第11話:一段落

 ——「あなた、大司教閣下まで手に掛けたんですの……?」


ヤナは困惑を浮かべていた。特に高位聖職者の殺害は相当大きな罪の一つだ。おまけにこの男は約一年間にわたる異端征伐の地平線軍とヴェンダー伯の間での血みどろの戦争の先駆けになったというのに。


 ラントシュタイヒャーの話によれば、大司教はこの時は軍指揮官も兼ねていた事、戦争の中、やはり起きてしまったイェソド派疑惑の市民に対する虐殺の結果、教会内の穏健派の高位聖職者が民の為に闘った騎士として彼の助命をスビャトスラフ教皇聖下に嘆願した事が理由であったらしい。彼は主君の火刑と自身の領地や領民、爵位、そして信仰を剝奪された結果命だけはその手に残ったのだとか。


「いささか疲れた。話は終いにして、今日は私が先に寝かせてもらおう」


ラントシュタイヒャーがそう言うとヤナは「承知しましたわ、スタニスワフ・ニェジヴィエツキ卿」と言った。彼はそう呼ばれて少しだけ微笑んだような気がした。


 間もなくいびきをかき始めるこの大男。ヤナは不思議で仕方がなかった。目の前で無防備に眠っている仇。自分が短剣を握りしめ、えいと刺せば殺すことができるのに彼は眠りこけている。不思議な事に少しだけうれしかった。これは彼が自分を名誉ある貴族や騎士であると認めた証拠のように感じたからであった。


—◇―◇―◇―◇―◇―


 翌朝、サレン市のギルドにラントシュタイヒャーは初めてやってきた。わざわざ昨日は着なかった白と黒のタバードを身に着け、朝の静かなギルドに入り、ためらうヤナの背中を押して受付へと至る。


「おはようございます、冒険者さん。何かお手伝いできますか?」


受付嬢が朗らかな作り笑いでそう問いかける。ヤナのかつての高圧的な様相が今はすっかり鳴りを潜めている。彼女が雑嚢にしまっている物は間違いなく名誉と銀貨の引換券であったが、それは同時に自身の尊厳を損なう物のように感じていた。


「あ、あの……」


「盗賊討伐の証を持ってきた」ラントシュタイヒャーが口を開き、ヤナに雑嚢の中身を机の上に出させる。その後、自身のポーチから金属製の札を取り出して渡す。それに従ってヤナも同じものを取り出して見せた。それはギルドの識別票で、登録したギルドにて発行され、名前や番号などが振られており、依頼の受注や報酬を管理したり死体の判別がつかない場合に身元を特定したりするために配布される。


「スタニスワフさんにヤナさんですね。少々お待ちください」


緑色の綺麗なタバードを持って席を立った受付嬢。ヤナが小声で耳打ちする。


「ねぇ、ニェジヴィエツキ卿?」


「……ラントシュタイヒャーと呼んでほしいな、ここでは」


 ここは貴族でいるべき場ではない。自由都市の息が強いサレン市だから。


「分かりましたわ、ラントシュタイヒャー。その、これ、本当に討伐の証拠になるんですの?」


 その答えはすぐに出た。受付嬢は革袋をカウンターに置いた後尋ねる。


「少し、お話を聞かせて頂けますか」事情聴取はもちろんある。それなりの金が動く仕事である上に人を殺し、殺される仕事だからだ。


「盗賊団について、判明した事を教えて頂けますか?」


ヤナが答えに窮した所でラントシュタイヒャーが口を開く。


「敵はクランダ地方の貴族、ヴェンダー伯ボフミール・フォン・スラヴニー卿の家臣、ディトリヒ・フォン・ブリューエンタール男爵とその従騎士や従者らが強盗騎士として教皇庁を中心とした勢力に対する攻撃を行っていた」


「なるほど……」受付嬢がヤナに視線を向けると彼女は一瞬迷った後、「ええ」と言って頷いた。


たたみかけるラントシュタイヒャー。


「彼らは緑や、緑と白に統一されたスラヴニー卿及びブリューエンタール卿のものとみられる軍装を身に着け、彼らの行動は騎士団としての軍事行動のつもりだった。これに関しては近隣の村や町の執行官より聴取していた情報に合致する。こちらのヤナは一騎打ちにて、今後一切の略奪と攻撃を禁じるという約定の下、命を懸けてディトリヒ・フォン・ブリューエンタールを討ち取り、戦利品としてこのタバードを獲得した次第だ」


 受付嬢は今一つヤナを信用しているようには見えなかった。彼女の手元の記録では、ヤナは冒険者ギルドに登録したばかりの冒険者であり、実績はヴェリーキーシュタットまでの隊商護衛に参加した程度で、戦闘に加わった記録も殺人を行った記録もなかった。


 ただし、その前に立っている冒険者は別格だった。既に数十件の盗賊討伐を行い、賞金首になっていた強盗騎士も数人始末し、数多くの〝戦利品〟をギルドに提出している。彼がそういうなら虚偽や間違いであるはずはない。


「報告、ありがとうございます」


二人の後ろを見回したあと、一応聞いた。


「他の戦利品はよろしかったですか? あ、それと、他の方々は?」


……耳はどうしたか聞かれている。それに、ラントシュタイヒャーのやり口や、ああいう敵の場合を除いて普通であれば集団での闘争になる。


「耳は持ってきていない。他の奴はいない」


「かしこまりました。この度はありがとうございました。市民の皆様もお喜びになると思います、またよろしくお願いしますね、スタニスワフさん、ヤナさん」


そのタバード以外の戦利品、耳やら剣やらの騎士の装備品が提出されない事について、受付嬢は疑問を持たなかった。自由都市に貴族や騎士がいなくとも、ドラニア王国の民である以上、貴族の権利や持つべき敬意については理解がある。ブリューエンタールは騎士として死に、騎士として尊厳を以て葬られたのだろうと。


受付嬢がお辞儀をした後、二人は横にずれて後ろの冒険者に窓口を譲った。


 ギルドの隅の方のテーブルにラントシュタイヒャーが座ると、ヤナも追従した。


「まだ用か?」


ヤナは口の端が引きつっていた。彼女が答えられないでいると女給がやってきて注文を取る。ラントシュタイヒャーはエールを二つ頼んだ。


 ……運ばれてくる木のジョッキに並々入ったエール。ラントシュタイヒャーはぐいとそれを飲んだ。ヤナは自分の分に手を付けない。ようやく動いたかと思えば、さっき受付で受領した銀貨袋を机の上に置いた。


「スタニスワフき——、スタニスワフ。これはあなたの取り分……」


「いや、私には必要ない。貴殿が持つべきだ」


「あたくしは貴族ですのよ? こんなもの、持っていても……」


「私もそれには困っていない。なんのために働くか、それは全て人民と主人の為。たとい金を貰えなくても私はそれをするからだ。そんなことより飲もう。仕事の成功を祝して」


振り上げられたジョッキにヤナは応えた。


 ジョッキはすぐからになる。普段ラントシュタイヒャーが飲むシュナップスやウォッカも、ヤナが好む葡萄酒もどちらもエールに比べれば度数が高いからだ。次々に空になるジョッキが下げられる度に新しいジョッキが運ばれてくる。いつの間にかヤナは銀貨袋をポーチにしまっていた。


「あなたはこれから何をするんですの?」頬にうすらと紅が回ったヤナは聞いた。


「変わらない。これからもああいう連中を殺すだけだ。そっちは?」


「一度領地に帰ろうかと。義母様にいろいろと報告をしないといけません」


 ヤナは目を伏せた。義母、ヤナは正妻の娘ではない。彼女の黒髪や切れ長の瞳は東方異民族のもの。かつて彼女の父がその異民族との紛争でとらえた女こそが彼女の母親だった。まさに本来であれば彼女は全く家督を継げる立場にはなかったのだ。


 しなければならない報告は仇を討てなかった事。盗賊を追い払った事を聞かせれば家臣たちは自分を認めてくれるだろう。だが、義母様は違う。絶対に。違う。


 暫くしてラントシュタイヒャーはすっと席を立ち、「お先に失礼する」と言った。見送るヤナは彼に「あたくしの領地ベーロフラドスキーに来ることがあれば歓迎する」とつぶやいた。そんなことはできないのは分かっていたが、それでもそう言いたかった。そして、右手に着けていた印章付きの指輪をラントシュタイヒャーに渡した。


 こういう印鑑本体や印鑑の捺された書類があれば貴族の領地を滞りなく通過することができる。領主や代官がその相手を特別に認めたから。彼はそれを受け取るとポーチにしまった。


「いつか。また相まみえよう」


ラントシュタイヒャーは机の上に飲み代を置いて、適当に手を振ってから建物を出た。残されたヤナは女給を呼び止め、普段は飲まないシュナップスを注文しては飲む事を繰り返した。


 領地を遠く離れたヴェリーキーシュタットまで来て仕事をした。ベーロフラドスキー領は東方の国境に近い。ヴェリーキーシュタットはちょうど西部と中部の境にある。この自由都市はあの事件が起きた場所にほど近く、そして、多くの人間が訪れる場所。隊商護衛に加わって長旅をした末の到着だった。


 ……目当ての男は盗賊ではなかった。ただどちらにせよ殺すことはかなわなかった。もう一度機会はあるだろうか、本当にあの男を殺す事で私の気は晴れるのだろうか、家族の名誉を晴らせるのだろうか。そんなことを考えない為に彼女は痛飲した。

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