第7章 Jackpot!


  1


「……父上。先日の武闘会では、何故あのようなことをしたのですか。僕のエミリは、きっとあの試合勝てていました」

 エリオットは、重い口を開いてそう目の前の父に問いただす。

 父は──イルレヌード・アレキサンドラは、広いデスクの上に広げた書類から一瞬だけ目を上げてこちらを見る。だが眼鏡のレンズ越しのその眼差しは、すぐまた書類へと落ちる。歯牙にもかけない、取り付く島もないという感じだ。

 学園内にある、理事長室だった。 クローチェ会室と同じほどの広さだが、部屋の主の威厳を表わすかの如く装飾品や置かれている家具の品位は厳かだ。日差しが窓から入り込んでいるが、イルレヌードの机には掛からず照明のようになっていて、どこか無機質な空気を漂わせている。

「何のことだ。私は忙しい。つまらぬ用件なら帰れ」

「お戯れを。武闘会最終戦、決着の局面です。キアラ・サヴァトーの剣が一瞬の攻防で弾かれたように見えましたが、その時微かに父上の魔力の気配がしました。……あの戦いに、介入いたしましたね? 他の者たちはごまかせても、僕はごまかせない。何故なんです」

 なおもエリオットは食い下がる。ここで引いたら父には絶対に取り付けない。そしてこれは、曖昧にしてはならない問題だ。

 イルレヌードは眼鏡を外すと、眉間を指で揉みながら深くため息をついた。そして、威圧さえ感じる眼光でこちらを捉える。

「……お前は何も、わかっていなかったのだろうな。あの一局の危うさを。仮にもし、あの場面でお前の下僕が下民の小娘如きに敗れていたらどうなっていた? 学園内の生徒たちならともかく、学外から来ていた来園者たちまで、アオイ・エレジアルナに洗脳されていただろう。それだけは絶対に避けなければならん」

 ──本来なら、お前がやるべきことだった。イルレヌードはこちらから目を逸らさずに言う。その圧に押されそうになるが、エリオットはぐっと耐えて目を逸らさない。

「この学園の現状を守るためなら、何をしてもいいというのですか。他のクローチェ立候補者たちを募ったのも父上でしょう。彼らもアオイの妨害に暗躍していたと、確認しております。……どんな事情があろうと、学園というのはそこに属する生徒たちの権利を尊重するべきです。少なくとも彼、彼女らの意見が反映されるクローチェ選抜会だけは公平でなくてはならない。……それとも、そんなに僕が不甲斐ないクローチェに見えますか」

「ああ、見える。少なくとも今のお前は、アオイ・エレジアルナに敗北を許す優男だ。だから私が介入せざるえなくなった。それがお前の今の不甲斐なさだ」

 だが、聞け。イルレヌードはデスクに眼鏡を置いて、再びこちらを見る。その眼差しと声色には、どこか諭すような雰囲気が含まれていた。

「お前も、私の立場になればきっとわかる。これは、現状だけじゃなく、未来永劫、この学園を守り抜くために必要なことなのだと。そのためなら私はどんな汚いことに手を出す。汚名だって被ろう。……だから今、アオイ・エレジアルナにクローチェという神聖な立場を踏みにじられては困る。全生徒の平等を謳うあいつが齎そうとしているのは学園の混乱、そして崩壊だ。いやそれどころかこの世界全体の秩序さえも揺るがしかねない」

 ──反逆者と同等なのだよ、あの女は。イルレヌードは真摯に言う。

「今、上級貴族のみに許されている魔法の技術を、下級貴族、そして庶民たちが手にしたらどうなると思う。奴らが上に立つ我々に牙を剥かない保証はない。反旗を翻すための武器を配り渡すのと相違ない。そうしたら平穏は瞬く間に崩れ落ち、平等という名の混沌が訪れる。……元よりエレジアルナの娘のお転婆具合は把握していたが、ここまでとはな。お前に娶らせてコントロールするつもりだったが、どうしてここまでの愚行を許した?」

「彼女は物じゃないッ!!」

 つい反射的にエリオットは言葉を返していた。イルレヌードの諫める視線で我に返る。彼は怯まない。だから何を伝えようが、無駄なのだ。でも言わずにはいられなかった。

「……失礼。とにかく、これ以上のお力添えは無用です。僕とエミリは武闘会で勝った。それだけ選抜会も有利になる。正々堂々ぶつかっても、僕はアオイに勝ってみせますよ」

「……本当にそうか? 学園内では随分と話題になっていると聞いているが。あのアオイ・エレジアルナが、許嫁である庶民貴族の娘を自らの身を挺してまで守った。彼女こそが、革命家であると。スピネルクラスの連中だけでなく、上級貴族の生徒たちまでその影響をもたらし始めていると」

「それでも僕が勝つ。ご安心を。この学園の平穏とやらは、必ず守りますよ。現クローチェとして誓います。これ以上の介入は不要です」

 エリオットは言い切ると、「失礼いたします」と迷いなく理事長室を後にした。つかつかと苛立ちを抑えきれない足取りで廊下を進む。

「……エリオット様。大丈夫でしたか? もしかしてお叱りを受けました? 私、何かやっちゃいましたか? やらかしですね、やらかし!」

「いや、君は何も悪くない。これは本当。全ては僕の不甲斐なさ故に、招いたことだ。気にしないでいい」

 いつもの如くいつの間にか後ろに現れたエミリが顔色を窺う子犬の如く追従してきてくれる。実際自分の言う通りでしかない。ぐうの音も出ぬほどに。

 おそらくあの武闘会での局面。イルレヌードが魔法で介入したことで意図的にあのキアラ・サヴァトーに隙を作らせた。

 既に攻撃態勢に入っていたエミリも当然止まれない。もしアオイがキアラを庇わなければ。キアラはあの場で死んでいたかもしれない。そしてエミリを、殺人者にしていたかもしれない。

(……そんな危うい賭けを僕に一言もなくやってのけるほど、あなたにとって僕は不甲斐ないか)

 決して勝てない試合ではなかった。エミリに不足はなかったし、全信頼を置いていた。実質、彼女は善戦していたし勝機は十分にあった。それなのに。

 エリオットは歩きながら深くため息をついた。

「……エミリ。平穏とは。平等とは、一体何なのだろうね」

「はいッ! ……はい? な、何でしょう……? みんながお腹いっぱい、ご飯を食べられることでしょうか? 満腹ですよ、満腹」

 つい溢れてしまったぼやきに、エミリは一生懸命に考えて答えてくれる。思わず噴き出した。

「えっ、え? な、何か私、変なことしちゃいました? 不敬ですか、不敬?」

「……いや。君が僕の傍にいてくれて、本当によかったと実感しているところだ。……ありがとう、エミリ。いつも僕に尽くしてくれて」

「えっ、えっ、えっ、えぇ⁉ ど、ど、どうしたんですかエリオット様ぁ⁉ そ、それほどでも……ありますけどぉ、ありますけどぉ……」

 しきりに照れる彼女の肩に手を置き。エリオットは彼女と並んで進む。


  2


「……どういうつもり。アオイ先輩。武闘会で敗れたら自分の立場が危うくなるのは目に見えてたでしょ。なのに何であんな真似したの。私は助けなんか必要としていなかった」

 午後の穏やかな日差しが降り注ぐ、学園の中庭。東屋の下で椅子に姿勢よく座るアオイに対して、立ったままのキアラは言う。鳥も歌うこの空間で毅然としたままでいる彼女に、キアラは正直喰って掛かりたかった。

(……何なんだこいつ。絶対武闘会では負けられないことをわかっていたくせに。全然理解できない……)

 正直言って、あの瞬間はやばかったと思う。アオイの介入がなければ、無防備だったキアラはエミリの止められない一撃が致命傷に至っていたかもしれない。

 だが、あの場にはまだディレッタがいた。キアラに何があろうと、ディレッタは戦えたはずだ。キアラとディレッタはチームではあったが、別にキアラがやられたとしても問題はない。あくまで自分は、出場選手であるディレッタの助力選手という扱いだったからだ。

 なのにアオイは、わざわざ自らの危険を冒して。そしてクローチェへ至る道が閉ざされかねないリスクまで冒して自分を守った。それは何故だ。まったく納得が出来ない。

「何度も言っているでしょう、キアラさん。あなたが危険だと判断したから、私は介入した。事実、私がいなかったらあなたは今ここにいなかったかもしれない」

「そういうこと聞いてるんじゃない。ディレッタ先輩が戦闘不能にならなかったら負け判定にならなかったでしょ。あなたにとってもあの武闘会での優勝はクローチェへの大事な過程だったはず。何でそれをわざわざふいにしたの」

 ──私はあなたにとってただの駒のはず。なのにどうしてそんな無駄なことを。キアラはずっと凝り固まっていた疑問を口にして彼女に詰め寄る。いい加減、かたくなな態度を崩さないに頭に来た。

 すると、彼女の方もこちらに痺れを切らしたように。立ち上がってかっと目を見開き口を開く。

「あなたが私にとって失いたくない人だからよッ! じゃなきゃあんな無茶なことするわけないでしょう! 私だって死にかねなかったわ!」

「……は? どういう意味? 全然よくわからないんだけど。何、スピネルクラスの生徒たちへのアピールのためってこと? 確かに許嫁発言はあったけど、その嘘を貫くのより、武闘会優勝の方が絶対に大事だったでしょ。訳わかんないんだけど」

「おい、ちょっと二人とも! 一旦落ち着け。その擦り合わせは後にして、とりあえず現状の整理と今後のことについて話し合った方が建設的でしょう、アオイ様」

 言い合うように顔を突きつけ合った自分たちの間に、ディレッタが冷静に割り入ってくる。彼女は冷静で、確かにその通りだった。私は一体何が気に喰わないのだろう。落ち着きのない自分が、どうにも落ち着かない。アオイは席について大きく息をつき、キアラも彼女から離れた。

 まずディレッタが口を開く。

「私たちは昨日、武闘会で敗退しました。故に、優勝した現クローチェ、エリオット様にリードされた形になる。正直かなり不利ですが、私もやむを得なかったと思います。アオイ様が来なければこいつは死んでいたでしょう」

 ……こいつも、武闘会前に死んでくれって私に言ってなかったっけ。何なんだ、こいつら。キアラは不可解でならない。

「でも、あの最終局面での私の行いが、生徒たちの中ではいい意味で話題になっているわ。私は、自らの身を顧みないで下級貴族の娘を守った革命家だって。スピネルクラスの人たちはもちろん、上級貴族クラスの人たちからも支持を受けつつある。……武闘会の件で、エリオットに遅れはとった。それは私の責任よ。ごめんなさい」

 意外にもアオイは素直に頭を下げてくる。かと思えばすぐ面を上げた彼女の目には譲らない強い光が宿っていた。

「でも私に後悔はない。前述の通り、逆に生徒たちの支持もかなり得られた手応えはある。クローチェ選抜会の最終局面は全生徒による投票よ。生徒たちが、私を選ぶ。そのために投票が行われるまで本気で改革するとPRを行っていく。どれだけエリオットが有利であろうが、問題はないわ」

「大ありでしょ。絶対学園側の奴らが全力で阻止してくるに決まってる。正攻法じゃ間違いなく負ける。……あの武闘会だって、誰かが私を妨害してきた。アオイ先輩も気づいてるよね?」

 試合中、最終局面。エミリと拳と刀を交わらせようとした瞬間、明らかに魔法でキアラの攻撃は遮られた。それがエリオットなのか誰なのか知らないが明らかに外部からの妨害だ。危うく殺されかけた。

 アオイはキアラを見据える。今回はあのごまかすような笑みはなく、真摯な眼差しだ。

「そのために、あなたの力がいるのよキアラさん。あなたは武闘会の一件で警戒されるでしょう。でも、それに押し負けるあなたじゃないと信じてる。学園側に好き放題させないための策を、私たち三人で考えましょう」

 それと、とアオイは真剣な表情を変えないまま言う。

「あなたを守ったのは必要な人材だからとかそういう理由じゃない。あなたは私にとって駒ではないわ。……それだけは、よく胸に刻んでおいて」

「……はぁ」

 反応に困る。返事とため息が同時に出た。必要な人材じゃなく、駒でもないならこいつにとっての私はなんなんだ。納得しかねる。

「もし学園現状維持派が動くなら、生徒たちの投票が始まる前後でしょう。投票の日には、各候補者が全生徒の前で演説する場もある。そこで何かを仕掛けてきて、最悪アオイ様を出られなくさせる可能性だってある。奴らはもう、アオイ様を学園に改革をもたらす脅威だと明確に捉えているはずです。今日からでさえ油断は出来ない。……黒猫。候補者たち各位、その他学園周りの連中におかしな動きがあったらすぐに知らせろ。理事長であるイルレヌード・アレキサンドラの周りは特に、だ」

「わかってる。……けど、そもそもそれって、投票自体でアオイ先輩が勝ってるって前提だよね。エリオット先輩を含めて。純粋に票を集められてなかったらどうするの。私が裏から手を回せばいい?」

「そ、それは……ッ。おい黒猫、口が過ぎるぞ……!」

 肝心なことに切り込んでいくとディレッタが口を挟んでくる。が、彼女も考慮していたのはその動揺っぷりから見てとれる。

「その必要はないわ、キアラさん。その時は、単に私がクローチェの器ではなかったということ。それでも大丈夫安心して。あなたの身の安全、そして将来の安泰だけは何とかしてみせるわ。もちろんディレッタもね」

「あ、アオイ様……! 私はそんなことを心配しているわけでなく……!」

「だろうね。それくらいは保証してもらわないと困る」

「おい黒猫……! お前なぁ……!」

 アオイはあくまで凛とした態度を崩さずにそう答えた。こいつが選抜会に負けたら間違いなく自分の身は危うくなるだろうが本当だろうか。不安しかないが、信じるしかない。我ながら随分と分の悪い賭けに乗ったものだ。

「だからこそ、学園側の不正だけは何としても阻止してもらわないと。勝ってるのに負けた扱いにされるのが一番困る。私も魔法で向こうの動きは探るけれど、それが及ばないところまではキアラさんに情報収集をお願いするわ」

「……了解。主にエリオットと──理事長のイルレヌードの周り辺りだね」

「さすが呑み込みが早いわね。彼らは特に物理的にも魔法的にも周辺の警備が強固よ。向こうの情報は些細なものでも欲しい。バレないように出来るかしら?」

「出来なきゃここにはいないよ」

 キアラが言うと、アオイはそうだったわね、とようやく相好を崩す。

「向こうもあなたのことは警戒しているはずだから無理はしなくていいの。出来る範囲で。ただ、確実に妨害行為には動くはずで……」

「──危ないッ!」

 魔力探知とかそういうものはわからない。でも前世からの経験が、キアラを動かしていた。

 アオイを抱え込むようにして、キアラは倒れ込んでいる。椅子から引っ張りこみ、彼女を上にして背中から地面に倒れ込む形だ。

 地面に落ちる前の一瞬。凄まじい速度でアオイの頭上を光の銃弾のようなものが過ぎていくのが見えた。遅れて衝撃。思った以上にアオイが軽かったせいでそこまでではなくて助かった。

「曲者ッ!」

 ディレッタが素早く動く気配があった。今のはおそらくアオイを狙った魔法での攻撃だ。直前までディレッタにさえ悟られなかったことから、相当の手練れだろう。彼女に任せて大丈夫だろうか。

「……あの、キアラさん? もう大丈夫よ。離してもらうとありがたいわ」

 何故か困ったような声色で、抱き留めたままのアオイが言ってくる。確かにそうだ、と腕を離すと彼女は立ち上がってキアラに手を貸してくれる。応じた。

「平気? 今のはやばかった。まさか向こうが、こんな直接的に仕掛けて来るなんてね。それだけ余裕もないってことか」

「……そうね」

 珍しくアオイの口数が少ない。命を狙われたとあれば当然かと思ったが、彼女の表情は何か考え込んでいるようだ。

「……本当に大丈夫? もしかして今の魔法、何か精神とかにも影響あった?」

「あ、いえ本当に大丈夫よ。それよりディレッタ、大丈夫かしら」

 彼女はあからさまに顔を背けて話題を逸らした。目を向けた方から、落胆した様子のディレッタが歩いてくる。

「刺客はもう逃げたようだ。魔力の痕跡もない。ここまで煙のように姿を消すとは……相当の奴だな」

「武闘会で戦った奴らとは違う雰囲気だったね。私も襲撃されるまで気づかなかった。……ここまで来ると、もうアオイ先輩も安全じゃない。一人にならない方がいい」

「……そうね」

 アオイはやはりどこか上の空だ。ぼんやりしているわけではなく、ひたすら思考を巡らせている感じだ。

「夜も一人にならない方がいいね。ディレッタ先輩、アオイ先輩と一緒にいてあげた方がいいんじゃない」

「……は? い、いやいやいやいやッ! 私如きがアオイ先輩と寝食を共にするわけには行かないだろう! 立場というものがある!」

 提案するとディレッタが両手と首を振るって必死に否定する。そんなこと言ってる状態じゃないだろう。こいつも主同様に相当呑気だな。

「それなら話は簡単よ。キアラさん、あなた、今夜から私の部屋で一緒に過ごしてちょうだい」

 ……は? 不意にアオイがとんでもないことを言い出して危うく聞き逃すところだった。今さらりととんでもないことを口走りやがった。

「だってあなたは私の許嫁なんだもの。その方が自然でしょう?」

「いやいや、表面上だけでしょ。同じ部屋で過ごすのは流石に外見が悪くない? っていうか、私のこと信頼していいの。寝首掻くかもよ」

「これから寝首を搔く人はそんな警告しないでしょう? これまでの振る舞いから、私はあなたに全面の信頼を置くわ。私と一緒に過ごしなさい、キアラ・サヴァトー」

「……ディレッタ先輩。何か反論して」

「この人が一度言い出したら聞かないことくらいお前も知っているだろう。アオイ先輩を頼んだぞ、黒猫」

 頼みの綱のディレッタまでもが何故か乗り気だ。……こいつ、死ねとか言ってたくせにいつの間に心変わりしたんだ。

「お前は今、アオイ先輩のことを身を挺して庇っただろう。それに武闘会の振る舞いでわかる。お前は少なくとも下等な考えに囚われて行動を起こす奴じゃない。……誉め言葉だぞ。存分に喜べ」

 ……こいつら。キアラは頭を抱えたくなる。せめてこちらに決定権くらいあってほしい。

 ふと盗み見たアオイの表情。先ほどいたずらっぽく微笑んでいたはずの彼女は、どこか憂うような眼差しを足元に落としている。だがキアラの視線に気づいてすぐさま「なぁに? 何かご不満かしら」と笑みでごまかした。

「めちゃくちゃご不満だけど」と言い返してやる。


  3


 彼女は、やってきた。おずおずといった足取り。思えばいつも、会う時彼女は居心地が悪そうにしていた。でも今日は、ひと際バツが悪そうに見えるのは杞憂だろうか。

「……カヤ。ごめんなさいね。わざわざ呼び出してしまって」

 校舎の陰にある雑木林。夕焼けの色さえ入り込まない薄暗がりの中で、アオイは木にもたれて待っていた。放課後になり、付き添ってくれているキアラとディレッタを巻くのに時間が掛かってしまった。

 カヤは──アオイの腹違いの妹は、小さく頷く。自分と面した時の彼女の言葉数はいつも少ない。……自分はやはり、こうやって彼女を案ずることで逆に彼女の心を乱してしまっていたのか。今更そんなことに気づく自分の迂闊さに、アオイは手を握りしめた。

「……単刀直入に聞くわ。今日中庭で私に魔法を打ち込んできたのは、あなたね。魔力の気配が同じだった。あなたは、私の魔法の講義の時に有り余るくらい見せてくれたものね」

 迷いが生じてしまう前に本題を切りこむ。鼓動が不穏に騒ぎ、ひどく口の中が乾いていた。間違いだと思いたい。でも間違いじゃない。自分の直感が、そう告げているのだ。

 目の前のカヤは俯く。自分と同じ金色の前髪が顔に掛かり、その表情は窺えない。しばらく、耳が痛くなるような沈黙が続いた。ここには風の音すら届かない。

「……だって、ずるいよ。あなたばっかり」

 ようやく彼女から零れた言葉は、震えた声を纏っていた。顔を上げ、こちらを睨んだ眼差しは涙で潤んで揺らいでいる。

「あなたばかり優遇されてッ! アオイ様、アオイ様って慕われてッ! 私は? ずっと惨めだった。あなたと比べられて、いじめられて……ッ。私はもう、今の私のままじゃ嫌なのッ!」

「か、カヤ……。だからそれを変えようと、私は……っ!」

「そんなのッ! 何にもならないッ! 私があなたと比べられる現実は変わらないッ! 何が平等なの? あなたがいる時点で、私はずっと虐げられ続けるんだよ⁉」

 ──そんなの、絶対に嫌。カヤは溢れた涙を拭いながら言う。アオイは──何も出来ない。その場に縫い付けられたように動くことが出来なかった。

「……私は、私自身で自分を変えてみせる。だからもう、放っておいて。革命ごっこで、私を使って遊ばないでよ」

「カヤ……。あなた、もしかして誰かに言われて……?」

「放っておいてって言ってるのッ!」

 手を伸ばして歩み寄ろうとしたら、カヤが魔法でアオイの手を弾いてそのまま走り去ってしまう。

「カヤ!」

 その後を追いかけようとしたら、肩を掴まれて止められる。振り返れば、キアラが立っていた。

「泳がせといて正解だったね。やっぱりカヤがさっきの襲撃者だったんだ」

「……知っていたし、見ていたのね。本当にあなたは勘が良すぎる。良すぎて、時々嫌になるわ」

「それはどうも。今は追いかけない方がいいよ。逆効果だ」

 鼓動はまだ不穏に騒いでいたが、大きく深呼吸して何とか気持ちを落ち着かせる。正直、キアラがいてくれなかったらここまで自分は冷静になれなかった。

「カヤは……妹は、誰かに唆されているわ。私を殺せば、おそらくそれなりの地位を約束するとかね。利用されているのよ」

「わかってる。相手は多分、理事長のイルレヌードだね。二人が密かに会っているのをさっき確認した」

 血が煮え立つのを感じた。そうか。学園のトップ自らが、ここまで卑怯で姑息な手に出て来たか。確かに実の妹が刺客ではこちらは手を出せない。本当によく考えるじゃないか。

 アオイは掌に爪が突き刺さるほど拳を握りこんで、大きく息を吐いた。

「……そう。この件にエリオットは噛んでるの?」

「いや。彼は今朝、父親と武闘会の件でちょっと意見の相違があったみたいだね。あれも、イルレヌードが介入したと思って間違いないみたい」

 キアラの報告に、少しほっとしている自分がいた。エリオットは無関係で、あくまで正々堂々自分に挑んでくれていたみたいだ。

 最大の敵はやはり、学園のトップ、イルレヌード・アレキサンドラ。奴を何とかしなければ、おそらく自分に勝ちはないだろう。

 ……だけれど。

「……キアラさん。カヤがあんなことをしたのだって、きっと私の影響もあると思うの。私はもしかしたら、彼女の気持ちも考えずに彼女のため、彼女のためって勝手に勇み足をしていただけなのかもしれない。クローチェになって、この学園の現状を変えれば。あの子のことを救えると思っていたけれど、間違っていたのかしら」

 カヤに今さっき言われた言葉がずっと胸を焦がしている。平等。アオイが打ち出したその志は、彼女にとってアオイが存在していること自体で成立していないのだ。いくら学園が変わろうが、アオイは最上級貴族、カヤは下級貴族という判を押された事実は書き換えられないのだから。

「私の魔法で、ずっとあの子の様子を来たのだけれど。最近はそれを怠っていた。どこまでも見渡すことが出来る力なのに──心の中までは無理なのね」

 アオイは指先に青く光る蝶を召喚して呟く。この蝶を取りつかせた者の行動を逐一感じ取ることが出来る、ステラの魔法。だが最近は監視対象が増えていたので、カヤを見守ることを後回しにしていた。それがこんなツケを払うことになるなんて。

「……じゃあ何? ここでやめる? 私は別にそれでもいいけど。でもアオイ先輩は、それで納得できるの?」

 不意にキアラが言う。その声にはいつもと違う熱がこもっていて、アオイははっと顔を上げる。いつも無機質な彼女の眼差しには、確かな感情が宿っていた。

「自分で始めたことを途中で投げ出す。短い付き合いだけど、私の知っているアオイ・エレジアルナは、そんな無責任な奴じゃないっていうのはわかる。こんなことくらいで、躓いててどうするの。学園を変えるんでしょ。もうあなたと妹二人だけの問題じゃないんだよ」

 ──やるの、やらないの。どっち。キアラは尋ねてくる。初めて、ここまで真剣な彼女を目にしたかもしれない。

 そこには何の打算もない。ただ、彼女の想いがある。私を想う、彼女の気持ちが。おそらくは無意識なのだろうけれど。

 アオイは、ふっと表情を緩める。そこまで煽られては、こちらだって黙ってはいられない。

「……そうね。やるわ。最後までやり通してみせる。この学園を動かすんだもの。実の妹一人、説き伏せられなくて何が改革よね」

 ──最後まで付き合ってくれる。……キアラ。初めて彼女から距離を置いた呼び方を取り除く。

「……どうせ、途中で降りられないんでしょ」

 キアラは面倒そうに視線を逸らして言う。……本当、素直じゃない人。でもそれはお互い様か。


  4


 アオイは馬車に乗って、大講堂に向かっている。向かい側にはディレッタがやや強張った顔つきで腕を組んでいた。新鮮な朝の陽ざしが、外から微かに入り込んできている。

 クローチェ選抜会の最終日。生徒たちの投票当日だ。候補者たちは大講堂にて、最初に挨拶したように最後の演説を行う。そして生徒たちの投票が厳かに行われ、その場で開封され票が一番多かったものがクローチェへと選ばれる。

 当然武闘会で優勝したエリオットにポイントが加算されるのでその分だけ有利になるが、アオイは絶対に負けはないと確信している。後れを取ったなら、それ以上の支持を集めればいいだけの話。その最後の一手が、今日の演説なのだ。

 キアラの姿は、馬車の中にはない。彼女は今日、裏で動いてもらっている。こちらも重大な一手だ。

 投票は神聖な場だ。ここが公平でなければ平等も何もない。だから絶対、外部からの手を加えられてはならない。そのために、キアラには頑張ってもらう。

(……そして私は、表舞台に立つ。頑張らないとね。あの子の働きを無駄にしないためにも)

 馬車が付いた。扉が開けられ、日の光が目映いほどに差し込む。

「これまで付き合ってくれてありがとうね、ディレッタ。だからこれからも、私の傍にいてくれる?」

 向かい側のディレッタに声を掛ける。彼女は食い気味に頷くと、馬車から降りてこちらに手を差し伸べてみせる。

「地獄であろうと天国であろうと。どこまでもお供いたしますよ、アオイ様」

「……ふふっ。あなたらしい答え。じゃあ意地でも、天国に行けるようにしなくちゃいけないわね」

 彼女の手をとって、アオイは馬車を下りる。


  5


「パオロ。そろそろ配置につけ。どうせ奴の妹が事を為せるとは始めから期待しておらん。お前が確実に決めろ」

「心のままに」

 イルレヌードが荘厳な響きを纏わせながら、従者らしき体格のいい男──パオロに命じている。

 理事長室である。生徒たちが全員、選抜会の投票のために大講堂へと出払った学舎内で、大胆な会話を彼らはしている。

 事の行きつく先は、アオイの死である。落選では生温い、とイルレヌードは判断した。だから投票の前に行われる候補者演説の場。そこで彼女が生徒たちの前で命を散らすことがあれば、いい見せしめになる。もう二度と、学園改革などを打ち出す大胆な革命家気取りは名乗りを上げることもなくなるだろう。

 それをイルレヌードはもっとも信頼のおける従者らしきパオロという男にやらせようとしていた。彼は魔法に長けていて、隠密で人を殺めるのも容易いしためらわないはずだ。イルレヌードの忠実なしもべ。

 イルレヌードは更にアオイの妹であるカヤにも甘言を囁いて姉を黙らせるように指示していた。だが元より彼女など頼りにしていない。精神的な揺さぶりをかけるのが主な目的だった。

「よし、先に行け。私もその場に赴く。失敗は許されないぞ」

「わかっております」

「──もう失敗してるよ。残念だけど」

 キアラは背後から、デスクから立ち上がったイルレヌードに掴みかかった。背の高い彼の膝を落とさせて、首に小太刀に似た短剣の刃を突きつける。これも例によってマリジアの父親のシエーモに用意させた特注品だ。

 パオロが驚いた表情でこちらに身構える。

「貴様ッ! 一体どこから……⁉」

「お前らがここに来る前から。気配を消すのは得意なんで。それより、動かないで。今までの会話は魔具で残してある。アオイ先輩の暗殺計画とか、力技すぎるでしょ。もうお前らは終わりだ」

「……くくっ。終わり、か。随分安く見積もられたものだな」

 盾にされて首に刃を向けられているイルレヌードが余裕たっぷりに笑う。

 かと思えば、急にキアラの刃が弾かれた。イルレヌードは素早くキアラの腕から抜け出す。同時にキアラの体ごとも弾かれる。叩きつけられかけた壁を蹴って衝撃を相殺する。

 全てを弾き拒絶する透明な盾。それがイルレヌードの魔法か。奴らしいつまらないタネと仕掛けだ。

「来るとはわかっていたぞ、アオイの刺客め。だがお前と遊んでいる暇はない」

 パオロに連れられて、イルレヌードは素早く部屋を出ていく。代わりに、複数の傭兵たちがなだれ込んで来た。こいつらはイルレヌードを守る影の兵士というわけか。明らかにこの学園にふさわしくない、据えた目をしている奴ばかりだ。小娘一人、殺すのにためらうことはないだろう。

「私も、遊ぶのは大嫌い」

 キアラは地面に布袋を叩きつける。瞬間、その場は煙幕で満たされる。スモークグレネードのような魔具。これもシエーモに仕入れさせた。

 不意を突かれた傭兵たちは怯む。キアラは順番に襲い掛かる。目にゴーグルを付けているので煙幕が沁みない。そして視界不良の中でも人の気配を探るのは得意だ。どいつもこいつも急所を狙って一撃で意識を奪っていく。

 全員相手にしている暇はない。キアラは理事長室から飛び出す。すると更に待機していたらしい傭兵たちが身構えたままキアラを囲んだ。随分と豪勢なお出迎えだ。こちらに備えていたのは間違いないらしい。

「手品ならいっぱい用意してきたけど。見せようか?」

 キアラも構える。さすがに広い廊下一杯に溢れたこいつらを相手取るのは骨が折れそうだ。が、元よりこちらも無傷は想定していない。来い。全員薙ぎ払ってやるよ。

「──ルッジート・ウノ」

 不意に、近くの窓ガラスが割れる音がした。飛び込んで来た影が地面に拳を叩きつける。咄嗟にキアラは跳んだおかげで、崩れ落ちる床から逃れることが出来た。傭兵たちはほとんど階下へと落ちていった。

 残っている傭兵たちに拳を構えたのは、エリオットの従者であるエミリだった。彼女はステラである籠手と具足を装備していた。

「……どういう風の吹き回し? それとも、今度こそ私を殺しに来た?」

「……エリオット様の命令です。あなたの手助けをしろと。その節はすみませんでした。謝罪です、謝罪」

 こちらに頭を下げてから、剣で斬りかかって来た傭兵の一人をエミリは思い切り蹴り飛ばす。まさかの加勢。気は抜けないが、心強い。

(父親を止めてまで。エリオットも公正さを選んだってことか。……どいつもこいつも、アオイの影響を受けすぎ)

 向かってくる傭兵たちをキアラも薙ぎ払いながら、キアラは考える。もちろんエリオットもエミリも完全な味方とは言えないだろうが、利用できるものは利用しよう。こっちもそれほど余裕はない。敵の数は圧倒的に多い。

「イルレヌードたちがアオイを殺そうとしてる。証拠はある。あいつらが大講堂に着くまでに止めたいんだけど、出来る?」

「出来ますよ! 実行ですよ、じっこぉッ!」

 威勢よく返事をしながら、エミリは拳と蹴りで複数人一気に吹っ飛ばしていく。相変わらずの高火力。これを無防備な体に喰らわなくてよかったと心から思った。頼もしい限りだ。

 向かってくる傭兵たちを振り払いながら、イルレヌードたちを追って廊下を進む。気配はエミリが魔力探知で知らせてくれる。だが距離はなかなか縮まらない。学舎がもぬけの殻なのをいいことに、傭兵たちが至る所に配置されている。

「あーもうっ! めんどくさいなァ! 時短です、時短ッ!」

 不意にエミリがキアラを掴んで来たかと思うと。爆風に乗せた手で思いっきり放り投げられた。傭兵たちの頭上を飛び越えてキアラは一気に廊下を進む。

「雑兵たちはお任せを! サヴァトーさんはイルレヌード様を追ってください!」

 もう一階に降りてますよ! と彼女の元気な声が遠くから聞こえた。何とか着地して、キアラは階下へ繋がる階段を下る。言われた通り雑兵は彼女に任せよう。

 ここは三階。一階まで一気に滑り降りた。さすがにここまで来るとは思わなかったのか、傭兵たちの姿はない。これなら一気に追いつけそうだった。奴は多分、外に出ようとするはずだ。なら昇降口か。

 一階の廊下を進もうとすると、突然横の壁が突き破られて何かがタックルしてきた。キアラは身を翻してそれをかわす。

 パオロだ。スキンヘッドで色黒な彼は、キアラを冷酷な眼差しで捉えている。こいつも時間稼ぎに駆り出されたか。

「イルレヌード様の邪魔はさせない」

「仕える相手くらい選んだ方がいいよ。経験上」

 キアラが放った蹴りを、パオロはその強靭な肉体だけで跳ね返してみせる。カウンターで放ってきた丸太のような腕をキアラは避ける。まともに喰らったら骨を砕かれそうだ。だが、エミリほどの脅威を感じない。

 キアラは距離を取って、新しい魔具を奴にぶつける。爆発。周りのガラスが全部割れた。だが黒煙の中で焦げたのはパオロの服だけだ。魔力でガードしているのだろう。

「コロポ・ソラーレ」

 パオロが両手を広げる。すると彼の背後から光線のようなものがキアラに向かって放たれた。複数のそれの間を縫うが、掠ったところの制服のブレザーがボロボロになった。

 魔法。おそらくカヤに暗殺用のそれを教えたのもこいつか。素早く放たれる光の矢は音もなく発射のタイミングも掴みがたい。

 なら撃たせなければいい。キアラは距離を詰めて、小太刀を振るった。それをガードしたパオロの腕から血が噴き出す。だがすぐさま奴は蹴りで反撃してきた。

「ッ……!」

 キアラも腕でガードしたが、重い一撃。吹っ飛ばされて床に叩きつけられる。そこに光の矢が降り注ぐ。すぐさま立ち上がって何とかかわした。

 体勢を立て直したキアラは更に小太刀で斬りつける。パオロは元より避ける気もなく体で平然とそれを受け続けた。もう満足か? という具合に光の矢が飛び交う。脇腹を掠り、キアラは膝を着いた。

「終わりか。小娘にしては頑張った方だな」

「……そうだね。お前もデカブツにしてはよく耐えた」

 ふと余裕で構えていたパオロの巨体が、仰向けに倒れて地面を揺らした。彼自身、何が起きたかわからないという風に目を白黒させている。

「神経毒。小太刀の刃に塗り付けてあんの。物理の毒は魔力じゃ中和できない。もっと勉強した方がいいよ」

 常人なら一ヶ月はまともに動けない猛毒だ。こいつなら一週間くらいは持つのではないだろうか。何にせよ今、主を守る役目を果たせなくなったのは言うまでもない。

 動けなくなったパオロの横を通って、キアラは昇降口から外へ出る。時間を喰った。イルレヌードは単身、大講堂に向かったのだろうか。

 だが彼はその道中、学園の中心に当たる大通でキアラを待ち構えていた。

 おそらく逃げても無駄だとわかったのだろう。当然キアラが追いつく方が速かったはずだ。なかなか潔い。ここまでは。

「……何故あの女に従う。あの女の謳う学園改革とやらが、そんなに魅力的か? それとも人柄とやらに惹かれたか? ……本当に危険な女だ。エリオットも誑かされおって」

「……仕事だから。ただそれだけだよ」

 本当にそうなのだろうか。正直、キアラは自分でもわかっていない。

 最初はただ、自分の今世での平穏を保証してもらうための足掛かりでしかなかった。けど割に合わない賭けだったのは重々承知だったはずだ。事実、今もボールがどこに落ちるか確信はない。

(……でも私は、アオイを信じた。よくわからないけれど、そういうことだ)

 前世で信頼していた桃沢に裏切られたことが過る。結局自分は迂闊で愚かなままだ。でもそれでいい。それを選んだ。あの人の隣にいることを。

「それなら、私の側に立たないか。お前ほどの腕なら、悪いようにはしない。あの女が提示した以上の待遇を、私ならお前に与えてやれるぞ。あの女に今後手を出さないことも約束しよう」

「悪いけど、その手の命乞いなら山ほど聞いてきた」

 ──私は、信頼してくれた相手を裏切るようなことは絶対にしない。心に溢れたそんな言葉が、キアラをはっとさせる。

 そうか。裏切られたからこそ私は。絶対的に信頼してくれたアオイに、応えたいのだ。彼女が信じてくれている。それは心から伝わってきているから。

「来るなッ!」

 イルレヌードが手を翳す。キアラを弾き飛ばそうとしただろう。

 だが彼の鉄壁は発動しない。彼自身もぽかんとして、歩み寄っていくキアラの姿を眺めていた。

「な、何故……ッ」

「私が今、完全に自分の魔力を消してるから。気配を殺すのとおんなじ感覚だね。魔法って言うのは結局、魔力に対してしか効果はない。多大な魔力を持つお前は、まったく魔力のない私には勝てない」

 キアラは後ずさるイルレヌードにゆっくりと近づく。魔具なので、例の小太刀は手にしていない。手にしているのは、厨房から頂戴した果物ナイフだ。

「やめッ……ぐッ……!」

 後ろを向いて逃げようとしたイルレヌードを掴み倒す。そしてその胸元を足で踏みつけながら、キアラは彼を見下ろした。

「……無駄話は嫌いだけど、少しだけ与太話に付き合ってくれる? 私、今世では絶対穏やかな一般市民を貫き通そうと思ってた。けどまぁ、結局そういう因縁からは逃げられないってことか。殺し屋は死んでも、殺し屋ってことみたいだね」

「お前は……お前は何者だ……?」

「キアラ・サヴァトー。一般庶民貴族の娘だよ」

 ──ごめんね、アオイ先輩。

 キアラは最後にそう言って。果物ナイフを、倒れたイルレヌードの喉元に突き立てた。


  6


 マジモの演説が終わり。大講堂内は厳かな拍手で満たされていた。

 アオイはテラス状になっている二階のステージで待機している。座ってこちらを見上げている階下の全生徒たちを見下ろせるこの場所に立つと、いつも胸の奥がきゅっとなるような緊張感を覚える。

 後ろに追いやられているスピネルクラスの生徒たちの列に目をやる。そこにいる、カヤの姿を捉える。

 彼女は思い詰めた眼差しでこちらを見上げていた。おそらくこの場で自分を殺すように指示されているはずだ。彼女がそれを実行するなら、仕方ない。だが迷っている様子なのは明白だ。それなら。

 フランチェスカは武闘会の一件で病床行きになっているので、次はアオイの演説の番だった。アオイは大きく息を吸って目の前を見据えると、足を踏み出して演説台に立った。

「……私は。この学園に平等をと宣言した。身分やクラス関係なく、皆魔法に直接触れ、学ぶ権利を。この世界には、魔法が不可欠な存在よ。魔法のことを知らなければ、扱うことが出来なければ、その者の将来は閉ざされてしまう。この学園が学びの形を変えれば、きっとこの世界の魔法技術の発展、そしてそれが輝かしいこの世界の未来へと繋がると信じている。それは変わらない」

 ここまでは用意した台本。ここからは勇気のいる本題。打ち付ける鼓動を胸の内に抑え込んで、アオイは口を開く。

「でも一つ、私情があったことを私は認めなければならないと思う。私には、腹違いの妹がいます。その子は下級貴族扱いを受け、最上位貴族である私とはかけ離れた境遇を受けている。この学園は、彼女を捕らえている檻。私はそれに縛られている彼女を、自由にしてあげたかった。……私の妹として。胸を張って生きていてほしかった。そのために、私はこの学園の改革を望んだの」

 階下がざわつき始める。名前は口にしてはいないが、皆にはそれが誰を示すかよくわかっているはずだ。

 そして本人であるカヤは。自分の存在が公言されたことでひどく戸惑っていた。……大丈夫。怯えなくてもいい。だってあなたは、私の妹なんだから。

「私は彼女を幸せにしたい。望む未来を歩ませてあげたい。……あなたのことが、大切よ。この気持ちだけは、知っておいて欲しい。そのためなら私は、世界を敵に回すことすらためらわない。私だけは、ずっとあなたの味方よ」

 カヤがはっと目を開くのがアオイからも見えた。届いている、はずだ。だからこそ、とアオイは続ける。

「妹のように理不尽な不自由に縛られている者たちに、自由を。魔法を学び、触れ、思い描いた未来に進む選択権を。決まりきったこの世界を変えるのは大変かもしれない。……でもそれが素敵な未来に繋がるのも、今日かもしれない。あなたたちの気持ち一つ一つ、全て私が未来へと連れて行くと約束するわ」

 ──皆さん、どうか力を貸して。アオイは深く、頭を下げる。

 最初は小さな音だった。それがやがて一つの意志を宿したように重なり合い、そして盛大な拍手へと転じていく。注がれるそれが、アオイにとっては希望の音に聴こえた。

 カヤは。目元を抑えたまま俯いている。泣いているのかもしれない。でもきっと彼女に、もう敵意はないだろう。それはわかる。だって私は、姉なんだから。

 アオイが再び礼をして後ろに下がると、エリオットが演説台へと向かう。

 結局のところ、一番有利な立場にいるのは彼だ。彼は父親であるイルレヌードの強引な手に反感を抱いていたようだし、いまいち思考が読めない。

 現状維持派としてスピーチするのか。アオイはじっとその後ろ姿に注目した。

「とてもいい演説だったね。それで、彼女の言葉に心を打たれた僕から一つ話がある。──僕はクローチェの候補者としての権利を放棄する」

 ……は? アオイは耳を疑って固まる。対してエリオットの背中には迷いがなかった。

「加えて武闘会の得点も、アオイ・エレジアルナに謙譲する。僕の一票もね。彼女こそ、僕はこの学園のクローチェにふさわしいと思う。この学園に、魔法の教育の平等を。そしてよりよい世界への未来を。その選択権は今、君たち一人一人の手の中にあるよ」

 エリオットは飄々とお辞儀をして、こちら側に戻って来た。口をあんぐり開けたチェリオ、呆れたマジモに混じって、アオイも唖然とした視線を彼に向ける。

「……一応君に警告しておくけれど。クローチェって結構仕事量多いよ。改革を望むなら尚更ね」

「望むところよ」

 隣に来たエリオットが耳打ちしてきたので、アオイは睨みつけながら言い放ってやった。噴き出した彼の脇腹を肘で突いてやる。


  7


「……何だか。思ったより座り心地はよくないのね。クローチェの椅子って」

 クローチェ会室。学園の王座とも言えるクローチェの椅子に腰を下ろしたアオイは、だらしなく背もたれに身を預けながらそうぼやいた。

「新調させましょうか? アオイ様の特注品にいたしましょう」

「そんなことなら、学園の予算にお金は使うわ。スピネルクラスの生徒たちが多いから、ステラをありったけかき集めないと。一人に一つ持つのが、この学園の新しい校則なんだもの」

 バカ真面目に返事をするディレッタに、アオイはそう窘めながら改めて椅子に姿勢よく座り直した。

 なかなか様になっている、とキアラは思う。まさか本当にクローチェに選ばれるとは思わなかったが。公平な投票の結果、学園の生徒たちはアオイをトップにふさわしいと判断した。

 とはいえ凝り固まった学園の現状を打ち壊すにはまだまだ時間が掛かりそうだ。彼女の言う通りステラの数は全校生徒に当たるまで数が足りていないし、魔法を教える教員も足りていない。未だにスピネルクラスの生徒たちが魔法を学ぶことに反対する声もあり、それなりにてんやわんやな状況だ。

 だが確実に、アオイが思い描く改革は実現しつつある。キアラもそう感じていた。スピネルクラスでも公的に魔法の実習が始まり、直接触れ合う機会が増えた。成績も積極性故か、早くも上級貴族クラスに追いつきそうなくらいだという。前途多難ではあるが、五里霧中ではない。確実に前に、進んでいる。

 色々あったカヤも、魔法の授業は興味津々で楽しそうに受けていた。彼女はやはり才能があるらしく、そして努力家であるからか、上達が早くて今ではみんなに教えを請われる立場になっている。

「……ねえ、キアラ。あなたよね。イルレヌードに手を掛けたのは」

 ディレッタが書類を取りに行った間に。ふと椅子に座ったままデスクに肘をついて尋ねてくる。どこかこちらを窺うような眼差し。だがそこに、嫌悪はない。

「……さあね。私は何もしてないよ。勝手に自刃したんでしょ」

 少し迷ったが、とぼけることにする。イルレヌードの死は、結局謎に包まれたまま見過ごされている。当然だ。キアラは自分の証拠を何一つ残さなかった。代わりに校舎に倒れていたイルレヌードの傭兵たちが彼の死に関わっていると判断されて騎士団に捕縛されたが捜査は難航しているらしい。

 エリオットも、エミリも。何も言わなかった。ただアオイの暗殺を企てていたことだけは伝えておいた。彼が一体どんな気持ちで今回の事態を受け入れたのか、それは知らない。知る必要もないだろうとキアラは思っている。

「ふーん、あくまでとぼけるのね」とアオイは呆れたようにため息をつく。そして試すような視線はやめて、真摯な表情になった。

「……でもそれくらいは、私にも一緒に背負わせて。あなたがいなければ私はきっと今ここにはいない。……共犯者ね。私たち」

 彼女は口元だけを歪めて小さく笑う。……自分も大概かと思ったが。彼女にもちょっとトんでいるところはあるのかもしれない。だからこそ自分たちは、通じ合えた。

「とにかく。私はちゃんと仕事をしたけど。私の人生に安寧はいつもたらしてくれるわけ。タダ働きでぽいっとするなら、こっちも出るとこ出るけど」

「もちろん、ちゃんと労働には対価を。あなたには一生の安寧をもたらすわ。……私の妻としてね?」

「……は?」

 耳を疑わずにいられるだろうか。こいつは今、何を口走った。そしてこのシチュエーションは何回目だ。

「だってあなたは私の許嫁よ。あんな大々的に宣言しちゃったんだもの、結婚しないと説得力がないじゃない。革命者としても」

「えっ、無理。絶対嫌なんだけど。アオイ先輩の傍にいたら安寧なんて一生無理でしょ。それは対価じゃなくて懲役じゃない?」

「そうよ、あなた悪いことしたんだもの。だから私に繋ぎ止めておくの、これ以上悪いことをしないように。言っておくけどもう手続きもしてあるから。逃げられないわよ?」

 ふと立ち上がり。キアラの前に跪いた彼女は左手をとってきて、薬指に口づけて来た。

「私と結婚してくれますか、キアラ・サヴァトーさん?」

「絶対、嫌」

 などと言いつつも。彼女に言われた通りの新婚生活が既に想像出来てしまっている自分に。キアラは呆れずにはいられなかった。

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殺し屋転生庶民令嬢、生前殺スキルで魔法学園改革 青白 @aoshiro_yuri

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