第三話「異変」

「ふふっ、待ってたよ。 ――?」


 謎の少女が意味深長に笑う。何を言われているのか分からないシロエは、疑問符を浮かべながらその場に立ち尽くしていた。

 後ろで緩めに結えられ、少したゆんだ生成色きなりいろの長い髪。主張の激しい頭上の大きなハネ毛。深い赤色の宝石に黒いリボンがあしらわれた髪留めと、明らかに身の丈に合っていない、袖の余ったぶかぶかな上着――どう見ても、幼い少女でしかない。

「……む、なんだい? 何か言いたげなその目は。失礼だな〜、私は子供じゃないぞ〜?」

 訝しげに彼女の姿を眺めていたのがバレたのか、少女は変わらぬ口調で茶化すように笑った。目は口ほどに物を言う。それを体現するかの如く、考えていることまで筒抜けだ。

「シロエさん、」

 こっち、というようにカガリが軽く手招きをする。そこでようやく、シロエもゆっくりと室内へ入っていった。

「ご紹介しますね。こちら、セントーレア学園、学園長の白鐘しろがねノエル先生です」

「ども!」

 ユキネから正式に紹介を受けた少女――学園長のノエルが、砕けた口振りで返事をする。

「初めまして」

 シロエはそう言うと、先ほどの二人を真似るように頭を下げた。

凍瀧いてたき君から話は聞いてるよ〜。きみが噂の……ほうほう、なるほど?」

 今度はノエルが訝しげにシロエを眺める。自身の顎に右手の指――長い袖に隠れて見えないが――を添えてまじまじと見る様は、まるで美術品でも鑑賞しているかのようだ。

「…………ふーむ。特に変わったところは無い、か」

「あ、あの……?」

 彼女のほがらかだった表情が一変、深刻さをまとった真剣な色に染まる。……が、少し困惑したシロエが声をかければ、それは再び、無邪気な少女のものへと戻った。

「や、すまないね。こっちの話だよ」

 にぱ、と屈託の無い笑みをシロエに向けると、ノエルはそのまま軽い足取りですたすたと歩き、応接用のソファーに腰掛けた。

「さて――埋火うずみび君、凍瀧君、待たせてごめんよ。改めてだが、微睡の森まどろみのもりでの一件……詳しく聞かせてもらえるかい?」

「はっ、はい!」

「はい、学園長」

 名を呼ばれた二人が返事をする。それからシロエ共々、ノエルと向かい合うようにして、低めのテーブルで隔てられた反対側のソファーへ着席した。


 学園長はおもむろにタブレット端末を取り出すと、度々画面を指でなぞりつつ、しばしその内容を熟読しているようだった。

「……微睡の森に、凶暴な書物喰らいブックワームが出現――ねえ」

「そうなんです。あの、今までにこのような事は……?」

「無いね。前代未聞だよ」

 カガリの問いに、端末の画面を見つめたまま彼女が即答する。そして再び、ふーむ、と考え込むように独り言をこぼし、先ほどシロエの姿を眺めていた時と同じ、難しそうな表情を浮かべた。

 前代未聞――学園長の口から直接その言葉を聞いたカガリも、事の異様さに思わず息を呑む。この人学園長の実年齢は不明だが、きっと数十年単位の話に違いない。

「――それで、仕留めた書物喰らいのそばに“そこの彼”もいたんだろう? その時の状況は?」

 ノエルはちらりとシロエの方へ目線を送る。ぱち、と目が合うも、次の瞬間には逸らされ、流れるようにそれは彼女の真正面に座っている天狐族てんこぞくの二人に向けられた。

「はい――初めはユキネさんと二人で、今回の調査対象である書物喰らいを探していたんです。そうしたら……その……」

「カガリさんが倒れているシロエさんを見つけて、そこにあの書物喰らいもいました。そこから先は、ご報告の通りです」

「む、倒れていた……?」

 怪訝けげんそうにノエルが問うと、二人の少女は静かに頷く。

「えっと、彼、しばらく目を覚まさなくて……」

「それでカガリさん、何度も呼びかけていたんですよ……」

「え、ええ!? 君、怪我は無かったのかい?」

 今度は明確に、彼女がシロエに尋ねる。

「ケガ……?」

「……ああ、すまない! 記憶喪失なんだったね? えーと……どこか、こう、ぶつけたりとか、痛いとか、そういうのは無かったかな?」

 記憶の曖昧な彼に対し、それまでの流暢さが崩れ、途端にたどたどしい口調になる学園長。どうにか伝えるべく、多少の身振り手振りを交えながら適切な言葉を探しているようだった。

「えと、特に何も……。大丈夫……? だと、思います」

「そっ……そうか。それなら良かった」

 シロエがそう答えると、ノエルはほっとしたのか元の笑顔に戻る。

 ――幸か不幸か、その場には彼女がほんの一瞬だけ、何かを言い淀んだことを気に留める者は誰一人としていなかった。

 今、間違いなくこのレヴリでは何かが起きている。素知らぬ顔でそよぐ長閑のどかな風は、そんな脅威の足音を知るや知らずや、飽きもせずに窓辺のカーテンを漂わせるばかりだ。


「ふうむ……不可解な点は多いが……これらは一旦、私の方で預かろう。また何か進展があったら、その時は都度連絡するよ」

 学園長は話した情報を手早くまとめ終えると、凝り固まった身体をほぐすように大きな伸びをした。

「ありがとうございます……!」

「よろしくお願いいたします」

 カガリとユキネが着席したまま、深々と頭を下げる。

「いやいや、君達の方こそお疲れさま。大変だったろう? 今日――と言っても残り半分くらいだが、ゆっくり休んでおくれ」

 優しい眼差まなざしを二人に向けながら、ノエルが労いの言葉をかける。室内の壁に埋め込まれた大きな振り子時計は正午を少しまわった頃――昼休みの時刻を指していた。


「さて……と。きみはシロエ君といったかな?」

 一呼吸を置いて、ノエルがシロエの名を呼ぶ。どうやら、話題は次のものへと移ったらしい。

 はい、とシロエが返事をすると、彼女はどこからか本のようなものを取り出し、パラパラとそのページをめくる。そして、挟まれていた一枚の用紙を抜き取った。

「それじゃあ早速で悪いんだけど、ここにサインをしてくれるかい?」

 用紙の上部には、“入学届”の三文字が並んでいる。

「! 学園長……!?」

 それを見たカガリが思わず驚きの声を上げた。そんな彼女に、まあまあ、とノエルはあおぐように片手をひらひらとさせつつ笑いかける。

「先ほどおっしゃっていた“編入生”とは、そのような意味だったのですね……」

「ふふ、さすがだね凍瀧君。そういうこと!」

 即座に状況を飲み込む二人と、未だよく飲み込めていないシロエ。困惑を悟ったのか、ノエルは穏やかに話を続ける。

「君、自分がどこから来たのかも、何者なのかさえも思い出せないんだろう? そんな状態の子を放っておくなんて、私としてはとても看過できないんだよ」

「え……」

 それじゃあ――と彼が戸惑いながらも口を開く。

「学園長……? さんは、僕の記憶を、一緒に探してくれる……ってことですか?」

「…………そうとも言うし、言わないかもしれない」

「……?」

 曖昧な言葉で濁した彼女の碧色の瞳が、初めてその姿を見た時と同じように細められる。ただ、今回は伏し目がちで少しばかり切なそうな、悲しそうな――そんな雰囲気を滲ませているように思えた。

「生憎、君が何者なのかを証明してみせようだなんて確約はしかねるんだ。とても難しいことだからね。……だけど、その手伝いくらいはさせて欲しいと、差し出がましいのは承知の上だが――そう思ったんだよ」

 ダメかな? そう問いかけたノエルは眉を下げ、困ったようにくしゃりと笑う。

 切実な彼女の様子に、シロエはハッと目を丸くし、否定の意を込め首を横に振った。

「い、いいえ! そんなこと……! むしろ、なんだか……“ここ”が、あったかい? ような、少しだけ、息がしにくい……? ような、感じがして……」

 感情の名前を知らないためか、何かを確かめるよう、自身の胸元にそっと手を当て戸惑うシロエ。そんな彼を見たノエルはわずかに目を見張り、それから、ふふっと小さく笑う。

「……もしかして、“嬉しい”と言ってくれてるのかな?」

「嬉しい――――、これが……ですか? それなら多分……きっと、そう、だと思います」

「――そっか。私も嬉しいよ」

 ノエルはテーブルの方に少し身を乗り出すと、両手を向かい側に座るシロエへと伸ばし、そのまま彼の頭を包むようにしてわしゃわしゃと撫で回す。

「わ……っ、」

 突然髪の毛をくしゃくしゃにされた彼は再び戸惑いを見せたが、その表情はこれまでで一番柔らかく、とても無機質な機械などではない、確かに血のかよったものだった。

「これから色々大変だろうけど、そんなに気負うことはないさ。困った時は、遠慮なく私達を頼っておくれ」

「……はい。ありがとうございます、学園長」

「うむ! では、改めて――」


「ようこそ、セントーレア学園へ。君の入学を心より歓迎するよ!」


 学園長であるノエルが直々にそう告げると、そばで二人の様子を見守っていたカガリとユキネも軽く目配せをし、安堵したように微笑んだ。


「……ところで、書類のサインはどうしようね? シロエ君、文字は書けるのかい?」

「文字……えーと、」

「あー、わかったわかった! それじゃ、これの赤い部分に人差し指をくっつけて、少ししてから離したら、その指をここの枠の中に――」

「が、学園長!? それ、朱肉では……!?」

「む? 指紋だって立派な本人の証明だろう? これぞ正しく、指紋認証〜ってね!」

「いけません! そんな、動物の足跡をスタンプにするんじゃないんですから!」

「え〜、ダメ?」

 唐突に始まったノエルとカガリの言い合いに、ユキネは目を細め、深く息をした。それの意味するところは呆れ――そう呼ぶに相応しい。


「……シロエさん、私が貴方のお名前を紙に書きますので、それを見ながら、同じように書いてみてください」

「あっ、はい」


 そんな喧騒もどこ吹く風。冷静な彼女ユキネがシロエに文字の読み書きを指南する横で、尚も二人の騒がしい声が部屋中に響き渡っていた。


 ◇


 ――同刻、某所。

 その鬱蒼うっそうとした獣道は、空をも覆い隠す植物が太陽光を遮っているためか、正午とは思えぬほど薄暗い。

 いかにも不気味な様相をかもし出しているだけでなく、身を隠すには好都合な条件まで完璧に揃っており、いつ何時なんどき、どこから魔物が飛び出してきてもおかしくはない状況だ。

 人の手が入っていないあるがままの自然と、そこにうごめく獰猛な書物喰らい達の影――言うまでもなく“立入禁止区域”に定められているその場所に人影などあるはずもないが、今回ばかりは珍しく、そんな危険地帯に踏み入る者達の姿があった。


「……ねえ、本当にこの先なの? 確かあの場所って、やたら広い池? 泉? があるだけだったよね?」

 気味の悪い獣道を臆することなく進みつつ、不服そうな様子を露わにしながら一人の男がぼやく。その隣を並んで歩くもう一人の男は、気だるげな彼とは対照的に、全く疲れの見えない、快活で涼しげな表情を崩さずにいた。

 両者共に、こんな荒れ果てた場所にはとても不相応な正装――スーツ姿に革靴という装いで、その格式の高さがうかがえる。少なくとも、単なる命知らずの一般市民でないことだけは確かだ。

「だからこそ君が適任として呼ばれたんだろう? それに、学長が言うんだから間違いじゃないさ」

「はー……、あの人を手放しで信用しすぎじゃない? いつか騙されるよ?」

 もう騙されてるかもしれないけど、と彼が吐き捨てるように言うと、隣の男は苦笑いを浮かべる。

「ま、まあまあ。学長あの人には色々と恩があるし、な?」

「それはそうなんだけど……さあ。なーんで二つ返事で引き受けちゃうかなあ……!」

 なだめようとする彼に対し、このお人好し! ……という、今二人がいる場の陰鬱さには到底釣り合わない、呆れ混じりの怒声が響いた。


 彼らは草木をき分けながら、人一人が辛うじて通れるほどの幅しかない細い道をしばらく進む。すると途端に視界が開け、ある広い空間へと辿り着いた。

 当然のように足場も最悪だったため、ここまでの道のりの辛さは言わずもがな――それは二人の表情が十二分に物語っていた。

「っはあ、やっっっと着いた……。――で、何だっけ? 水質の調査?」

 気だるげな男がゆっくりと周囲を見渡す。彼のおおよその認識通り、目の前には確かに、思わず息を呑むほど美しい泉が広がっていた。

 意図されたものか、偶然の産物か。まるで泉の中に陽の光を注ぎ込むかのように、その空間だけはつるの一本たりとも太陽光を遮ってはいない。

 天から降り注ぐ光の柱と、その光を全て飲み込んで煌めく、吸い込まれそうなほどに透明な水底みなそこ――不純物すら見当たらない澄み切った水は、一度ひとたび覗き込めば、そのまま吸い込まれてしまいそうだった。

 それほどまでに美しい泉の周辺が荒れ果ててしまった事には、理由がある。

 元より、ここは自然のもたらす豊富な魔力で溢れた場所――言わば地脈のようなもので、この水源から流れ出た清らかな水は、魔力と共に無数の川を流れ、各地に恵みを分け与えていた。

 しかし、魔力の恩恵を受けているのは、なにもこの地に暮らす人々だけではない。豊富な魔力には自ずと“それ”を主食として生きている書物喰らい魔物も群がり、いつしか、この泉の一帯は人の住めない危険地帯――立入禁止区域と化してしまったのだ。


「ああ。近頃、凶暴な書物喰らいの目撃情報が急激に増えただろう? それで原因を突き止めようと、片っ端から土壌やら水源やらを調査してはみたんだが……」

「特に収穫は無くて、最後に残ったのがここって事ね」

 淡白な男の言葉に、彼が頷く。

「分かった、見てみるよ。……ちょっと離れてて」

 男はそう言うと、自身の片手を泉の水に向かってかざした。すると、目の前に広がる水面がぼんやりとした青白い光を放ち、無風に等しいはずの空間で、彼の髪が緩やかに風になびく。

 この世界における魔力の用途は、別に攻撃だけに限ったものではない。魔力に他の異なる魔力をぶつけることで、その分量や属性等を解析する――今まさに、彼が行っているような使われ方も、特段珍しいものではなかった。

 その様子を、もう一人の男が静かに見守る。……しばし何の変化も無い状態が続いていたが、突然、魔力を用いて水質の確認をしていた彼が目を見張り、その表情が困惑に歪む。


「――な、何……これ…………?」

 深酒に溺れた時のように、ぐらりと視界が回る。

 倒れる――そう認識するより先に、おぼつかない両脚に無理やり力を込め、そのまま泉に転落してしまいそうだった身体をどうにか陸地へ繋ぎ止めた。

「ヒトキ!?」

 泉のほとりに両手と膝をついてへたり込むと、一部始終を見ていた同行者の彼が慌てて駆け寄ってくる。

「……へ、平気平気。ちょっと、酷い眩暈めまいがしただけで――うえ、具合悪……」

「いやいや!? 大丈夫じゃないだろ……!」

 口元を軽く片手で覆い、蹲るように俯く彼の背中をさすりながら、同行者は狼狽している。……が、そんな心配もお構いなしに、駆け寄ってきたその人から名を呼ばれた男性――ヒトキはゆっくりと話を続けた。

「それより、さ……この泉、とんでもない事になってるよ。俺達の手には負えないんじゃない……?」

「え……」

「っていうか、君は何ともないの?」

 ――“リツカ”。へたり込んだままの彼からそう呼ばれた同行者は、問いかけに対しキョトンと目を丸くする。

「いや……特には、何も……?」

「……あー、元々の魔力量が違うからかあ。君、普段から高威力の魔術で戦ってるもんね」

 なるほど、と一人で勝手に納得をするヒトキと、話の全貌が見えずに置いてけぼりなリツカ。どういう事かと連れに説明を求めようとした――丁度その時、彼の所持している携帯端末が着信を知らせた。

 リツカはすかさず、それに応じる。

「――はい、お疲れ様です、天陽てんようです。…………学長? どうされましたか?」

 どうやら、深い雑木林の中でも電波は普段通りに届くらしい。“学長”という言葉を聞いたヒトキが、何事かと思わず聞き耳を立てる。

 速やかに応答した彼も同じ心境だったのか、電話口で冷静な受け答えをしながらも、不思議そうな視線を向けるヒトキに対して軽く目配せをした。

「はい、いまがた終わりました。この後は追加でもう少し周囲の調査も行ってから学園へ――、あ、え? “それはいい”とは、どういう……?」

 淡々と報告をしていたリツカだったが、相手方の返答に意表を突かれたためか、不意に言葉が困惑の色に染まる。

 それから二、三度ほど短い返事を繰り返したのち、失礼いたします、という言葉で唐突な通話は締めくくられた。

「え、学長から? 何だったの?」

 まだ少しフラつく足取りで立ち上がったヒトキが問うも、彼は携帯端末の液晶を眺めたまま口をつぐみ、考え込むように押し黙っている。

「……リツカ?」

「あー……、えーーっと……な?」

 彼の不安げな黄蘗色きはだいろの瞳に見上げられ、困り果てた末に、ようやくリツカが溜息と共に重たい口を開いた。


「――これから緊急の職員会議をするから、今すぐに戻ってきてくれ、だと……」

「はっ、いや……、…………はああああ!?」

 滅多に大声など発さないヒトキが珍しく、心と腹の底から驚愕の声を上げる。

 そんな友人の様子に一瞬驚きはしたものの、リツカはすぐに普段通りの笑顔を無理やり作って言った。


「…………今日は一段と忙しいな!」

「それで済まされないからね!?」


 ――時刻は正午をまわる頃。人気ひとけの無い鬱蒼うっそうとした危険地帯に、場違いな二人分の声がこだました。

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