聖女オーレリアと悪役令嬢なる魔女の夢 ~辺境でのんびりとやり直しを望む、とある貴族の選択~・2

 ロズワード家のカティア・ロズワードは、ヴィルヘルム家の次女であり、ロズワード家に嫁ぐ形で、リシュアン・ロズワードと寄り添った女性である。


 嫁ぐといっても婚約段階であり、結婚には未だ道のりがある現状だ。


 さて、ロズワード家のリシュアンという男、これが誠実にして男伊達の大した若者らしく、彼と寄り添うことを夢見た娘も多くあったという。そんな中、気位きぐらいが高く執着においては類を見ない性格のカティアが、庶民出身やら幼馴染やらのライバルを、フラグをバキバキのボッキボキに蹴破るような猛進で蹴落とし、見事、リシュアンの傍に収まったとか。


 だが、しかし。最も近い隣になってみないと分からないこともある。それも、世においてそれは、山ほどに。


 カティアは才に豊かであり、薬草学、人体の仕組み、経済の動きなどに聡い。

 特に薬草の知識については【魔女】の異名を取るほどに優れていた。


 これを活かさない手はない、彼女はこれを枢軸に『商業貴族』の側面も備えながら社交世界を渡り歩く構想を抱いていたのだが、しかし――。


「――夫リシュアンは現状の立場で戦うことに拘り、辺境へとし薬草産業をおこそうというカティア様の思想とは意見相いれず、諍いとなった。ふむ……情報だけを読んでも、切迫のところは見えてきませんね……」


 優雅ではあるが柔らかなデザインの内装、上下を示さない椅子の位置。

 気品良くも気和みの生まれる接見室で先に待ちながら、椅子に腰を下ろしたオーレリアは、顎にちょいと手を当てて首を傾げていた。


 と、やがて扉が叩かれ、カティア・ロズワードが姿を見せた。


「アイリーン様、お待たせの時間を煩わせてしまいましたこと、誠に恐縮でございます。恥ばかりの仕業をどうかお許しくださいませ」


 スっと頭を下げたカティアの所作は、抜け目なく、冷静に寄った社交上手を予感させた。

 オーレリアはふんわりと微笑んだ。


「とんでもございません、今日はお越しいただきまして、光栄。どうぞお席におかけくださいませ」


 カティアが距離を開けて対面に置かれた席に腰かけると、二三にさん社交的な言葉を交わし合ったのち、カティアが冷たいほど型に嵌った笑顔で言った。


「オーレリア様、今日も偉大な成長の、一歩を懸命する貴方様の尊い努力に懸命を覚えれど、僭越も過ぎてしかし望むならば、今は貴方様のありのままでいてくだされば、私の野卑やひな立場も、意味を報われるものと考えております」


 深く頭を下げたカティアへ、ぽりぽりと頬を掻いて、オーレリアは返答する。


「ありがとう、分かり。では、そうですね、それでは僭越ながら、せっかくのことです、


 理由あり、ちょっと舌足らずないつもの言葉遣いでオーレリアは言うと、なんと自分で椅子を持って、「よっとっと」とトテトテとテーブル沿いを歩き、それをカティアの隣に置いて腰かけた。


 オーレリアは無垢に微笑み、面食らったカティアは、「え、ええ、一時の時間、隣にれるこのこと、まことに光栄に存じます」と、なんとか答えていた。


 オーレリアはマイペースに事を進めた。


「お茶の準備ができまして。どうぞ、お口に合いますように。菓子類も揃えていますが……私はこの、オブラートに包まったお菓子が、口の甲に張り付いてしまって上手く食べられなくて、どうにも苦手なのです。カティア様は大丈夫ですか?」


 九歳の子供の相手をしに来たのだっけ?

 そんなふうにさえ思わせる態度に、カティアは困惑を浮かべていた。そこまでを崩すとは彼女も思っていない。


 そうして、隣同士で話を始めて。


 ぽつりぽつりと。相手は皇女、カティアが言うのは『喋る』ではなく『発言』である。会話のリズムは固く、ぽつりぽつりと。オーレリアはそれに、リズムも個々別々まちまちに、貴族の、ジュミルミナの威厳を損なわないまま柔らかく応じる。


 時間は経つ、ぽつりと大きな雨粒のような会話の一つが、次第に大きな水滴になってゆく。


 そして、しばらくののちには――。


「ふぅむ。それではコレット譲は、リシュアン様の柔らかいところに踏み込む度量が足りなかったために、遅れを取ったのですねぇ……。しかし貴方は、よくマルシェリー様を退けることができまして、状況を俯瞰すると絶望的でして」

「オーレリア様、現実の貴族恋愛っていうのはね、チキンレースなわけです。どこまで突っ込めるか、その賭けでしかない。純心? 思いの時間? 本質的な要点からはほど遠い。重要なのは、それを燃料にアクセル回して覚悟決めるってことで、そういう意味では、気位プライド、執着、それらは先に挙げたものと何ら変わらない、本質を遂行するための燃料なのです。最後は私のように強い女が勝つ」


 菓子類さえみながら、敬語も字面だけですっかり気勢を柔らかくして、カティアは『発言』ではなく『喋る』でもなく、『談』として話に興じていた。


「やはり勝負に兆しとあらば、アクセルを開けるのは迅速でしょうか? ここにはそういった話は届きづらいので、どうにも、私には定石も分からない」

「そりゃあもう兆しとあらば勝負は迅速、私たちの股になんで穴が空いてると思っていますか」


 そのような話も、オーレリアは菓子類を食みながら「ふぅん」なんて声を上げ、自然体で、興味深げに聞くだけだった。


「しかしかえがえすも驚嘆です、よくマルシェリー様に勝てたと驚いていまして」

「私はね、手に入れると願ったなら、それを手にするのです」

「ふむ、お話は分かりまして。では……お悩みとするところは、いったいどのようなところなのでしょうか?」

「それは……」


 途端に、カティアの顔が曇った。

 オーレリアは姿勢を特に改めず、菓子の後のお茶を飲みながら、彼女の話を待った。


「…………。それが、彼の目指すところと、私の展望とに、食い違いが起こっていて。それは大きな食い違いです。今抱える問題とはそれです」


 オーレリアは雰囲気の柔和なまま、ジュミルミナの威厳を崩さない程度の姿勢で、しかし九歳のある種における無責任さ的無垢も兼ね備えて、また菓子を食んでいる。

「王様の耳はウサギ耳ーッ!」、穴に向かってそのように叫ぶ童話があるが、カティアの心境は、あるいはこれに近かったかも分からない。

 凝り固まりのない言葉のまま、彼女は話を続けた。


「私としては、私の才を十全に活かすために、辺境へと越し、私の備えた薬草学の力で産業貴族としてお家を興す展望を見据えています。しかし彼は……リシュアンは、ロズワード家が元々築いた立場をして、それを更に興すことを夢見て、目指しています。その軋轢は如何ともし難いもので、オーレリア様の元へご相談が届いたという事の次第であったのです」

「ふぅむ。しかし、リシュアン様の目指す夢、そこへ注ぐ意思の程度については、カティア様、あなたの話を聞いていた限りでも伝わってきたことです。そのことはどういった心境の事でしょうか?」

「確かに、私も、彼が目指す夢と、湛えられた意思の強さは知っていた。けれど……最も身近な隣に在ることで、初めて、分かることもあるのです」


 そしてカティアは、テーブルに付いた手で、目元を覆った。


「ふむ。それはどのようなことなのでしょう?」


 オーレリアが訪ねると、カティアはしばらく黙って。

 そして、目元を覆う手を震わせながら、口漏らした。



「最も身近な場所で時間を共にすることで、分かった。リシュアン、彼は――――私が思うほど、才気の純度が、優秀ではなかった……」



「あー……」


 オーレリアは眉をかしいで、うめき声みたいな声を漏らした。

 あるある――世の理、諸行無常、そんな情を、眉の傾いだ表情に浮かべて。


「ロズワード家は斜行しゃこうです、衰退的とは言わないまでも傾き滑っている立場にある。リシュアンの才覚では、そこを立て直すのは無理でしょう。しかし私の薬草学を活かすなら、辺境でやり直しを望み、ロズワード家の財を復興させることは確実な手段です。辺境へ越すことは不服ですがね……。しかし、誰が見ても、それは確実な手段です」


 そこまで聞いて、オーレリアは気付いた表情で「なるほど……」と呟いた。


 カティアは目隠しの手を外し、オーレリアと視線を合わせた。


「今回、オーレリア様にお話しが届きましたのは、僭越ながら、ひとえに私の薬草学の才を惜しむ声からの事です。軋轢がもし致命的なまでに悪化すれば、最悪の場合、リシュアンの夢をひとえに支えようとする令嬢やらに席を奪われる、婚約破棄もあり得ます。そうなれば私は破滅です……。薬草学の力を十全に発揮できる身分は他にもあれど、権力の席を譲るつもりは毛頭ない。見かねて、このたび、オーレリア領域に声が届いたという次第でございます」

「うーむ……。リシュアンの夢をひとえに支えようとする令嬢やらが席を狙ってくる。お話を辿ってみると、あり得ることですよねぇ……」

「ええ、そうですね」


 そして、カティアは。

 額に、青筋を浮かべて。自分の額を五指で引っ掴む形で影を作り、そこに恐ろしい笑顔を形作った。


「――……バレてないと、思っているのか、あの女も、そして、マルシェリー、あいつも……。私から見えない影に隠れて……、コソコソと、人の物に汚らしい息をかけて……。今日、今この時も、鼠みたいにチョロチョロとリシュアンに息をかけていることは、知っているんだよ、あんの×××××……。――オメェにリシュアンの夢を叶える才覚なんてねぇだろうが、んの、ほんとに……もう……敗残兵の分際で…………チョロチョロチョロチョロ……。――――イギィイイイイイイーーーッッ!!」


 そうして、カティアは奇声を上げて、オーレリアは目を横棒のようにして、頬に一滴の汗を浮かべていた。


 事情を知らない者からすれば、カティアの奇声は脈絡を含まない、本当に気でも触れたようなものにしか思えなかっただろう。

 しかし、オーレリアにはその心情が良く分かっていた。創話そうわにおいて鉄板な展開であるからだ。


 コレット譲。

 マルシェリー様。

 そして、



 マルシェリーは令嬢ではない。

 貴族の紳士である。



【エレアニカの教え】の、世間的な意味としての最たる特徴は、『同性愛の自由』である。

 エレアニカ連合、また【エレアニカの教え】を広く信仰しているアリアメル連合において、同性愛はなんら特殊でない、一般的な感性であった。


 さて、しかし、どうしたものだろうか。

 両者の考えはそれぞれに正しさがあるように思える……。


 顎に指を当てて、まだ幼き皇女は、苦悶の表情を浮かべる【魔女】を見つめながら考えを巡らせたのだった。


 

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