第15話:旅へ

 ――我らがドラニア王国には無数の人種に民族が存在する。ドラニアは西部、中部、東部、南部では言葉が異なる。その上、東の国境にはシュラフタ共和国をはじめとした大国が蠢き、その土地には東方異民族と呼ばれる複数の流浪の民がおり、それは度々ドラニアに流入している。


 ドラニアで希少種となった種族がいる。エルフだ。彼らは孤高の人種であり、人間との共存には向かない種族であった。対するドワーフはその工業能力によって、大陸の支配者となったヒト族に迎え入れられ、街中でもよく見かける事がある。ドワーフに比べて有益ではないエルフはヒト族によって徹底的に〝駆除〟された歴史がある。また、彼らが長寿ゆえにヒトの宗教を否定することに繋がる事も弾圧を苛烈なものにさせた。


 ——二人は郊外に向かった。旅の支度をするためである。ラントシュタイヒャーはまず行きつけの鍛冶屋に向かった。


「ニコラウス神父、鎧や鎖帷子を身に着けたことはありますか?」


ラントシュタイヒャーの問に「鎖帷子なら、しかしどうして?」と聞き返す。


「最低限の防具を着る事で即死を避けられます」鎖帷子は多少重く、音も鳴るが、剣で切られる事を防ぎ、矢や槍が深々と突き刺さることを避ける事ができる。


 最初にたどり着いた鍛冶場は郊外のさらに端の方に建てられていた。鍛冶と言う物は騒音がする事、そして、その主がヒトではないが為であった。


 鍛冶ギルドの紋章が掛けられた簡素な建物。それが掲げられているという事は、この商店がヴェリーキーシュタットの商業組合に加入しているという事を示す。それは、ドワーフがヒトと共存している事を証明していた。建物に近づくとカンカンと鉄を打ち付ける音が響く。ドアを開くとむわっとした熱気が彼らを包むが二人は足を踏み入れる。


「ふいごよ吹け、火を起こせ、鉄を打て……♪」


金床にハンマーを叩き付ける音とだみ声の、鼻歌にしては大きすぎる歌声が聞こえる。ラントシュタイヒャーはその音のする方のドアを開けて叫んだ。


「やあ大将、仕事の調子はどうだい!」


 ドアの向こうでは火が灯った炉が煌々としており、金床に向かってハンマーを打ち付ける小柄だが、横幅がそれなりに太い小さな人影があった。もじゃもじゃの髪を後頭部で束ね、後ろから見てもわかる程豊満な髭にはリボンで三つ編みが編まれている。


「あ゛あ゛? あんだと?」


ドワーフはしゃがれた巨大な声でそう答えたがすぐには振り返らず、赤熱した、刃の形の塊を分厚い革のグローブでひっつかみ、炉の中に寝かせた。


「ソーリン! 聞こえてるのか!?」


ラントシュタイヒャーが叫ぶとドワーフのソーリンはしゃっとこちらの方を振り向き「聞こえとるわ! ちょっと待っとれい!」と怒鳴り、仕事に戻る。ラントシュタイヒャーはニコラウスを隅のベンチに座らせ、ソーリンの仕事の行方を見守る。


 ソーリンは炉から引き出した鋼を壺に放り込む。水分が沸騰する音と共にそれを引き出す。少し煤けて見えたがそれは既に剣の刃であった。


「あ゛あ゛。あんたか、ラントシュタイヒャー。何の用だ? また戦利品の引き取りか? ん゛ん゛? 誰だそいつぁ? 物乞いか?」


ソーリンは剣を台の上に置いてから二人の方を見つめる。


「いや、彼はその、神父だ」


「あ゛? 神父だ? 何しに来たんだ?」


ソーリンの巨大な声が再び響き、ニコラウスが少し縮こまった。ラントシュタイヒャーが用を伝えた。


「久しぶりに旅に出るんだ。神父に鎖帷子を用意したい」


ソーリンが髭を撫で、しぶしぶ頷いた。


「まぁいい。ちょっと待っとれ。」


彼は引き戸を開け、中から鎖帷子を引っ張り出した。鉄の環が連なった防具で、錆一つ無く炉の光を浴びて銀色に輝いている。それを採寸もせず、ぶっきらぼうにニコラウスに渡した。


「着てみな、神父さんよ。」


ニコラウスが礼を言い、チュニックの上から袖を通した。鎖帷子は重く、肩にずっしりと乗るが、大きさはぴったりだった。ソーリンが目を細め、鼻を鳴らした。


「ほらな、ぴったりだ。動きづらいだろうが、命は守れるぜ。」


ラントシュタイヒャーが笑った。


「さすがソーリンだ。目利きが効く」


ドワーフは鍛冶と商売に生涯を費やし、体格を見ただけで合うものを選べる技を持つ職人も少なくはない。ニコラウスが鎖帷子を着たまま立ち上がり、動きを確かめた。


「思いのほか重いな……だがドワーフの鎖帷子なら命を守れるだろう」


「けっ。神父のくせに照れるじゃねえかよ!」


銅鑼のようなだみ声でそういった後、バチンとニコラウスの背中を叩いた。ラントシュタイヒャーは銀貨の入った革袋をソーリンに手渡す。彼は受け取った後中身も確認せずポケットにしまった。持っただけで銀貨の重さから枚数を判別することができるのだ。


「また頼むぜ、ラントシュタイヒャー、それに神父さん」


二人は鍛冶場を後にした。ラントシュタイヒャーは神父の背中を案じた。


「ニコラウス神父、大丈夫ですか?」


「あ、ああ。まあ……」


背中を軽くさすっている神父から、ラントシュタイヒャーは購入した鎖帷子を受け取り、それを自分の背嚢へしまって背負った。


 ――ニコラウスへの警戒から緩衝の態度を見てわかる通り、ドワーフは人間の神を信じない。しかし、それでも人間と共存できるのは、彼らのその豪快さと確かな腕によるものだろう。


 ——郊外を歩く二人。神父が王都からとんでもない時間をかけて歩いてきたように、徒歩で目的地まで行くのに何か月かかるか分かった物ではない。いつも拝借した馬を売り払う厩舎へ向かう。そこで馬車を借りようと考えていた。


 郊外の丘の上。青々とした放牧地が柵に囲われ、数頭の裸馬が草を食んでいる。


「すまないな、スタニスワフ卿」


ニコラウスは申し訳なさそうにそう呟いた。


「献身と恭順は信徒の基本ですから、ニコラウス神父」ラントシュタイヒャーは軽くそう言ってのけた。命は一つしかない。その命を救ってもらったからには何だってして返したいと考えていたからだ。


 厩舎の建物に到着すると、麦わら帽子をかぶった男が眠そうにあくびをしながら座っている。馬は高級品。頻繁に買いに来る人間がいるわけではない。


「お、ラントシュタイヒャーさん。今日はどんな御用で?」


彼は二人に気が付くと声を上げ、額の汗をぬぐいながら近づいてくる。彼はこの厩舎と放牧場の主人で名をマクシムと言う。彼の牧場にラントシュタイヒャーは頻繁に出所の怪しい馬を卸していた為、清廉潔白な人物ではない。しかし、金と商売が重視される自由都市に於いて彼は信用のおける人間だろう。


 ラントシュタイヒャーはニコラウスを紹介する。


「こちらはケーニヒスシュタットのヘレナ修道院から来たニコラウス神父だ。彼のクランダ地方での任務に付きそう事になった故、荷馬車と輓馬ばんばを貸してもらいたい」


マクシムは手もみしながらにじり寄り、ラントシュタイヒャーとニコラウスに「いくら出します?」と耳打ちした。任務を帯びた聖職者とは通常教皇庁から送られる為、金の匂いを敏感に嗅ぎ付けたつもりだった。


「どんな馬と荷馬車を貸してくれるかによるな」ラントシュタイヒャーがぴしゃりと言うと、マクシムはすぐに厩舎の中へ案内し、いくつかの荷馬車と輓馬を見せてくれる。


 二頭引き、一頭引き、幌付き、幌なし、白馬に葦毛、鹿毛。ラントシュタイヒャーは実用と財布の中身を相談した結果、一頭引きの小型の幌馬車を借りる事に決めた。幌はまだ貼られておらず骨組みだけで、荷台は対面するベンチが二つあるだけの簡素で非常に尻が痛くなりそうな内装。


 次に馬を見る。輓馬は軍馬や駄馬に比べて足がかなり太く、体格も大きい。ラントシュタイヒャーは許可を取ってから馬を詳しく観察し、時折撫でたり渡された野菜を与えたりした後、つぶらな瞳に綺麗なたてがみをした葦毛の馬を選んだ。


「彼女はリーフリー素早いだ。まだ若く働きざかりで持久力もある。――ラントシュタイヒャーがリーフリーという名の葦毛馬の頬を撫で、軽く搔いているとマクシムがそう言った。彼の言葉を聞こうと手を止めると、葦毛は鼻を寄せてもっと撫でるよう催促している。――でも彼女はヴェリーキーシュタット近郊でしか仕事をした事はない。山道や街道の襲撃でどういう反応をするかは未知数だが……彼女にするかい?」


ラントシュタイヒャーは少し悩んだが「ああ」と答えた。


 荷馬車と馬の賃料の入った革袋をマクシムに渡した後、彼は少し待つよう言って自分の家の方へ向かっていく。しばらくして戻ってきた彼は一人の青年を連れていた。


「息子で馬丁見習いのオレクだ」


オレクは体格の良い若い男と言う風体。腕は太すぎず、細すぎない。均整の取れた筋肉が全身についている。首にはロザリオを掛け、にこやかな微笑みを浮かべている優男だ。彼らは互いに名乗り合った。


「こいつを連れて言ってくれ。そうしてくれたら少しばかり賃料を値引きしよう」


「一体どうしてだ」とラントシュタイヒャーが聞こうとすると同時にオレクは「良いのか親父!」と声を上げる。


「息子はヴェリーキーシュタットで3年兵役に就いていたから足を引っ張る事はないだろう。それに、御者や馬の世話をする奴が一緒にいる方がよくないか?」とマクシム。


 ラントシュタイヒャーはニコラウスの方を見た。


「一人、同伴者が増えても構いませんよね?」


「もちろんだよ。わしらはこれからとんでもない蛮地へ向かう事になるのだから、同行者が多いに越したことはない」


 その答えにオレクは目を輝かせた。


「よろしくお願いします!」


「こちらこそ、よろしく頼む」


オレクとニコラウスが握手する。次にラントシュタイヒャーも彼の手を握った。


 ――翌日、彼らは再び厩舎で相まみえた。真っ白な清潔な幌が掛けられ、木にはニスが塗られ、新品のランタンが掲げられた馬車と馬具を付けられた葦毛馬のリーフリーが広場で待たされていて仕事着のマクシムと、新品の鎖帷子とケトルハット、傷一つないショートソードを下げたオレクは、丘の下からやってくる二人の姿を待っていた。


 神父は白い僧衣の上に黒い薄手の外套を羽織っており、歩く度に鎖帷子が音を鳴らす。ラントシュタイヒャーはキュイラスを身に着け、兜はかぶらず、代わりに羽根飾りのついた緑の細長い三角帽をかぶり、腰の左にはロングソードを、右にはウォーハンマーを、背には短剣を佩いている。

 

 彼は大きな雑嚢を背負っており、そこには彼の他の防具や食料などが乱雑に詰められている。やがて、広場についてから二言、三言話した後、三人が馬車に乗り込む。御者台にはもちろんオレクが掛け、二人は荷台に腰かける。


「父さん、行ってくるよ」


「オレク、しっかり働きなさい」マクシムは御者台の若者にそう言った後ラントシュタイヒャーを呼んだ。


「息子を頼むぞ。無事に帰ってきて馬と馬車を返せよ!」


ラントシュタイヒャーも応える。


「もちろんだ。俺の愛馬の世話も頼むぞ」


「おうよ!」


 旅が始まる。ガタゴトガタゴトと音を立て、時折揺れる。荷台の座り心地は酷い物だが、これから向かう場所の事を考えると〝スタニスワフ〟にとって期待しかなかった。


 自由都市の城壁や郊外の建物の景色がだんだんと遠のく。馬に乗っている時は後ろを振り返る暇はなかったことをしみじみと考えていた。

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