第6話 一発仕掛けるなら、ここしかない

 交野山の山頂には観音岩と呼ばれる巨石がある。すばらしく景色が良いが、今はそれに構っていられない。いくつかの道が合流しているが、即座に地図を見てルートを選択する。その道に足を踏み入れる。比較的ゆるやかな尾根道。ここから四番目のチェックポイントまでには途中で何本も分岐があるので注意が必要だ。


 タンタンタタン。リズムよく駆け降りる。左手から一本の道が合流するが、これは無視して直進。やがて木々の向こうに送電線が見えてくる。ここで地上は道が三本に分かれる。真ん中の谷を降りていくと一番のポイントに戻ってしまう。ここは左の尾根道を下るのが正解だ。


「…………」


 そこで、あたしは足を止める。


 くだりは得意だ。でも、このまま馬鹿正直に追いかけて、天才・広瀬藍ちゃんに追いつけるだろうか? もう一度、地図とコンパスで現在地をアイデンティファイする。このまままっすぐ行くと、もう一度送電線の下をくぐって道は左へカーブを描く。よく見ると、地図上の送電線が途中で折れている。これは鉄塔があるということを意味する。道はこの鉄塔をよけるために左へ曲がっているのだ。おそらく藍ちゃんは、あたしがもう追いつけないと見て、順当にこの道を下って行っただろう。その方が確実だ。つまり、一発仕掛けるなら、ここしかない。


「――よし!」


 方向をしっかり見定め、道なき道へ踏み込む。


 地図の読み方――読図の仕方は、燐先輩に教わった。燐先輩の課題でも、道なき道に飛び込んだことを思いだす。あの時は、ギリギリだったけれど上手くいった。今回も、できるはずだ。


 鉄塔を大きく迂回する道には入らず、そのまま直進。方向を見失わないように、ある一点を決める。そこへのルートを、瞬時に考える――いや、考える間も無く、身体が動いている。あの木の左側から抜けて、あの窪みに右足を、その次はあの根のそばに左足を。重力に引っ張られる。スピードがどんどん上がる。枝を避け、茂みを飛び越す。斜面が少しなだらかになり、元の登山道が現れる。


「ここだ!」


 景色が歪んで後方へぶっ飛んでいく。位置エネルギーに頼っている部分はあるが、こんなスピードで走ったことなんて、今までの人生で無かった。きっと、本気で走ったことが無かったのだ。まぁあたしはこんなもんだと、勝手に割り切っていた。頑張らなかったから、負けても悔しくなかった――だが、今は違う!


「お・い・つ・い・た・ぞ、ウラァ!」


 自分でも聞いたことが無いような馬鹿でかい声が、自分の喉から出る。そう、追い付いたのだ。最後の分岐にある、四番目のチェックポイント。そこで今まさに読み取りの機械にカードをかざそうとする藍ちゃん。


「な、どうやって――⁉」


 彼女は一瞬呆けて目を丸くしていたが、すぐに気を取り直して走り始める。あたしは斜面を下ってきた勢いを殺さず、チェックポイントを通過――その差は約三秒といったところか。あとは追いかけっこだ。藍ちゃんの背中を追いかけながら、深北緑地で卓美先輩と繰り広げた鬼ごっこを思い出す。卓美先輩と比べたら、彼女のスピードも大したことないような気がした。もしかしたらあたしがスピードに乗っているからかもしれない。


 あたしが脚を動かしているのか、あたしが脚に動かされているのか、もはやわからなかった。何かネジが飛んで、脚が外れるんじゃないかと思った。でも、回転を止めるわけにはいかない――潰れるなら、ゴールしてから……目の前の藍ちゃんを追い越してからにしてくれ――


「おおおおおおおおおお!」

「ああああああああああ!」


 どっちがどっちの叫びか、わからない。あとはがむしゃらに走った。ほとんど横に並んだ……。


 汗が目に入って視界がぼやける。ぼんやりした視界の中で、ゴールが見える。皆が、待っている。


「ゴォォォル!」


 倒れるようにして、卓美先輩の胸に飛び込む。さほど弾力は無いけれど、温かい。


「よう頑張った。よくやってくれたで!」

「お疲れ様です」

「かっこよかったで~」


 卓美先輩があたしの背を叩いている。燐先輩がタオルで汗を拭いてくれる。風子先輩が水を飲ませてくれる。


「ど、どうなったんで……すか? 前が、よく見え……ない」

「勝ちましたよ!」

「勝ったで!」

「優勝や!」


 汗じゃないものが、頬を伝う。


「やだ……なんでだろ……」


 べつに悲しいわけでもないのに、むしろ嬉しいのに、涙があふれて止まらなかった。


「好きなだけ泣いたらええねん。涙が出るってことは、泣くほど嬉しかったってことで、そんだけ頑張ったってことやねんから……」

「うぐっ……うわあああああん」


 あたしは卓美先輩の胸で、子どもみたいに、泣いた。

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