序章

ダインスレイヴ――「塹壕戦の悪魔」その1


 連中を初めて見たのは、

 そう、

 風の強い日だった。

 砂漠地帯に、

 黄色く砂塵が舞っていた。

 嫌な風だった。

 緩急を付けて、

 時折やけに強く吹き付けて、

 まるで、

 何かを警告してるみたいだった。


 暫定統一歴ざんていとういつれき:一五七七年の、

 地中海東岸の国境地帯に、

 俺はいた。


 キルスという要衝の街の、

 そこの塹壕ざんごうに籠っていたんだ。


 **


 バビロニアの武装勢力から、激戦の果てに奪取した要衝:キルス防衛のために、周辺地域の高台の数カ所に、巨大な防御砲台(トーチカ)が設営されていて、そしてそのトーチカ自体を防衛するために、周囲に堡塁を配置し、それを斬り巡らせた塹壕で連結して、いわゆる「要塞陣地」を構築していたんだ。


 **


 俺たちは、

 やはり侵略者、

 ということになると思う。


 世界の反対側、東半球で起きた「太平洋戦争」という全面戦争に、ソユーズ共産主義者連邦が参戦したことにより「お留守」になった中近東・地中海地域を狙って、俺たちは、殴り込んだんだ。海上から、大艦隊を擁して。


 ウェールズ連合王国

 イスパニア王国

 ローマ大公国


 の三国。


 中近東には、現時点で、トラキア共和国以外にまとまった大きな勢力が無く、それぞれの地域に割拠する武装勢力諸派が、文字通り「血で血を洗う」抗争を繰り拡げている、そんな状況だったんだ。


 そしてその、数少ない大国であるトラキア共和国自身も、コーカサス地方に蟠踞ばんきょするクルダード山岳ゲリラとの間で、激しい内戦状態に陥っており、そんな隙だらけの中近東を喰っちまう気なら、まさに「ソ連」がそっぽ向いた「今」しか無い、っていう訳だったのさ。


 かつて七つの海を制したウェールズ連合王国は、総艦艇数:二十隻を越す大艦隊を擁して地中海を東進、ローマ大公国の協力を得て、地中海最大の砲台陣地———「キルトバヒール海峡の大砲台」を圧倒的な火力で叩き潰した。そしてマルマーラ内海を制してトラキアの首都:ラズダンブールを攻略すると、ヨーロッパと中近東の連絡を完全に遮断した上で「世界の火薬庫」とまで呼ばれた一大紛争地帯:バビロニア共和国、及びガレスチナ自治領域に、文字どおり雪崩れ込んだんだ。


 一度奪取した街は、トーチカを据え、塹壕を斬り廻らして防衛する、という近代戦のドクトリンを、侵攻した連合王国はこんな地の果て:中近東でも適用し、その要塞陣地の威容を見た地場の武装勢力は、調略・懐柔のためにこちらが用意した条件を呑み、次々に靡いた。


 そんなふうにして俺たちは、無人の荒野を進むがごとく、縦横無尽に進軍し、支配地域を拡げて行った。まさに燎原に放たれた火のごとく。地図の、ほのおに焼かれるがごとく、だ。


 しかし時が経ち、一年半ほど経過した頃、———


「約束した筈の利権の譲渡がいつまで待っても履行されない」


「俺たちを馬鹿にしてるのか?」


 という声が、地場の武装勢力諸派の間で高まった。何世代にも亘って交戦状態にあり、生まれ落ちた瞬間から戦士たる宿命を担って生きる彼らイスラム武装勢力の、その矜持を、その怖ろしさを、連合王国は、まだよく分かってはいなかった。


 そして現在、———


 各地の要塞陣地が、彼等・武装勢力から、散発的にではあるにせよ、かなり激しい攻撃を受けるようになっていた。


 **


 塹壕は、それ単体である訳じゃない。塹壕の前には、例えば鉄条網や二重柵が設けられていて、敵軍がそこを乗り越えようと、柵に取り付いてモタついているところを、重機関銃で掃射して「皆殺し」にする。―――塹壕とは、そういう殺戮のための装置なのだ。


 しかし今、ヘルメットを被り、塹壕の縁から双眼鏡で見張っている砂色の景色の中に、柵や鉄条網は見えない。川や、堀も無い。ただ強風に巻き上げられた砂が、黄色く空を覆うのが見えるだけだ。


 塹壕の正面に、障害物がない。

 どういうことか?

 それは何を意味するのか?


 答えは簡単だ。


 ―――地雷原


 障害物が無いと喜び勇んで立ち入れば、即刻地雷の餌食となる。生き残った連中も、機銃掃射を浴びて蜂の巣と化し、血溜まりに沈むのだ。


 **


 変化は、

 唐突に起きた。

 最初、

 それは、

 耳障りな電気音だった。


 不意に、

 無線機が鳴ったのだ。

 塹壕の底に転がしてあった、

 背負い式の、

 クソ重たくて馬鹿デカい無線機。


 甲高くて耳障りなビープ音が最初して、それからザリザリ・ガリガリというヒドい雑音が続いた。


「いったい何だ?」


 まわりにたむろしていた五、六人の仲間のうち、塹壕の底に腰を下ろしてタバコを吸っていた奴が、だるそうに呟き、マイクを取った。いちおう「連絡係」ということになっていたからだ。


「こちらウェストゲート三番トレンチ、センターコントロール、応答願う、警報音がしたぞ、何かあったのか?」


 敵襲を知らせるビープ音がして、本来なら続けて敵の位置や数についての情報が続くのだが、何故か、破裂音混じりのひどい雑音しか聞こえなかった。


 それは、普通に考えるのであれば、高台のトーチカからの敵襲の情報である筈だった。しかし、地場の武装勢力の抵抗が例えあるにせよ、ここは大雑把に見れば味方の勢力範囲の、それもかなり奥の方で「敵地」では無かった。現時点での最前線は、ここから南に二百五十キロも離れたガゼルベイルートという大規模な市街地であり、こんなバビロニアの北の果てのキルスなどに敵襲など、ある筈が無い、とまでは言えないまでも、現実感ははっきり言って薄かった。


 それだけではない。


 安全なトーチカに詰める観測兵は、訓練を終えたばかりの新兵であることが多く、その分、虚報も多かった。


「こっちは地面に這いつくばってんだからよ、上にいる奴はもっとしっかり仕事してくれよな、………」


 そんなことをぼやきながら、連絡係のそいつは、マイクに向かって話し続けた。間違いだったと確認して置かなければ、戦闘態勢をとらなければならなくなる。


「応答願う、センターコントロール、こちらウェストゲート3番トレンチ、警報音がしたぞ」


 しかしマイクのPTTから指を放すと、やはりビープ音混じりの雑音が、スピーカーをザリザリ、ガリガリと振動させるだけだった。そして、その砂嵐のようなひどい雑音の向こう側の、ずっと遠くの方から、時折、小さく、何事かを早口でまくし立てているような、そんな人の声が混じったが、何を言っているのかを聞き取ることは、完全に不可能だった。雑音が、ひどすぎた。


「センターコントロール! 応答願うっ! 何かあったのか? 警報音がしたぞ! ………ったく、このポンコツが!」


 そいつはそう吐き捨て、その馬鹿デカくてヤケに四角い可搬式の無線機を叩いた。


 嫌な感じだった。


 砂塵で視界が利かない。

 強風で聴覚が利かない。

 おまけに、

 無線も壊れてて情報が入らない。

 或いは、………


「罠かもな」


 思ったことを、俺は言ってみた。


「妨害電波、とかさ」


 あはははは、

 そんな笑い声がいくつか上がる。

 俺だって冗談で言ってる。

 そして、

 大して面白くも無い冗談を、

 俺はさらに続ける。


「きっと、連中は、風の強い日を待ってたんだ、「眼」と「耳」が利かなくなる、こんな日をな、そして妨害電波で通信手段「口」を封じて、強襲をかける、うん、悪くない、悪くない手だ」


「そんなことまでするかな連中?」


「あの高台のトーチカを見ろ、口径百五十ミリ、有効射程十八キロの直射砲が睨みを利かせてるんだ、連中だって、それくらいの準備は———」


 その時、

 上の方、

 トーチカの辺りから、

 重機関銃の重い射撃音が轟いた。


 腹に響く、

 連続した射撃音、———


「何だ?」


「まさか、———」


 俺は塹壕の縁に取り付いて、

 風の吹き荒ぶ砂漠の景色を見る。


 その時だ———


 ごおおおおおっ!!


 と、ひときわ強い風が耳を塞ぎ、目を細く窄めた視界の中、黄色く、時に黒く吹き荒ぶ大きな砂煙の狭間に、小さく、一つの人影が立った。


「何だ、………あいつ?」


 思わず、そう独り言ちる。喉が、渇く感じがした。


 遠くてよく見えなかったが、そいつは、銃を持っていなかった。そしてその代わりに、右手には、


「………嘘だろ?」


 半月形の曲刀―――


 サーベルが、握られていた。


 

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