いざ、学校へ 8話〜10話

8話


 家に着くと、あのよくわからない気持ちは消えていた。


 少し息を切らしながらドアを開けると、


「おかえりなさい、夜凪さん」


 と小さな微笑みと共に迎えられた。


「ただいま、夕咲。よく気付いたね、俺が帰ってきてるって」


 うちのマンションには出入りの時にインターホンを鳴らすことはないし、鍵も閉めていなかったはずだが。


 今になって考えるとかなり不用心だったと思う。


 俺の質問に対して、夕咲は少し恥ずかしそうに視線を下げる。


「ああ……それはですね、一人では落ち着かなかったので、20分ほどここで待っていました」


(20分⁉︎)


 夕咲は暇つぶしも持たずに玄関で20分も俺のことを待っていた……、いや、変な想像はやめよう。


 夕咲は1人で不安だっただけで、俺がいなくて寂しかったわけでは無い。


 頭を振りキモい想像をどこかに飛ばす。


(けど)


 正直、かなり嬉しい。


「そうなんだ。遅くなってごめん」


「いえ、大丈夫です。あと、すみません。まだ考えがまとまっていないんです」


 もしかしすると夕咲も俺と同じような気持ちになっていたのかもしれない。


 おっと、また、キモい想像をしてしまった。


(平常心、平常心)


「大丈夫。実は俺もまだ考えられてないから」


「でしたら、夕食の後まで待ってもらってもよろしいですか?」


「もちろん」


 そういうと夕咲は考えるためか、自分の部屋に入って行った。


 俺は買ってきた材料を袋から出し、家ではご無沙汰のエプロンのを着る。


 野菜と米を水で洗い、米は炊飯器に入れ、野菜はまな板の上に置く。


 料理をするのは久しぶりだが、手間はかからないものなので心配ないだろう。


(さて、どうしようかな)


 今は野菜の下準備を終え、ご飯が炊けるのを待っている。


 その間、俺はリビングのソファーに座り、ハルたちに話すかどうかを考える。


 俺の素直な意見としては、やはり言わない方がいいと思う。


 もちろん、ハルが信用できないというわけではない。


 たとえ、本当のことを全て話したとしても、きっとハルたちは深くは聞かずに受け入れてくれるだろう。


 だが万が一、夕咲のことがハルや秋川以外にも広まってしまった場合、その時はどうなるかわからない。


 そして夕咲もいい思いはしないだろう。


 ハルは、隠したとしても、それで怒るような奴じゃない。


 だから、多少の心苦しさはあるが、個人的にはこれがベストだと思う。


 ある程度自分の考えがまとまったところで米が炊けたので、夕食の準備を再開する。


 炊き立てから少し冷ましたご飯とさっき切った野菜、あと諸々の調味料をフライパンに入れ炒める。


 5分ほど炒めたら火を止めて、お皿によそう。


 見た目、香りはバッチリ、あとは味だけだ。


 いや、味と夕咲のお腹を満たせるかだけだ。


 一応、おかわりとスーパーの惣菜2品はあるが、前の日曜日の食べっぷりを見た後では少し心配になる。


 夕食を机に並べ夕咲を呼びに行く。


「夕咲ー、ご飯準備できたから出てきてー」


 そう呼びかけるとドアノブが回転し、部屋の中から夕咲が出てきた。


「すみません、何から何まで任せきりで。次からはお手伝いしますので」


 これまでの時間、相当考え込んでいたようで、その顔には疲労の色が見える。


「気にしないで。けど、せっかくだし次からは手伝ってもらおうかな」


「はい、頑張ります」


 表情を見た感じ、夕咲も考えはまとまったようだ。


 家に帰ってきた時より、心なしか雰囲気も明るい気がする。


 机に向かい合って座り、手を合わせる。


「よし、いただきます」


「いただきます」


 まずは、スプーンですくい一口。


(お!)


「美味しいです!」


「! よかった〜」


 訊こうと思っていたことの答えを夕咲が口に出して言ってくれた。


 こうやってしっかり口に出して褒めてくれるのは、照れ臭くはあるが素直に嬉しい。


 久々に作ったとしては上出来だ。


 夕咲も満足してくれたようで、すでに半分以上食べている。


「えっと……、何故ずっとこちらを見ているのですか?」


「あ、ごめん。すっごく美味しそうに食べてくれるから嬉しくて」


「そうですか。ですが、あまり見られると、その……、恥ずかしいので」


「う、うん。気をつける」


 そうは言ったが、その日の夕食の間はほとんど夕咲を見てしまっていた。


 ちなみに夕咲は2回おかわりした。


9話


 食べ終わった食器に水をはり、2人でソファーに腰をかける。


「夕咲、考えはまとまった?」


「はい。夜凪さんもまとめられましたか?」


「俺も大丈夫」


 2人の間に沈黙が流れる。


 こういう時は俺から話し始めた方がいいのだろうか。


 きっかけを作った方が夕咲も話しやすいだろう。


「俺は、やっぱり言わない方がいいと思う。ハル達のことは信頼してるけど、他に広まった時が怖いし」


「そうですか……」


 この様子を見ると、おそらく夕咲の意見は俺と逆なのだろう。


 この流れは少し言いにくいかもしれない。


 俺が先に言ったの失敗だったか。


「決めるのは夕咲なんだし、俺の意見はあくまで参考程度にしといて。俺は夕咲の決定に従うから」


「ありがとうございます。……私は話してもいいと思います。これから関わっていくのであれば、いずれバレる日が来ると思いますので」


 夕咲の言っていることは正しいと思う。


 黙っていてもいずれバレる日はやってくる、というのは、まあ、そうだろう。


 まさしく今日の様に。


 それならば、今のうちに話して理解してもらった方が、これからの生活を考えてもいい選択かもしれない。


「あと……、夜凪さんに嘘をついてほしくありません」


「別に俺のことは気にしなくていいけど」


「ダメです。私のことで迷惑をかけるわけにはいきませんから」


(またそんなこと)


 だが、理由はなんであれ、夕咲が話すというなら、俺はそれに従いサポートするだけだ。


「じゃあ、ハル達に話すことは決定で。あと、俺は夕咲に対して迷惑だと思ったことは1回もないから」


「……ありがとうございます」


 言葉通りの意味で素直に受け取ってくれればいいのだが、それはまだ難しいらしい。


 これからの課題がまた一つ増えてしまった。


「細かいことはやることやってから決めよっか」


「そうですね。何かお手伝いできることはありますか?」


「そうだな、じゃあお皿洗ってくれる?」


 夕咲に食器洗いで使う洗剤とスポンジを説明して俺は風呂掃除をしに浴室へ。


 風呂を洗いながらこれからのことについて考えてみる。


 あと決めなければいけないのはハルたちにどこまで話すのか、ということ。


 出会った経緯、今一緒に住んでいるということ、また、何故そうなったのか、などなど。


 あと、この話には関係ないが、遠足についても夕咲に聞いておきたいことがある。


 正直、話すことに対しては完全同意というわけではない。


 やはりハルたち以外に広まってしまった時、それが心配だ。


 うちの高校は決して治安が悪いわけではない。


 だが、良いとも言えないのも事実だ。


 うちは比較的校則が緩い分、羽目を外しすぎることがあるらしいし。


 俺が冷やかされたりいじられたりする程度ならいいが、それが夕咲にまで及んだり、エスカレートしてしまった場合、それが怖い。


 俺はクラスでもそこまでいい存在として認知はされていないだろうし、エスカレートする可能性は十分にある。


 ハル達にも釘はさすが、今回の俺のように、誰かの不注意でバレてしまうこともある。


 夕咲が決めたことなのでとやかく言うつもりはない。


 なので、俺にできることは、今俺が考えている可能性が現実にならないように行動すること、それだけだ。


 これは夕咲だけの問題ではなく、俺の問題でもあるのだから。


10話


 決心を固め、浴室から出ると、


「お疲れ様です。こちらも丁度終わったところです」


 食器洗いでついた水滴をタオルで拭き取り、夕咲がこちらに近づいてくる。


「ありがとう。そっちこそお疲れ様。棚には俺が戻しとくから、先に座ってて」


「わかりました」


 人が1人増えるだけで家事もここまで楽になるものなのか。


 普段なら風呂が沸くのを待つ間に食器は洗っているので、この時間が自由時間になるのは嬉しい。


 食器を全て棚に戻し、先にソファーに座っていた夕咲の隣に腰を下ろす。


「えっと、あと決めなきゃなのは、どこまで話すのかだけど……、夕咲の意見は?」


「私は全て話してもいいと思っています」


(まあ、そうだよね)


 先ほどの『嘘をついてほしくありません』という発言から予想はしていた。


 まあ、途中を省いて話してもややこしくなるだけなのでそれは賛成だ。


「うん。俺もそう思ってた。けど……」


「? なんでしょう?」


「その……俺がかわいいっていったことは秘密でお願いします」


「? なぜですか?」


「なぜって、恥ずかしいし、絶対いじられるし」


「……わかりました。では私たちだけの秘密ということで」


(え、何? 今の一瞬の間)


 あと、『2人だけの秘密』という言い方をされると少し照れてしまう。


 夕咲としては無意識なのだろうが、俺にはクリティカルヒットだ。


「あと、今回の話とは関係ないんだけど、遠足のことで」


「何かありましたか?」


「ほら、前に話したときは水族館に興味ありそうだったけど、ハル達に聞かれた時何も言わなかったでしょ」


「ああ、それは……、いいんです。皆さんに合わせますから」


「本当にいいの? ハル達なら賛成してくれると思うけど」


「いえ、皆さんに気を遣わせるわけにはいきません。それに今から変更するのは先生方にも迷惑がかかりますし」


「けど……」


「いいんです! 夜凪さんはそろそろお風呂に入ってきてください。明日も学校ですから」


 頑張って笑っているようだが、一目でわかる。


 作り笑顔だ。


 普段あまり笑わないので、かえって不自然だ。


 だが、これ以上言っても無駄だろうし、そろそろ11時になる。


 あまり遅すぎては明日に影響する。


 今日のところは諦めるしかなさそうだ。


「わかった。けど我慢しすぎないように。夕咲だけ我慢するなんて、俺は嫌だから」


 少しきつい口調になってしまった。


 俺はこういう会話になるとすぐに熱くなってしまう。


 傷ついていないといいが。


 その日はそれ以降会話はなかった。


 お風呂から出た時に顔は見たが、その表情はどこか悲しそうで。


 先に寝ててくれと言われたので、おとなしく部屋に入ったが、本当にこれでよかったのだろうか。


 謝ったほうがよかったのではないか。


 だが、俺の意識はもう持ちそうにない。


 脳内の葛藤をよそに、俺の瞼は閉じられた。

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