第16話:番犬

 俺はヴェリーキーシュタットのコーニィ厩舎のアンドレの孫、マクシムの息子のオレク。今は22歳、3年間の都市衛兵勤務を終え、今は親父の仕事の手伝いをしていた。憧れこそあった。冒険。平原を超え、川を渡り、山を登り、洞窟に潜り、金銀財宝を得るとか、見たこともない化け物と剣だけで戦う。そんなバカげたことになんとなく憧れていた。


 しかし、親父からは地に足の付いた厩舎という安定しているどころか儲かる仕事を続けるよう厳しく言い続けられていた。これは願ってもいない機会だった。


 けれど旅は思っていたほど面白くはなかった。怪物は出ないし、盗賊も襲撃してこない。それがありがたい事だとは分かっている。だが、いつも通り近郊を馬で走っている時と大差はなかった、


 食事は楽しかった。干物や保存食を食ったり、通りかかる川で魚を捕まえたり、山奥でウサギを射たり。そうして食べ物を鍋で雑多に調理し、火を囲って神に祈ってから食い始める。


 あとはただただ俺が馬車を御し、その間、神父様は説教をし、ラントシュタイヒャーさんは静かにそれを聞いている。……俺は正直ラントシュタイヒャーさんをおっかないと思っている。彼は悪人じゃないと思う。いつもロザリオを下げ、神父さんを助けようとして俺たちの厩舎に来た。彼は良い人だ。


 でも、彼は人殺しだ。それも大量殺人者だ。彼の活躍は酒場で吟遊詩人が吟じている事だってある。王国各地の盗賊を殺して回っている彼の目が、正面を向き合って俺の事を見て話すときは気にならないのに、どこか遠くを見つめている時はとても恐ろしく鳥肌がたつ。冷たく、そしてあまりにも何もない。その空虚な感じが怖かった。そして、更に俺は殺し屋にはなれないと確信を抱かせる。


 俺は衛兵をしていたことある。だがそれは、自分たちの街や人々を守るという目的があったからこそ剣を持ち、時には職務上必要な暴力を行えた。だからこそラントシュタイヒャーという男の原動力が理解できない。彼は何のために戦っているのか、分からなかった。


 ラントシュタイヒャーさんを不気味に思う理由がもう一つある。それは、あの空虚な瞳は、神父様の説教を聞くときだけは叱られた子供の様に見えることだ。それでいて、まるで鎖を付けられた犬のように小さくなって、ただ聞いている。


——「聞きなさい子よ。主は殺すなかれと仰った。主は自身を捕らえようとする者たちに剣を向けることを拒まれた。子よ、人殺しは罪である。敵対者や悪に対し、悪を持って抗うことをお許しにならなかった。右のほおを打たれたら左のほおをも差し出すことを推奨なさった」


神父様は非暴力の説教をなさっている。


「しかし子よ、我らの聖なると称される公同の教会を見よ。我らはなぜ戦うのか。それは我らの教会が主のみ言葉により産まれた人の共同体だからである。我らは主のみ言葉を聞き、その御心を果たすことは人の共同体である故に不可能に近い。我らは人の法に生きている。神と共同体に集う者を保護するために、共同体は戦いを正当化するのだ」


 教会は預言者の言葉、殺すな、和解しろ、悪に悪であらがうな、そういう教えを破っている。だがそれは教会が世俗の集団であるからだ。決して教会自体は神聖ではなく、そこに集う兄弟も神聖ではない。神聖なのは天におわす父のみだ——10年くらい前のイェソド派の巡回説教師もそんなことを言っていた気がする。彼は衛兵に連れていかれたが……。


「聞きなさい子よ、人を殺してはならない。主がそう仰ったのだから。金を払って悪魔が神の国に入れないよう、仰々しく祈り、着飾る聖職者が主の食卓に招かれぬよう、殺人者が告白と献金で神の国へ至ることは無いだろう。信仰とは汝のうちにある。汝の良心に宿る。子よ、礼拝堂や懺悔室で祈らずに悔い改めなさい。あなたが御心に応える方法は一つである。アーメン」


ラントシュタイヒャーさんもすぐに「アーメン」と答えた。


 旅が始まってから既に3日が経っていた。ヴェリーキーシュタットの勢力圏を外れ、間もなくマレニア侯爵ミクローシュ閣下が地平線軍後編入した領域に入る。ここから先は俺にとって未知の蛮地だった。しかもそこでは坊さんの失踪や盗賊が街道で罠を張っている事まであるとか。


 そんな時、突然輓馬のリーフリがぴったりと足を止めた。俺は「どうした?」と声を掛け、彼女に駆け寄る。


「どうどう、どうどう」手綱を握り、鬣を撫でてやると落ち着き始める。


「何か合ったか、オレク?」


ラントシュタイヒャーさんが幌から顔を出した。


「いえ、リーフリの奴、急に止まってしまいまして……」


彼は兜を被ってバイザーをおろし、荷台に於かれていたクロスボウに矢を番え、弦を引き絞ると地面に降り立った。俺はまた怖くなった。


「ら、ラントシュタイヒャーさん……何か、あるんでしょうか?」

 

「分からない。臭いとかはわからないが……」彼が辺りを見回す。未舗装の街道。緩やかな狭い山道で、左側は斜面になっており、その下は川のせせらぎが聞こえる。


 彼は街道の土を触った後、斜面の方を見る。何かを引きずったような痕跡があり、それは川辺に続いている。


「まさか、怪物……?」俺は思わずつぶやく。怪物、見たことなんてない。街に出てきたこともない。寝物語にしかそんなのはいない筈だ。もう、魔王なんて死んだ筈なのだから。


「オレク、荷馬車の中で神父さんを守っていてくれ。俺は川の方を見てくる」


——ラントシュタイヒャーはブーツで斜面を踏みしめながらゆっくりと引き摺った後を追跡する。10メートルほどしたの流れの近くまでそれは続いている。それなりの重量物を運んでいたようだ。密猟者が獲物の残骸を捨てたのか?


 やがて、その場所を見つける。掘り返された土は真新しく、埋めなおされた形跡。墓だ。墓標には何の変哲もない傷がついたショートソードが刺さっていた。


 この場所について考える。大きな都市はなく、最寄りの村まであと馬で半日、馬車で一日はかかる。こんなところに剣を墓標にした墓があったとして、誰が埋められているのか。そう考えると嫌な予感がする。こんなところにまともな人間はいないからだ。


 一応、幸か不幸か朽ちかけたシャベルは落ちていたから、ラントシュタイヒャーは墓を暴くことにした。湿気て柔らかい地面を掘り起こす。土を除ける度に酷い臭いが強まる。


 やがて、耳や鼻が腐り落ち、皮膚は灰色か黒に変わりつつある死体が姿を現した。眼孔は落ち窪み、鼻の孔が縦に空いている。組まれた手。洋服の上から胸当てを付けている様からはこの者が戦士であるとわかる。身に着けているタバードは青と白で紋章はない。明るい色と言うのは盗賊はあまり身につけない。しかし紋章を持たないという事は、識別のための軍装。つまり、傭兵か何かの護衛という事か……? 遺体を引きずり出して調べるのはやめた。そうしなくてもこの者が何で死んだかは分かった。


 太ももに何かが刺さったような傷があった。太もものこの個所には太い血管が通るから、止血が間に合わず失血死に至ることがある。


 腰のベルトに着けたポーチを開けてみる。中には印璽の押された羊皮紙が入っていた。


「我、チースタヴァダ・ポド・ノヴゴロド城伯、ノヴゴロド委任総督ヴラディスラフ・ズ・ゴルトベルグ子爵は傭兵団〝借金取り〟に対し、領域内全域での通行を許可する。つきましては家臣及び各執行官は、彼らの通行を阻害せず、必要物資の支援をし、任務への協力を惜しまぬようここにお願い申し上げる」


 ラントシュタイヒャーはこの書類を墓に投げ込むと土をかけて埋めなおしてやった。通行証を持ち歩く事はリスクだ。最悪自分たちがこの者を手に掛けたと疑われる可能性がある。


 しかし情報は手に入った。この辺りはゴルトベルク子爵という貴族が支配し、領内の巡回もしくは何らかの任務を帯びた奇妙な名前の傭兵団が闊歩している。そして、傭兵団の軍装は青と白であること。彼らは我々とはおそらく中立であること。


 問題はある。ゴルトベルク卿が誰に仕えているかだ。クランダ地方に入植している以上、地平線軍に味方した側の貴族だが、彼が真に神に仕えているかが事の焦点になる。神に仕えているからこそに地平線軍に加わり、主君ボフミール卿と争ったのであれば、教皇の命令を受けたニコラウス神父の旅の目的である、失踪した僧侶の捜索に協力してくれるに違いない。


 ラントシュタイヒャーは馬車に戻ると死体を見つけたことを報告した。そしてニコラウスに対して目撃した情報を伝え、これからゴルトベルク子爵の領地を目指す事を提言する。彼らは教皇からの印章付きの通行手形を持っているから、どこかで止められることはないだろうから、そして情報を集めるには大きな都市に行くのが最適だからだ。

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