事で、手伝いをしながらダスキートも感心していた。

 シーバリとしてもダスキートの仕事ぶりは光るものがあると言って「わしの後を継がんか」としきりに勧誘してくる。まあ悪くないかもな、と思っている自分がいるのも事実だった。元傭兵としてこの村を守るのが仕事、ということにしているが、西の端にあるこの村はなにぶん平和だ。やることがないと村の若者に稽古をつけていたら慕われるようになってしまった。

 少し前から休み続けている一人の若者を思い出したとき、聞きなれない靴音がしてそちらを向いた。

「おはようございます。いい天気ですね」

  爽やかな笑顔をしたその男は、昨日都の商人たちと一緒に来た人間だった。「ああ」と答えながら、相手の勘付かないように上から下まで格好を見る。素人にはわからないだろう、質素なデザインだが全て上質な代物だ。

「貴方は元々都の方でしたね」

 ダスキートが自分の持ち物を見定めたのをわかったように言う。片眉を寄せると、男は笑顔のまま若者たちの仕事を見てダスキートの隣に立つ。

「あんた、商人の用心棒だと言ってたが、違うよな」

  ストレートな追撃に男は笑う。

「用心棒でしたよ、あのときは」

  商人たちは、昨日だけ滞在し今日の明朝に帰って行った。この男だけが残っているのだ。訝しげに見ていると、視線をわかっているように言葉を紡ぐ。

「今日はあなた方の用心棒です」

「……必要ないがな」

  この男も今日同行し、灯台まで付いてくる。昨日シーバリにそういう約束をしていた。

『あの灯台はぜひ拝見してみたかったのです。同行してもよろしいでしょうか』

  シーバリは気のいい人だ。快諾した。だが、ダスキートは訝しさが拭えなかった。

「あの灯台には、魔法使いがいるそうですね」

 若者たちが建てているのは新しい家だ。新しく誰かがこの村に住むのだろう。

「ああ、偏屈なやつがな」

  空を見ながら単調に事実だけを伝える。この男には深入りするべきじゃないという直感に従い、考えを決めていた。そうなのですか、と男は笑う。

「実はですね」

  そこで少し間が空いた。ダスキートは思わず男を見てしまったが、男はこちらを見てはいなかった。これは幸いなことだった。驚く顔を見られずに済んだのだから。

「そこに、私の弟子もいるんですよ」


 クラムが目を開けると、白く柔らかい光が視界いっぱいに広がった。しかし光は光としての役目を終えると、ただ景色を見せるだけになった。そこはいつもの、自分の部屋だ。

 布団を剥いで、床に裸足の足を下ろすと、木の板はひんやりと冷たい。姿鏡の前に立つと、荒れた頭を手櫛で解きながら、この部屋を見せる光を入れている窓の方を見た。

 歩いて近づき、窓を開ける。いつも通りの潮風が入り込んでくる。そこでふと、昨日家に連れてきた鼬のことを思い出した。急いで服を着替え、廊下を歩いていく。鼬はまだスヤスヤと丸められた布団に沈んで眠っていた。その様子に安心する。先生の薬草とまじないが効いているのだろう。

 近くにしゃがみ息を潜めてその姿を見ていたが、時計を見上げて初めて、今の時刻が八時半なのを知った。慌てて立ち上がりキッチンへ向かう。

 コーヒーを淹れ、朝食の卵とソーセージを焼く。サラダを白いお皿に盛り付けているところで、先生が朝の灯台の点検から戻ってきた。

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

  エプロンを身につけ忙しなく動くクラムの様子を見てグラスバードは笑う。クラムとしてはそれどころではない。早くしないとお客様が来てしまうのだから。

 とりあえず先生が来客の時間について忘れていなかったようで良かった、と胸を撫で下ろしながら、焼き上がったソーセージと目玉焼きをお皿に滑らせた。

 朝食をとりながら、グラスバードは来客が来たらまた灯台に籠ることを伝えた。

「最後には挨拶のために来るが、それ以外は籠るよ」

  コーヒーを一口飲む。苦味が広がり目と頭が覚める。熱さと味にきゅっと眉根を寄せてから、すぐに表情を元に戻す。

「わかりました、伝えておきます」

「頼んだよ。ああ、あと、あれの様子が悪くなったら、すぐに呼んでくれて構わないから」

  先生は顔を鼬の方に向ける。クラムは笑った。

「わかりました、ゆっくり籠っててください」

  クラムの笑顔を見るとグラスバードは口角を上げ、自身もコップに口をつけた。しかし次の言葉には目を見張った。

「パシュカちゃんのことは、私に任せてください。目を覚ましても私だけでもちゃんとお世話できます」

  自信に溢れた調子で言うと先生は少しむせた。口元に手をやったまま聞いてくる。

「名前をつけたのかい」

「つけたというか、わかりやすいようにしただけです。すぐに森には返してあげますし」

「パシュカとはあれだろう。森に生える木の赤い実だろう」

  はい、と頷きコーヒーを飲む。

「何故あれなんだい」

「目の形が似てるでしょう?色は違うけど」

 クラムはパシュカと呼ばれることになった鼬の方を見る。今は眠っているのでわからないが。目を開けている時の姿を思い出すと、確かに小さくまんまるでつるりと光り、ただ少し、ヘタになる部分が出っ張っているように見えるのが、そうだとわかる。

「……なるほどね」

  目を閉じて納得したようにコップに口をつけると、立ち上がりながら皿を持ってクラムを見る。

「だが、名前をつけると情が湧くよ」

 クラムは「大丈夫ですよ」と答え、自分も食器を片付けるために立ち上がる。

「そういうことにはならないです、私は。弁えてますから」

 クラムの言葉には、自身の経験が投影されている。だからこそはっきりとした響きだった。

 洗い物を終えるとほどなくして先生は灯台に上がって行った。一人になった静かな部屋で、クラムはパシュカのそばに座り、見守ることにした。

 灯台に上がったグラスバードは、潮風の中で広大な景色を眺めながら息をつく。しばらく海側を見て雲の動向を観察していたが、遠くの薄暗い雲は、そのまま反対側の方角へ流れていきそうなのを確認すると、柵に沿ってぐるりと歩きながら、村の方に続く草原へと目を向けた。

 シーバリたちが着く時間のことを考えると、そろそろ姿が見えてきてもおかしくない。そう思ってのことだった。事実、遠くに小さくその姿が見えた。歩いてくる姿に最初は違和感がなかったが、少し近くなると、人が四人いるのが見えた。クラムがきちんと人数分のパウンドケーキを包み飾っていたのを思い出す。

 三人だと聞いていたが、増えたのだろうか。

 思いながらじっとそちらを見ていた。遠くの雨雲によるしっとりとした風が髪を撫でていく。灯台に立つグラスバードのその姿は、影になり外からは見えない。

 時間が過ぎ、こちらへ向かってくる一行の、その姿がはっきり見てとれたとき、グラスバードは灯台を降りた。


 カタリとドアの開いた音がして、クラムは伏せていた腕から顔を上げた。パシュカは目を覚ましてはいない。想像していたより随分早く先生が戻ってきた。立ち上がり、ドアに近づき取っ手に手を伸ばすと、それよりも早く扉は開いた。思わず体を引く。クラムを見る先生の様子がいつもと違うように感じて、かけようとしていた声は出てこなかった。

「シーバリたちには私が対応するから、キミは外に出ないように」

 隙もなくそう言われ、クラムは首を傾げてからやっと声を出した。

「シーバリさんたち、もう来るんですか?」

「ああ、見えた。だがキミはここからは出ないように。いいね」

  クラムの承諾も聞かず言い切ると、ドアを閉めてしまう。声の調子はいつもどおりにしてくれていたが、やはりクラムに有無を言わせない頑とした雰囲気も感じられた。気にはなるが、あんなことは初めてなので、言われた通りにしようと、大人しくまたソファに座りパシュカを眺めた。


 グラスバードは玄関の戸を開け外へ出た。後ろでに手をかざし鍵をかける。

 躊躇いはなかった。強い足取りで草原を歩き、来る商人たちの目の前の行路に立つ。無論、やってきたシーバリたちからもその姿は見えた。陽気に話しながら草原を歩いていた四人だったが、姿を見てまずシーバリが声を上げた。

「ありゃ、こりゃ珍しいね」

 目の上に手をやり、よく見えるようにとの仕草をする。ダスキートもグラスバードが自ら姿を現したのを不審に思ったが、その表情に気づいて押し黙った。

(めちゃめちゃ怒ってるじゃねえか)

 ダスキートは魔法使いがどんな風に怒るかなんて見たことがない。だからそれは感覚というかオーラでしかなかったが、確実に思えた。わかりやすく表情に出ているわけではないが、それでも冷たく強くこちらを睨んでいる。

 しかし若者やシーバリは全く気づいていない。若者に至っては、結局まだグラスバードに会ったことがなかったため、興奮が勝っている。

「あれが魔法使いさんかー!貫禄ありますねー!」

 シーバリはまるで自分のことのようにはしゃぐ。

「そうじゃろ!魔法使いっぽいじゃろ!」

 のんきに噛み合ってるのかいないんだかわからない会話をしている。ため息をつき、もう一人の様子を伺うため斜め前を見た。

 十中八九、魔法使いが怒っている理由はこいつだろう、と男の正体をすでに知っているダスキートは思った。むしろ、知っているから怒っているとすぐにわかったのかもしれない。

 ダスキートは一行の一番後ろを歩いていた。だから見えるのは男の後ろ姿と、少しばかりの表情。

 男の口元は魔法使いを見て口角を上げていた。

 ダスキートは辟易し、空を見上げた。おそらくこの先でエグい展開が待ち受けていると予測できてしまったからだ。クラムのことを憂うが、自分はあまり手を出すことはできないだろう。なぜなら彼らよりはクラムのことを別に知らないし、力も及ばないからだ。ダスキートはそういう目だけは確かに持っていた。でなければ傭兵として生き残ってなどこれない。

「やあ、魔法使いさん。修理しにきたよ」

  彼の前まで来たとき、シーバリはいつもと変わらない調子でそんな風に挨拶した。ダスキートは誰も見ていない一番後ろでカックリとする。ほんとにこの人のこういうところには感心してしまう。魔法使いの目がいかように冷たいかも気づいていない。

「ああ、すまないね。今日も頼むよ」

  いつもの調子のようにされた声でグラスバードはそう言うと、「ただ」と黒いローブの男を見る。

「貴方は別だ。一緒に来てもらう」

 深くフードを被っているので、口元以外の顔は見えないはずだった。それでもグラスバードは真っ直ぐにその男を見る。

  シーバリは二人を見比べてはっとした様子を見せる。グラスバードが単純に「男の姿を不審に思っている」のだと思いついたらしく、間に立って話しかける。

「魔法使いさん、この人は用心棒さんですよ。都からいらしたんじゃ。灯台が見てみたかったというので、一緒に来たのさね」

 シーバリは安心してもらおうとそう伝えたが、効果は逆であった。シーバリは珍しくグラスバードが気を置かず話せる人間だ。その人を利用したに近いのだから。

 より冷たくなった空気に気づいているのはダスキートだけだ。寒気のような感覚がする。

「そんなに警戒なさらなくても大丈夫ですよ」

  男がやっと口を開く。シーバリとは違う意味のその言葉を口にすると、フードに手をかけ後ろに外す。

「私も、貴方に話があって来たのですから」

 柔和な面立ちに似合わない、強い意志を湛えた静かな金色の瞳が、グラスバードと立ち会った。

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