その時は、君のサーベル捌きを見せてくれ。


 訳あって、名乗ることは出来ません。


 自分は異国の軍人で、ご覧のように、いささかサーベル術を噛じった人間です。皆様が、あのサーベル使いの国、リプロスの方々とお見受けし、しかも何やらトラブルに巻き込まれ、お困りのようであったので、……… しかし、どうやら要らぬお節介をしてしまったようです。


 昔、本国で訓練を受けていた折、外遊中のユーゴ・ベルスレイフ先生に、稽古を付けていただく幸運に恵まれました。もう、十年も前のことです。


 圧倒的な兵力・火力を誇った連合王国を、中近東・地中海地域から叩き出した伝説的なサーベル術者であるとは、もちろん当時から存じ上げており、先生の指導を受けた時間は、二度とは得難い、とても有意義な時間となりました。


 先生は、四肢の連動、それから、重心、というものについて熱心に語られていました。そうですね、「術理」という言葉を、先生はよく使っていました。


 ユーゴ先生がお示しになったリプロスのサーベル術は、我々の学ぶ騎士道精神に基づくサーベル術とは、大分、違っていました。我々が学んでいたサーベル術は、伝統的・精神論的・教条主義的なもので、定められた技や構えの形、そしてその方法論について、理非や是非などを、決して唱えてはならない、とされて来たのです。


 しかし先生は「考えろ」と、いつもおっしゃっていました。「私に訊くな、自分の身体に訊け」とも仰っていました。理非は、答えは、そこにある、と。


 速さとは何か?

 力とは、何か?


 先生が、いつも私達に問いかけていた言葉です。その、問の答えを、私は今も、捜しているのです。


 二年前、トラキア北部の戦場で、あのような不幸な出来事があり、偉大な叡智がこの世界から失われてしまった事は、誠に残念でなりません。


 しかしあの、約半年間の間、本国で共にユーゴ先生の指導を受けていた十一人の仲間たちが、今は国軍の枢要近くで、先生の教えを胸に、軍務に勤しんでいます。リプロスでそうであるように、我が国でも、ユーゴ先生の教えは、まだ生きているのです。


 **


 三人は、武装を解除した上、逃がすことにした。無線機などの通信機器も取り上げた。現金はそのまま持たせた。大して持ってなかった、というのもあるが、当座の現金や食料まで奪うと、その日の夜のうちにでも再襲撃を受ける懸念があった。


 四人は、マント姿の軍人に礼を言った。


「ありがとうございます、………」


 少し震える声で、ルナは言った。先刻までの恐怖と混乱から、まだ抜け切れてなかった。褪せた栗色の髪はまだ濡れていて、その柔らかそうな毛先に、小さく滴が光っていた。リプロスの軍装である砂色のブラウスを羽織っていたが、その下には、まだ何も身に着けてはいなかった。


「あなたは、父を知っているのですか?」


 濡れ光る二本の大腿あしを、所在無げに前後に揺らめかせながら、ルナは訊いてみた。


「ぼ、ぼくがまだ小さかった時に、欧州に行っていて長い間、帰ってこなかった事があって、………」


「ああ、………」


 長剣の軍人は一瞬ハッとして、でも、すぐに笑顔になった。大人の笑顔、お父さんの、顔。


「あなたは、ユーゴ先生の娘さんですね? 二人いると、先生から聞いたことがあります、とても可愛い、と言っていました、今すぐ飛んで帰りたいとね」


 眼を細めて、幸せそうな笑みを満面に湛えて、軍人は、その美しい子供を見た。


 父さんも、―――


 ルナは思った。


 きっとこんな笑顔だったんだ。


 ぼくと、妹のリズを思いながら、きっと同じ顔をしていたんだ。


 時間の分厚い壁を超えて、父親の、自分に向けられた笑顔を見た、と思った。父さんに会えた、そんな気がした。


「この子は男の子ですよ」


 トラビスは訂正した。


「えっ、………」


 彫りの深い顔から笑みを消して、その軍人は少しの間黙った。何か、考えているようだった。しかしすぐに、笑顔を取り戻し、


「失礼しました、非礼を、お許しください、男性を女性と間違うなんて、とんでもない事だ」


 と詫びた。


「いえ、そんな、非礼だなんて、………」


 ルナは慌ててそう言って、両手を小さく横に振った。なんだか、申し訳ない気持ちだった。ぼくが、こんなだから、………


「そうなんですよー! コイツ、オンナみたいなヤツなんですよー!」


 フランが会話を混ぜっ返しつつ、後ろからルナの両頬に人差し指をあてた。


「フランッ、ぶざけすぎっ!!」


 怒って振り返るルナ。背伸びをしてフランに抗議するが、それでもフランチェスカの方が頭ひとつ分、背が高かった。


 **


「サーベルを、見せてくれないか?」


 別れ際に、男は、ルナに向かって言った。


「久し振りに、ダインスレイヴの、あのサーベルを見てみたい」


 ルナは腰のホルスターに吊るしたサーベルを、鞘ごと外してその、軍装のゲルマン人に渡した。横に寝かせた状態で、刃を、自分の方に向けて。


 男は、顎を引いて小さく目礼すると、その短くも重量のある、曲刀のサーベルを受け取った。意外にも慣れた手付きで鞘を払ってサーベルを抜くと、刃を上に立て、水平にして、眼の高さにかざした。


「懐かしい、………」


 そう呟いたまま、暫し、男は黙った。


「機能的だ、すべてが、ちょうどいい、重さも、長さも、形状かたちも、―――」


 男は、眼を細めた。


「人を斬りまくるには、長さが少々足りないが、………」


 口元に、ハッとする程の、残忍な笑みが浮いた。


「しかし敵中に転がり込んでの斬撃、を考慮すると、やはりこの長さと重さがちょうどいい、………」


 サーベルを鞘に手速く収めると、男は柄を上にして、ルナに返した。


「また会う機会もあるだろう」


 微笑みとともに、男は言った。先程までの、女性や子供に対する時とは違う、或る種の厳しさを伴った、男どうしで話をする時の微笑みだった。


「その時は、君のサーベル捌きを見せてくれ」


「はい、………」


 ルナは答えたが、少し元気がなかった。(ぼくのサーベルなんて、別に大したことないし、………)そう、思ってしまう。


 それに、サーベルなんか、―――

 本当は、ぼくは、大嫌いだ。







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