男の力で髪をつかまれ、 白いのどが、痛々しい角度でのけ反る。


 三人組の人攫いの一味、そのうちの一人:自動装填式突撃銃は、沈黙した。その場を支配する「火力」が無くなった。


 一角は、崩れた。三方に分散した注意が、流れに立つナイフの男に集まった。


 最初に視界に飛び込んで来たのは、年端も行かぬ全裸の少年の、その眩しい程の肌の白さだった。腹から大腿にかけての肌が、つややかに濡れて光る。そしてその肌に、血が一筋、鮮やかに伝った。


「来るなッ! 近付けば、この子の喉を掻き切るッ………」


 潮目が、完全に変わっていた。今は「獲物」としてではなく、逃げ果せるための「人質」として少年を連れ去るつもりだった。首筋に刃を押し当てる、その腕に力が入り、刃が肌を薄く裂いて、血液が一筋だけ、玉となって転がった。


 ヴォルフは、強い既視感に見舞われていた。胸が、痛くなった。ちょうど同じ年頃だったあの日、自分も、同じように連れ去られそうになった。あの時、ぼくを助けてくれたのは———


「先生………」


 期せず、そう呟く。オレは、どうすればいい?


 ヴォルフから見て、人攫いはルナを盾にしていた。ルナを避けて男を撃つことは可能だったが、じっくり狙いを定めて撃つことができず、ルナの安全を100パーセント担保できるか、自信が無かった。


 グリフも、固まったまま動けない。フランも、間近にいながらもどうすることもできず、もどかしさからか、涙を流し、そしてひどく震えていた。


 と、その時———


「ナイフを棄てろッ、その子を離せッ!!」


 と川岸で声がした。見るとトラビスが、先程の全裸の女を、後ろから羽交い締め、白い喉に、剥き身のサーベルを押し付けていた。鉈のような形状の、分厚い地金の曲刀———


 川辺の空気を、三振りの刃物が支配した。


 グルカ・ナイフ。

 細身のロング・ソード。

 そして、

 武骨なダインスレイヴのサーベル。


 一瞬の、静寂。


 気付くと、ヴォルフは走り出していた。

 無意識で、衝動的な行動だった。

 ほとばしる何かに、背中を突き飛ばされるように、

 前のめりに、バランスを崩して走り出していた。


 一方、ルナは、

 何かを思い詰めたような表情のまま、深く息を吸い込み、

 そして、呼吸を止めた。

 それが、付近一帯に張り詰める沈黙と、

 一瞬だけ、重なった。


 刹那、———

 刃を握る男の腕に、

 ルナは歯を立てて、思いっ切り噛み付いた。

 犬歯が、大人の男の腕の、その皮膚を破り、肉に埋まってゆく。


「あッ!」


 思いがけぬ反撃に、少年の薄い胸を締め付ける、そのいましめが、

 瞬間、わずかに緩んだ。


 その機を逃がさず、

 ルナは腕を真っすぐ前に伸ばすと、

 その伸び切った位置から、

 反動を使って後ろ向きに、

 肘打ちを思いっ切り叩き込んだ。


「がッ、………」


 男の胸郭に少年の細い肘がメリ込み、

 肋骨が軋んで鈍い音をてた。


 しかし、———


「逃がすかッ!」


 そうだ。逃がしてしまったら、

 生きて逃げ帰る術を、

 失ってしまうのだから。


 腕力の縛めを、今は完全に解かれて、

 走り出す少年の金色の髪を、

 ナイフを持たない方の手で、

 男は鷲づかみに引っつかむ。


「あっ、………」


 そしてその髪を引き千切ろうとするかのように、

 少年の軽いからだを、

 力任せに引き寄せる。


 後ろから大人の男の力で髪をつかまれ、

 あごが上がり、

 白いのどが、痛々しい角度でのけ反る。


(もうだめだ。………)


 そう諦めかけるルナの、

 子どものような小さな頭を、

 男は、必死の形相でにらむ。


 逃がして、なるかッ。———


 集中していた。

 だから、

 気付けなかった。


 次の瞬間、———


 水を蹴立てて走り込んできたヴォルフの右拳が、

 男の、鼻と、口元とを、

 真っ正面から捉える。


「………ッ!!」


 声にならない声を上げながら、

 固く握りしめた拳を、

 人攫いの顔面に、容赦なく叩き込む。


 鼻骨が潰れ、

 顔面がひしゃげて、

 前歯が上下とも、

 小砂利のようにバラバラに折れ飛んだ。


 本当に、無意識だった。

 気が付くと、

 膝まで川に入り、殴り飛ばしていた。

 前顎部の、歯と、骨とを、叩き砕く、

 その骨伝導の感触で、

 我に返ったのだ。


 目の前に、

 ぼんやりした表情でこちらを見上げる、

 ほんの子どものような少年の眼差しがあった。


 ―――無事だ。


 ほっとする、同時に、ハッとして、

 ヴォルフは周囲を見回した。

 他のみんなは?


 グリフィスは、四駆の上に立ち、

 瞬くもせずに、こちらを見ていた。


 トラビスは、女を後ろ手に羽交い絞めたまま、

 微動だにせず、じっと、こちらを見ていた。


 すぐ近くにいたフランチェスカは、

 はだかのまま、

 涙に濡れたまなこをまるく見開いて、

 やはりこちらを、ヴォルフを見ていた。


 ヴォルフは、違和感を覚えた。


(なんで、オレをそんな眼で見る。………?)


 自分が、

 何か突拍子もない間違いを仕出かしたような気がした。


「どうして」


 不意に、ルナが言った。

 ヴォルフは振り返り、水滴に濡れた、はだかの少年を見る。

 どうしてなのか、これが最善手だったのか?

 分からなかった。


 気が付いたら、瞬間移動したみたいに、

 もう、

 男を殴っていたのだ。


「どうして」


 もう一度、ルナは言った。

 無垢な、真白なからだで。

 無垢な、子どものような頬で。

 そして、―――


「どうして、泣いているの?」


 意外な、言葉。

 最初、意味が分からなかった。


(オレが、泣いてる?)


 左手で、自分の顔に触れる。

 右手は、あまりに固く握りしめていて、

 開くことができなかった。


 てのひらが、濡れた。

 ヴォルフは下を向いたまま、

 呆然と、

 みずからの掌を眺めた。

 そして、―――


「お前を、どうしても———」


 


 ヴォルフはそう言いかけて、

 しかし、そり声は遮られた。


「ルナ、ルナッ、だいじょうぶか? ルナッ!」


 フランが、ルナに慌てて駆け寄り、

 きつく抱きしめた。


 一糸まとわぬ姿のままの、

 水滴きらめく二つの白いからだが、

 重なる。


「ヴォルフさん!」


 後ろから、肩を叩かれる。

 ガッシリとした、力強い手。

 グリフだった。


「ありがとうございますッ、おかげでルナは、………」


 言葉に反して、

 眩しげに細められた眼差しが、

 少しだけ辛そうに見えた。

 何もできなかった自分を、

 内心責めているのかも知れなかった。


 しかしグリフはすぐに視線を転じると、

 川の流れの中に沈み、仰向けに気絶している男を、

 軽々と助け起こし、

 そのまま背に担いで、おかへと歩いた。


 若くとも、自分がいま何を為すべきか、知っているのだ。


 トラビスは緊張を解いて、

 フッと、

 息を抜いた。

 そして離れて立つ、異国のサーベル使いを見た。


 その、

 上級の軍属と思しき長身の男は、

 トラビスの視線に気付くと静かに目礼し、

 その眼を笑みに細めて、

 敬意と、そして好意とを示した。



































































































































 ルナが羽交い締められ攫われそうになった時、ヴォルフは自分もそうされたみたいに胸が締め付けられ、息が苦しくなった。ナイフの切先に首筋から血を流した時、ヴォルフは思わず首筋を押さえた。身に、覚えがあった。同じ目に、あったことがあった。そうだ、俺は、まだほんの少年だったあの日、先生に護ってもらったのだ。あの時の先生と同じように、その頼りなげな裸体の少年を救うべく、駆け出したい衝動に駆られた。しかし、長く戦場に身を置き続けた経験が、オレを押し止めた。胸の中が、掻き乱された。こんなに取り乱すのは、本当に久しぶりだった。


(グルカナイフ)


 ヴォルフ、グリフ、周囲の注意が水際の人攫い:一人に集中する。


 男はルナを人質に逃げようとする。


(ヤケになりルナを殺害する危険性)

(ヴォルフ狙撃のタイミングを計る)

(グリフとフラン、身動き出来ない)

(ルナ、何かを覚悟。真剣な表情)


 ここで、

「そこまでだッ、その子を離せッ!」

 トラビス登場。

 女を人質に取っている。


 直刀のサーベル。

 グルカナイフ。

 半月刀のサーベル。


(中近東を恐怖に陥れた刃物)


 怯んだ、一瞬。


 ルナが腕力の拘束を破り、男の腹部に空拳突きを叩き込む。

 瞬間、

 グリフがダッシュを開始、輪転の水飛沫に視界を奪い、顔面に強烈な空拳突きを叩き込む。


 チェック・メイト。


(今エピソード最後の場面)


 案1

 グリフが謝りながらルナを抱き締める。「オマエを護ってやれなかったからだ」


 案2

 フランが謝りながらルナを抱き締める。「だって、護ってあげられなかったから」

 グリフも寄り添い二人の肩を抱く。(フランと同じ気持ち)


 ヴォルフは視線を転じてトラビスを見、そしてサーベル使いの男を見た。


 案3

 ほんとはここでルナにヴォルフを意識させたいんだよな。もともとはそのためのエピソード。


 案4

 こうする。

 射撃には絶対の自信があるヴォルフ。しかし万一ルナに当たってしまったら……。一度は手にした狙撃銃をヴォルフは投げ棄て、そして——「え?」グリフは絶句する。


 トラビス登場。


 押し付けられ薄く皮膚を切り裂き肉にめり込むナイフの刃。ルナは男の腕に噛みつき、隙を突いて拘束を脱しようとする。しかしうまく行かない。


(愛は、泣きそうなほどに惨めで、そして切羽詰まっていて、でも命を棄ててでも、その対象を護らずにはいられない)


 男はナイフを握った拳でルナの頭を叩く。一発、二発、三発目が当たる前に、走って来たヴォルフが、男を殴り飛ばす。


(意外なシーン。なんでそんなに浅ましいほどに無我夢中になってる?)


 ルナ、驚きの表情でヴォルフを見上げる。ヴォルフも、自分の感情に驚いてしまっている。(何なんだ、この気持ちは?)


(自己愛と自己愛が出会うシーン。護られたい自己愛と、護りたい/護られたかった自己愛が、出会う)


 この自己愛から来る強烈な「惹かれ合う」気持ちが、この物語を形づくる「引力」となる。













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