ダインスレイヴ――「塹壕戦の悪魔」その2


 悪夢だ、

 血塗りの悪夢、

 肉を斬られ、

 骨を断たれ、

 自らの血糊に喉を塞がれて溺れ死ぬ、

 真夏の、

 生臭い、

 粘度を持った、

 血溜まりの、―――悪夢。


 その後、俺が眼にしたものは、

 まるで、大聖堂の壁画に描かれたような、

 或いは切れぎれの、ひどい悪夢の断片のような、

 現実感完全に喪失した、

 高精細な、

 だった。


 地獄―――


 **


 そいつは、軽装だった。

 頭には砂避けのアフガン・ストールを巻き付け、

 そして砂色の、ごく簡便な戦闘服を着て、

 しかし足元はごつい編み上げのデザート・ブーツで固め、

 右手には短めの、

 しかし幅の広いなたのような形状のサーベルを持ち、

 そして左手には、

 小振りな四角いたて、のような物を把持していた。


 何だ?

 俺は、思わない訳にはいかない。

 だって!

 現実感が無い。

 じゃないか?

 サーベルに、盾、だと―――

 おかしい。

 今は、暫定統一歴:一五七六年、現代だ。

 剣と、槍と、つちおのなたが戦場の主役だったのは、

 遠く、二百年も前のハナシだ。

 夢でも見てるのか?


 いにしえの、先人の亡霊の夢………

 それとも、単なるまぼろしなのか………


 砂嵐に白っちゃけた空を背景に、

 黄色い丘の稜線に立ちはだかるそいつは、

 その影は、

 独り、

 重機関銃の音のする高台のトーチカを振り仰いでいたが、

 不意に、

 その顔面を斜め下に振り向けて、―――


 


 表情は、

 小さく影に潰れてしまって、分からない。

 しかし、

 そいつと眼が合ったのだけは、

 分かった。


 息が、止まった。

 喉が、渇く感じがした。


 そして、

 一〇〇メートルくらいか、

 遠く、

 黄色い砂の丘の上を、

 音もなく、

 そいつは、こちらに向かって走り出した。


 頭上に、重機関銃の音がいくつか、

 鼓膜を打ち付けるように鳴り響き、

 俺は、

 現実に引き戻される。


「何だッ!」


 仲間たちが、はっと身を起こし、眼を見開いて周囲を見渡す。


「敵襲だ」


 塹壕の縁に取り付いたまま、俺は教えてやる。


「何人だッ?」

「一人だ」

「ひとり? バカな!」


 重機関銃の射撃音とほぼ同時に、

 走るそいつの足元で砂煙が連続して派手に発った。

 そしてそれと同時に、

 そいつはサーベルの切っ先から前のめりに大きく跳び、

 タイヤみたいにゴロゴロッと勢いよく転がって、

 しかし三回転くらいで足を接地させ、

 方向を変えて猛ダッシュを再開する。

 そして、

 そいつはそれを繰り返して、

 三挺の重機関銃の織り成す弾幕をあざやかにかわしながら、

 ジグザグに走り抜け、

 こちらに、

 もの凄いスピードで迫って来た。


「何だアイツ」

「何で地雷に引っかからねえ?」

「弾が当たらねえ、このままだと塹壕に到達しちまうぞ!」

「でも銃を持ってねえ」

「サーベルを持ってるじゃねえかッ!」

「オイ………」

「至近距離だと銃よりもナイフの方が危険なんだ」

「オイッ―――!」


 全員の視線が、俺に集まる。しかし俺は前を向いたまま、続ける。


「見ろ………」


 最初は、一人だけだった。

 頭のオカシイ自殺志願者———

 しかし、

 そいつの背後、

 砂丘の黄色い稜線に、

 いつの間にか黒い人影が幾つも湧き起こり、

 塹壕めがけて駈け下りつつあった。

 手には、

 やはりサーベルと、そして小振りの盾。


「敵襲だッ! 一人じゃないぞッ」


 誰かが叫ぶ。


 機銃の連続する射撃音が、付近からも響いてくる。トーチカだけでなく地上に展開する他の塹壕陣地からも射撃を開始したのだ。


 仲間の一人が、反射的に、直近に据えられている重機関銃の銃把に取り付く。

 瞬間、


「コンッ―――」


 と地味な、硬い音がして、その重機関銃に取り付いた仲間が、その銃把を握ったまま、首を、ぐにゃりとオカシな角度に傾げ、そのまま人形のようにバタリと横向きに倒れ伏した。ヘルメットに、黒く、小さな穴が開いている。そしてそのヘルメットの下に、見る間に、黒く血だまりが拡がってゆく。


「オイッ、大丈夫かッ、どうした?………オイッ!」


 スナイパーだ―――


 俺は独り言ちる。援護射撃、———これは、組織的・計画的な攻撃だ。


「頭を出すなッ、狙撃兵スナイパーがいるぞッ!」

「だかッ、だが撃たなきゃ、刃物持った連中が転がり込んで来るぞッ!」


 連絡係の奴が、無線機のマイクを握りしめて、唾を飛ばして怒鳴る。


「センターコントロールッ、応答願う、こちらウェストゲート三番トレンチ、敵襲だッ、組織的な突撃強襲を受けている、数は、………十五、………二十、………四十ッ! センターコントロールッ、応答願うッ、離脱許可を申請する、数分の遅滞戦闘の後、西・三番塹壕陣地より離脱する、センターコントロールッ、応答願うッ!」


 しかし無線機スピーカーは、砂嵐のような電波のドット音に、ザーザー・ガリガリと引っ掻き毟られているだけだ。


「センターコントロールッ! 応答願うッ―――」

「ダメだ、間に合わねえ………」


 五十メートル先で、最初の一人が、弾幕をすべて躱し切り、塹壕に転がり込んだ。そしてそいつは、一切止まったり、休んだり、隠れたりすることなく、塹壕に詰めている分隊規模の小集団めがけて、全力疾走で突っ込んで行く。


 いや、俺たちがいる位置が、傾斜地のやや上の方にあって、何が起こっているのか?ハッキリと見届けることができたんだ。というか、。とにかく、そいつは全力疾走を止めなかった。距離にして二十メートル、隠れたり伏せたりせず、ただ、陸上競技の短距離走の選手のごとく、兵士の群れに向かって走った。


 何をする気なんだ?———


 俺は思わない訳にはいかない。だって、体当たりでもする気なのか?戦場だぞここは!俺たちは「戦争」をしているんだ、ラグビーの試合じゃない。


 しかし、うまい手ではあった。


 重機関銃は塹壕の外側に向けて据え付けてあり、すぐに塹壕の内側には向けることは出来なかった。また、もし横にすぐに向けられたとしても、とてもじゃないが撃てたもんじゃない。


 なぜか?


 味方がいるからだ。塹壕の中では、撃ち殺すべき敵兵の向こう側に、友軍の兵士が大勢いる。まあそんなことも想定して、塹壕は真っ直ぐではなく「ジグザグ」に斬られているのだが、機銃では、やはり破壊力があり過ぎるのだ。身を隠すべき、その「ジグザグ」の「カド」にある土を、徹甲弾が容赦なく抉り取り、味方を被弾させてしまう。


 両腕を拡げてもなお、余裕を持って歩ける程の幅に斬られた、広めの塹壕だった。ここは最前線ではない、要塞陣地の一部なのだ。塹壕は、人員の入れ替えや、物資運搬のための経路でもある。内側の壁に、木製の板で土止めがしてある、そういう比較的「整備」された塹壕、―――しかし、それが裏目に出た。


 敵も、移動しやすい。

 つまり、走りやすかたんだ。


 友軍の分隊はだいたい十名程度、慌てふためいてはいたが、何人かはすでに小銃(ライフル)を構えていた。そしてそれらが射撃を開始すると、そいつは再び低く跳んで転がり、そのままボーリングの球のように、転がりながら、塹壕にひしめく小集団の足元に、一切減速することなく、激突した。


 まさにボーリングだった。ゲートに立てられたピンのように、味方の兵士がバタバタと倒されて行く。


「ぎゃあああああああーーーっ!」


 もの凄い叫喚が沸き起こった。最初、何が起こっているのか分からなかった。しかし、倒れる友軍の兵士のあいだに、転がり込んだそいつが、しゃがんだ態勢のまま握る、赤黒く血を滴らせたサーベルが、一瞬だけ見えて、俺はすべてを理解した。


 からだを丸めて転がりながら集団の足元に体当たりし、その勢いで何人かを薙ぎ倒し、勢いが減衰して靴底が、地面の土を咬んだ瞬間、しゃがんだ体勢のまま、あの鉈のような形状の曲刀を、力の限りに振り回したのだ。


 その後も、小さく、素早く、転がる動作を何度も繰り返し、目の前に現れる脚を、そのすねを、一切の迷いも逡巡もなく、次々に、容赦なく、薙ぎ払ってゆく。


 数秒を待たずに何人もの兵士が、脛から下をサーベルに切断され、支えを失って地面に転がり、傷口から噴き出す自らの血糊に手を滑らせながら、塹壕の底をのた打ち回る。


「あッ、あッ、あああああーッ!」

「脚がッ、脚があああああーッ!」

「ぎゃああッ、あがあああーッ!」


 そうしている間にも何人もの敵兵が、あの凶々しい半月刀を手に、塹壕に走り込んで行く。そしてそいつ等は、片脚を失くし、或いは両脚を失くして、それでも手で地を掻いて逃げようとする仲間たちを、一切の容赦なく、何らの呵責なく、次々に串刺しにして行った。


「銃を持てッ、すぐに来るぞッ!」


 誰かが言う。俺たちはハッとして、小銃に手を伸ばす。連中が塹壕伝いにここまで走り込んで来るのは、もはや時間の問題だった。俺たちは小銃を手に取ると、ボルトハンドルを引き、薬室に弾丸を装填する。そして連中が来る方、塹壕の曲がり角に銃口を向け、息を詰める。ボルト・アクション十連装の、歩兵用突撃銃———


「来たぞッ!」


 やがて、砂礫を蹴る音がして、塹壕のカドから人影が、走り込んで来た。


 しかし———


「え」


 その場にいる全員が、

 息を吞み、

 そして固まった。


 その、非現実的な光景に、驚いて、しまっていた。







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