第11話 隔離された作品

放課後の鐘が鳴ると同時に、凛花は急ぐように教室を飛び出した。


頭の中は『Trivial Thing』でいっぱいだった。


——あのサイトは何なのか?


——あの映像は一体どうなっているのか?


知りたい。絶対に、確かめなきゃいけない。焦る気持ちを抑えながら、放課後カウンセリングの部屋へ向かう。


カウンセリングルーム


扉の前で一瞬だけ呼吸を整える。そして——勢いよくドアを開けた。


「凛花さん。こんにち——」


「Trivial Thing!!」


部屋の中にいた静子は、出迎えの挨拶を言い終える前に、その言葉を聞いて目を大きく見開いた。


——驚き。


——それと、ほんの少しの警戒心。


「……見つけたんですね。」


静子は静かに言った。凛花は一歩前に踏み出し、真っ直ぐ静子を見つめる。


「あれ何?」


凛花の問いに、静子は少し考えるように視線を下げた。そして、ゆっくりと説明を始める。


-----


「……自分で言うのも難ですが、私は作品の理解者を引き込むことを得意としています。」


「うん。それはわかる。でもあれは…」


引き込みなんて次元じゃない。自分は確かにあの廃病院にいた。凛花はそう主張するのをこらえ、彼女の言葉を待つ。


「…ある時、思ったんです。"その引き込みを最大限まで強めたらどうなるのか"と。」


"引き込みを強める"。果たしてそれは、狙ってできるのか?しかもあのレベルまで。いや…BABO、先生ならあるいは…


「3年ほど前になりますが、それを実現させた作品を公開して、視聴者の反応を見てみることにしたんです。」


3年前——


彼女が”引き込みを最大限まで強めた作品”——


「そしたら、その作品は1時間ほどで削除されました。」


「……え?」


思わず聞き返す。


「チャンネルも削除されました。」


「……チャンネルごと?」


「はい。」


静子は静かに頷く。


「同時に、YouTubeから削除理由のメールが届いたんです。そこには、こう書かれていました——」


「『この動画を見た視聴者が錯乱状態になり、病院へ運ばれた。こちらで動画を確認したところ問題はなかったが、危険な動画の可能性があるため削除した。また、今後もこのような動画を投稿する恐れのあるこのチャンネルも削除した。』と。」


——息を飲んだ。


「……つまり、BABOのチャンネルって……」


「2つめなんです。」


静子は、穏やかな表情のまま、さらりとそう言った。


「……」


凛花は言葉を失った。


「私は"引き込みを最大限まで強めた作品"が好きでした。でも、普通に投稿すると視聴者に悪影響を及ぼす可能性がある。けれど、どうしても見てもらいたい。」


静子の声は淡々としていたが、その根底には確固たる意思があった。


「そこで、一部の人しか辿り着けないようなサイトに隔離することにしたんです。あのサイトに掲載されている作品たちは、そうして隔離されたものです。」


——隔離された作品。


——"Trivial Thing"に、封じ込められた映像たち。


凛花は、静子の言葉を飲み込もうとするように、ゆっくりと息を吐いた。


……自分は、そんなものに手を伸ばしてしまったのか?


静子は、じっと凛花の表情を見つめた。


「……大丈夫でしたか?」


その問いかけは、心の底からのものだった。


静子は、過去にYouTubeで公開した作品が視聴者にどれほどの影響を与えたのか、よく理解していた。だからこそ、"Trivial Thing"に掲載されている作品も強すぎる可能性がある。


しかし、凛花はすでにそれを見てしまった。


——あのサイトに足を踏み入れてしまった。


それを知った以上、彼女がどんな影響を受けたのかを、静子は確認せずにはいられなかった。


対して、凛花は——


「……大丈夫って言いたいけど、正直、大丈夫じゃない。」


ゆっくりと、言葉を絞り出すようにそう答えた。


「……昨日の夜、放心状態になってた。…1時間ぐらい、何も考えられなくなってた」


——放心状態。


それは、映像作品に"引き込まれすぎた"時に起こる典型的な症状の一つだった。


静子は一度、静かに目を閉じる。


「……やっぱり。」


「……?」


「私の作品に引き込まれやすい人は、Trivial Thingの作品を見ると強く影響を受けてしまうんです。凛花さんは、その傾向があるんですね。」


「……え、それってつまり、私はあの映像にハマりやすいってこと?」


「ハマりやすい、というより……取り込まれやすい。」


「……取り込まれやすい?」


静子は、ふっと薄く微笑んだ。


「映像を観る時、意識の一部がその世界に入り込む人っていますよね。たとえば、本を読んでいると周りの音が聞こえなくなる人。映画を観ていて、登場人物の気持ちを強く追体験してしまう人。凛花さんも、そういうタイプなのではないですか?」


「……あー、確かに。」


凛花は頷いた。


「小説とか読んでると、たまに"登場人物の視点"になっちゃうこともあるかも。」


「それです。」


静子は、ゆっくりと指を組みながら言葉を続けた。


「Trivial Thingの作品は、その"入り込みやすい人"に向けて作られています。だから、凛花さんは通常の人よりも深く、あの作品に没入してしまうんです。」


「……なるほどね。」


そう言いながら、凛花は微妙な表情を浮かべた。


——つまり、自分は"Trivial Thingの作品に強く影響されやすい"、ということか。


「……だから、昨日みたいに放心状態になったんだ。」


「おそらく。」


「そして、もし凛花さんがこのまま"Trivial Thing"の作品を見続けたら——」


静子は、そこで一瞬だけ言葉を止めた。そして、次の言葉を慎重に選ぶように、ゆっくりと口を開く。


「……もっと深く、作品の世界に取り込まれてしまうかもしれません。」


その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が一段と静かになった。


凛花は、ゴクリと唾を飲み込む。


「……もっと深く?」


「はい。」


静子は真剣な表情で頷いた。


「昨日は"放心状態"でしたが、次はもっと強い影響を受けるかもしれません。


たとえば——現実と映像の境界が曖昧になる。


たとえば——夢の中でも映像の続きを見てしまう。


たとえば——作品の登場人物の感覚が、自分のもののように感じられてしまう。」



凛花は、少しだけ息を呑んだ。


「……それって、やばくね?」


「はい。」


静子は、どこか淡々とした口調で頷いた。


「だから私は、"Trivial Thing"の視聴には注意書きをつけています。」


「……それってつまり、私、もう見ない方がいい?」


凛花の問いに、静子は少し考えるように目を細めた。


そして——


「それは、凛花さんが決めることです。」


そう、静かに答えた。


「……私はBABOの……先生の作品のファンだからさ。」


凛花は、少し考えながら言葉を選ぶように呟いた。


「多分、見るなって言われても……結局見ちゃうと思う。」


静子は、黙って凛花を見つめた。


「……昨日、あの作品——『彼はそこにいる』を見た時……」


凛花は、思い出しながら言葉を紡ぐ。


「……怖かった。めちゃくちゃ怖くて仕方なかった。まるで本当にあの世界に閉じ込められたみたいで、殺される瞬間まで"本気で死ぬ"って思った。それなのに……」


凛花は、自分の胸に手を当てながら、小さく笑った。


「今まで見た先生の作品の中で、いちばん面白くて、いちばん深いとも思ったの。」


静子の目が、わずかに揺れる。


「……あの作品ってさ。単なるホラーじゃないよね。ただの"怖がらせるだけ"の映像じゃなくて、もっと別の何かがある。『彼はそこにいる』ってタイトルも、"自分を殺すやつが手術室にいる"なんて単純な理由じゃなくて、たぶん何か別の意味があるんだろうなって思ったし。」


——何か別の意味がある。


静子はその言葉を聞いたとき、心の中でつぶやいた。「その通りです」と。


「そういうの考え始めるとさ、怖さなんて二の次になっちゃうんだよ。」


凛花は、そこで静子の目を真っ直ぐに見た。


「……そんな作品がさ。あと19本もあるんでしょ?それを見ないなんて……絶対にありえないじゃん!」


凛花は、そう言い切った。静子は、しばらく何も言わなかった。凛花の強い言葉を聞き、何かを考えているような表情だった。


そして——ふっと、ほんの少しだけ微笑んだ。


「……本当に、ファンなんですね。」


静かに、嬉しそうに言う。


「当たり前でしょ?」


凛花は、ニッと笑った。


「……でも。」


静子は、その微笑みを残しながら、ゆっくりと語る。


「無理はしないでくださいね。」


その言葉は、凛花の胸の奥に優しく染み込んだ。


——無理はしないで。


それは、静子の作品を理解し、愛してくれる凛花への、本当の意味での気遣いだった。


「……うん。」


凛花は、素直に頷いた。


「無理はしない。でも……全部、ちゃんと見る。それが……私が、"BABOのファン"である証明だから!」



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