ふたりの暮らし

 嵐の翌日であるその日の午後は、穏やかな時間になった。

 昼にはなってしまったが、リビングに出していた布団を干すことにした。よく晴れているし、風もあるから、今からでも夜には乾くだろうと判断してのことだった。

 白いシーツは剥がして洗い、中身はそのまま物干し竿にかけ、棒ではたく。

 シーツは大きいので手洗いになる。大きな樽に水を張ってから入れ、特に目立った汚れはないので、少しの石鹸を入れてから手揉みをする。

 そうして洗い終わったシーツも棒にかけ皺をピシッと手で伸ばしてから離すと、穏やかな風を全面に浴びて、ふんわりと膨らんだ。

 その光景を見ながら一息つく。クラムは生活ごとである家事をするのが好きだが、その中でも掃除洗濯は好きな方だった。きれいに住環境を整えるというのが、気持ちもスッキリさせてくれる。

「終わったかい」

 先生がリビングの大窓を開け、手で淵を押さえながら訪ねてくる。後ろを振り返り、はいと答えた。

「食事にしよう」

 声と共に、家の中から美味しそうな匂いが漂ってくる。部屋の中に戻っていく先生の背中を追いかけ、クラムも開けられたままの窓のそばで靴を脱ぎ部屋に入った。

 手を洗ってから戻ってきてキッチンに入ると、先生が木製のお玉で鍋の中を回している。黒シチューのようだ。

 クラムは棚から食器とコップを出す。

「そうしていると、先生本当に魔法使いみたいですね」

  手に抱えた食器を、注ぎやすいように鍋のそばに置く。先生はクラムを見ないまま答える。

「キミの頭の中にどんな図が浮かんでいるかわかるよ。ただたぶんそれは魔女だろうね」

  笑うと、クラムは布巾を濡らして絞り、テーブルの方へ行く。リビングのテーブルも木だから、水に濡れた布巾で拭くと、少し色が濃く変わる。自分で残すその跡を見ながら、角から角まできっちり拭いた。

 水で冷たくなった手を揉むと、少し離れた隣では先生がシチューをお皿に注いでいる。クラムは棚に置いてあるパンを取り出して、先生と自分の分をお皿に出し、テーブルへ持っていく。

 すぐに後ろから先生がお皿を乗せたトレイを持って来てくれる。食卓が出来上がると、席についた。

 手のひらを組み、感謝のお祈りをして食べ始める。シチューは一口口に含めば、温かさが舌に染みて、とろりとさまざまな香味が広がる。朝を食べていなかったのもあり、お腹の空いていたクラムはいつもより早く食事が進む。

 その様子を見て先生の口元が笑う。よく磨かれている銀色のスプーンで自分の前の黒を掬う。

「明日、村に行こう」

 クラムは頷いた。昨夜言っていた木戸のことだろう。嵐の影響も気になる。クラムは木と白い土壁でできている部屋の中を見た。この家には嵐の影響は出ていない。壁よりは新しい木で出来ている棚、織り物のカバーやクッションが、空間の素朴さと暖かみを増している。

 シチューが食べ終わり、食器を洗っていると、一度姿を消していた先生がしばらく部屋に篭ると言いに来た。

「わかりました。あとで紅茶、持って行きますか?」

  先生はいつも午後に紅茶を飲むのだ。今日はまだ飲んでいない。

「そうだね。手が空いていたら、頼むよ」

  クラムは「はい」と答えて手を拭くのを見て、グラスバードは小さく微笑み自室へ戻った。

 それからすぐに、午後一時の鐘の音が時計から聞こえた。椅子に座り、コーヒーを前にして、組んだ手の上に顎を乗せる。静かな部屋に、時計の秒針の音が微かにする。

 先生が籠るなら何をしてようか、と考え、棚の本が目についた。以前から気になっていた、別の国の言葉の本。近くにはその言語の辞書もある。訳しながら読んでみようと思い立ち、二冊を手に取り、棚の別の場所の引き出しから古紙とペンを取り出した。

 部屋の天井から吊るされている電球に照らされている部屋は、外からの光のみの時より、テーブルの上が温かみのある色で明るくなっている。

 その部屋に、ペンが紙に走る音が混じる。

 本の言葉は単語ごとに空白があるので、頭文字で辞書を開き、同じ綴りを探し、紙に訳を書いていく。しばらく同じ行為を繰り返し、一つの文節が終わると、ふうっと息を止めた。訳したものを読んでみる。乱雑だが、話の意味がわからなくはない。これなら読んでいける、と笑顔になるが、しばらく同じように続けていると、一節目の話と文脈で首を傾げる部分が出てきた。

 どうしようかな、と顎元に指をやる。本の持ち主である先生ならわかるかもしれないが……。壁にかかっている時計を見ると、時刻は二時になっていた。

 ちょうどいい、紅茶を淹れて、一緒に聞いてみよう。そう思い立ち、クラムは席を立った。キッチンへ向かう。まずは鍋でお湯を沸かす。火がついたのを確認し、棚から白い陶器のティーポットと、先生の愛用している紺のカップを取り出す。縁が厚く、飲み口の当たりがいいのだそうだ。

 湯が湧き上がるのを待って、カップとティーポットに白湯をまず注ぎ、温める。お湯自体を少しだけ冷ます意味もある。

 温まったらお湯は捨て、ティーポットに茶葉を入れ、そちらにお湯を注ぐ。茶葉が熱でくるくると周る。ティーポットの小さな蓋を閉めて、茶葉を元の位置に仕舞い、そばに置いてある小さな砂時計を取り出した。

 いつも使っている木製の薄いトレイにカップとティーポットを乗せ、砂時計もひっくり返して乗せる。サラサラと白色の粒が落ちていく。クラムはテーブルに置いていた自分の訳した紙と原本を小脇に挟み、トレイを持って先生の部屋に向かった。

 先生の部屋は、この家の中で灯台に一番近いところにある。トレイを片腕で持ち、古い木でできている戸を三回軽く叩く。

「入っていいよ」

  許可が降りて、クラムは鉄の取手に手をかける。開けると、風がスッと通り抜けていった。先生の部屋の窓が開けられていて、カーテンが大きく膨らむ。その姿がさっきまで見ていた洗濯物のシーツと重なる。

 あちらもいまごろ外で同じ姿をしているだろう。道ができたと言わんばかりに、風は抜けていく。先生は風たちが走っていくのを特に気にする様子はなく、自分の髪が風に揺らされていても、気にせず、棚の前に立ち何かの紙面を読んでいる。

 すぐに後ろ手にドアを閉めると、風は道をなくして穏やかになった。

「紅茶、持ってきました」

「ああ、ありがとう」

 相当集中しているようで、先生は答えたもののクラムの方は見ない。    

 机の上にトレイを置き、砂時計を見る。まだ落ち切っていない砂を待つ間、部屋の中に目を向けた。  

 先生の部屋に入ることはあまりないので、純粋に興味がある。本人がいない間に入るのでは失礼になるし、今先生はそばにいるけれど、本を読むのに集中していてクラムのことは気に止めていないようであるし、見漁るには絶好の機会だった。

 クラムが一番気になっていたのは先生の机周りだった。特に小物類が、古くからの時代のものらしく形が珍しい。クラムの感性としては、それらをとてもかわいく感じる。

 小瓶や、ガラスのケースに入れられた乾燥した草花、木の枝もある。先生がものを書くためのノートや紙。美しい装飾のペン。

 クラムはじっくりとそれらを眺めながら、ある一つのケースが目に止まった。透明なケースの中に高級そうな青の敷布があり、挟まれるように、金のブローチが入っている。

(きれい……)

 よく見ようと顔を近づけた。金の部分のデザインは、鳥のように見えるが、詳しくはわからない。それでも繊細な細工は、素人のクラムにも高い技術なのがわかった。

 小さな青と緑の石が一つずつ入っている。そんなつもりはなかったのに、いつの間にか触れようと手を伸ばしていた。

「触ってはダメだよ」

 声に手が止まる。少し顔を横へ向けるだけでわかるほど、先生は近く、すぐ後ろにいた。伸ばしていた手を引いて真っ直ぐに立つと、少しバツが悪く感じて目を逸らす。先生がその様子に笑った。

「仕方ないから気にしなくていいよ。それはかなり強い力を持ってるからね。普通の人間でも無意識に惹かれるくらい」

  先生の言葉に、再びブローチを見る。

「これ、何ですか?」

 尋ねると、先生は紅茶を見た。砂時計は落ち切っている。

「続きは飲みながら話そう」

 先生が、一応持ってきていたクラムのコップも含めた二つに紅茶を注いでくれている間に、クラムは簡易の木の椅子を先生の机の前まで持ってきた。

 紅茶は美味しく出来上がっていた。二人ともが一口飲んだところで、先生はブローチに目を向ける。

「あれは、師匠から十八の成人の時に貰ったものだよ。火と契約した者の、証だね」

  緑の宝石は大地を、青い宝石は海を表しているのだという。

「火は?」

  問うと、どこにあると思う?と面白そうに聞いて来る。少し考えて答える。

「先生ですか?」

  答えに先生が目を開いた。

「火は先生だから、ここにはない、そういう意味かなって」

  続けて説明すると、クラムが答えられた意外さから、目をいつもより開いたまま紅茶を飲む。

「宝石を落としちゃったんですか、とでもいうと思ったんだけどね」

 ムッとして口を軽く尖らせると、先生は笑う。

「キミは意外と賢いからね」

  フォローするかのような言葉だが、クラムの気分を戻すには十分だった。それに、その言葉でクラムは自分が持ってきた案件のことを思い出した。立ち上がり、入り口のそばの台に置いていた本と紙を持って来る。

「これ、訳してみてたんですけど、ちょっと違う気がするので見て欲しくて」

  どれ、と先生は原本の表紙を見てこれかい、と呟くと、クラムの書いた紙を見た。読んでいき、笑う。

「これでも結構読めるね。なるほど」

  言うと、立ち上がり、自身がさっきまで立っていた本棚の前まで行き、膝をついて、下の方の段を見る。

「言葉には文法があるからね、辞書にも載ってはいるけれど、おそらく一語ずつ探しているときは見ずらいだろうから」

  戻って来る時には、二冊の黒い本を手に持っていた。机に置くと、説明してくれる。

「どちらも黒くて分かりずらいが、こっちの青く見える方が、その言語の文法について書かれてる方。この赤く見える方が、なるべく原文の文の構成と同じまま訳されているものだ」

  持って行って使っていいよ。そう言われてクラムは笑顔になった。

「ありがとうございます」

  三冊になった本を積み上げ、その間に自筆の紙を挟み込む。穏やかな風が吹いて、先生とクラムの間を通り過ぎていく。

 クラムは紅茶を飲み終わると、増えた本たちと空になった自分のコップを持って先生の部屋を後にした。

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