第3話 誤差でもそれは無視できない

 独り、部屋の天井を見つめているといつも去来する「どこで歯車が狂ってしまったんだろう?」という、無意味で無価値な思考の迷路。


 でも、それは難解な「迷路」で――、今日もまた私は抜け出せていなかった。




 4月1日生まれ――、幼い時はなんとも思っていなかった。


 エイプリルフールとか、4月バカなんて言葉を知ったのはいつだったろう? でも、そこに意味なんて感じなかった。事実、きっと意味なんてない。 


 強いてあげるなら、春休み期間中に迎える誕生日はクラスのみんなに祝ってもらえない。それが寂しい、というか――、学校で祝ってもらえる子が羨ましいな、くらいに思っていた。


 この生まれが、実はそれなりの「ハンデ」と思ったのは一体いつの頃からだろう?



 生まれがもし1日ズレていたら、私は今同級生の子たちのひとつ下の学年になっていた。

 でも、この1の違いで、私はある意味「上級生」に近い人たちに囲まれて過ごす日々を送った。


 ずっと後になってしったけど、実はこの日の生まれは「4月2日」に出生届を誤魔化す人が多いとかなんとか……。けど、私の場合は親が正直だったらしい。



 16歳の今となっては生まれの日など「誤差」だと思う。だけど、人生――、生体経過時間がせいぜい7年程度の人間にとって、「1年」はとっても大きな違いになる。


 それが肉体的にも、精神的にも、日増しに成長していく時期なら尚更だ。




 小学校――、私はなにをするのにも周りから遅れていた。


 九九を覚えるのにとっても時間がかかった。


 ハーモニカが全然吹けなくって、楽譜もまったく読めなかった。


 逆上がりも二重跳びも、できるようになったのはずっと後だ。


 学校の先生とお母さんは揃って、「コウちゃんは早生まれだから――」と言った。当時の私は単語の意味こそなんとか理解したけど、それと周りとの差が結びつかなかった。



 中学校――、成長の時間的なハンデをならすには十分な生体時間が経過していた。それは裏を返せば、言い訳がきかなくなった、とも言える。


 小学生の時は、長々しい文章で書かれた評定項目に対して「よい・普通・もう少し」の3つで評価が下されていた。それが中学生になって、明確な「数字」の評価へと変わった。


 自分が同じ年代の集団の中でどの程度の位置にいるのか、否応なく意識させられる。そして客観的な「個」の価値として、優劣が明確に示されるようになったのだ。



 その結果、当時の私は理解する。


 幼い時は周囲が「早生まれ」を言い訳にいただけ。生体の経過時間の差に関係なく、私は子だった。

 勉強も運動も――、それだけじゃなくってコミュケーション能力や自主性・自発性、協調性……、いろんなことが周りよりずっと劣っていると実感するようになっていった。

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