第12話 好きな言葉
半年後
「——はぁ。」
凛花は深く息を吐きながら、スマホの画面を見つめた。
Trivial Thingにある全20本の動画。そのすべてを視聴し終えた今、彼女の心は達成感よりも、重たい疲労感と複雑な感情でいっぱいだった。
「……終わった、か。」
半年。
たった20本の動画を見切るのに、それだけの時間を要した。理由は明白だ。
——見るのが怖かったから。
Trivial Thingに投稿されている作品の引き込みの強さは異常だった。
『彼はそこにいる』を初めて見たときと同じように、錯覚とは思えないほどの没入感で、彼女は作品の中に入り込み、登場人物として"実体験"した。
ただ映像を"見る"のではない。"その世界に生きる"のだ。
——そして、作品の半数以上は"恐怖"や"悲しみ"に満ちたものだった。
怖い作品は、現実世界に戻ってきた後も、なおも心を蝕んだ。悲しい作品は、まるで本当に大切な人を失ったかのような虚無感を植え付けた。
"ただの動画"なんかじゃない。作品の世界に飲み込まれる感覚。自分が何者なのか、一瞬分からなくなるほどの没入感。
「……やばいよ、これ。」
凛花は、半ば呆れたように呟いた。こんなものを作るBABO……いや、先生は、本当に正気なのか?彼女の作品がトラウマになったことも、一度や二度ではなかった。
それでも——
「……面白かった。」
スマホを握る手に、力がこもる。
「異常なほど深くて、異常なほど面白い。」
ただ怖いだけじゃない。ただ悲しいだけじゃない。すべての作品に共通していたのは、"強烈な引き込み"と、"異常なほどの完成度"だった。
たとえ辛くても、見たくなる。たとえ恐ろしくても、考察したくなる。この半年間、凛花の頭の中は常にTrivial Thingの作品でいっぱいだった。どんなに苦しくても、どんなに疲れても、次の作品を見ずにはいられなかった。
——だからこそ、半年かかった。
「……先生、ほんとにやばい人だわ。」
静子の顔を思い浮かべながら、凛花は小さく笑った。
「さて……明日、先生に感想を言わなきゃな。」
目を閉じる。
浮かぶのは、Trivial Thingで見た20本の動画たち。
それを思い返しながら、凛花はゆっくりと眠りについた。
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1週間後
「——それでさ、あのシーンの演出ヤバすぎない? あそこで音を消すとか、普通思いつかなくない?」
「ええ、確かに音の消失は意図的に入れました。違和感を持たせるために。」
「だよね! いや、ほんと……先生のセンス、狂ってるわ。」
「……褒めてます?」
「めっちゃ褒めてる!」
凛花は満面の笑みを浮かべ、机に身を乗り出すようにして静子を見つめた。今日も彼女は放課後カウンセリングに来ていた。
Trivial Thingの作品をすべて視聴し終えてから1週間。凛花はこの間、"作品の余韻"に浸りながら、作品について考え続けていた。
思ったこと、感じたこと、考察……。それらを静子に披露することが、最近の彼女の楽しみの一つになっていた。
「先生の作品、考えれば考えるほど沼にハマるんだよね。特に『夢幻回廊』、あれさ、"夢と現実"の境界が曖昧になってく演出、天才すぎるんだけど。」
「……ありがとうございます。でも、あれはかなり混乱してしまう作品でもあると想うのですが…。」
「いやー、そりゃそうでしょ。私も最初は「え?」ってなったし。でも、見返すと色々気づくことがあるんだよね。だから結局、また見ちゃうっていう……。」
そう言いながら、凛花は楽しそうに笑う。
静子はそんな凛花を見ながら、相変わらずTrivial Thingを見続けていることに、少し不安を感じていた。
「あの……凛花さん、本当に大丈夫ですか?」
「ん? 何が?」
「Trivial Thingの作品、少し過激なものも多いですし……。」
「もう大丈夫だって〜! なんなら気になったやつ、見返してるし!」
「……見返してるんですか?」
「うん! だって、一回見ただけじゃ気づけないこと多いじゃん? 伏線とか演出とか、細かいところまで見ないともったいない!」
静子は凛花の言葉に少し驚き、そして安堵したように微笑んだ。
「……なら、良かったです。」
「ほらほら、先生! まだ語り足りないから、もうちょっと付き合ってよ!」
「はい、分かりました。」
二人の会話は尽きることなく続いていく。Trivial Thingという、"異常"な作品群を通じて生まれた、二人だけの特別な時間。それは、凛花にとってかけがえのないひとときだった。
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「——でさ、あの演出ヤバくない? ラストで全部繋がるってのがもう……! 伏線の張り方が異常なんだよ、マジで。」
「ふふ、ありがとうございます。」
今日も凛花は静子の作品について熱く語っていた。Trivial Thingの20本をすべて視聴してからしばらく経つが、彼女の熱量はまったく冷めることがない。
特に好きな作品の考察や演出の意図を話し始めると止まらなくなるのが凛花の癖だった。静子はそんな彼女の話を微笑ましく聞いていたが、ふと、話題を変えるように問いかけた。
「……凛花さん、好きな言葉ってありますか?」
突然の質問に、凛花は一瞬「ん?」と不思議そうな顔をした。
「好きな言葉? うーん……そうだなぁ……。」
少し考え込むように腕を組み、天井を見上げる。
「……"考えすぎるな"かな。」
「考えすぎるな、ですか?」
「うん。深く考えるのも大事だけど、考えすぎて動けなくなるのが一番ダメじゃん? だから私は、悩んだら"考えすぎるな"って自分に言い聞かせるようにしてるんだよね。」
「なるほど……。」
静子は感心したように頷いた。
凛花はTrivial Thingの作品を視聴するうちに、一時は精神的にかなり追い詰められたこともあった。しかし、こうして自分なりの考え方を持ち、それを言葉として持っているのは、彼女がそれを乗り越えた証でもあるのだろう。
「じゃあ、先生は? 好きな言葉とかある?」
静子は少し目を伏せ、考え込むようにした。そして、しばらくしてから、静かに口を開いた。
「……"沈黙は雄弁"」
「沈黙は……雄弁?」
「ええ。言葉を尽くさなくても、伝わるものはある……という意味ですね。」
「……深っ。」
「言葉を扱う作品も作る者としては、少し矛盾した考え方かもしれませんが。」
静子はどこか遠くを見るように微笑んだ。
確かに、彼女は創作者として多くの作品を世に送り出している。言葉や映像を駆使して人々を引き込む力を持つ人間だ。
しかし、それでも"沈黙は雄弁"と言う。
それが何を意味するのか、凛花はすぐには理解できなかった。
けれど、たぶん——それを理解する日は、そう遠くない気がした。
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