軍装のマントを見にまとう、カラスのようなシルエットの男。
この日はまったく、
本当にいろいろなことがあった。
まず、
ルナが、
攫われそうになった。
認める、
気を取られてしまっていたんだ。
いやルナのからだとか、
そういう訳じゃない。
フラン、な訳がない。
ストールを取って全裸になったワザとらしい女、でもない。
オレ達の横に座る、
この男のことが気になった。
オレとグリフが腰掛けるディーゼル四駆との距離、
十メートルくらいか、
そんなに長い時間、
いったい何を見てる?
普通に考えるなら、
水浴びする二人の背後に、潜って回り込む、なんて不可能に決まっていた。
バレるに決まってる。
だが、
あのストールの女と、
このトーブ姿の男に、
絶妙な具合に注意を逸らされてしまっていた。
難しい局面、と言わねばならなかった。
早撃ちには、自信があった。
本場、合衆国育ちだぜ、こっちは。
オレの方が絶対に速い、という自信があった。
しかし、
相手が二方向に分かれている、
となると話は別だった。
普通に考えるなら、
横にいる突撃銃の男を撃つべきだった。
しかしそれだと、
少年ルナが白い喉をナイフで裂かれる懸念があった。
かと言って、
そのルナを羽交い締めるナイフのオッサンを撃てば、
突撃銃で、ハチの巣、にされるのは必定だった。
戦場で、
迷いは禁物だった。
流れる水のように、
片時も、一箇所に留まっていてはならないのだ。
自身の位置も、戦略上の判断も、だ。
しかし今、
完全に手詰まりだった。
判断停止、フリーズしてしまっていた。
ゲームは、すでに「詰んで」いた。
しかし負けを認めれば、
瞬間、
命を落としてしまうのが戦場だった。
最後まで、
諦めてはならない。
最後の瞬間を、
自分で決めてはならない。
ただ、
走り続け、
考え続け、
戦い続けるのみ、なのだ。
**
その時だ、
そいつが、現れたのは。
**
まったく気が付かなかった。
突撃銃の男も、
それを見ていたオレでさえも。
「止めておけ」
気が付くと、
そいつは突撃銃の男の背後に立っていた。
オレよりも、
さらに上背のある、
痩せぎすな男だった。
痩せてはいるが、肩幅は広かった。
濃緑の、軍装のマントを身にまとう、
カラスのようなシルエットの男。
歳のころ、三十代半ば、くらいか。
士官なのだろう、軍刀を、腰に下げていた。
自らの姿を模したような、細身の直刀だった。
身長に合せたのだろう、かなりの長刀だった。
その軍刀が収まった鞘を、片膝を立てて銃を構えた男の、突撃銃と、胸との間に、
スッ、と、ごく自然な動作で差し入れた。
速くはない。
速い動きではなかった。
動いたこと自体に気付けないくらいの、
本当に、ごく自然な動き方だったのだ。
「ここは反政府ゲリラ共の眼がある、抜かせるな」
低い声。
その話し振り、かなり上級の士官と見るべきだった。
少佐、以上だろう。
しかしここは———
バビロニア西部ガレスチナ自治領域、
何でもアリの反則ナシ、
暴力と殺戮の巣窟、
中近東・地中海地域なのだ。
高飛車な物腰に、怯むヤツなどいない。
「ざっ、けんなッ!!」
男は構わず上体を捻って、片膝のまま、突撃銃の銃口を軍装のマントの男に向けた。
しかしその直前———
突撃銃と、右腕と、胸と、左腕からなる輪っかの、その最も弱い結節点である左手首を、軍刀の鞘で、
輪が破れ、男は銃を取り落としそうになる。
そして今度は、辛うじて銃把を握った右手の指を、返す鞘で弾き飛ばし、
銃が落ちて、川原の石を叩く。
マントの男はそのままの流れで、左足を軸に、右足で大きく半円を描くようにステップし、鞘で相手の上半身を巻き取るような要領で、地面に引きずり倒した。
相手の身体が鞘に吸い付いて、まるで自分から、地面に倒れ込んだように見えた。
達人だ、
オレはそう思う。
武術の、サーベル術の、達人だ。
そして、
もがく相手の身体を鞘で押さえ込んだまま、
その鞘から、
細身の、
鋭利なサーベルを引き抜き、
声を上げようとした、その相手の口に、
測ったように正確に、差し入れた。
自然な動き。
口を開けるそのタイミングまで、
まるで前もって知っていたかのような動き。
五センチ程度。
舌くらいは、或いは切ったかも知れない。
その程度の深さ。
相手の動きが止まった。
動かなくなった、のではなく、動けなくなったのだ。
ここまで、一瞬。
「スゲェ………」
期せずして、オレは呟いてしまっていた。
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