第10話:主君の決断と結末

 ――二日後、領都ヴェンダーにて。中世有数の裕福な都市のひとつではあるが、その規模は大都市や名だたる自由都市程は大きくはない。伯領の大部分を占めるのは森林地帯であり、その中心はほぼ鉱山のあるヴェンダーに依存している。


 今朝から城内は騒然としていた。辺境から使者がやってきてその後周辺の領地の有力諸侯が呼び寄せられていたからだ。全員が緑色のケープやタバードを身に着けている事、一人を除いて立派な剣を下げていることからやんごとなき立場の者たちだと一目でわかる。


 一人は緑色のブリガンダインを身に着け、同じく刺繍の入った緑のケープを着たノヴァーク男爵、あるいは緑の刺繍入りタバードを身に着けたローヘンシュタイン子爵、もう一人は腰にウォーハンマーを吊るし、一応剣も佩いた大柄の男。緑色で草花の刺繍が入ったタバードを身に着けた——......。


『ちょっとお待ちになって、貴方本当に貴族ですの?』


『話に水を差さないでくれ。正確には〝だった〟。だからこそ貴殿の決闘を受け入れた......続けるぞ——......』


 その男はニェジヴィエツキ男爵。ロイバー強盗野郎というあだ名で呼ばれることもある強盗騎士の家系であった。背中には青と緑のフィールドに黒い熊が描かれた盾を背負っている。


 彼らの不快で不安そうな顔に浮かんでいるのは今回の軍勢の件が過去にどこぞの領地で起きた教会の異端審問を名目にした虐殺が記憶に新しいからであった。


「諸侯の方々、お集まりいただき感謝する」ヴェンダー伯ボフミール・フォン・スラヴニー卿はそう言いながら口ひげを撫で、諸侯の意見を伺う。教皇の軍勢が異端審問の名目で我が封土を訪れたこと、その規模はただの異端審問とは思えないということ、辺境防衛を務めるシュヴァルツェンベルク卿が既に交戦してしまったという事。


 誰もすぐに戦おうなどと言い出さなかった。教皇は神の代理人という常識がある以上、彼らの要求を受け入れず、戦ったならば間違いなく自分たちは西方諸国の共通の敵となる。しかし、これを許してしまえば伯爵領の領主としての権威や名誉が失墜し、教会以外の勢力による横暴も許すことに繋がりかねない。


 戦うという選択肢を捨てきれない理由もある。30年ほど前、ドラニア王国西方の領主に対して教会は〝聖戦〟を実施した。教会に服さぬ領民が多くいる事を理由に突如地平線軍を招集して侵攻を開始し、村の一つに至るまで住民を虐殺したのだ。 

 

 彼ら、特に末端の哀れな徴募兵と言う物は、神が異端を殺せ、異端者には何をしてもいいと教えていると考えており、遠慮のない虐殺と強姦が無辜の市民を襲い、通り過ぎる村や町で誘拐と略奪が発生し、数人の諸侯たちとの間に徹底的な分断を生んで殲滅するまで戦争が行われた。


 もしかりに今回の軍勢の目的がそれであったならば、領主の名誉にかけて民を守ることが自分たち貴族の役目であると。ただ屠殺されるのを待つ家畜のようにいるべきか、牧羊犬として敵にかみついて殴り殺されるか、どちらが貴族の務めを果たして名誉に満ちているか。


「シュヴァルツェンベルク卿は教会の兵士を殺し、閣下の名誉を守り、伯爵領を戦争の危機に導いたと」


スタニスワフは厭味ったらしくそういう。


「スタニスワフ・ニェジヴィエツキ男爵! そう言うでない。卿とて名誉と信仰の板挟みになっていたのだ」ヴェンダー伯はそう言うと次の貴族に発言を求めた。


「私としては、彼らの真意を探るべきかと。明らかに常軌を逸した主権侵害の真意は一体何か、イェソド派の者たちが教会の害であるとは、正直思えません、閣下」とノヴァーク男爵。


「共通語訳の福音書が発端でしょう」とローヘンシュタイン子爵は続ける。


「イェソド派はいわば人々の心のうちの話でしたが、教会の財源たる寄付者、つまり豪商や豪農らがそれを手にしてしまえば、教会の収支は間違いなく減少するでしょう。福音書に教会も教皇も神の代理人とかろうじて書かれているが、今の教皇と教会がそうであるかは書いておらず、その上、異端者を迫害して殺してよいとは書いていないですからな」


「……我が領地は木材と銀によって成り立っている。であれば、教会は資源と信仰、二つの物を同時に手に入れようと企んでいるのではないだろうか……神のご意思を疑う事は不信心ではあるが、いささか教皇庁は俗世の毒に触れすぎている。さて、指示を下そうか、ノヴァーク卿、フォン・ローヘンシュタイン卿、貴殿らには戦の準備を整えて頂きたい。砦を増強し、兵を招集し、橋や街道を封鎖、必要に応じて破壊せよ」


二人の貴族は恭しく礼をしてこの場を立ち去った。彼らの足音が聞こえなくなるとヴェンダー伯はニェジヴィエツキ卿の肩を軽くたたき、口を開く。


「スタニスワフ・ニェジヴィエツキ卿、貴殿には領境へ使者として赴いてほしい。君程城を攻めた経験のある貴族はあまりいない、なんせ我が城に梯子を掛けたのは君の父君が初めてだ。君の目で見て、神の御使いたちが何を考えているかを調べ、そして場合によっては行動をしていただきたい」


スタニスワフの瞳に恐れはなかった。戦いの機会にあらがえない興奮を抱いていた。


「行動とは、閣下?」


「〝殺し〟だ。貴殿は当家の紋章官と共に教皇庁の軍団との会議に出席することになる。その場には向こうの指揮官らが集まる筈だ。もし仮に異端審問に不要な材木の運搬や砲なんぞを用意していれば貴殿は使者ではなくなる。分かるか?」


ヴェンダー伯は淡々と言った。男爵が求められているのは会議の場での名誉を欠いた殺人。そんなことをすれば生きて帰ることは不可能な上に、これから先に起きる戦禍と殺戮の先駆けになりかねない不名誉な事に違いない。


「会議では武器は取り上げられるのでは?」


「貴殿なら素手で熊だろうと殺せるだろう……念のため短剣を仕込んでいくがいい」そう言われてニェジヴィエツキ男爵は軽く笑った。


「閣下、承りました。我が家があなたより賜った御恩に対し、命を以てお返しいたします」


——スタニスワフは強盗騎士の家系で、そしてさらにドラニア王国の民ではなかった。王国の東方国境、西方諸国教会と蛮族や異教徒の影響圏のちょうど中間にあるシュラフタ共和国という貴族共和制国家の生まれであった。彼の父親・ヴォオジミエシュは没落により諸国を放浪する傭兵となり、スラヴニー卿と敵対していた貴族に雇われ、城塞への攻撃に加わった過去がある。


 敗戦の後、ヴォオジミエシュ・ニェジヴィエツキとその家臣団はまとめてスラヴニー卿に助命され、実力を買われて家臣として雇われた。


——『その後、殺したのね』


ヤナがつぶやいた。


『ああ。あの後、三日後に領境に到着したが、報告にあった教皇の〝地平線軍〟以外にも王の従弟のミクローシュ・フォン・ヴォルフスシュタイン・ツー・マレニアやらの紋章が掲げられていた。兵の総数も明らかに増えていた。そして、決定打としてカノンと無数のはしごやらがあった。だから、俺は指示に従って殺した』


 攻城兵器にはいくつかの種類がある。破城鎚、投石器トレビュシェット、梯子、そして大砲カノン。人間という生き物はいかにして敵を殺すか、戦いに勝つかを考える度に進化する生き物だ。


 カノンの登場により、裕福な貴族は大規模な輸送と組み立てなどの準備が必要な破城鎚とトレビュシェットを使わず、どちらの役目もこなすことができるカノンを攻城兵器に使えるようになった。それは、城門を破ることも、跳ね橋を落とす事も、城の中心や塔を攻撃することさえ可能にした。

  

 ――ラントシュタイヒャーはヤナに謝罪することはなかった。法的効力を持たなくなった今でも決闘は善悪を計る神の天秤の要素を暗に持っていた。ヤナが負けた以上、彼が父兄を殺害した事は任務上間違いのない行動であったとお互い認めなければならない。ラントシュタイヒャーはあくまでも領主の命令に従っただけであり、それは開戦を遅らせるために必要な殺人と犠牲と献身であった。


『殺した時の事、最期の様子を、教えてくださらないかしら……?』


『すまないが、ベネショフ以外の男が誰だったかを俺は知らない。だが、会議の場で剣を抜かせて、俺は使者を守るために武器を取った』


――「貴殿らは異端審問と教皇の正義を掲げられているが、我らとしては15年前の異端虐殺は記憶に新しい。イェソド派がいかにして異端と認定されたかをお教え願いたい」


会談の場に通されたニェジヴィエツキ卿は神妙な面構えでベネショフら教会の連中に語り掛ける。この会議の場では両陣営が武器を携えていた。相手は多数。そこには慢心があった。たった2人の使者が自分たちに武器を持って歯向かえるとは思っていなかったからだ。


「スタニスワフ卿、それは教会の権威への挑戦ですぞ! 教会は神が初代教皇という〝岩〟ペトロの上に西方諸国教会をお築きになったと福音書に記されている。教会はその初めから、今に至るまで神の代理人であるのは自明の事である! 父は我らを、兄弟を導く代理人に指名したからこそ、今も教会の立場があるのだ! そして主は教会に忠告を聞き入れない者の処遇を最終的に下す権限を与えておられる!」


ベネショフ大司教は机をたたいて声を荒げたが気にも留めない男爵。


「ああ、それも記されている。しかし主がお示しになったのは共同体からの追放にすぎず、虐殺や火炙りを執り行う権利を保証したわけではなかろう。我々は信徒である、大司教閣下。しかしだ、イェソド派は良き隣人である。彼らは神の教えに従っている。清貧、貞淑、恭順を守る彼らは誰に従っていないというのか。いやはや、従っているではないか、我らのに。まさかその高貴で権威ある教会の意図に従わないから許されないと?」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべたスタニスワフは厭味ったらしく追い打ちで笑いながらそう言ってのけた。その発言こそまさに教会の権威への挑戦であった。イェソド派が危険視された理由は正に教会の権威、つまり信仰の専売ができなくなるからこそであった。実際、福音書にもどこにも教会は神の権威の代行者であるとは書いていない。宗教騎士団も大司教も、イェソド派がどうして異端であるかわかっている。自分たちの害になるから、彼らは異端なのだ。


「もういい! 話にならない!」


修道士の一人がそう叫んで机の上の盃やワインを引き倒して叫んだ。


「我らは神の代行者だ!」


「そうかい」彼はもう一押しだと思った。


「ああ、そうだな。代行者かもしれない。だがしかし、隣人を愛せ、汝の敵を愛せ、人は皆兄弟であり、師になってはならない、人を裁くなかれ、貴殿ら西方諸国教会は福音書の何を守っているというのだ」


「この、背教者め!」


一人の騎士がついに剣を抜いた。俺がこの異端者を裁いてやる。俺の信じる神の力を与えられ、金と特権で王権すらもかなわない教会。それが偽物のわけがない。俺たちは神の代弁者だ。この騎士修道士はそう思っていた。


 しかし、主は裁くなかれと間違いなく言っていた。「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう」、そして「剣を持つ者は剣で滅びる」と。


 スタニスワフは殺しの達人だった。ほんの一瞬、抜剣の瞬間には既にテーブルの上に飛び乗り、腰のウォーハンマーでその騎士の頭をバシネットごと打ち砕き、彼が与えようとしていた物を与えた。どよめきと悲鳴。スタニスワフは紋章官を天幕の外へ押しのけ、閉所でロングソードを振ろうとする騎士たちを次々とウォーハンマーで神の下へ送った。


 こうして〝使節団〟は任務をこなし、その後拘束された。彼らの活躍の結果、ヴェンダー伯は泥沼の戦争へ向かったが侵攻は一週間以上遅延した。

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