第3話

*****


「じ、地面に、お、大きな丸をね、か、描こうとしたの。でも、難しくて、うまく描けなくて……ど、どうしようって、その、考えてた時に、思い出したの。前読んだ本の中に、ま、えっと、魔方陣を、床に描く、場面があって、あっ、あっ、あのっ、その本の中では紐をあのっ、えっと、あの、あれ、何だっけ―――あの、あの―――――」

 焦りと緊張のせいだろう。

 しどろもどろになりつつも一生懸命事情を説明してくれたミケちゃんの言葉を要約すると、どうやら『魔法』を使うため、ミケちゃんは魔方陣(魔法円とも言っていた)を床に描こうとしていたらしい。

 ただ、大きな円を道具なしで描くことは当然ながら難しく、紐をコンパスの代用品として使ってみようと思い付いた―――はいいのだけれど、紐を使うという断片的な知識はあっても、実際それをどう使えばきれいな円を描けるか、そこまでははっきり分からず四苦八苦していた………

「って、ことだよね?」

「……う、うん……っ」

 私の要約を聞いてミケちゃんはこくこく頷きながら、顔を赤くしたり蒼くしたりと忙しかった。気心の知れない相手には言わない方がいい、ともすれば「変な一人遊びをしてる」と揶揄いの種になりそうなことを勢い余って話してしまった。そんな自分の失態に気がついて、だんだん焦り始めたのだろう。


 放っておいたら、泣くかもな。

 面倒だな。


 そう考えたのは、覚えてる。

 しかし、面倒ではあるものの、難しい事態は別に起こっていなかった。いつも通り優しい笑顔で適当なことを言って宥めておけば、簡単にその場をやり過ごせる―――はずだった。なのに、



「ねぇ」



 ミケちゃんの肩がびくりと跳ねた。伸びすぎた前髪の隙間から不安げな瞳が覗く。私を見詰めるその瞳をじっと見詰め返して、私は、

「見てみたいな」

「え?」

「魔法。手伝ってあげる」

「えっ。えっ」

 どうしてそんなことをしようと思ったか、その時は自分でもよく分からなかった。危なっかしくて、放っておけなかった? いや。違う。胸の奥がなぜか奇妙にざわついていた。今にして思えば、きっと予感があったのだ。


 何かが始まる。

 始まろうとしている。


 そういう予感が。


*****







 世間一般より裕福な家。

 穏やかで善良な家族。

 束縛が全くなかったわけではないけれど、それだって親が子を守ろうして課す必要最低限の枷であり、子供の自由意志を抑圧するほどのものではなかった。に来るまで災害や犯罪に巻き込まれたことはなく、いじめられたことだってない。

 生まれ。育ち。容姿。才能。

 どれを取っても、『姫井川ひめいかわ宵子よいこ』は恵まれていた。

 歪む要因など何一つなかったはずで、なら、私がこういう人間になったのは、私自身に問題があったせいなのだろう。生きている以上、物を食べたい、眠りたい、そういう生命活動を維持するための欲はある。だが、それ以外の欲については昔からひどく希薄だった。

 欲しいものも、やりたいことも、何もなかった。

 欲しくないものも、やりたくないことも、何もなかった。


 何もなかったから、流されたのだ。


 人の期待に。


 期待というものには、総意がある。所属する社会が、集団が『姫井川宵子』に向ける期待、と言い換えてもよいかもしれない。個々人の期待全てに応えていてはキリがない上、結局のところ、あちらを立てればこちらが立たず―――必ずどこかで深刻な矛盾が生じる。応えるべきは総意の方で、だから私は正しく演じた。

 みんなが求める『姫井川宵子』を。

 完璧なようで少し抜けてる、愛嬌があって、優しくて、いざという時は頼りになる、理想の少女を。

 演じることは私にとっては簡単で、簡単である故に苦痛じゃなかった。そのため今も漫然と続けている。みんなに対するいくつかの、ささやかな嘘と裏切りを隠しつつ。






 件の異変は数日掛けてじわじわ私達を蝕んで、一人また一人と体のどこか、あるいは全部がおかしくなった。混乱と恐怖の中、体力的にも精神的にも限界だった私達は為す術なく希望を失い、友達や家族と身を寄せ合って慰め合う他、できることは何もないとやがて気づいた。

 だから私は、ミケちゃんと一緒にいたのだ。

「うぅー……」

 旧校舎二階のあの空き教室で、ミケちゃんは蹲って泣いていた。泣きながら膨れ上がりつつある体のあちこちを掻き毟り、掻き毟り、小さな声で譫言のように呟き続けた。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――――――」



 時折、濡れた瞳で私を見詰め、

「ころして」

 そう唇が動いたけれど、私は微笑んで何も応えず、ミケちゃんはまたしくしく泣いた。

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