こんなバレンタインこそカレーを作れ!

某キタムラ

こんなバレンタインこそカレーを作れ!



 「あのさ、裕くん、あたし、別れる」


 その言葉と無情なバレンタインの雪は、これまで重ねてきた思い出と俺の感情を押しつぶしていく。


「それは、本当に?」

「うん、本気だよ。もう、裕くんのことこれ以上幸せにできない。身勝手かもしれないけれど、ごめんね」


 夜風はより一層強くなり、吹雪は、傍で暖めあう人の存在がこれからはいないという現実を打ち付けてくる。


「寒い中呼び出してごめんね。それじゃあ」


 君は当たり障りのない言葉を探してきたが、本当はバイト先の先輩と仲良くなってしまったというのは、わざわざ言ってもらわなくても知っている。


 それでも、踵を返して家路につこうとする、俺が誕生日プレゼントであげた茶色のマフラーをかけた君の姿は、やはり俺の思い出の中の君だった。いや、それよりも輝いて見えたのは、涙のせいなんかじゃないと信じたい。





「いやぁ、それは酷い。わざわざバレンタインの日に外に呼び出して別れ話切り出すとか。良かったな、今のうちに別れられて。そんな女、こっちから願い下げだぜ」


 学生寮で相部屋の慎也は、わが身に起こったことのような様子である。


「そうだけど、やっぱり俺なんかじゃ幸せに出来なかったってことなのかな。俺がもう少ししっかりしてたら浮気なんてしてないだろうし......」


 慎也はまた深刻そうな表情を浮かべて何かを考えている様子。


「うーん、あー、作るか」

「何を?」

「カレーだよ」

「は?カレー?」

「はいっ。わかったら食料調達に行くぞー」


 カレーを作ることの意図が全くつかめないまま、食料調達に出かけることとなった。





 俺は慎也に腕を引っ張られるような形で、近所の激安スーパーに到着した。この歴史的な物価高の中で、自炊をする学生の懐にはあまりの優しさを誇るスーパーである。

店頭には、「バレンタインセール 大切な人にいかがですか」と書かれたポップとともに、板チョコや、箱入りのチョコが特価で売られていた。いやにキラキラしたポップも、ほとんど売れてガラガラになった棚も、今だけは忌々しく思えた。


 まずは、俺たちは野菜売り場をのぞく。カレーに入れるのは、ジャガイモ、にんじん、玉ねぎといったところだろうか。

 慎也は、玉ねぎを、3個、4個、5個とかごに入れていく。


「いや、いくらなんでも玉ねぎ入れすぎだろ」

「玉ねぎは多ければ多いほどうまくなるんだよ」


 慎也はジャガイモもかごに入れていくが、それが終わるとすぐに肉売り場へと行こうとする。


「慎也、にんじんは?」

「あー、そんな野菜もあったな。好きな人いない野菜」


 それは言い過ぎだろと思いつつも、俺もにんじんは大の苦手だったため、カレーににんじんを入れないことには同意した。


 肉売り場に行くと、3割引きになっている鶏もも肉を見つけたので、2人で飛びつくようにそれを取っていった。


「今宵はチキンカレーですな」


慎也の笑顔は、意図的に俺に向けられたような気がした。


 最後がカレールー選びだ。


「はい、辛口。おっけい、会計」


 すんなりと終わってしまった。






寮に戻った俺たちは、共用キッチンで料理をスタートさせていく。

まずは、玉ねぎとジャガイモを二人で手分けして切っていく。俺が玉ねぎに手を伸ばそうとすると、慎也が制止してきた。


「もうお前は泣かなくていいから、玉ねぎじゃなくてジャガイモ切れ」

「もう、余計なお世話だぜ」


 俺はピーラーを渡されて、慣れないながらも皮を剝いた。慎也の方はかなり苦戦を強いられているようで、充血した目で玉ねぎを順に切っていく。


「手伝おうか?」

「大丈夫、ジャガイモ切ってろ」


 たぶん大丈夫ではないだろうが、1人でやるといっているので任せた。


少しして、2人とも野菜を切り終わったため、今度は肉を切っていく。その前に......

慎也は、どこからか太鼓のばちのような木の棒を持ってきて、もも肉を思いきりたたき始めた。


「これ、ストレス発散にもなるし、鶏肉の筋線維が壊れて柔らかくなるし、一石二鳥だよ」


 にしてもそこまで強くたたかなくても。


「ほら、やってみぃ」


 思いの外、力が入ってしまったようで、叩いたときの轟音は、そこを通りかかった別の寮生が振り返るほどだった。


「あれ、1回でおしまい?」

「うん。十分。1回で。」


叩き終わった俺たちは、適当に肉を切っていった。一口で食べられるサイズなら何でもよかったので形はバラバラになってしまったが、おいしければいい。


さて、俺たちは野菜と肉を炒めていく。サラダ油が敷かれたフライパンに野菜、肉を入れていくと、油が跳ねる心地の良い音と、香ばしい匂いが食欲をそそってくる。

 鶏肉に丁度良い具合の焼き目がついてきたので、水を張った厚手の鍋に炒め物を投入。ここで鶏肉を一切れつまみ食いしてしまおうかと思ったが、我慢。

 ここでじっくり煮込んでいき、沸騰したらあくをとっていく。機が来れば、ルーも投入していく。

ここで慎也は、何か怪しいものを懐から取り出す。


「それは......」

「ああ、チョコ。お前への友チョコ。これを、カレーの隠し味に」

「やるやん、まさか、これを狙ってカレー作った?」

「まさか。そんなわけないじゃん」


 俺は慎也と目を合わせようとしたが、どうにもそうならない。


 慎也は板チョコを割っていって、1かけら、2かけらと鍋に入れていく。

 ルーとチョコは熱々に溶け合っていき、やがてあのスパイスの懐かしい芳香が鼻腔を刺激する。クミン、ターメリック、コリアンダー、その他スパイスは、強固な絆で絡み合って、嗅神経を通じて食欲に働きかける。


 ぐつぐつと弱火で煮込んでいき、ついに完成。

 慎也は、米も炊飯器いっぱいに炊いていた。炊飯器の蓋を開けると、白い湯気が俺の顔を雪崩の如く襲ってきた。

 俺らは、いかにもカレーを盛り付けてほしそうな、薄く、円い皿に米とカレールーを目いっぱいに盛り付ける。


「だいぶカレー余ったね」

「明日も食べられるし、いいっしょ」


 そんな会話を交わしながら、俺たちはダイニングに向かう。いっぱいに盛り付けられ、今にも縁からこぼれてしまいそうなカレールーに細心の注意を払いながら、すり足歩行をする。

 ミッションをクリアして、木のテーブル、椅子に向かい合わせで座り、手を合わせる。


「いただきます」


 俺はまず、米とルーの境目の部分をスプーンで掬って口に運ぶ。


「あっつ!やばい、食えない」


 そんな俺を慎也は、微笑んで見てくる。

 気を取り直して、ふーふーしてもう1回口に運ぶ。

 口の中で、とろみのあるルーと白米が混ざり合う。スパイスの刺激と、その中に包み込まれた、どこか懐かしいまろやかさは、この傷ついた心を修復していく。

 熱さなんてものも忘れ、かき込むようにどんどんカレーを頬張っていく。

 慎重にカレーを食べている慎也とは対照的なので、若干俺の方を見ては引いていた。


「あー、うめぇうめぇ。最高、慎也」

「よかった、そう言ってもらえて」

「やっぱさ、にんじんなんていらなかったな」

「まさに」


 会話を交わしたが、またカレーをかき込むことに集中する。


 外では風が吹き、雪が降っている。気温は0℃を割っているらしい。


 19時27分、この学生寮のダイニングは世界一暖かかった。


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