第14話:主の御業

 1382年、初夏。


——旧友を殺し、あの貴族の娘を負かして自分の正しさを証明してから数日が経過した。ヴェリーキーシュタットに戻ったラントシュタイヒャーはなんとなく仕事が億劫になり、自分の貯えで生活をしていた。宿屋で起き、酒場で飲み、ダイスやカードに耽り、風呂屋に行って宿屋で寝る。そんな生活をしていた。


 久々に感じた命の危機、初めて殺した時以来感じたことのなかったはずの殺人に伴う悔恨。そういう物が、彼を仕事から遠ざけさせた。


 主君であったボフミール・フォン・スラヴニー・ズ・ヴェンダー卿、親愛なる父であったヴォオジミエシュ卿、その二人の教えはどちらも弱者や主君、家臣の為に戦うという事であった。主君は領民を守ることを一番に、父からは強きを挫く事を教えられた。


 今まで、あの戦争の後何年も諸国を放浪して盗賊や強盗騎士たちを殺し続け、ギルドからは賞賛と金を集め、余った金を施すそういう生活をしていた。俺は教えを守れていたのだろうか。


命令とはいえ、自分の行いで主君から与えられた領地や、そもそもヴェンダー伯領、そして、クランダ地方全体を巻き込んだ戦争が始まった。ディトリヒをはじめとした多くの諸侯の領地で教皇庁による虐殺が起きてしまった。どうすれば良かったのか? 座して嵐が過ぎるのを待つべきだったのか? それとも本当は俺たちが抵抗したから強硬手段に出られたのではないか?


ラントシュタイヒャーは考えるのを止めたくなった。何かに集中していないときと言うのは余計な、考えても仕方のない事を考えてしまいがちだ。そう思って彼は宿屋を出てギルドに行くことにした。


 綿入りジャケット、剣吊りにロングソードを。いつもの市中を歩くときの恰好をした。


「ラントシュタイヒャーさんよ、そろそろ仕事に行くのかい?」ホールを出ようとしたところで宿屋の主人が話しかけてくる。


「ええ、そろそろまた働かないと宿賃を払えませんから」


「あんたみたいな稀有なお方のおかげで俺たち市民は平和に暮らせるもんだ。その上滞りなくまとまった金を払ってくれるのであれば歓迎するしかねえ。気を付けてな、ラントシュタイヒャーさん」


彼は小さく会釈をしてから街の中心へと向かっていく。


 昼前の冒険者ギルドはかなり静かだ。みんな働きに出ている。賑やかになるのは夕方から夜に掛けて彼らが戻ってくる時間。


 依頼の掲示板を見ようとしたが、なんとなく受付嬢と話している人物が気になった。


 初老の男。剃髪しており、汚れだらけで擦り切れた白いぼろきれのようなチュニックを着ている。靴は履いておらず、代わりになめした革を巻き付けている。武器は持っていない。冒険者ではないが、かと言って依頼を出せるような人物でもなさそうだ。


「……ですから、申し訳ありませんが、報酬をご提示できない方の依頼は掲示できないのです。ギルドの規則ですので……」受付嬢がそう伝える。


 男はようやくあきらめたのかホールの机に掛け、そして女給を呼び止め一番安い蕎麦の実のカーシャを注文し、溜息をついている。


 ラントシュタイヒャーは掲示版を見る前に顔なじみの受付嬢に声を掛けた。


「あの人は?」


「分かりません。ケーニヒスシュタットから旅をしてきた僧侶さんらしいのです」


「どうして依頼を?」


「ああ、それは今大荒れの中部クランダ地方に任務があるとかで。護衛を数人雇いたいと仰っていたのですが、手持ちが銀貨5枚ですとさすがに……それに教皇庁の任務なら、もっとお金や護衛があると思うのですけど……」


彼女は男の身元を不審に考えているようだった。彼は受付嬢に礼を言うとその僧侶の座るテーブルに近づく。破門された彼は教会のコミュニティに関わることはできない。しかし、例外的に今なら近づけるかもしれない。この僧侶が猫の手でも借りたがっていればの話だが。


「神父さん、ごきげんよう。ご一緒しても構いませんか?」ラントシュタイヒャーは胸の前に指で一本の線を描いた後にお辞儀をした。


彼は「ああ、構わんよ」と言った後、小さくため息を吐いた。


 カーシャを運んできた女給に対し、ラントシュタイヒャーはエールを二杯頼んだ。


「ところで君は誰だね?」


「俺はラントシュタイヒャーと呼ばれている冒険者。盗賊退治が専門だ」


僧侶は彼の目をじっと見つめて名乗った。


「わしはニコラウス修道司祭だ。ケーニヒスシュタットのヘレナ修道会に所属している。わしの醜態を見て声を掛けてくれたのかね?」


——エールが運ばれてくる。ラントシュタイヒャーがジョッキを一つ彼の方に押し出すと「ありがたくいただこう」と言ってぐびぐびと飲み始めた。


 ラントシュタイヒャーがニコラウスに声を掛けた理由は一つだけだった。それはクランダ地方・かつての主人の領地を訪れるきっかけが欲しかったからだ。もし仮にあのまま掲示板を見て、そこまでの護衛の依頼があれば躊躇なく受注しただろう。


「わしが本当に聖職者だと思うかね?」ジョッキを置いたニコラウスはそう問いかける。中身はもう空になっていた。よほど喉が渇いていたのか、それとも数日ぶりの酒だからか?


「……わからない。受付嬢も護衛がいるはずとか、お金ももっと持ってるだろうって言っていたが」


彼はそれを聞いてがははと声をあげて笑った。


「主は善行をひけらかすなかれと仰った。施しをするならば誰も見ていない所で施す、祈るならば場所もやり方も関係ないと。まあ、これは例外だろう。わしは全部をやってしまったのだ」


聞くところによると、王都・ケーニヒスシュタットから教皇庁の指示を受けて一か月は旅をしてきたらしく、その最中教会から与えられたすべての物と自分の持ち物の殆どを施したのだとか。曰く、生きるか死ぬか、任務をこなせるか否か、それらは全て神のみぞ知っている事。深く考えず、自分が思う善を成す事が重要だと。――行き過ぎた施しと言う物は福音書に於いて推奨されるものではない。むしろ身の丈に合った施しや寄付こそが良いものであるとされている。


 ……ニコラウスの場合は過剰な施しではなく、むしろ自身の運命を神にゆだねてこその行動であった。


 教会から与えられたロバは足を怪我した旅の親子に、外套は雨に打たれていた物乞いの少年に、靴は強盗に奪われ、ロザリオは病人に祈りの言葉と共に与え、財布の金は旅の途中で適宜使い、施し、そして残ったのが銀貨5枚だとか。


「今時珍しい人だ、あなたは」ラントシュタイヒャーの言葉の意図には近年の聖職者の強欲なイメージが前提にあった。


「教会とて一枚岩ではない。わしはヘレナ会の清貧派に属している」


ニコラウスは胸の前で一本の線を描いた。


 清貧派は西方諸国教会の派閥の一つで教会内部の自粛や自戒を求めるグループだ。財産の所有を否定し、いかなる快楽をも批判する派閥。彼らはイェソド派に共感する立場にあり、8年前のクランダ地方地平線軍の活動も痛烈に非難していた他方、彼らがイェソド派と異なるのは彼らが聖職者であり、そして教会が神の使いの一つであるという自認を持っていた所だろう。


「それで、若者よ。君はわしを助けてくれるから話しかけてきたのかね?」


ニコラウスの問にラントシュタイヒャーは答えられない。自分が何者であるか伝えなければならない。金が信用につながる自由都市ではあまり重視されない事だが、王や封建領主、教皇の影響圏の場合、建前として最も重要視されるのは信仰心だ。たとえ外国人でも、信仰告白や祈りの言葉をそらんじて言う事ができれば保護を受けられる可能性が高くなる。


 ――保護を受けることができない立場の者が二種類存在する。異教徒、そして破門された者。その二つは教会の儀式に加わることができず、彼らに対して施しをする必要もなく、福音書にもその者らは徴税人にするように接し、追い払うようにと記されている。


 教会の規律に於いては何人も破門者と関わる事を禁止している他、その穢れた者を共同墓地に埋葬する事さえも許していない。この理想的な僧侶に対して誠実でありたかった。


「私は、信徒の身分ではないのです」


「というと? しかし君はロザリオを首から下げているではないか? ロザリオを持たないわしよりももっと信徒らしく見える」


ニコラウスは笑いながら言ったのに対し、ラントシュタイヒャーは神妙な面で答えた。


「私の名前はスタニスワフ。姓をニェジヴィエツキ。ヴァルドヴィッツのスタニスワフ・ニェジヴィエツキです。地平線軍と戦ったボフミール・フォン・スラヴニー卿の家臣で、私はかつての戦争の際、身分と信仰を失ったのです」


名前を聞いた時、神父は一瞬だけ目を丸くした後、「何てことだ」とつぶやき、何度か胸の前に線を描く。


「まさか、君に会えるとは思わなかった……何てことだ。主の御業は謎めいているな、全く」


再三胸の前に線を描いた神父はつづけた。


「生きていたか。戦い続けていたのか。わしがヴェリーキーシュタットで君と出会う事は神に運命づけられていたのであろうな。わしは清貧派を代表して貴族連合の諸侯たちの助命嘆願に走っていた。君の事をもちろん知っているニェジヴィエツキ卿よ、会えて光栄だ」


 ――この神父は気にも留めなかった。彼はそもそも清貧派であり教会の傲慢を批判する立場にあったからだ。


そして二人は本題に移る。なぜニコラウスが一人で、しかも護衛もなしで長旅を命じられたのか。それは清貧派が教会内部の厄介者で、不穏分子であったからで、任務を帯びた聖職者が二人も消えたクランダ地方で何が起きているかを調べさせ、任務をこなせられれば良し、遂行できずに死んでも良しというように、どう転んでも教皇庁側にメリットしかないのだ。


「具体的にあなたの役目というのは?」ラントシュタイヒャーが聞いた。


「わしは教皇・スヴャトスラフ聖下より、失踪した二人の聖職者、アタナシウスとシモン両神父を捜索するよう仰せつかっている。どこへ向かったか、何が起きたか、生きているのか死んでいるのか。それを今、盗賊の闊歩する非協力的なクランダ地方でな」


大きな溜息をついたニコラウス。ラントシュタイヒャーは無給も気にせずこの旅路に加わる事にした。腕っぷしと殺しが役に立つ。彼を助ける事ができるのは自分だけだ。今一度かつての土地を訪れ、そして神の為に働き赦しを乞おうと。

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