第12話:神は誰と共にあるのか?

―◇―◇―◇―◇―◇―


 1374年、初夏。ドラニア王国中部クランダ地方、ヴェンダー地平線軍とヴェンダー伯率いるクランダ地方貴族連合による血みどろの戦争の結果、敗れた貴族連合の殆どが教会への反逆や異端擁護の罪で取り潰しや領地没収の憂き目にあい、戦争の主犯格であるヴェンダー伯ボフミール卿以下数名は火炙りなどの不名誉な刑によって命を奪われた。


 貴族、それも伯爵クラスの領主に対して火炙りや縛り首というのはこの時世では到底考えられる刑罰ではなかった。しかし、それでも執行されたのは教会側がいかにイェソド派を危険視していたかがわかるだろう。


 貴族連合派の領主の殆どがクランダ地方から排除され、マレニア侯爵をはじめとする地平線軍側に味方した貴族たちによってそれは分割されるに至った。


 クランダ地方最大の銀鉱山があり、王の造幣局がある領都ヴェンダーは教皇庁とマレニア侯爵ミクローシュが利益を分割し、領地東方の森林地帯は侯爵の妹であるエルジュベート・フォン・ヴォルフスシュタイン伯爵が独占する形となった。両貴族は、地平線軍に味方することで膨大な数の兵士を提供し、王の血縁であることから地平線軍の正当性を保証することに繋がったからだ。


 現在、1382年の初夏、この地方は新たな混乱と対立が芽吹いていた。


 ――森林の中の道。踏み固められて作られた街道。茂みではひそひそと話す声が聞こえる。狭い街道には切り倒された木が横たわっている。


「お頭ァ、本当に襲うんですかい?」


「黙ってろヴァシル。金は受け取ってるんだ。仕事をこなすぞ」


10人近い彼らは兵士か重装備の強盗といういで立ち。紋章は身に着けておらず、黒いケープやタバードを身に着け、鎧や兜の金属部分や武器の刃には煤か何かをべったりと塗り付けており、光を一切反射することが無い。うち5人は既に弦が張られ、ボルトが装填されたクロスボウを携えている。


「まだ勝手に動くなよ。斥候に出したボジェクが帰ってくるまでじっとしてろよ」上等そうな剣をベルトに吊るした隊長らしき男が静かに言うと部下たちは静かにうなずいた。


 暫くしてから茂みが揺れ、背筋を丸めた若い小男が姿を現す。鎧や鎖帷子は身に着けておらず、ギャンベゾンとケトルハット、ショートソードを身に着けた軽装。


「閣下、間違いないです。連中が来ます」


「ボジェク、相手の人数は?」


「荷馬車一台に騎馬騎士が4名です」


隊長はボジェクにクロスボウを投げ渡した。


「お前は弩隊に加われ。道の左右に2人ずつ、倒木の裏にも2人潜んで俺の合図をもって騎馬を射ろ。射たら直ぐに敵の前に躍り出て俺が降伏勧告をする。わかるな?」


確認するように短気で知性に欠けていそうな部下たちを見回して続ける。内心では信用ならないし願うのは彼らが怖気づいて逃げたり、敵に投降したりしない事ばかりだ。この傭兵団は彼の根っからの同胞とは言い難い街中で集めた徴募兵。〝家臣〟というのはボジェクとヴァシルの2人だけだ。


「雇い主からの命令でな、荷馬車の〝積み荷〟は傷つけず引き渡せとの事だ。余計な事をしたら俺が貴様らを殺してやる。騎馬騎士の方はこちらの自由だ。上等な甲冑や剣、うまくいけば馬も俺たちのものだ。わかったか?」


部下たちは頷いた。隊長は「合図は指笛を鳴らす。さあ配置に着け」と静かに伝えた。彼らは散開する。街道横の茂みに分かれて潜み、攻撃の機会を待った。


 ――彼らは流れ者の傭兵団だ。大規模な戦争や紛争がない以上、暇を持て余し、困窮により略奪に走るような連中。しかし、今、彼らは雇用されている。


 彼らが襲撃しようとしている相手が稜線から姿を現した。子気味の良い蹄の音やがらごろと鳴る荷馬車の音。四人の騎士や荷台に座る男たちは明らかに商人や貴族ではなかった。黒地に赤い横線が入ったタバードを身に着けた騎士。荷台には同じタバードを身に着けた騎士と白いチュニックと黒いフード付きの僧衣を身に着けた中年の男が座っている。――彼らは紛れもなく西方諸国教会の関係者だ。


 一体彼らはどうしてそんなことをしているのか。それはこの馬車の集団の存在と彼らの任務が非常に都合の悪い人物が雇用しているという事。通常であれば彼らを襲撃するなんてありえない。


「Pater Athanasius et eius custodes, qui ante tres menses huc venerunt, interfecti sunt, ut dicitur. Quid vos de re accidit censetis?※1」


一団の会話が聞こえてくるがここにいる傭兵たちはそれを理解することはできなかった。彼らはドラニア王国のいかなる地方の共通語も話していないからだ。彼らが話しているのは教会が独占する聖典を綴っている言葉、ムンドゥスだ。


「Quam impium! Mendacium vel errorem esse vellem※2」


大きな声の会話。しかしその声色は穏やかではない。深刻そうな声だ。


「Domine, custodi iter nostrum, et libera nos a malo!※3」


「Aliud loquamur. Vinum rubrum in illa regione bonum esse dicitur※4」――笑い声が聞こえる。これから起こることも知らずに。


 獲物は間もなく射程に入る。だんだんと標的が近づく。


 ――その時、木々の隙間から見える青空に向かって気の抜けた笛の音が響いた。騎士たちはその瞬間、間違いなく異常に気が付いた。しかし、それは遅すぎた。弓弦が鳴り響く。その刹那に悲鳴が聞こえ、馬が嘶く。


 二人の騎士が馬上からもんどりをうって転げ落ちた。一人の騎馬は馬に当たったのか制御しきれず、走り出し、街道を外れ、森の中へ突っ込み、騎手を振り落とした。


「Hostis adest!」一人の騎士がそう叫んだ次の瞬間、圧倒的に多勢の傭兵たちが茂みから姿を現した。剣や長柄の鎌や槍で武装した11人の傭兵。相手はたった二人だった。荷馬車の騎士と無傷の騎馬が一人。


 隊長は相手の様子をうかがう。荷馬車は一頭引き。御者は剣を付けているが騎士ではなさそうだ。荷台の僧侶は慌てている。予定では全員ぶっ殺すか地面に引き倒せる筈だった。しかし、3人を今無力化できたのはこの隊にしては上出来か……? 


「ご機嫌よう。俺はクラースナ・ホラのズデニク卿だ。投降すれば身の安全を保障する」


「Num credimus vobis, qui subito nos aggressi estis?※5」騎士はズデニクの言葉を聞き取っているらしく、明らかに返答をしたが傭兵たちは理解できない。


「信用しろよ。俺は騎士だ。神と主君に仕えている。この世の全ての聖なるものに懸けて俺たちはあんたらをこれ以上殺さないと誓う。初撃を生き延びたのは正に神があんたらの運命が尽きるのはここではないと仰ったっていうことじゃないか?」


「Praedones! Dominus dixit:〝 Non iurare〟※6」


馬上の騎士は声を荒げた。それは交渉が全く意味をなさなかったのだ。素早い動きで背中から何かを取り出した。クロスボウだった。次の瞬間、放たれたボルトは隊長・ズデニク卿のキュイラスを貫き、彼は地面に転がる。隙を逃さず「ハイヤー」と叫ぶと共に馬を走らせる。


 どかどかと地面を揺らす襲歩の足音。一人の傭兵に刃が迫る。ロングソードの長大かつ分厚い刃は傭兵の体を切り裂くことこそできなかった。しかし、刃が当たった瞬間、彼の体は悲鳴と共に大きく吹き飛ばされて動かなくなる。返す刀が首に当たったもう一人も「ぎゃっ」と悲鳴を上げて地面に転がった。……騎兵突撃は馬の体重と速度が最も強烈な武器だ。騎馬は倒木を飛び越え、もう一度傭兵たちの方に頭を向けた。


 たった一回の突撃で2人の傭兵が地面に転がった。ズデニクが忌々しそうに顔をしかめながら立ち上がるが、スコーンという軽い金属音と共に部下がまた倒れた。さっき落馬した騎士の一人が森の中からクロスボウを構えていた。


 数的有利は依然。しかし、練度の差がありすぎる。たった数秒で3人倒された。俺を含めて残りは8人。騎士らしくないが俺はもう誇りもくそもない傭兵だ。ちらと目的の荷馬車を盗み見る。こいつらを捕まえれば仕事は終わる。さっさとずらかるか? 荷馬車に乗り込んで退きながらクロスボウを撃つことができれば……。


 ――しかし、読まれていた。そりゃそうだ。大事な人間を置いてただ逃げるはずがない。だが荷馬車の方にいる騎士は若く、怯えが混じっている。剣を向けているが部下をまだ攻撃してきていない。腰も少し引けている。


「ヴァシル、ボジェク、てめえらは〝積み荷〟を確保しろ。そっちの騎士を始末して荷馬車ごと奪ってここを離れ、ボハタ・ホラ郊外の酒場まで撤収しろ」


「へい。しかし閣下は?」


「俺は指揮を執る。積み荷は任せたからな」


ズデニクはロングソードを構え、傭兵たちを見回した。


「突撃を受け止めろ。切っ先をまっすぐ突き立て、馬を貫いて殺せ。誰が死ぬかはそうだ。〝Deus solus scit神のみぞ知る〟だ。給金分働け。殺して死ぬために金を貰ってんだろ!」


 狭い街道に6人の傭兵が横一列に広がって簡易の槍衾が作られる。他方で二人は躊躇なく荷馬車についていた騎士を囲んで打ち殺し、抵抗する御者も斬り殺して馬車を奪って走り出していた。


 突撃してくる騎馬は一騎。森の中の騎士がクロスボウを向けて援護をする形。


「ぶっ」


風を切る音と共にズデニクの隣の部下が後頭部にボルトを受けたが甲冑を付けている為か致命傷を避けられ、何とか踏みとどまった。


 再び胸にまで響く、まるで太鼓が響くかのように地面を揺らす馬の足音が近づく。もう目の前に。剣の切っ先をまっすぐ向け、すさまじい速度で迫る騎士。騎兵は街道をふさぐ倒木を飛び越え、大きく跳躍した。剣の切っ先と馬の巨体が近づく。ズデニクは目をつむりたかった。両手を合わせて神に祈りたかった。


「怯えるな、奴はここで止まる!」


「In nomine Dei vos interficiam!」騎士の叫び声が聞こえる。衝突の瞬間、ズデニクと傭兵二人が衝撃で吹き飛ばされる。しかし、それと同時に仲間の剣が馬を怯えさせ、騎馬は着地と共に踏ん張り、後ろ足で大きく立ち上がった。


Diabolus!くそったれ!


落馬して地面にたたきつけられる騎士。馬の背という高所からの墜落は甲冑の重みも相まって大きなダメージを与えた。彼は呻いた後一瞬呼吸できなくなり、正気を取り戻してからも荒い息を続ける。


 またボルトが飛んでくるが今度は神が微笑んだのか彼らに当たることはなかった。たまたま剣による攻撃を避ける事ができて奇跡的に打撲程度で済んだズデニクは生き残っている部下に対して草木に潜んでいる騎士を追って捕まえるよう命じ、自分はこの騎士に向き合った。


Qui……qui estis vos?お前たちは何者だ? Nonne scitis nos 俺たちが教皇の使者だesse nuntios Papae?と知らないのか?


Ita, scimus知ってるさ」ズデニクはそう言ったあとにんまりとほほ笑んだ。遠くの方で部下たちが騎士を叩きのめしてから縄で縛っていた。


 数時間後、人数の減った傭兵団は約束していたボハタ・ホラ郊外に到着した。奪った馬に鎧やらを脱がせた騎士と負傷者を乗せ、大きくそして汚いが酒と寝床と女がある宿屋にたどり着き、主人から厩舎の裏に案内された。


 ボジェクとヴァシルは既に到着しており、厩舎の裏で荷馬車に布をかけ、そのそばで酒盛りをしていた。


「閣下、ご無事でよかったですぜ」ズデニク卿の姿を見たヴァシルはそう言って自分の持っていたエールのジョッキを渡した。


「お前らこそ。ルカーチュ・コヴァーチ卿はまだ来てないのか?」


「もう間もなくかと」


ボジェクがそう言った直後、厩舎の陰に中年の男と数人の兵士がやってくる。シャペロン帽に金のごてごてした首飾り、豪勢な紋章の刺繍が入った綿入りジャケットを身に着け、乗馬ブーツを履いている。しかし、剣こそ持っていなかった。兵士たちは赤と白のタバードを身に着け、盾に描かれる紋章は赤い薔薇やリボン、二つの首の鳥、そして「Deus nobiscum est神は我らと共にあり」というモットーが書かれている。今はクランダ地方東部を支配するエルジェベート伯爵のものだ。


「ご機嫌よう、クラースナ・ホラのズデニク卿」


「閣下、またお会いできて光栄だ」


 ズデニクは右手を左胸に当てて恭しくお辞儀した後、言われる前に〝戦利品〟を提示した。傷だらけの騎士二人と聖職者。どちらも意識を失っているがまだ生きている。


 ルカーチュは頷いたあと、銀貨の入った袋を彼に手渡した。


「お前たち、こいつらを運ぶぞ」ルカーチュがそう言うと、兵士たちが乱雑に三人の男を馬車に載せた。


「お前たちはなかなか優秀なようだ。また頼むかもしれない。一応聞くがこいつら以外の連中はどうなった?」


ズデニクは「皆殺しです、閣下」と答えた。


※1Pater Athanasius et eius custodes, qui ante tres menses huc venerunt, interfecti sunt, ut dicitur. Quid vos de re accidit censetis?

「アタナシウス神父が三カ月前殺されたらしい。君たちはどう思うか?」

※2Quam impium! Mendacium vel errorem esse vellem.

「何と不遜な! 間違いであってほしい。]

※3Domine, custodi iter nostrum, et libera nos a malo!

「主よ、旅の安全をお守りください。我らを悪より救いください」

→libera nos a maloは主の祈り(Pater noster)の一説で、「悪より救い給え」という祈りの箇所から引用している。悪とは悪魔や災難、事件、とにかく悪いことから遠ざけてほしい的な。

※4Aliud loquamur. Vinum rubrum in illa regione bonum esse dicitur.

「話題を変えよう。この地方は赤ワインがうまいようだぞ」

※5Num credimus vobis, qui subito nos aggressi estis?

「いきなり襲ってきたお前たちを信用しろと?」

※6Praedones! Dominus dixit: 〝Non iurare〟!

「強盗め! 主は〝誓うな〟と仰った!」



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