希釈なし
家のすぐ近くに、ジュースと風邪薬の空箱が大量に落ちていた。
カルピスウォーターのパック。メジコンの箱。銀色のPTPシート。
夜の冷たい風にあおられて、消えそうな街灯の白い光の下、田んぼの脇でカサカサと音を立てていた。
山と田畑しかない場所だから、その異常さが余計に際立つ。
通報はした。けど、電話を切ったあと、妙に胸がざわついた。
証拠のつもりで写真も撮ったけど、撮った瞬間に、後悔した。
レンズの向こうで、何かに見られている気がした。
この暗さの中に、誰かが潜んでいるような。
一月前にも、同じ場所で一箱だけ落ちていた。
今回は四箱以上。
数が増えている。
偶然じゃない。誰かが意図的に捨てている。
しかも、決まって夜に。
それがどうにも怖かった。
この町には、ときどき明らかにおかしい人がいる。
昼間から歩道の真ん中で怒鳴る老人。
スーパーの前で1人笑い続ける若者。
寂れたドラッグストアのベンチで、書面を見せながら小汚い男に何かを延々説明する厚化粧の女。
人口が少ないから、そういう人が目立つ。
都会なら空気に溶けて消えるような異常が、ここでは希釈されない。
濃度を下げるものがないから、空気ごと濃くなっていく。
その空気を吸って生きてるのが、何より怖い。
翌日、警察は来たらしい。
でも、僕は立ち会わなかった。
怖かった。
もし見られていたらどうする?
「通報を見られる」→「逆恨み」→「刺される」。
そんな考えばかりが頭の中をぐるぐる回った。
夜になると、窓の外が気になる。
外は街灯が少なくて、真っ暗だ。
風が吹くたび、ブロック塀の向こうで何かがこすれる。
猫かもしれない。
でも、薬を捨てた奴もまた、夜行性かもしれない。
町内放送では「不法投棄に注意してください」と流れた。
でも、誰もその“中身”については触れない。
何が捨てられているのか、どんな人間がやっているのか。
話題にすらならない。
この町では、異常が“事件”にならない。
異常は、ただの“日常”のひとつとして、静かに沈んでいく。
数日後、またあの場所を通った。
薬の箱は片づけられていた。
代わりに、白いビニール袋がひとつ、置かれていた。
まるで次回予告みたいだった。
風が吹いて、袋がカサッと揺れた。
その音を聞いた瞬間、鳥肌が立った。
誰かがまだここにいる気がした。
この町のどこかで、少しずつ壊れていく音がする。
でも、誰も気づかない。
人が少なすぎて、誰の視線も届かない。
異常は薄まらず、濃くなっていく。
息をするたび、空気の味が変わっていく気がした。
家に帰って、スマホのフォルダを開いた。
カルピスウォーターの青。メジコンの紫。
どちらも、人の体に「やさしい色」をしている。
なのに、その優しさの下にあるのは、どうしようもなく不穏なものだった。
希釈されない異常が、この町をゆっくりと染めていく。
【短編集】虹に火を点けたら世界は焦げる 大地 @kaya-owl
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