第4話

*****


 あの日以来、私達は旧校舎二階の空き教室でひっそり遊ぶようになった。遊ぶのは大抵、昼休みか放課後で、別れ際にの日時を決めて、また遊ぶ。少々怪しい遊びに興じる手前、ちょっと人目を忍ぶので、頻度はそれほど密でなく、けれどもミケちゃんは文句も言わず、ひたすら楽しそうだった。


 教室では前と変わらないまま。

 ろくに話もしなかった。


 クラスメイトに囲まれている私に、ミケちゃんは話し掛けづらそうにしていたし、私の方もあえて構おうとしなかったのだ。

 私が目立たない子を構い過ぎると、目立つ子がその子に嫉妬して、いわゆる『弱いものいじめ』が始まってしまう。見つけた端から明に暗に止めるため、大事に至ったことはないものの、経験からきっとそうなると知っていた。

 だから、というのもあるけれど、下手な詮索されたくない―――水を差されたくない、それが一番の理由だったと思う。

 旧校舎二階の空き教室。あの埃っぽい、薄暗い場所で『何か』が生まれつつある。その『何か』は、私の内側にあるものか、私の外側にあるものか。かつての私にはそれすらよく分からなかったが、『何か』はまだ生まれていない、それゆえひどく繊細で、同時にとても大切な……価値あるものだと私はいつからか確かにそう、感じていた。だから、




 何にせよ私達の関係は旧校舎二階の片隅、空き教室という小さな箱の中で、秘密裏につつがなく続いた。



 一緒に遊び始めてから、ミケちゃんについて気づいたことがある。気づいた、というよりはクラス内で漠然と感じていたことを、はっきり再認識したと言った方がいいかもしれない。

 ミケちゃんは、不器用な子だった。

 勉強も運動も得意でなく、あがり症だからお喋りもうまくできない。紐を結ぶのも絵を描くのも下手くそで、だから空き教室で最初に会った時、コンパスを作るという簡単な作業にすら苦戦していたのである。

 ミケちゃんの頭の中にあるものは、肉体によって表現される―――外へ出て行く過程で、いつもこんがらがってぐちゃぐちゃに潰れてしまう。けれど、不器用という厚い厚い果皮の内側には、どうも複雑で精緻で不可思議な精神世界果肉が詰まっているらしい。

 こと『魔法』とミケちゃんが呼ぶものに関しては、不器用ゆえ言動にたどたどしい部分があっても、何をしたいか、そのために何をするのか、根幹には一切の迷いがなかった。

 ただ、彼女が実際何をしていたかについては、最後までよく分からなかった。


『魔法』


 ミケちゃんはをそう呼んでいたけれど、本やネットで調べてみた魔法・魔術のやり方と、ミケちゃんの『魔法』のやり方は一見すると似ているようで実は全く違ったのだ。

 魔方陣一つ取っても、ミケちゃんは象形文字のような独自の記号を、自分の中で組み上げた理屈と物語に基づいて、思い付くまま書き込んでいるらしかった。詳細を尋ねてみても、ミケちゃんの説明は頭の中にあるものが複雑であればあるほど、要領を得ない。


 既存のやり方とは異なる、ともすれば自由で滅茶苦茶な、未知の『魔法』―――――


 子供のごっこ遊びなど大抵そんなものだと言われれば、まぁ否定はできないのだけど、ミケちゃんの『魔法』は描き出す図形、唱える呪文、儀式の過程―――その、不可解な全ての奥底に、何か重要な意味が潜んでいるように思われた。



「誰かに習ったの?」



 いつだったか、ミケちゃんにそう聞いてみたことがある。

「ぅえっ?」

 四つん這いになって床へ敷いた大きな紙に一生懸命、先の丸い鉛筆で奇妙な図形を書き込んでいたミケちゃんは顔を上げ、目をぱちぱち瞬いた。

「魔法。誰かに習ったのかなって」

 放課後の空き教室には、柔らかい飴色の陽が差していた。ミケちゃんの茶色い瞳が、その光の中で少し揺らいだ。沈黙。

「………………お母さん」

 やがてミケちゃんはぽつりと言って、俯いた。どことなく気まずそうな、悲しそうな表情である。それを見て、クラスメイトの一人がひっそりと語っていた噂話がふと頭を過った。


 ミケちゃんち、お父さんとお母さんいないんだって。

 おばさんちで暮らしてるんだよ。


 ミケちゃんにとって、お父さんとお母さんに繋がる話題は痛みを伴うものなのかもしれない。この話は切り上げた方が無難だろうか。一瞬迷ったけれど、ミケちゃんの方が「あのね」と言葉を継いだ。

「わ、わたしのお父さん、とお母さん、わたしが小さい頃、ゆ、行方不明に、なっちゃって――――」

 ある日の夜、リビングで遊んでいたミケちゃんは、いつの間にか家の中が妙にしーんとしていることに気がついた。台所を覗いても、寝室を覗いても、風呂やトイレを覗いても、誰もいない。それですっかり狼狽えて、泣きながら外を彷徨いていたところを警察に保護され、その後は隣町――つまりは私達の町――に住む父方の叔母のアパートへ引き取られた。そしてそのまま、伯母と二人で暮らすようになったのだという。

「な、習ってない。魔法はね、お、お母さんのまね、なんだ。お母さん、す、すごかったんだよ。オバケを追い払ったり、動物と話したり、魔法で色んなことができた。た、たくさんの人が……も、もちろんお父さんも、お母さんを、頼りにしてて…………わたし、お母さんみたいに………誰かを、助けられる人に、なりたくて。でも魔法、習う前にお母さんいなくなっちゃったから、だから、まねして練習してるの。ユミちゃん――あの、えっと、おばさんに見つかったら怒られるから、こ、こっそりだけど」

「こっそり――ああ。だから、最初のあの時もここで?」

「あっ、えっと、うん。い、家の中以外で、れ、練習できる場所、探してて……それで……………」

「そっか」

 あなたの気持ちは全て理解しているよ、という風に優しく微笑んではみたものの、少々反応に困る話だった。大の大人が魔法を使って、なおかつ、それで人から慕われていた……そこだけ聞けば胡乱な話だ。

 ミケちゃんのお母さんは魔法使いを騙る詐欺師で、何かしら『悪い仕事』に失敗してお父さんと逃げ出した。そんなわけだからミケちゃんの叔母さんは、ミケちゃんがお母さんのまねをすると怒るのだ。

 そう考えられないこともない、というよりそう考える方が普通だと思う。軽率な子ならそれが事実だと決めつけて、考えなしに悪口を言い触らすこともあり得るだろう。

 ミケちゃんもそれを分かっているのか、私の顔色を窺って攻撃される気配がないと見て取ると、ほっと安堵の笑みを浮かべた。

「あの……」

「分かってる。お母さんと魔法のこと、秘密にして欲しいんだよね」

 私達だけの秘密。

 片膝を突き、床に座り込んでいるミケちゃんと視線を合わせる。

「約束」

「うんっ」

 ミケちゃんは嬉しそうに頷いて、差し出した私の左小指に、はにかみながら華奢な左小指を絡ませた。


*****






 やがて膨れ上がった肉の中に手も足も顔も埋もれてしまって、ミケちゃんは丸い大きな大福のような姿になった。


 食料はない。

 水もない。


 肉体を構成する栄養が、水分が、刻々と抜け落ちていくのを自覚しながら、ひたすらじっとして消耗を緩やかにする他、何をすることもできない。飢えと渇きが意識を蝕み、昼夜がないため、ただでさえ希薄な時間感覚がさらにあやふやとなり、苦しみに満ちた一瞬が間延びした永遠と錯覚された。



 目前には、ミケちゃんがいる。



 を考えなかったわけではない。喉が渇いた。お腹が減った。だからきっと、ここにいる誰もが考えただろう。

 実際、最後に見掛けた時、可西くんは思い詰めた表情で新校舎二階からグラウンドを―――死体置き場を見下ろした。でも、それをしたとして、その先は? その先の見通しなどない。『姫井川宵子』が応えるべき期待も、希望も、何もない。何もないなら、やる意味がない。少なくとも、私にとっては。


 目前には、ミケちゃんがいる。


 視線を逸らして、自分の腕を見た。骨が浮いている。ひと月も経っていないはずなのに、随分細くなってしまった。…………………

 栄養が、足りないせいだろう。

 思考が鈍磨している。凪いでいる、と言ってもいい。飢えと渇きが肉体を蝕むほどに、心の表面を覆っていた余剰が削ぎ落とされて魂が剥き出しになり、魂とはこうも透明で烈しい輝きなのか、と私は取り留めないことをぼんやり思った。

 …………………

 …………………

 …………………

 …………………

 …………………

 …………………

 …………………

 ……………………

 ………………………

 …………………………

 どれほど、そうしていたか分からない。横たわり、自分の腕をぼぅっと眺めている内にふと気がついた。

 目前には、ミケちゃんがいる。

 丸い大きな大福のようになってしまったミケちゃんが。


(ミケちゃんは)


 


 心臓が思いがけず高鳴った。熱い血潮が体内を巡っていることを意識する。まさか。ポケットから白黒世界に来て以来、何かの役に立つかと持ち歩いていたカッターナイフを取り出して、ミケちゃんの肌を薄く切った。

 薄桃色の瑞々しい断面が、傷口からうっすら覗いている―――――

 粘ついた唾を飲み込む。

 果たして、予想した通り、浅い傷はあっという間に塞がった。やっぱりそうだ。ミケちゃんの体はある一定の状態を保っていて、損なわれた分は復元される。つまり、………


 今度は指先ほどの、小さな肉片を切り出してみた。


 血は流れない。ミケちゃんはもにょもにょ、くすぐったそうに笑っている。その傷もやっぱりすぐに塞がり、ああ、私は掠れた息を吐き出した。

 肉片を舌に載せる。

 噛み締めると甘い汁がじんわり溢れて、自分の心臓がこんなにも強く動くものだと、生まれて初めて私は知った。

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