2 画家のアトリエ:【ヒカル】

 学校から電車で数駅行ったところに繁華街がある。そこは本屋が軒を連ねたり、楽器屋があったりと芸術に興味があれば刺激的な街だった。そのメイン通りを抜けて一本裏手に入ったところに古めかしいビルが立ち、一階の道路に面したところは工房になっていて、外からも中の作業の様子が見てとれた。外階段を上がった二階は広いワンルームになっていて、ここを「アトリエ」として、絵画、彫刻といった芸術の作業室になっていた。楽器やアンプもある。奥にはキッチンや飲食できるテーブル、ソファもあり、中階段もあるので、上の階と下の工房にも行き来ができた。

 一昨日来たときのまま、荷物が広がっていて、イーゼルや小さなテーブルと椅子が並び、すぐ描けるように絵の具が散らばっていた。

 制服のジャケットを脱いで荷物と一緒に適当に床に置き、冷蔵庫から「ヒカル」と書かれたペットボトルを取り出して一口飲んだ。

 イーゼルに向かって座ると、スケッチブックに描きかけの水彩画を眺めていた。

「ヒカル、今日早かったね」

 奥の中階段から声をかけられたので、ハッと振り向いた。

「うん、始業式」

「わー、青春ワード。しんど」

敬親たかちかさん、仕事中でしょ」

 敬親さんの肩まで伸びた髪は、今日は後ろでひとつに結っていた。俺の席に近づくと眼鏡を外して絵をじっくり見始めた。

「まだ途中だな? テーマは何?」

「これは、あんまりテーマがない。緑と青を使って人を描きたかっただけ。……ねぇ、敬親さん」

「はい、ダメ」

「何も言ってないけど」

「こうやって二人の時に、ヒカルが俺に言うことはひとつだよ。『敬親さん好き』か、『アンリと別れて』だろ」

「そうじゃない時もある」

「じゃあ、何」

「今日始業式で、前の席になったやつに声かけたらモデルやりたいって。俺が描きたくなるような顔してた」

「へえ。そういうの、ヒカルにもあるんだ。表現欲っての? あまりギラギラと滲み出てこないタイプだろ」

 敬親さんは腕を組んで、感心した顔をした。

「うん。なんか雰囲気良いなと思ったら、クォーターだって」

「いいね! アンリも言ってたけど、ヒカルはすごいセンスの持ち主だと俺も思うよ。繊細でしなやかなのに、時々豪傑さを見せるだろ。ヒカルの絵は人を惹きつけるんだよな。その子、今度ここに連れてきなよ」

 またアンリの話だ。せっかく褒められたのに、俺は少し不機嫌になった。

「面食いのつもりじゃないんだけど。敬親さんみたいな……雰囲気イケメンに恋してるし」

「はい、ありがとね」

「いつもあしらわれる。高校生だからって……」

「そうじゃないよ。ちゃんと断ってるんだ。俺にはアンリというベルギー人のパートナーがいて、心底彼を愛している。ベルギーと日本をお互い往復する遠距離だけど、彼しかいないんだ。アンリもヒカルのことを気に入っているし気にかけている。君の才能を俺のパートナーも買っているんだよ。ヒカルも誰かに恋しろって、俺ずっと言ってるじゃん」

「そうだけど」

 敬親さんのいつものアンリ自慢。これで俺に諦めさせている。アンリの話なんてどうでもいい。そう思って席を立った。キッチンで水差しに水を入れ、席に戻って筆を水につけた。

「進路、決めてるの?」

「決めてない」

 絵の具と共に続きを描き始める。紙面にゆっくりと筆を動かした。

「俺らグループ活動で、フリーにやってるけど……高校生はヒカルだけだからさ。どうするのかなと思って」

「考えとく」

「さて、俺は仕事に戻るかな。もう少ししたらみんなが集まるから、久々に掃除をして、来月のイベントの話をしよう」

 このアトリエに集まるメンバーは五人。絵画の俺と金工の敬親さんの他に、映像・音楽クリエーター、彫刻などの立体物アーティスト、服飾や布などのアーティストがいて、年齢も二十代が主だ。学生は俺と美大生の布アーティストだけ。グループで時々インスタレーションイベントや展示を行っている。

 アトリエから出て、駅までの繁華街の道を一人で歩く。もう暗くなっていた。

 ――好きな人、か。敬親さんは素晴らしい作品を作るし、誰にでも優しい。普段は無口な人も、彼の前では自然と心を開く。ファッションデザイナーの「アンリ」という同性のパートナーがいることも知っていた。時々海外に行くのは、彼のためだと。彼のブランドのアクセサリーを担当していることも。ただ、そんな素敵な人のそばにいられることが嬉しかったし、自分を構ってくれる事が幸せで、恋だと思っていた。

 ただ、敬親さんをイメージした作品は描いたことがない。何かに例えられなかったからだ。

 

「あー! 府玻くん!」

 歩いていたら、誰かに呼び止められた。俺はびっくりして咄嗟に走って逃げた。

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